カテゴリー

あの夜をもう一度 石神2話

【リビング】

昨日の休み、さっそく呼び出された秀樹さんが帰って来たのは遅い時間だった。

(出迎えて一緒にご飯を食べようと思ってたのに、すっかり寝こけちゃうなんて···)

役に立とうと持っていたのに、ベッドを占領してしまい···
かえって負担をかけてしまっているのではと不安になってくる。

(休んでいるところを邪魔しないように、そっと帰ろうかな)

石神
······

秀樹さんに握られている手を引こうとすると···ぐっと力が込められた。

石神
どこに行くつもりだ?

サトコ
「あ···すみません。起こしてしまって···」

石神
目は覚めていた。ただじっと顔を見ていられると、目を開けるタイミングが掴めなくなる

サトコ
「い、いつから起きてたんですか?」

石神
お前がリビングに入ってくる気配で目が覚めた

(じゃあ傍で寝顔見てたり、手に頬を寄せたりしてたことも知られてるってこと?)

サトコ
「起きてるなら、早く言ってくださいよ···」

赤くなる私に微笑みながら、秀樹さんは身体を起こした。

石神
いつもと同じ起床時刻か

サトコ
「あまり眠ってないんじゃないですか?」

石神
そうでもない。充分だ

(本当かな···)

感情と同様に疲れも表に出づらい秀樹さんの横顔を見てもわからなかった。

サトコ
「昨日はすみませんでした。先に寝てしまって···」
「食事の用意と片付けまでさせた挙句、ベッドまで占領するなんて···」

石神
謝るのは俺の方だ。遅くまで待っていてくれたんだろう
なかなか帰れなくて悪かった

繋いでいた手を離し、その手は私の頬に添えられた。

石神
幸い、事件は昨日で片付いた。今日呼び出されることはない
今日は、そうだな···江の島にでも行くか?

サトコ
「江の島?」

石神
大きな水槽が必要だと言っただろう。どうせ買いに行くなら、あいつらを買った場所がいい

秀樹さんは二つ並んだ大小の水槽に視線を移す。

サトコ
「でも、秀樹さんも疲れてるでしょうし···駅ビルのホームセンターでもいいんじゃないですか?」
「あとはゆっくり過ごした方が···」

石神
出かけたくないのか?

サトコ
「秀樹さんとだったら、いつでも出かけたいですけど···」

(本当に大丈夫なのかな?)

秀樹さんの体調を気にして決められずにいると、手を引かれて立たされた。

石神
ならば、話は決まりだ。出かける支度をしろ。朝食は出先で適当にとろう

微笑で言われると頷くという選択肢しかなく、さっそく準備に取り掛かった。

【ペットショップ】

久しぶりに訪れた江の島は相変わらず観光客で賑わっている。

サトコ
「熱帯魚のお店、変わらずあってよかったですね」

石神
思い出のある店がなくなるのは寂しいものがあるからな

(前は水族館でチョコレートグラミーを見たあとに来たんだよね)
(ディスカスを買うと思ってたから、驚いたっけ)

チョコレートグラミーの水槽は以前と同じ場所にあって、
まるで時間が巻き戻ったような錯覚を覚える。

(それで、帰りの車の中で···)

【車内】

石神
···一緒に水槽に入れるか

サトコ
「え···?」

(それって、石神さんの部屋へ行くってことだよね···?)

“男の部屋に来るということがどういう意味になるのか、分かってるんだろうな?”
そう言われたことを思い出して、急激に顔が火照る。

石神
少しズルい言い方をしたかもしれないな

サトコ
「······」

石神
お前と一緒に、水槽に入れてやりたい

サトコ
「!」
「その言い方の方がズルくないですか?余計に照れるんですけど···」

石神
顔が赤いぞ

サトコ
「石神さんのせいです」

【ペットショップ】

(それから、秀樹さんの部屋で···)

石神
顔が赤いぞ

サトコ
「!?」

記憶の中と同じ声が間近で聞こえて肩が跳ねた。

サトコ
「あ、いえ、これは···っ」

(あの夜のことを思い出しかけたなんて言えない!)

ひとりであわあわしていると、ふっと笑われてしまった。

石神
まるでそこのチェリーバルブのようだな

サトコ
「え?チェリー?」

石神さんの視線の先を追うと、そこれは真っ赤な熱帯魚が泳いでいた。

(こ、こんなに赤くなってる!?)

