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ふたりの卒業編 石神2話

【学校 廊下】

A国大使襲撃未遂事件の翌日。

講義が始まる前に、私は石神さんと学校の廊下を歩いていた。

石神

昨日の一件は校内でもすでに知られている

サトコ

「‥はい」

石神

様々な声が耳に入るだろうが、間違った判断をしたわけではない

堂々としていろ

サトコ

「はい」

あれから一日が過ぎたけれど、気持ちの整理はついていなかった。

(容疑者の意識は、まだ戻ってない‥)

石神

大丈夫か

サトコ

「大丈夫です」

(これ以上、石神さんに心配かけられない。しっかりしないと)

教官室に向かう石神さんと別れて、私は廊下をひとり歩く。

(悩んで答えが出るものなのか、わからない。でも‥)

視線を落としたまま歩いているとドンッと何かにぶつかってしまった。

サトコ

「わっ!」

目の前が教官の制服でいっぱいになる。

サトコ

「すみません!」

加賀

クズが一丁前に物思いに耽ってんじゃねぇ

サトコ

「か、加賀教官!」

(よりによって、加賀教官にぶつかるなんて!)

サトコ

「その、少し考え事をしてたというか‥」

加賀

‥進歩ねぇな

サトコ

「え‥」

加賀

俺の取り調べを見た時から進歩がねぇっつってんだ

加賀教官の手が私の頭を鷲掴みにする。

サトコ

「いっ‥」

(久しぶりだと、余計に痛い!)

加賀

何でもテメェの狭量で計れると思うんじゃねぇ

サトコ

「‥っ」

加賀教官は私の頭を突き放し、そのまま先を歩いて行ってしまう。

サトコ

「‥‥‥」

(加賀教官の取り調べを見た時から進歩がない‥か。確かにそうなのかも)

補佐官交代で加賀教官についていた時は、

容疑者相手に過酷な取り調べをする加賀教官を受け入れることが出来なかった。

(あの時と同じ感覚なのかな。加賀教官の件は折り合いをつけることができたけど)

(今回はあの時よりも重く、人の命が掛かってる)

難波

氷川、そんなとこでぼーっとしてると遅刻するぞ~

サトコ

「し、室長!」

いつの間に近くに来ていたのか、難波室長がすぐ傍に立っていた。

難波

昨日はご苦労だったな。今日は有給にでもしてやるか?

サトコ

「いえ!卒業まで、あと少しですから」

難波

休めるのは卒業前の今だけだぞ?

本格的に公安課に配属された日には忙しくて髭を剃る暇もない

サトコ

「え、それって忙しさで剃ってなかったんですか!?」

(卒業前にまさかの真実が!?)

難波

あー、やっぱオシャレ髭に見えたか~。まあ、どっちでもないんだけどな

サトコ

「何ですか、それ‥」

いつもの室長の緩さを感じて少し気が抜ける。

(あれ、さっきまでずっと重苦しかったのに少しだけ‥)

ふと肩で息を吐くと、その肩をポンと去り際に叩かれた。

難波

‥お前はよくやったよ

サトコ

「‥‥‥」

(『ありがとうございます』って言いたいけど、言えない‥)

室長の足音が遠ざかっていく。

こちらの答えを待たない気遣いが今は有り難かった。

(今回の私の判断は公安刑事として間違ってなかった‥)

(教官たちはそれを教えるために、声を掛けてくれてるのはわかる)

昨日撃たなければ取り返しのつかない事態になっていた可能性があるのは自分でもわかる。

(けど相手が意識不明の重体でも、本当に間違ってなかったって言える?)

(最善の選択が出来ていた?)

昨日から意識的に見なかった右手をじっと見つめる。

(実技でどれだけ優秀な成績を残せても)

(人を殺しそうになった私が、銃を抜く資格なんて‥)

追い込まれた心境になる一方で、この事態をひどく冷静に捉えている自分もいた。

サトコ

「こんな考え、甘い‥か」

(何のために銃を持っているのか‥それこそ訓練でいい成績を残すためじゃない)

(必要な時には銃を使って国を守る。それが公安刑事の役目なんだから‥)

サトコ

「覚悟が‥足りてないのかな‥」

公安刑事として生きる覚悟ーー卒業間近に、それを問われている気がしてならなかった。

【射撃場】

結局、気持ちは晴れないまま1日の講義と訓練を終えた。

放課後の日課は自主練‥ここ最近欠かしていなかった射撃の訓練に向かうか、私の足が迷っている。

(とても銃を抜ける気分じゃない。でもこういう時こそ訓練が大事だって気もするし‥)

颯馬

今日も自主練ですか?

射撃場の前で入ろうかどうか迷っていると、颯馬教官に声を掛けられた。

サトコ

「その、どうしようか迷っていて‥颯馬教官、使いますか?」

颯馬

いえ、私はこのあと会議ですから

昨日の事件は、貴女の射撃の腕あってこその成果でしたね

ふっと穏やかな笑みを浮かべる颯馬教官に私はかすかに目を伏せる。

サトコ

「私は‥まだ整理がつかないです‥」

ぽろっと本音が零れても、颯馬教官の微笑が崩れることはなかった。

颯馬

向き不向きは当然あります。ですが、向いていないからこそ見えるものもある‥

チームには、そういう人員が必要だったりするものですよ

(それって私が公安刑事に向いてないってこと‥?)

颯馬教官が悪い意味で言っているわけではないのはわかる。

けれど、今向いていないと言われるのは少し堪えた。

<選択してください>

A: 私は公安に向いてませんか?

サトコ

「私は公安に向いてませんか?」

颯馬

それは私が決めることではないと思いますよ

サトコ

「じゃあ、誰が‥」

颯馬

それはあなた自身‥いえ、自分ですら決める必要はないのかもしれない

サトコ

「‥難しいです」

颯馬

そうでしょうね

B: 颯馬教官は厳しいですね

サトコ

「颯馬教官は厳しいですね」

颯馬

ふふ、そうですか?そんなつもりはないんですが‥

他の教官は、もっと優しかったですか?

サトコ

「そうですね‥でも、今の私にはあまり意味のないことだったかもしれません」

颯馬

そうですか

C: どんな人が公安に向いてるんですか?

サトコ

「どんな人が公安に向いているんですか?」

颯馬

それは私も一概に言えませんが‥

長く残っている人間というのは向いているのかもしれません

サトコ

「それは教官たちのことですか?」

颯馬

そうですね。共通点はないように見えますが‥何かあるのかも

サトコ

「私に見つけるのは難しそうですね」

颯馬

いずれ自然と見えて来るかもしれませんよ

颯馬

存分に悩み抜くことも時には必要でしょう。悩めるのは‥ある意味、今しかないですからね

微笑のままの颯馬教官に私は苦笑で返す。

(甘いようで実は厳しい‥颯馬教官らしい言葉)

(でも、今はこの方がいい。耳に心地いい言葉だけを聞いていても意味があるとは思えないから)

サトコ

「悩み抜くことも必要‥か」

(ここで立ち止まってても仕方ない。とにかく、やるべきことをやろう)

小さく深呼吸をすると、私は訓練用のヘッドフォンを手に取った。

サトコ

「‥‥‥」

いつものように銃を構えているだけなのに、ドクドクと心臓の音がうるさい。

背中と手には嫌な汗がをかいていて、呼吸が浅くなるのがわかった。

(なに、これ‥)

目眩に襲われ目を閉じると、まぶたの裏に浮かぶのは雨。

皮の濁流音が幻聴のように耳の中でこだまし、私はその場に膝をついた。

サトコ

「‥っ、はあ‥っ」

掌を見れば、じっとりとした汗が滲んでいる。

(とても銃を撃てる手じゃない‥)

銃を下に置くと、ようやく呼吸が穏やかになってくる。

もう一度銃を持ち直そうかと考え‥手は力なく下に降ろされた。

(‥もしかして、私ーーー)

【科捜研】

翌日、私は石神さんからの書類を届けに科捜研の莉子さんのもとを訪れた。

サトコ

「書類、確かにお渡ししました」

莉子

「ありがとう。いつも持って来てもらっちゃって悪いわね」

サトコ

「いえ。これも補佐官の仕事ですから」

莉子

「ん?ちょっと、サトコちゃん‥」

書類を渡した右手を莉子さんに取られた。

彼女の繊細な指先が私の手の甲にある赤い線を辿る。

莉子

「‥サトコちゃん、新しい世界に目覚めた?」

サトコ

「え?」

莉子

「知らなかったわ。秀っちに、そういう趣味があったなんて」

(な、何か危ない勘違いをされてる!?)

私は手を引くと、莉子さんに向かって大きく首を振った。

サトコ

「ち、違うんです!これは自分で‥」

(昨日、何度銃を構えても撃てない‥を繰り返してたら)

(いつの間にか爪の痕だらけになって‥)

莉子

「何かあったの?」

書類をテーブルに置いた莉子さんが心配そうな目を向けてくれる。

(銃を撃てないことは、まだ誰にも言ってない。石神さんにも)

(でも、莉子さんなら相談に乗ってくれるかも‥)

ひとりで抱えていても解決できそうにない。

サトコ

「実は‥」

手に残した痕に視線を落としながら、私は先日の事件と銃が撃てないことを説明する。

莉子

「そう‥それで、自分を傷つけるなんて‥」

サトコ

「これまで通りに出来ないのが、もどかしくて‥」

莉子

「ASDの可能性があるわね」

サトコ

「ASDというと‥」

莉子

「急性ストレス障害。PTSDの一歩手前ってことよ」

莉子さんはデスクの引き出しから新しいハンドクリームの缶を取り出すと、私の手に乗せた。

サトコ

「‥容疑者を撃ったことがトラウマになってるってことですか?」

莉子

「普通に考えたら、そういうことになるんじゃない?」

「と言っても、私も専門医ってわけじゃないから、きちんと診てもらいなさいね」

「いい病院紹介してあげるから」

サトコ

「病院って‥そこまでしなきゃダメですか?」

莉子

「ASDだったら立派な治療案件よ」

「気合とか根性とか‥そういうので乗り切れると思ってたら痛い目を見るわ」

(まさに気合とか根性で何とかしようと思ってた‥)

莉子

「うつ病と同じよ。今回のことは卒業だけじゃない、刑事としても重要なことなんだから」

「ひとりで抱え込まずに、秀っちにも相談してきちんと対処しなさい」

サトコ

「‥はい。あの、このハンドクリームは‥」

莉子

「引っ掻き傷にも効く薬用ハンドクリームだから、あげる」

「秀っちが大事にしてくれてるんだから、もっと自分を大事にしなきゃ」

サトコ

「ありがとうございます‥」

莉子さんの優しさが身に沁みると同時に、

自分で考えているより深刻な事態なのかもしれないと思う。

(卒業だけじゃなく、刑事としても重要なこと‥)

(確かに、いざって時に銃を抜けない警官なんて許されない)

(石神さんにも、キチンと話さないとな)

【学校 裏庭】

莉子さんにお礼を言って学校へと戻ってきたものの。

サトコ

「はぁ‥」

すぐに石神さんに会いに行くことは出来ずに、私は学校の裏庭で黄昏ていた。

(まだ訓練生の身なのに、容疑者を撃ったトラウマで銃が抜けなくなったなんて)

(こんな状態で公安刑事になんてなれるわけないって一蹴されるかも)

恋人としての石神さんは優しいけれど、公安刑事の顔の彼は今でも厳しい。

サトコ

「こっそり莉子さんに紹介してもらった病院に行く?‥バレるに決まってるよね」

「はぁ‥」

何度目かわからないため息を零した時だった。

黒澤

ため息からは元気が逃げるって話ですよ。オレはアンニュイな女性も好きですけど

サトコ

「黒澤さん‥」

黒澤

何だかションボリさんですね?

