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石神 エピローグ 1話

【個別教官室】

サトコ

「おはようございます」

石神

ああ、おはよう

講義前に教官室へ立ち寄ると、それまで書類に視線を落としていた石神教官が顔を上げた。

サトコ

「講義の準備、何か手伝うことはありますか?」

石神

いや、今日は大丈夫だ

サトコ

「分かりました。では、失礼します」

いつものように“候補生”としての立ち位置で軽く頭を下げ、ドアノブに手を掛ける。

石神

‥昼休み

サトコ

「はい?」

部屋を出かけた時、背中に声が当たる。

一拍置いて教官は口を開いた。

石神

資料室で一緒にどう‥‥

サトコ

「了解です!」

石神

まだ最後まで言っていない

サトコ

「ふふ、すみません。つい‥嬉しくて」

石神

‥‥‥

呆れたみたいに微笑んで、教官は再び書類に視線を戻す。

(一緒にランチだ‥!)

個室のドアを閉めながら、ひとりでに緩みだす顔を必死に引き締めた。

【廊下】

(昼休み、楽しみだな‥まだ朝だけど)

颯馬

なんかいいことでもありましたか?

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東雲

なんか小型犬が尻尾振ってるみたい

サトコ

「!」

振り返ると、颯馬教官と東雲教官がにこやかにこちらを見ている。

サトコ

「おはようございます‥」

(尻尾って‥)

颯馬

随分ご機嫌ですね

東雲

ランチタイムにいいことでもあるのかな

ねぇサトコちゃん。今日の昼休みはどこでランチするの?

サトコ

「そ、そんなの聞いてどうするんですか」

東雲

うーん、そうだな。透にでも話すかな

サトコ

「‥‥‥」

石神教官との付き合いは、一部の教官たちには知られてるものの、隠す方向でいる。

特に黒澤さんと東雲教官は冷やかし放題なため、

学校にいる間はほぼ鬼教官と専属補佐官の関係に徹していた。

(校内では絶対に迂闊なことできないんだよね‥)

サトコ

「では、講義がありますので」

東雲

笑顔でごまかしたね

颯馬

フフ‥可愛いじゃないですか

サトコ

「失礼します!」

務めてにこやかに会釈して、逃げるように教場へと向かった。

【資料室】

(わ‥もうこんな時間なんだ)

復習に没頭していると、気付けば時計の針が夜8時を指している。

サトコ

「お腹空いた‥」

石神

それはちょうど良かった

サトコ

「へ‥」

声に振り向くと、ドアのところに石神教官が立っている。

石神

差し入れだ。あとは寮に帰ってからにしろ

サトコ

「やった!今日はどこのプリンですか?」

石神

急に目を輝かせるな

サトコ

「ふふっ、そう言われましても‥」

他に誰もいないのをいいことに、教官の指先がそっと私の髪に触れる。

(プリンもだけど、石神教官が来てくれたらそれは目も輝く‥)

サトコ

「ありがとうございます」

石神

‥‥‥

一瞬柔らかくなった表情が、次の瞬間には険しいものに変わった。

黒澤

困った時は資料室ですって

東雲

どうだろうね。サトコちゃんと一緒にいるならここだろうけど

2人の声が聞こえてきたのとほとんど同時に、外気が部屋の中へ流れ込んでくるのを感じる。

サトコ

「!」

(こんな時間に2人きりでいるところを見られたら、なんて言われるか‥!)

サトコ

「石神さん、隠れましょう!」

石神

は?

慌てて荷物をまとめて、ロッカーの中へ逃げ込む。

【ロッカー内】

東雲

ほら、やっぱりいないじゃん

黒澤

えー‥じゃあどこに行ったんだろう

サトコ

「‥‥‥」

石神

‥‥‥

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(隠れたのはいいけど、これは一体どうしたら‥)

ちょうど人、2人入れる大きさのロッカーの中では、どう足掻こうとも抱き合う姿勢になってしまう。

サトコ

「す、すすすみません‥」

石神

余計なことを‥

サトコ

「でも‥!」

石神

少し黙ってろ

そうすることが一番ラクな姿勢なことは分かる。

けれど‥腰に回された腕と、近づく顔に、心臓はバクバクと大きな音を立てた。

(少し黙れと言われても、逆効果だよコレ‥!)

東雲

教官室にでも戻ってるんじゃない?

