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黒澤 出逢い編 6話



【個別教官室】

私の言葉に、石神教官はスッと探るように目を細めた。

石神
つまらない意地ならやめておけ
先日も伝えたが、君には本来入校資格がない

サトコ
「確かにそのとおりです」
「でも、それって上申書の調査を徹底していれば分かったことで···」
「採用側のミスでもありますよね?」

石神
······

サトコ
「それが、表沙汰になってもいいんですか?」

できるだけ冷静なフリをして、最初の意見をぶつけてみる。
けれども、石神教官が動じる様子はまったくない。

石神
表沙汰にはならない
隠す方法はいくらでもある

サトコ
「私が、上層部に訴えてもですか」

石神
訴えたければ訴えればいい

サトコ
「それが刑事部のトップだったとしてもですか?」
「たしか公安と因縁がある方だと伺いましたが」

石神教官のメガネの奥の目が、不穏な色を滲ませた。

石神
···誰の入れ知恵だ。黒澤か?

サトコ
「······」

石神
君や黒澤に、そんなツテがあるとは思えないが

(···これも効かない)
(でも、ここで怯んじゃダメだ)

冷や汗でぬるつく手を、改めて握り直す。
お腹の真ん中に力を入れて、私は石神教官を見つめ返した。

サトコ
「少し前に、人事部で『新人の退職率の高さ』が話題になりました」
「そのため、該当部署には内々に監査が入ってると」

石神
······

サトコ
「手違いだったとはいえ、私はまだ『首席』です」
「『首席入校者』がいきなり退学したら···」
「そうしたら監査の対象になるのではありませんか?」

石神
······

サトコ
「『行き過ぎた指導』とか、『いじめ』『セクハラ』とか」
「そういうことが疑われる可能性もありますし」
「そこから『採点ミス』が発覚することはありませんか?」

石神教官は、わずかに顎を引いた。
その口元に、軽蔑するような笑みが浮かんだ。

石神
また『脅迫』か

サトコ
「いえ、『取引』です」

(さあ、ここからだ)
(震えるな···落ち着け···)

サトコ
「このまま、学校に残らせてください」
「そうしていただければ、『嘘』を『真実』にしてみせます」

石神
···どういうことだ?

サトコ
「本物の首席になります」
「再来年の3月、『首席』として公安学校を卒業してみせます」

石神
······

サトコ
「それなら、問題が表沙汰になる可能性は減るはずです」
「少なくとも、今すぐ私が退学するよりは」

(さあ、どうだ)

石神教官の眼差しが、再び探るようなものへと変わった。
長い、気の遠くなるような沈黙が続いた。

石神
···3ヶ月だ

(え···)

石神
3か月後の試験で、全科目で10位以内に入れ
できなければ『首席卒業』は不可能として、この件を上に報告する
その場合、上申書作成者にも処分が下ることを忘れないように

サトコ
「···っ」

(部長にまで···)

ためらわなかった、といえば嘘になる。
それでも、迷ったのは一瞬のことだった。

サトコ
「わかりました。必ず10位以内に入ってみせます」
「他に何かご用件はありますか?」

石神
······いや、特にない

サトコ
「それでは失礼します」



【廊下】

教官室を出たとたん、足の力が抜けた。
いまさらながら、ガタガタと手が震えてきた。

(うまくいった···よね?)
(とりあえず、3ヶ月間の猶予をもらえたってことだよね?)

サトコ
「よ、よかったぁ···」

(やりました、黒澤さん···!)
(氷川、黒澤さんの書いたシナリオをやり切りました!)

そう、今回のやりとりの大まかな流れは、黒澤さんが提案してくれたものだ。

(さすがに3か月後の試験は想定外だったけど···)
(やるしかない。あとは頑張るしかないんだ)

サトコ
「今日から、勉強時間をもっと増やそう」

(夜はもちろん、朝も早起きして勉強して···)



【病院】

(それから、黒澤さんに報告を···)

受付嬢
「こんにちは。今日はいつもより早いですね」

サトコ
「はい!学···」
「···『仕事』がいつもより早く終わりまして」

受付嬢
「そうでしたか。よかったですね」
「それでは、こちらにお名前をお願いします」

名簿に名前を記載している間にも、自然と頬が緩んでしまう。

(今日は、いろいろ用意してきたんだよね)
(黒澤さんの好きそうな雑誌とか)
(ネットで美味しいって評判の「たい焼き」とか)

【エレベーター】

(本当にささやかなものばかりだけど···)
(黒澤さんに喜んでもらえたらいいな)

サトコ
「···あ、きた!」

エレベーターの扉が開き、私は軽い足取りで乗り込もうとした。

看護師
「きゃっ」

(しまった、ぶつかった!)

サトコ
「すみません、大丈夫でしたか?」

看護師
「は、はい···」

(あれ、この顔···どこかで見たような···)

サトコ
「!!」

少し前の記憶が、脳内でつながった。
あれこれ考えるより先に、私は彼女に声をかけていた。

サトコ
「すみません、小児病棟って5階でしたよね」

看護師
「いえ、2階ですが···」

振り向いた彼女のネームプレートを、素早く確認した。

(やっぱり···思った通りだ!)


【病室】

サトコ
「黒澤さん!」

黒澤
ああ、サトコさん。今日はずいぶん早い···

サトコ
「いました!」

黒澤
いた?

サトコ
「『首藤ナミカ』です!この病院にいたんです!」

黒澤
···ええと、ちょっと待ってください
『首藤ナミカ』っていうのは···

サトコ
「例のセミナーで、スピーチをしていた人です」
「ずっと『どこかで会った気がする』って思ってたんですけど···」
「さっき、ばったり会ったんです!」
「彼女、この病院の看護師だったんです!」

黒澤
······それは
すごい『偶然』ですね

サトコ
「そうなんです!自分でもびっくりしちゃって」
「そうだ、忘れないうちに鳴子に連絡を···」

黒澤
サトコさん

スマホを取り出そうとした手を、上からギュッと握られた。

サトコ
「···っ、な、なにか···」

黒澤
ダメですよー、焦らしプレイは
オレ、意外と我慢できないタイプなんです

(我慢?えっ···)

黒澤
それです。その、紙・ぶ・く・ろ
さっきから、いい匂いがしてきてますよね?

(そうだ、忘れるところだった)

サトコ
「これ、今日のお見舞いです」
「黒澤さんに、ぜひ食べて欲しくて」

黒澤
ありがとうございます。では、さっそく···
ああ、やっぱりたい焼きですか

サトコ
「はい、この間ハマってるって聞いたので···」

(そうだ、もうひとつ大事なこと···)

サトコ
「黒澤さん、例の進退のことですけど」
「3ヶ月の猶予をもらえました」

黒澤
3ヶ月?

サトコ
「3ヶ月の考査で全科目10位以内に入れって」

黒澤
じゃあ···

サトコ
「ひとまずギリギリ繋がりました」
「これも、黒澤さんが力を貸してくれたおかげです」
「ありがとうございました!」

黒澤
···お役に立てたようで何よりです
でも、大事なのはこれからですね

サトコ
「はい。なので、昨日から勉強時間を3倍に増やしました!」

スケジュール帳を見せると、黒澤さんは驚いたように目を丸くした。

黒澤
これは···さすがにムリがありませんか?
いくらやる気があっても、詰め込み過ぎるのは···

サトコ
「大丈夫です!ちゃんと休みも考えてますんで」
「ほら、ここに」

黒澤
···なるほど、週末の夜は休みですか
だったら誘えるかな

(え?)

黒澤
サトコさん、今週土曜日の夜ですけど···
『ヒミツの課外訓練』を受けてみませんか?

(ひ、ヒミツの?)

黒澤
もちろん担当教官にはナイショ
オレたちだけのヒミツってことで···

サトコ
「受けます!」
「氷川サトコ。どこまでも黒澤さんについて行きます!」

黒澤
ありがとうございます
じゃあ、サトコさんは『歩さん』ってことで

サトコ
「了解です!」

(···ん、「歩さん」?)

そんなわけで週末。
私は「ヒミツの課外訓練」を受けに···


【居酒屋】

(来たはずだったんだけど···)

黒澤
それじゃ、まずはコチラから自己紹介を
幹事の黒澤でーす。今日は外泊届を出して参加しました

看護師1
「黒澤さん、エラーイ!」

看護師2
「でも、アルコールは禁止!」

黒澤
了解でーす。退院できるまで控えまーす
それじゃ、次

そら
「広末そらでーす」
「『そらっち』でも『そらぴょん』でも好きに呼んでね」

看護師3
「そらっち、ちっちゃーい」

看護師4
「そらぴょん、かわいい」

そら
「ちょ···『ちっちゃい』と『かわいい』は禁句だから」
「じゃ、次!憲太!」

真壁
「あの···はじめまして。真壁と申します」
「黒澤さんにはいつもお世話になっていて···」
「それと、そらさんは僕の先輩で···」

看護師1
「マジメか!」

看護師2
「弟にしたーい」

(···これ、どう考えても「合コン」だよね?)
(しかも、お相手は黒澤さんの入院先の看護師さん···)
(···ううん、「訓練」だよ、「訓練」!)
(だって、黒澤さんがそう言ってるんだもん)

ちなみに、男性側の出席者は、黒澤さんと警護課の広末さん・真壁さん。
そして···

真壁
「あの···自己紹介だそうですけど」

サトコ
「···っ、はい!」

(って、マズい!声、いつもより低くして···)

サトコ
「え、ええと···『東雲歩』···です···」
「よろしくお願いします」

看護師3
「うわぁ、そらっちよりちっちゃーい」

看護師4
「女の子みたーい」

サトコ
「そ、そんなことは···」

黒澤
歩さんは、いわゆる『ジェンダーレス男子』なんです
なので、女性っぽいですけど気にしないでくださいね

看護師1
「そうなんだ、納得」

看護師2
「だから声も高いんだねー」

(うっ、これでも頑張って低い声でしゃべったのに)
(胸のサラシも苦しいし、男の人になりきるって難しい···)

サトコ
「!」

(···そうか、これって「変装」の訓練なんだ!)
(尾行や潜入捜査では、時に『男性』になりきらなければいけない···)
(その訓練ってことですよね、黒澤さん!)

サトコ
「よし···」

(がんばれ、私)
(今日はとことん東雲教官になりきるんだ!)

と、いうわけで···

看護師1
「はぁぁ···もう辛すぎ···」
「看護研究発表会とか、絶対緊張するんですけどー」

サトコ
「だったら予行演習···」
「じゃなくて、予行練習をしてみればいいんじゃない?」

看護師2
「歩くーん、エステに通ってるってほんと?」

サトコ
「え、あれ、冗談のつもりだったんだけど」

看護師3
「聞いて、あゆむーん。彼氏がふたまたかけてたのー」

サトコ
「バカなヤツ」
「どっちが有益な存在なのか、考えればすぐに分かるはずなのに」

看護師4
「あゆぴょーん、この服、エッチかなぁ」

サトコ
「キミみたいなエッチな子、キライじゃないよ」

けれども、当然限界はあるわけで···

サトコ
「······はぁぁ」

(ダメだ、そろそろ辛くなってきた)
(よく考えたら私、東雲教官とそんなに親しくないし)
(いい加減、ネタ切れっていうか···)

黒澤
おつかれさまです。いい感じですね

黒澤さんが、隣に座ってコソッと耳打ちしてきた。

黒澤
皆さん、アナタが歩さんだって信じているみたいです
この調子でがんばってくださいね

サトコ
「ありがとうございます」
「この訓練を通して、立派な男装マスターになってみせます」

黒澤
えっ、ああ···
そうですね、がんばってください

サトコ
「はい!」

私が力強く頷いたとき、向かいの席の女性が「ねえねえ」と声をかけてきた。

看護師3
「あゆむんとトールくんの、好みのタイプが知りたいなぁ」

黒澤
ええと、『異性の好みのタイプ』ってことですか?

看護師3
「もちろん」

黒澤
···だそうですよ、歩さん

(えっ、私?)
(困ったな、なんて答えよう)

<選択してください>

A: 優しい人

サトコ
「優しい人かな」
「落ち込んでるときに励ましてくれたり···」
「的確なアドバイスをくれたり···」

(それこそ、黒澤さんみたいな···)

黒澤
??

(って、なんで私、黒澤さんのことを···っ)

看護師3
「あれー、あゆむん真っ赤になっちゃったー」
「ねえねえ、どうして?」

黒澤
たぶん、話しているうちにムラッときたんですよ
歩さんは永遠の思春期ですから

B: エッチな人

サトコ
「エッチな人かな」

(···なんて。初対面のとき、東雲教官に言われたことなんだけど···)

真壁
「え···ええ、エッチって···エッチな人って···」

(えっ、真壁さん?)

そら
「なんだよ。落ち着けよ、憲太」

真壁
「す、すすすみません!」
「でも、かの···彼がスゴイ発言をしたからびっくりして···」

看護師3
「やだー、憲ちゃん、かわいー!」

C: 黒澤さん

サトコ
「黒澤さんです!」

黒澤
えっ

サトコ
「優しくて、仕事ができて、面白くて」
「頭の回転が速くて、アドバイスが的確で、懐が深い」
「そんな黒澤さんみたいな人がりそうです!」

看護師3
「······え、でもトールくんって男···」

サトコ
「!!」

(そうだ···私、今、東雲教官だった!)

黒澤
アハハ···やだなぁ、歩さんってば
でも、キライじゃないです。そういうの

サトコ
「!?」

(そうなの?)

すると、隣にいた女性が、甘えるように黒澤さんの腕に手を絡めた。

看護師4
「じゃあー、次はトールくんの番!」

(ちょ、胸···!黒澤さんの腕に当たってるんですけど!)
(すごい···大胆すぎ···)

黒澤
······オレですか?

看護師4
「そう!トールくんの好みのタイプは?」

黒澤
うーん···それは···
『ヒミツ』ってことで★

(えっ)

黒澤さんは、にっこり笑いながら女子の手を引きはがした。

(ええと、これは···)
(もしかして拒否したってこと?)

けれども、女性側も負けていない。

看護師4
「ずるーい」
「知りたいなぁ、トールくんの好み」

(うわ、今度は肩にもたれかかって···)

黒澤
アハハ···
ダメですよー、ヒミツですってば

看護師4
「!」

(押した!押し返した!)

さらに、黒澤さんはさり気なく女性に背中を向けて、

黒澤
皆さーん、この噂知ってます?4階病棟での『超~怖い話』···

そら
「なになに、心霊系?」

黒澤
そうなんですよー。実は···

(なるほど、こうやって拒むんだ。ええと···)
(「潜入捜査中に異性に言い寄られたときの、拒否の仕方」···メモメモ···)
(あと、さっきの女性の行動も『ハニートラップ』の参考になるよね)

こうして、いろいろなことを学びながら「ヒミツの課外訓練」は終了。
私は、途中離席しつつも、なんとか「東雲教官」を演じきることが出来た。


【街】

そして···

黒澤
それじゃ、二次会に行く人ー

看護師たち
「はーい!」

そら
「はーい」

真壁
すみません、僕はこれで

サトコ
「ええと、オレは···」

黒澤
歩さんも、今日は『帰る』んでしたよね

(あ、帰っていいんだ)

黒澤
それじゃ、ふたりとも気を付けて

真壁
「はい。おつかれさまでした!」

サトコ
「···おつかれさまでした」

(やったー、これで解放されたー!)

サトコ
「さて···と」

(帰ったらすぐにレポートをまとめよう)
(今日は学んだことは、全部記録に残したいし···)

真壁
「あの···氷川さん、帰りは電車ですか?」

サトコ
「はい。真壁さんは?」

真壁
「僕もです。じゃあ、駅までご一緒してもいいですか?」

サトコ
「もちろんです。ぜひ」

【駅前】

真壁
「今日はおつかれさまでした」
「3時間も男性のフリするの、大変でしたよね?」

サトコ
「はい、でも訓練ですから」

真壁
「訓練?」

サトコ
「今日のは、男装を学ぶための『訓練』だったんです!」
「すごく大変だったけど、いい勉強になりました」

真壁
「そうですか。よかったですね」

サトコ
「ところで、真壁さんは二次会に行かなくてよかったんですか?」

真壁
「はい、明日は5時起きなんです。急に警護の予定が入ってしまって」

(5時起き!?日曜日なのに?)

サトコ
「大変ですね···」

真壁
「そうですね。でも···」
「『SP』になるのが夢でしたから」

(夢···)
(そっか、真壁さんは夢を叶えたんだ)

サトコ
「なんだか羨ましいです」
「私も、早く立派な刑事になりたい」

(そのためにも、もっともっと勉強しよう)
(それで、3か月後の考査をクリアして、それから···)

コンコン!

石神
はい

サトコ
「氷川です。今よろしいですか?」

石神
入れ

【個別教官室】

石神
なんの用だ

サトコ
「教官の、今週のスケジュールを教えていただけないでしょうか」

石神
スケジュール?

サトコ
「教官付きの補佐官は、スケジュール管理も仕事だと伺いました」
「ですから、私も···」

石神
必要ない。スケジュールは自分で管理する

サトコ
「···っ」
「では、なにか補佐官として手伝えることを···」

石神
特にない
君の助けを必要としていない

サトコ
「···わかりました」
「でも、なにかあったら、ぜひ声をかけてください」
「それでは失礼します」

バタン!

石神
······


【廊下】

サトコ
「はぁぁ···」

(やっぱり認めてもらえてないんだな、私)
(当然か。もともと不正入校だし、3か月後には退校している可能性も···)

サトコ
「···違う違う」
「絶対に首席で卒業するんだから」

(教官のスケジュールは、ひとまず行動予定表から書き写しておこう)
(それと、寮に戻る前に···)

【病院】

サトコ
「すみません、お見舞いに来たんですが」

受付の男性
「じゃあ、ここに名前を書いて」

(···あれ、いつもの女の人じゃないんだ)
(めずらしいな。今日はお休みなのかな)

【廊下】

ヒミツの訓練のレポートとたい焼きの入った袋を手に、510号室へ向かう。

(レポート、なんだかんだで20枚も書いちゃった)
(でも、それくらい有意義な時間だったよね)
(特に、黒澤さんと看護師さんの攻防戦なんて···)

サトコ
「ん?」
「!!」

病室のドアをノックしようとして、慌てて「回れ右」をした。
黒澤さんの病室に、先客がいたからだ。
しかも···

(今の···女性?)
(もしかして恋人とか···)

鼓動が、ドッドッドッと速くなった。

(お、落ち着け···落ち着こう!)
(黒澤さんなら、恋人の1人や2人や3人くらい···)

???
「じゃあ、戻ります」

(えっ、今の声···)

黒澤
待って。······で······は?

???
「でも······で···なので···」

(やっぱり···聞いたことあるよ、この声)
(ってことは、もしかして知ってる人かも···)

息を潜めたまま、再び私は病室を覗き込んだ。

サトコ
「!!」

【病室】

(うそ、受付の人!?)
(なんで、彼女がここに···)

ふいに、彼女が黒澤さんに顔を近付けた。
驚きのあまり、私は手にしていた袋を落としてしまった。

2人
「!!」

受付嬢
「あ···」

振り向いた彼女が、ポカンと口を開けた。
その後ろから、黒澤さんがひょっこり顔を出した。

黒澤
ああ、サトコさん
おつかれさまです。今日はどうしたんですか?

(どうしたって···)

サトコ
「あの···先日のレポートを···」
「それとたい焼きの差し入れを···」

黒澤
そうでしたか。ありがとうございます

サトコ
「いえ···」

(あれ、なんだか普通···)

黒澤
···それで?
他にまだ何かありますか?

静かなその声に、鼓動が跳ねた。
薄く微笑む黒澤さんに、私は···

<選択してください>

A: いえ、ありません

サトコ
「いえ、ありません」
「おじゃまして申し訳ありませんでした!」

素早く頭を下げると、レポートとたい焼きを黒澤さんに押し付けた。

サトコ
「それじゃ、失礼しました!」

B: お似合いですね

サトコ
「お、お似合いですね」

黒澤
ああ、彼女とですか?
なんだか照れるなぁ

受付嬢
「透さん!」

サトコ
「···っ、そ、それじゃ、末永くお幸せに···」

レポート用紙とたい焼きを押し付けて、私は病室を飛び出した。

C: え、ええと

サトコ
「え、ええと···その···」

黒澤
······

サトコ
「その······」

(···やっぱりムリ!)

サトコ
「すみません。今日はもう帰ります!」
「失礼しました!」

レポート用紙とたい焼きを押し付けて、私は病室を飛び出した。

【廊下】

(なにこれ···)
(なんでこんなに動揺してるの、私)

サトコ
「いやいやいや···」

(知ってたよね、付き合ってる人がいるって)
(女の人から、電話が掛かってきたこともあったし)

だから、違う。
そんなことで動揺してるんじゃなくて···

【受付】

サトコ
「はぁ···はぁ···」
「はぁ······」

ソファに腰を下ろして、息を吐き出した。
背もたれに身体を預けているうちに、さっきの黒澤さんの顔が甦った。

(あの笑顔···怖かった···)
(明らかに「帰れ」って感じだった)

当然だ。
彼女とふたりの空間に割り込んだのだ。

(失敗した)
(完全に邪魔者だったよね、私···)

(え···っ)

(今、横切ったの、首藤ナミカだった気が···)

その姿を、なんとなく目で追って···

サトコ
「!!」

すぐさま、視線を引きはがした。
落ち着いたはずの鼓動が、再びドドドッと鳴り始めた。
首藤ナミカは、ある女性と対峙していた。
その人物とは、私の「特別訓練」のときのターゲット···
「29歳・保険外交員」だった。

to be contineud



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