サトコ

「はは、ちょっと疲れてるのかもしれません」

(黒澤さんはいつも当たりが柔らかくて、悩んでる姿とか落ち込んでる姿を見たことがない)

(公安なんて似合わないように見えるけど。でも‥)

彼がここにいるのには、彼なりの理由があるのだろう。

(いろんな人に公安刑事になった理由を聞けば‥)

(私が公安刑事に相応しいのか‥そもそも、そんなことを考えること自体間違ってるのか‥)

(そういう答えも見えるようになるのかな)

サトコ

「黒澤さんは‥どうして公安に入ったんですか?」

黒澤

おやおや?ついにオレ自身に興味を持っちゃいました?

その目を細め、黒澤さんは考えの読めない笑みで私を覗き込んでくる。

(どう話そう。公安刑事に相応しいか悩んでるなんて言えないし‥)

<選択してください>

A: 卒業試験の面接対策ですよ

サトコ

「卒業試験の面接で聞かれるって話なんです。公安刑事を志望する理由を」

黒澤

ああ、なるほど。そういうことでしたか

普通の面接だったら、お手本通りの答えをしてればいいと思いますけど

黒澤さんは笑ったまま軽く肩を竦める。

黒澤

公安学校の卒業試験となると、一筋縄ではいかない可能性もありますよね~

B: 興味はずっとありますよ

サトコ

「興味はずっとありますよ」

黒澤

え、ほんとですか?

サトコ

「はい。あの石神さんと後藤教官についていってる方なんですから」

「黒澤さんは私の目標でもあります。だから、公安刑事になった理由も聞いてみたくて」

黒澤

ハハッ、サトコさんも上手くなりましたね。そう言われたら口濁せないですよ

C: 真剣に聞いてるんです

サトコ

「私は真剣に聞いてるんです」

黒澤

‥何かあったんですか?

サトコ

「それは、その‥」

反対に問われ、私は言葉を濁しながら言い訳を考える。

サトコ

「卒業試験の面接で聞かれるんです。公安刑事を志す理由を。それで参考に‥」

黒澤

ああ、そういうことですか。最後の面接で落とされるわけにはいきませんからね~

サトコ

「はい」

黒澤

オレが公安にいるのは、石神さんがオレを上手く使ってくれるからですかね~

(微妙に質問から外れてるけど、わざと‥?)

黒澤さんは “公安に入った理由” ではなく “公安にいる理由” を語り出している。

(まあ、それを黒澤さんが話してくれるなら、それでもいいか)

サトコ

「上手く使ってくれるっていうのは、的確な指示を出してくれるって意味ですか?」

黒澤

それもありますけど、オレみたいな人間は締めるところで締めてもらわないとダメなんですよ

石神さんは生命の危機を覚えるレベルで厳しい時もありますけど

オレにはそれくらいがちょうどいいんでしょうね

サトコ

「それはやり甲斐なんかにも通じているんですか?」

黒澤

通じてますよ。あの石神さんに認められたり、あの人の力になれるのは

その辺の薬物よりも、よっぽどの中毒性がありますからね

サトコ

「薬物って‥」

(いや、言いたいことはわかるけど)

(石神さんに認めてもらうことは、私にとっても特別だから)

黒澤

あの人すごいのって予想外の事態への対応の早さですよ

オレがやらかして、チームがイタリアンマフィアに売られそうになった時なんて‥

いや、オレもいい案出したんですよ?後藤さんが女装して‥

話の内容はともかく、黒澤さんがいつにも増して饒舌なのはわかった。

(語れるだけ、石神さんのことをしっかり見て尊敬してるってことだよね)

(石神さんは、あの後藤教官の上に立って‥)

(加賀教官も難波室長も‥SPの皆さんでさえ一目置く存在)

そんな凄い人の補佐官をやっていたのだと、今さらながらに実感する。

(石神さんの補佐官を卒業して公安刑事になるなら)

(私もその経歴に恥じない結果を残さなきゃいけない)

銃も抜けない今の自分では到底無理な話だ。

石神さんの背中を追いかけて、少しだけ近づいて‥またひどく遠くに感じる。

今の私には、この手の先に石神さんの姿を思い描くことがーーできなかった。

to  be  continued

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