私が頬を押さえている間にも秀樹さんは水槽を選んでいる。

石神
これくらの大きさがあればいいか

サトコ
「広々しそうですね」

石神
ディスカスを飼った時は増やすつもりはなかったんだが···

彼の視線が大きな水槽に注がれる。

石神
変わらないつもりで、変わっていく···それでいいのかもな

独白に近い声に、秀樹さんが過ごした時間が透けるようで、すぐに言葉が出てこない。

(秀樹さんのこと、全部を知ってるわけじゃない。まだ聞いていないこともある)
(でも、待つって決めたんだから)

こうして変わっていった先に、分かち合える将来があると信じている。

サトコ
「これにしましょう」

石神
ああ

ひと回り大きい水槽に決めると、私たちはそれを購入し車に積んだ。

【龍恋の鐘】

サトコ
「いいんですか?寄り道して···」

石神
水槽を買うためだけに来たわけじゃないだろう。せっかく江ノ島まで来たんだ
少しくらい観光したくないのか?

サトコ
「私はしたいですけど···」

(寝不足の石神さんが心配なんです···)

そう思えど、本人にそんな素振りがなければなかなか口にも出来ない。
水族館のあと、ついた先は “恋人の丘” の “龍恋の鐘” の前だった。

サトコ
「以前も、ここに連れて来てくれましたよね」

石神
ああ

(忘れない。秀樹さんから大切な話を聞いた場所だから)
(ここで秀樹さんは···)

サトコ
「···石神さんは、たまに淋しそうな目をしますね」

石神
······

サトコ
「あ···その···」
「水族館でディスカスを見てた時もそうだったから···」

(そういう目をする時は、ご両親のことを思い出してる時なのかな···)

石神
···女性にそんなこと言われたのは初めてだな

サトコ
「そうなんですか?」

石神
海を見るのは好きだ。両親が交通事故で亡くなって、施設で数年過ごしたが
その間も海を見ると不思議と淋しさが凪いだ気がする

(お姉さんの話をしてくれたのも、ここだったよね)

広がる青い海に、降り注ぐ陽射し。
どうしても冷えた印象の残る秀樹さんが、この眩しい場所で話してくれたことが印象深い。

石神
またいつでも連れてきてやると言っただろう

サトコ
「あ···」

(迷子の子に会った時の話···)

(そう言えば龍恋の鐘、鳴らせなかったな···)

鐘を2人で鳴らした後、
近くにある金網に2人の名前を書いた南京錠を付けると永遠の愛が叶う···らしい。

石神
···またいつでも連れてきてやる

サトコ
「···はい!」

サトコ
「覚えててくれたんですか?」

石神
約束は守る

当時と同じように、私の右手には秀樹さんの体温が伝わってくる。
変わっていること、変わらないこと···
その両方を感じられることが月日の流れを教えてくれていた。

石神
南京錠を買って、名前を書いて···鐘を鳴らしてから施錠するんだったな

サトコ
「実はちょっと意外だったんです」

石神
何がだ?

サトコ
「こういうこと、秀樹さん興味ないと思ってたから」
「くだらない···で片付けられるかなって、思ってました」

石神
そうだな···以前の俺なら、そう言っただろう
今でも、こんなことで永遠の愛が叶うとは思っていない

サトコ
「ですよね···あの、秀樹さんの気が進まないなら、無理はしなくても···」

石神
そうは言っていない

眼鏡を触る石神さんに、ふと彼の癖めいたものを感じる。

(秀樹さんって、自分の話をする時に眼鏡を触る癖があるような···)

石神
この南京錠で永遠の愛が叶うことはないが···俺たちが過ごした時間の足跡にはなる
二人で、ここを訪れたというな

秀樹さんなりに価値を見出してくれているようで、その想いが胸に染み渡ってきた。

サトコ
「秀樹さんがそう言ってくれるなら···南京錠買いましょうか」

売り場に行くと、そこには普通の南京錠とハート形の南京錠が売っている。

石神
······

(ハート形の方を思いっきり怪訝な目で見てる!)

サトコ
「こっちにしましょう!」

普通の方をとろうとすると、秀樹さんの手がハート型の錠に伸びる。

石神
こういうベタな方が好きなんじゃないか?