黒澤

この時間ですしね。そうかも

足音が遠のいて、バタン‥とドアが閉まる。

【資料室】

(窒息するかと思った‥)

外に出て、大きく息を吸う。

サトコ

「すみません。かえって事を荒げてしまって‥」

石神

悪いのはアイツらだ

冷やかし半分で探しているのが滲み出ていただろう

サトコ

「それはそうですけど‥」

(やっぱり教官と付き合うとなると、いろいろ難しいよね‥)

石神教官は関係が変わっても、指導に関しては今までと変わらない。

むしろさらに厳しくなったくらいだ。

(それでも、候補生に知られちゃうとそうとは伝わらないだろうし‥)

(卒業するまでは気を付けなくちゃ。教官に迷惑かかるもんね)

石神

珍しく難しい顔をしているな

サトコ

「‥たまには真面目に思い悩むことだってあります」

石神

何を思い悩むことがあるんだ

サトコ

「それは‥」

(あなたのことです、とは言えない‥)

何か上手い言い返しはないものかと考えていると、頭の上で小さく笑う気配を感じる。

石神

‥次の週末は空けておいてくれないか

サトコ

「え‥?」

石神

事件さえ舞い込んでこなければ、だが‥江の島に行きたい

サトコ

「行きます!空けます!」

(‥ってまた食い気味に答えちゃった)

石神

行きたいところがあったら、先に教えてくれ

サトコ

「江の島ですよね。考えておきます」

石神

ああ

サトコ

「‥‥‥」

(どうしよう。なんだかすごくカップルっぽいんだけど‥)

嬉しいやら恥ずかしいやら、手にしていた教材を抱え込む。

サトコ

「楽しみにしてますね!」

石神

行く前からそんなに嬉しそうにするなら、もう行かなくてもいい気がするな

サトコ

「‥冗談になってません。拗ねますよ」

石神

‥‥‥

仕方なさそうに目を細められて、そこに込められた愛情みたいなものが伝わる。

(まだ慣れないな‥)

入校してからまだ数か月。

あまりにも濃密で、もっと長かったようにも感じるけれど。

(浮かれてないで、まずは頑張らなきゃ‥!)

そう言い聞かせながら、教官と一緒に資料室を後にした。

【モニタールーム】

その翌日。

石神

対象者の目線に立ち、何名の捜査員に追尾されているのかを見てみろ

モニタールームでの講義は、映像からその課題を読み取るというものだ。

(追尾者が入れ替わったり‥あ、今の先回りしたよね)

(角で待ち伏せてるように見える人は、一般の人‥?)

集中するものの、場合によっては十数人規模での追尾になることもあり、

何名いるのかなんてさっぱり分からない。

(あ、ここのプリンも人気あるんだよね)

写り込んだお店に、ふと石神教官の顔が浮かぶ。

(あと5日か‥行きたいところ考えなきゃ)

(石神教官とデートだし!楽しみだな‥)

石神

氷川、何か他のことを考えているだろう

サトコ

「!」

背後からの声に、背筋が伸びる。

石神

講義に集中しろ

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サトコ

「は、はい。すみません」

鳴子

「怖っ!」

「でもあの目がたまらないよね~」

サトコ

「ハハ‥」

(浮かれている時間じゃない‥!)

と思いつつも、頭の片隅では週末のことを考えてしまう。

(いやいや、ダメダメ!)

浮かれるのはせめて寝る前にしよう。そう決めてモニターに集中することにした。

週末。

石神教官の非番に合わせて、午後からゆっくりと出発した。

石神

思ってたよりすんなり入れたな

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サトコ

「家族連れが多いからですかね‥?」

リクエストに応えて、江の島へ向かう途中にある「billz」へやってきた。

サトコ

「ここのパンケーキ食べてみたかったんです!」

(東京にでもいなきゃこんなお店になんて来られないし)

(石神さんもパンケーキは好きだって分かったし)

石神

‥ここのは特別うまいな

サトコ

「ふわっふわですね!」

石神

海もよく見えるし、お前にはピッタリだな

サトコ

「はい」

こうして外に出てしまえば、教官の色も隠れて、ただの男の人になる。

いつもとは違う寛いだ微笑みに、胸の中まで甘さが広がった。

【江の島】

江の島大橋を渡って車をパーキングに入れると、のんびりと歩いて弁財天仲見通りへ向かう。

サトコ

「江の島と言えば、シラス丼ですよね」

石神

まだ入るのか‥

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サトコ

「さすがに今は無理です。パンケーキでお腹いっぱい‥」

石神

だろうな

サトコ

「でもせっかくだから何か‥あっ、すみません!」

休日とあって人が多く、すれ違いざまに人と肩がぶつかってしまった。

石神

‥ほら

サトコ

「‥‥‥」

(手、繋いでくれるんだ‥)

無造作に差し出された手を取ると、さっきまでよりずっと近い距離で隣に並ぶ。

石神

はぐれると困るからな

サトコ

「迷子にはなりませんよ。たぶん」

石神

どういうわけか、お前のその言葉は信用しがたい

サトコ

「す、すみません‥」

「あの、石神さんから見た私ってそんなに頼りないですか?」

石神

頼りないとは言っていない。危なっかしいだけだ

サトコ

「‥‥‥」

石神

素直に言うことを聞くのかと思えば、突っ走ることもあるだろう

目が離せない

サトコ

「それは‥石神さんのせいです」

「見ててくれるだろうっていう安心感があるからっていうか‥いや、迷子にはなりませんからね?」

石神

‥そうか

(ああ、もうズルいなぁ‥)

手を繋ぐのは初めてではないけれど、

しっかりと絡んだ指が、ふと見せる笑みが、特別なものに感じてしまう。

(さすがに誰がどう見てもデートだよね‥)

軽々と包み込んでしまう大きな手に、どうしようもなく嬉しさが込み上げた。

【土産物屋】

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立ち並ぶ土産物屋に入ると、外国人観光客の多さが目を引く。

石神

‥‥‥

サトコ

「どうかしましたか?」

石神

いや‥何か買って行くか?

サトコ

「いつもお世話になりっ放しですし、黒澤さんにお土産でも買おうかと」

石神

必要ない

サトコ

「ええっ」

「‥そんな邪険に扱いながら、結局は仲良しですよね」

石神

やめろ。噂なんてしてたら湧いて出てきそうだろ

サトコ

「ふふっ、またそんなこと言って‥」

お菓子が並ぶ棚を眺めていると、店先がざわつき始める。

サトコ

「?」

石神

‥やっぱりやられたか

サトコ

「え?」

中年女性

「盗られたわ!あの外国人たちよ!」

中年男性

「置き引きだ!」

(置き引き‥!?)

サトコ

「石神さん!」

石神

‥仕方ないな。行くか

サトコ

「はい!」

【仲見世通り】

客を掻き分けるようにして表に出ると、

人混みのせいもあって犯人グループはそう遠くへは行っていない。

石神

氷川!右へまわれ!

サトコ

「はい!」

(絶対、逃がさない‥!)

とにかく走って、散り散りになって逃げる男たちを追う。

(主犯はあの人だよね。女物のバッグ持ってるし)

的を絞って追い込むと、向こう側で石神さんが男を拘束しているのが見えた。

サトコ

「待ちなさい!」

外国人の男

「‥‥っ」

背中の服を掴むと、間髪入れずに応戦してくる。

(組手はそんなに得意じゃないけど‥)

(ってダメだ。今日スカート‥!)

投げ技なんてとてもじゃないけどできない。

???

「サトコさん、コレどうぞ!」

サトコ

「!」

(どうして竹刀‥!?)

投げ渡された竹刀を手に、男を押さえつけて、何とかうつ伏せにすることができた。

石神

よくやった

サトコ

「2人ほど別の方向へ逃げちゃったんですけど‥」

黒澤

駐在所のお巡りさんが追って行ったので大丈夫だと思いますよ

ああ、竹刀はそこのお店の人に返しておきますね

サトコ

「!」

「黒澤さん!?」

黒澤

どうも~。いやぁ、お2人のおかげで助かりましたよ

石神

お前も追ってたのか

黒澤

そうなんです。偶然ですね

非番なのに犯人確保だなんて、本当にお疲れさまです

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石神

目の前に現行犯がいれば仕方ないだろう

黒澤

いい相棒っぷりでした

石神

‥‥‥

黒澤

睨むことないじゃないですか~

とにかく、後は引き受けますのでどうぞラブラブデートに戻ってください

口止め料は後日請求しますので

こそっと石神教官に耳打ちする。

サトコ

「さっきお土産選ぼうとしてたんですけど、黒澤さんも来てるなら他のものが良いですね」

黒澤

サトコさん‥なんとお優しい‥

石神

‥行くぞ

げんなりした様子で、石神さんはさっさと仲見世通りの方へ歩いていく。

サトコ

「では、失礼します!」

黒澤

お気をつけてー!

(まさかこんな出先まで黒澤さんに会うなんて‥)

黒澤さんに見送られながら、急いで石神さんの背中を追いかけた。

【展望台】

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サムエルコッキング苑の花の咲き乱れる庭園を抜けると、

シーキャンドルと呼ばれる展望台が見えて来る。

サトコ

「行ってみませんか?」

石神

そうだな‥その前に少し休むか。そこにテラスがある

全力で走らせて悪かったな

石神さんは言いながら私の足元を見て、また当たり前みたいに手を取る。

(今日は完全にデート仕様だから、確かに走りにくかったけど‥)

それでも、必死すぎてそんなことはすっかり忘れていた。

サトコ

「‥しらすアイスでも食べますか?」

石神

美味いのかそれは‥

サトコ

「分からないですけど、評判がいいって聞きましたよ」

些細なことも、ちゃんと見てくれているのが嬉しくて。

さほど意味を持たない会話が、こんなにも大切な時間になる。

(なんだか胸がいっぱいだな‥)

隣を見上げると、穏やかなその横顔にドキドキと胸が高鳴った。

to be continued

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