サトコ
「う···さすが私の趣味を熟知してますね···でも、恥ずかしくないですか?」

石神
こういう場所で他人のことを気にしている奴など···

そこまで言いかけた秀樹さんが注意深く周囲に視線を巡らせた。

サトコ
「どうしたんですか?」

石神
いや、黒澤がいないか確認しただけだ。あいつは神出鬼没だからな

サトコ
「そういえば、前に来た時は顔を合わせて驚きましたね」

黒澤さんの気配がないことを確認してからハート型の南京錠を買うと、
お店にあるペンでそれぞれの名前を書く。

(な、なんか名前が並んでるのを見ると照れ臭い!)
(秀樹さんは···)

石神
······

(心なしか顔が赤い···まあ、そうなるよね···)

石神
何事も経験だ

サトコ
「ふふ、そうですね」

(この時間を懐かしく思う日もくるのかな)

二人で “龍恋の鐘” を鳴らしてから南京錠をつける。

石神
また、ここからの景色を見に来よう

サトコ
「はい」

思い出を積み重ね、私たちは江ノ島をあとにした。

【石神マンション】

部屋に戻ると、さっそく水槽の入れ替え作業を済ませた。

サトコ
「新しい水槽で気持ち良さそう」

石神
手伝わせてしまって悪かった

サトコ
「いえ。一緒にお引越しできて嬉しかったです」
「一緒に水にいれてあげたグラミーたちですから」

石神
そうか

やっと一息ついてお茶を淹れると、私たちはソファに並んで座る。

サトコ
「秀樹さんこそ、今日はありがとうございました」

石神
礼を言われるようなことはしていない

サトコ
「仕事明けに出かけてくれて、行きたがっていた場所に連れて行ってくれて···」
「すごく嬉しかったです」

石神
俺も行きたいと思ったから、出かけただけだ

サトコ
「だから余計に嬉しくて。でも、無理させてしまってすみません」
「今日は早く休んでください。今、お風呂の支度をしてきますので···」

席を立とうと腰を浮かせると、腕を掴まれ引き戻された。
そのまま秀樹さんの腕の中に収まるかたちになってしまう。

石神
俺がサイボーグと呼ばれているのを忘れたわけじゃないだろう

サトコ
「忘れてはいないですけど···」

(秀樹さんが疲れてないってことじゃないし···)

石神
多少の寝不足で疲れるほどヤワじゃない

サトコ
「秀樹さん···」

その唇がこめかみから耳に触れていくと甘い痺れが生まれる。

石神
チョコレートグラミーを買って帰った日も宿直明けだったな

サトコ
「あ···」

石神
だからといって、何か問題があったか?

サトコ
「なかったです···」

キスが場所を変えていくと、自然と思い出の夜と記憶が重なっていく。
秀樹さんと初めて結ばれた夜。

(ダ、ダメ!思い出すだけで心臓保たなくなりそう!)

石神
それに、覚えておけ。お前が傍にいる時間が、俺にとっては何よりの休息になる

サトコ
「本当···ですか?」

石神
自分で確かめてみればいい

眼鏡を外しテーブルに置くと、怜悧な瞳とぶつかる。
硬質そうな輝きを持つ眼差しにとらわれ、息をするのも忘れそうになる。

石神
···今夜も “抱きたい” 

耳に蘇るのは、初めての夜に聞いた声。

石神
サトコ···

サトコ
「はい」

石神
···抱きたい

サトコ
「······」

石神
あの夜のことを思い出しているのは···俺も同じだ

サトコ
「!···秀樹さんには敵わないです」

見透かされた恥ずかしさで、顔を隠すように彼の首筋に伏せる。

(心地良い体温···)
(秀樹さんを求める気持ちは私だって同じ···ううん、今の方がずっと愛おしい)

サトコ
「私も···」

想いを伝えるように秀樹さんの頭を抱く。

サトコ
「私も秀樹さんを抱きしめたいです···」

石神
サトコ···

一瞬目を見張った彼が、様々な感情を滲ませた瞳で目を細めた。

石神
やはり変わるのは悪いことばかりじゃない

サトコ
「ん···っ」

石神
あの夜とは、違う顔を見せてくれ

そう囁く秀樹さんも、すでにあの夜とは違う。
求める気持ちを抑えない腕が私に熱を灯すのは早くて。

(秀樹さんを想う気持ちも···ずっと大きくなってる)
(伝わってくる、秀樹さんの気持ちも···)

初めての夜よりも大きくなった想いを伝え合うように、私たちは長い夜を過ごした。

to be continued

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする