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黒澤 出逢い編 HAPPY END



【倉庫】

サトコ
「これ、どういう薬物ですか」

首藤
「······」

サトコ
「答えられないような代物ですか?」

首藤
「そんなのどうでもいいでしょ。部外者には関係ない」

冷ややかな態度の首藤ナミカに、森沼さんが思いがけないことを言い出した。

森沼
「もしかして、この薬なの?」
「ナミカたちが売ってるものって」

首藤
「!」

(えっ、「売る」?)

森沼
「知っているのよ、私。あのセミナーが、本当は何をやっているのか」
「熱心な受講者に声をかけて···」
「特別セミナーへの招待を条件に、『違法薬物』を売らせて···」
「そうして集めたお金を『セミナー運営費』に充てているんでしょう?」

その言葉に、私は違和感を抱いた。

(「セミナー運営費」···)
(···ううん、そんなはずない)

それだけなら、この案件は「公安」に回ってこない。
刑事部に、薬物の取り締まりを担当している部署があるからだ。

(それなのに、公安の事案になった)
(それって、つまり「セミナー運営費」とかじゃなくて···)

サトコ
「テロ活動···」

森村
「えっ?」

サトコ
「そのための資金源じゃないんですか、このクスリって」

首藤
「······は?」

首藤ナミカは、目を丸くした。
それから、声を上げて笑い出した。

首藤
「なにそれ···バカじゃないの!」

サトコ
「······」

首藤
「ここ、日本だよ?テロなんて起こるわけないでしょ」
「海外の紛争地域じゃあるまいし」

(···そうだ、私だってそう思ってた)
(「テロ」とか「国家治安」とか、そんなの他人事だって。でも···)

サトコ
「じゃあ、この薬物の総額は?」
「全部売ったら、いくらになるんですか?」

首藤
「それは···」

サトコ
「セミナー運営費をはるかに上回るはずです。違いますか?」

しかも、彼女のいる組織は「連続不審死事件」にも関わっている。
つまり「人を殺すこと」に抵抗のない組織なのだ。

(そんな組織が、大金を手に入れてテロを起こしたら?)

いったい、どれだけの被害が出るのだろう。

(ダメだ。このクスリ、全部押収しなくっちゃ)
(そのためにも、必ず生きてここから脱出しないと)

頭を巡らせる私の後ろで、森沼さんが震えるような息を吐き出した。

森沼
「ねぇ、ナミカは知っていたの?」
「テロを計画するような組織が、セミナーを運営しているって」

首藤
「······」

森沼
「知っていて、ずっと参加していたの?」
「テロが起きてもいいって思ってたの?」

首藤
「······」

森沼
「お願い、ナミカ。ちゃんと答えて」
「『そんなことない』って···『違う』って···」

首藤
「······」

森沼
「どうか、お願いだから···」

首藤
「うるさい、裏切者!」

森沼
「!」

首藤
「知ってるんだから、私」
「森ちゃんが、警察のスパイだってこと」

森沼
「···っ」

首藤
「セミナーの情報、警察に売ったよね?」
「他にも、私の家の周りをウロついたりして···」
「この間の日曜日は、私のあとをつけ回していたよね?」

森沼
「それは···」

首藤
「誤魔化したって無駄だよ」
「確認したんだから。森ちゃんの交通ICカードの履歴」

激昂する首藤ナミカの目が、不気味な輝きを放ち始める。

首藤
「···なんで邪魔するの?」
「私の夢、応援してくれてるんじゃなかったの?」

森沼
「してたよ!だけど···」

首藤
「だったら分かってよ!」
「夢を叶えるには、もっといいセミナーを受ける必要があるんだよ!」

森沼
「···っ」

首藤
「そのためだったら、私は何でもする」
「『あの人』の言うことを、何だって···」

首藤ナミカは薄く笑うと、ポケットから小さなケースを取り出した。

(なに、あのケース···)

首藤ナミカは、薄く笑うとケースの箱をそっと開いた。

森沼
「ナミカ···それ···」

首藤
「見ての通り注射器だよ。それとクスリ」

(えっ···)

首藤
「大丈夫。これくらいの量なら死なないって」
「『大人しくなるだけ』って言ってたから」

(『言ってた』って誰が!?)
(そんなの、信用できないんですけど!)

逃げようにも、行き止まりで逃げ場がない。
けれども、ここで何とかしないと怪しい注射を打たれるだけだ。

(いっそ、また体当たりする?)
(それか『蹴り』···『頭突き』···)
(せめて、森沼さんだけでも逃がせたら···)

首藤
「···さあ、できた」
「大丈夫、大人しくしていれば一瞬···」

うわぁっ、と部屋の外から男性の悲鳴があがった。
首藤ナミカが、驚いたように一瞬後ろを振り返った。

(···今だ!)

すぐさま距離を詰めて、相手の足に蹴りを入れる。

首藤
「!?」

(よし、態勢が崩れた!)

サトコ
「逃げて、森沼さん!」

森沼
「えっ」

サトコ
「早く!今なら逃げられるから」

森沼
「は、はいっ」

首藤
「···っ、誰がそんなこと···」

追い掛けようとした首藤ナミカに、さらに体当たりする。
カッときたらしい彼女が、私の腕を乱暴に捕まえた。

首藤
「しつこい!邪魔!」

注射器がキラリと光り、私は思わず目をつぶった。

(ダメだ、打たれる···!)

???
「氷川!」

(えっ···)

ガッ······!

首藤
「う···っ」

それは、まさに一瞬の出来事だった。
首藤ナミカが倒れ、あっという間に腕を捻り上げられて···

後藤
大丈夫か、氷川

(後藤教官!?)

颯馬
ふふ、どうやら間に合ったみたいですね

(颯馬教官も!?)

首藤
「離して···何する気よ!」

颯馬
何って、身柄の拘束ですよ
貴女にはいろいろ聞きたいことがありますし
この注射器の中身も調べないと

首藤
「···っ、誰か···」

颯馬
残念ながら、誰も来ませんよ
貴女のお仲間は、全員片付けてきました
森沼さんも、無事に保護しましたしね

目の前の光景を、私は改めて確認する。

(教官たちが来てくれた···それって、つまり···)

後藤
どうした、ポカンとして
俺たちが駆けつけるのは『想定内』だったはずだろう?

サトコ
「!!じゃあ···」

後藤
黒澤が、外で待ってる
会って来い

サトコ
「はい!」



【外】

外に出て、真っ先に目に留まったのは黒い車だった。
公安学校の駐車場に、ときどき停まっている車。
そして、後部ドアに寄りかかるように立っていたのは···

サトコ
「黒澤さん!」

黒澤
······

サトコ
「あの、私···あの······っ」

黒澤
デジカメ、返してください

サトコ
「···っ、そ、そうですよね」
「これ、ありがとうございました」

黒澤
······

サトコ
「あの、それで···」

黒澤
気付いていたんですね
このデジカメにGPS機能が付いているって

サトコ
「はい。この間お借りした時に···」

サトコ
「···ん?」

(あれ、このデジカメ、もしかして···)

サトコ
「たまたまGPSが作動していることに気付いて」
「もしかして、私がどこにいるのか確認してるのかなって」

黒澤
···だから、今回も?

サトコ
「はい。GPSでバスターミナルにいるって確認してもらえたら···」
「何をしようとしているのか、伝わるかなって」

黒澤
······

サトコ
「あとは、その···」
「万が一のための保険として···」

黒澤
ふざけるな!

サトコ
「···っ」

黒澤
だったら、なぜ行ったんですか!
『考えなしのバカ』として突っ走っただけならまだしも···
『万が一もあり得る』って···
そこまで分かっていて、なぜ行ったんですか!

サトコ
「それは···」
「どうしても彼女を助けたかったからで···」

黒澤
それで命を落としてもですか

サトコ
「···っ」

黒澤
そんなに軽いんですか。アナタの命は···

サトコ
「軽くないです!」
「私だって、できれば無茶なことはしたくなかったです!でも···」
「黒澤さん、前に言ってくれたじゃないですか」
「『見捨てないでくれて嬉しかった』って」

黒澤
······

サトコ
「余計になことをした自覚はあります」
「もちろん、それ相応の処分も覚悟しています」
「それでも後悔はしていないです!」
「森沼さんを助けようとしたこと自体は」

(だって、黒澤さんも同じことをしようとしていたんだから)

黒澤
···参りましたね
今後、アナタの前では発言に気を付けないと

サトコ
「いえ、もっと本音を聞かせてください」
「学校で教えてくれないことを、私に教えてください」

黒澤
······

サトコ
「これからも、ご指導ご鞭撻のほどお願いします!」

真剣な気持ちで、深々と頭を下げた。
それなのに、黒澤さんはなぜかプッと吹き出した。

サトコ
「な···っ、なんで笑うんですか!」

黒澤
ごめんなさい、なんていうか···
サトコさんって本当に『スッポン』みたいだと思って

サトコ
「!?」

黒澤
聞きましたよー、バスターミナルでの一幕
森村さんをさらおうとした男に、ずーっとしがみついて離れなくて···
まさに『スッポン』そのものだったそうですね

サトコ
「···っ、どうしてそのことを···」

黒澤
さあ、どうしてでしょうね

黒澤さんはふと目を細めると、私のこめかみを薬指で撫でた。

サトコ
「···っ」

黒澤
···ああ、痛かったですか
傷には触れないように、気を付けたつもりだったんですが
汗で貼りついた髪の毛が邪魔そうだったので、つい···

(違う···痛みじゃなくて···)
(身体が跳ねたのは、傷に触れられたからじゃなくて···)

黒澤さんの指が、左の耳殻をなぞる。
髪を耳にかけてくれているだけなのに、妙に胸がキュッとする。

(なにこれ···)
(なんで私、こんなに意識して···)

遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
おそらく、首藤ナミカ他数名を搬送するために呼ばれたのだろう。

黒澤
さて···オレもそろそろ病院に戻らないと
表向きは、いちおう『休職中』ですからね

後部座席に乗り込む黒澤さんに、私は改めて頭を下げた。

サトコ
「今日はありがとうございました!」

黒澤
···こちらこそ
オレの協力者を助けてくれてありがとうございます

こうして、一連の騒動は幕を下ろし···
勝手な行動を取った私の処分は、意外にも「反省文20枚」で済んだ。
理由は、室長と石神教官から聞かされた。
感想を一言で言うなら「公安刑事って怖い」といったところだろうか。



【寮 談話室】

また「特別訓練」のときのターゲットについても少しだけ教えてもらった。
私が担当した「保険外交員」と、鳴子が担当した「まりっぺ」···
2人とも、首藤ナミカと同じで、例の「違法薬物」を売っていたらしい。

鳴子
「でもさー」
「売り上げの9割は、組織に取り上げられていたわけでしょ」
「いくら『上級セミナーに無料ご招待』でも、私なら引き受けないけど」

千葉
「その『上級セミナー』が1シーズン100万円でも?」

サトコ
「100万円!?」

鳴子
「怖っ···どう考えても胡散臭いじゃん!」

千葉
「でも、信じる人は信じるってことだろ?」

サトコ
「···うん」

首藤ナミカのことを思い出した。
彼女は、まさに「信じた人」だった。

(その結果、テロ活動の資金集めに協力することになった)
(たぶん、本人はそんなつもりはなかったのに)

サトコ
「なんか怖いね」
「知らないうちに、自分が『テロ活動』に巻き込まれているって」

鳴子
「普通は、どこかで気付きそうだけどね」
「どう考えても怪しかったじゃん、あのセミナー」

サトコ
「まぁ、そうだけど···」

プルル、とスマホが震えた。
ディスプレイに表示された名前を見て「あっ」と声を上げてしまった。

鳴子
「もしかして黒澤さん?」

サトコ
「うん。今日退院するから、荷物運びを手伝う約束をしていて···」
「そろそろ来てほしいって」

鳴子
「へぇ、そうなんだ」

千葉
「······」

サトコ
「···なに、千葉さん。どうかした?」

千葉
「いや、その···」
「氷川と黒澤さんって、本当に、その···」

鳴子
「『付き合ってないのか?』って?」

サトコ
「···っ、だから、そういうんじゃないってば」
「黒澤さんのことは、先輩として尊敬しているだけだから」

千葉
「そっか、それなら···」

鳴子
「なーんだ、つまんなーい」

2人
「「!?」」

鳴子
「最近のサトコ、ちょっと意識してるのかなって思ってたのに」

サトコ
「そ、そんなことないから!」
「黒澤さんはただの先輩です!それじゃ!」

鳴子
「ちょっと~、つまんないんですけど~」

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(怖っ···鳴子、鋭すぎ···)
(そりゃ、黒澤さんのこと、気になりつつあるけど···)

サトコ
「って、違う違う!」

(私のは、ただの「尊敬」!)
(それ以上の気持ちなんてないんだから)


【病院】

土曜日の夕方の割には、それなりに人の姿がある。
おそらく、この病院では午後も外来患者を受け付けているのだろう。

(···黒澤さん、まだ来ていないっぽいな)
(「受付前でまっていて」って話だったんだけど···)

ふと、受付カウンターに目がいった。
もちろん、そこに森沼さんの姿はなかった。

(今は名古屋にいるんだっけ。どうしているのかな)
(ほとぼりが冷めたら戻ってくるとは言ってたけど···)

黒澤
すみません。お待たせしました

サトコ
「いえ、そんなことは···」
「あれ、荷物それだけですか?」

黒澤
ええ、思っていたよりも少なくて
でも、せっかく来ていただいたんで···
よかったら、これから飲みに行きませんか?
ようやくアルコール解禁なんで、ググッといきたくて

サトコ
「いいですね。快気祝いってことで」

黒澤
ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか


【居酒屋】

黒澤さんが連れて来てくれたのは、意外にもオシャレな居酒屋だった。

(この間の合コン···)
(じゃなくて「課外訓練」のお店とはずいぶん違うな)
(どちらかというと「デート仕様」っていうか···)

サトコ
「!!」

(な、なに考えてんの、私)
(デートじゃないから!ただの「先輩との二人飲み」だから!)

黒澤
それじゃ、『退院おめでとう、オレ』ってことで
かんぱーい

サトコ
「···乾杯」

「とりあえず」の生ビールを、一気に半分ほど空ける。
ちなみに、器はジョッキではなくオシャレなグラスだ。

黒澤
へぇ、いい飲みっぷりですね
もしかして、この間の合コンでは遠慮してましたか?

サトコ
「あのときは男装中でしたから」

黒澤
ハハッ、そうでした
『歩さん』として看護師さんに口説かれてましたよねー

(看護師さん···)
(そうだ、あのときの合コンって···)

サトコ
「あれ、情報収集が目的だったんですか?」

黒澤
···?

サトコ
「あのとき、黒澤さんが『怪談話』を持ちかけて···」
「そこから『不審死』の話題が出てきて···」

黒澤
······

サトコ
「もしかして、その話を引き出すために合コンを開いた、とか?」

黒澤
さあ、どうでしょう

黒澤さんは、ただニコニコ笑っている。
その笑顔は「肯定」とも「否定」ともとれるから厄介だ。

黒澤
···そんなジーッと見ないでください
透、照れちゃう★

サトコ
「···っ、すみません、黒澤さんの本音が知りたくて、つい···」

黒澤
······

サトコ
「でも、やっぱり難しいです」
「黒澤さんに限らず、他の教官たちもですけど···」
「ポーカーフェイスが上手いっていうか」
「表情だけでは、感情を読みにくいっていうか···」

黒澤
まぁ、そこは仕方ないですよ。仕事柄、そうなりがちですから
でも、ずーっと一緒にいると、なんとなく分かってきますよ

サトコ
「そうですか?」

黒澤
ええ。例えば石神さんの場合ですが···
これが『通常モード』だとして···

これが『プリンモード』です

サトコ
「!?」
「今の、何も変わってないですよね!?」

黒澤
変わってますよー
口角がちょっぴり、こう上がって···

サトコ
「上がってませんってば」
「そもそも『プリンモード』って···」

黒澤
あれ、知らなかったですか?
石神さん、プリンが好きなんですよ

(ええっ!?)

サトコ
「嘘です!」

黒澤
嘘じゃないですって
今度、試しに教官室の冷蔵庫に仕込んでおくといいですよ
ちょっとウキウキしている石神さんを見れますから

(ウキウキ!?)
(あの石神教官が「ウキウキ」って···」

サトコ
「アハハッ」

黒澤
······

サトコ
「ダメです、やっぱり想像できない···」
「アハハハッ」

黒澤
···やっと笑いましたね

(えっ···)

黒澤
待ち合わせのとき、元気がないみたいだったから
気にしてたんですよー。こう見えて

(黒澤さん···)

サトコ
「すみません、気を遣わせてしまって」
「落ち込んでいたとか、そういうわけじゃないんです」
「ただ、森沼さんのことを思い出してしまって」

黒澤
彼女なら元気でやっているみたいですよ

サトコ
「本当ですか!?」

黒澤
ええ。昨日メールがきました
新しい勤め先も見つかったそうですし

サトコ
「そうですか。よかった···」

ひとまず、ホッとした。
彼女の「今」が、本当に心配だったのだ。

(でも、新しい一歩を踏み出せたなら、それで···)

黒澤
···優しい人ですね、サトコさんは

サトコ
「えっ、私ですか?」

黒澤
ええ。優しいですよ
他人にそこまで思いを馳せられるんですから

(それは···)

サトコ
「黒澤さんも同じじゃないですか」
「黒澤さんだて、森沼さんを逃がそうとしたわけで···」

黒澤
利己的な理由からですけどね、オレの場合
下手に捕まって、いろいろ吐かれたら困りますし

サトコ
「······」

黒澤
でも、サトコさんは違うでしょう?
本気で、彼女のことを心配していた
そこが決定的にオレとは違うわけで···

サトコ
「違わないです、なにも」

黒澤
······

サトコ
「黒澤さんが『本気で心配していなかった』なんて···」
「私には、そんなふうには思えません」

黒澤
······

サトコ
「だって優しいですもん、黒澤さん」
「いつも私を励ましてくれて···」
「今日だって、私を笑わせようとしてくれて」

黒澤
······

サトコ
「そんな黒澤さんだから、私···」
「···っ」

ピクッ、と身体が震えた。
黒澤さんの指先が、いきなり私の髪の毛をすくい上げたのだ。

サトコ
「あ、あの···」

黒澤
······

サトコ
「黒澤···さん?」

黒澤
耳、可愛いですよね、サトコさんって
せっかくだから出せばいいのに
···こんなふうに

すくった髪の毛を、黒澤さんは私の耳にかけた。
まるで、あの倉庫街での夜を再現するかのように。

サトコ
「···っ」

黒澤
···ほら、やっぱり
この方が可愛いですよ、サトコさんは

サトコ
「!!」

(ま、待って···心臓が···)
(しかも···雰囲気が···)

黒澤
······

(いきなり変わりすぎなんですけど···!)

さらに、そのあとも「いろいろ」あって···
気が付けば、結構な時間が過ぎていた。


【店外】

それでも、お店を出たのは終電までまだ余裕がある時間帯でーー

サトコ
「あの···今日はごちそうさまでした」

黒澤
いえ、誘ったのはオレですから
こちらこそ、お付き合いありがとうございました
やっぱりいいですね、誰かと飲むお酒って

(「誰かと」···)
(そうだよね、黒澤さんは一緒に飲める人がいれば良かったんだよね)
(それが、今日はたまたま私だっただけで···)
(って、いいんだってば、それで!)
(黒澤さんは「ただの先輩」なんだから)

黒澤
···サトコさん?どうかしましたか?

サトコ
「い、いえ!その···」

(ダメだ、なんかおかしい···)
(ここは平常心···平常心で···)

サトコ
「私こそ、よかったです」
「尊敬する先輩にごちそうしていただけて」

黒澤
尊敬、ですか

(···あれ?)
(今の発言、マズかった?)
(ううん、そんなことないよね。いつも言ってることだし···)

黒澤
サトコさん、まだお時間いいですか?

サトコ
「あ、はい···」

黒澤
よかった。だったら···
もう1ヶ所、付き合って欲しい場所があるんです

黒澤さんが連れて来てくれた場所、それは···

(うわぁ···)

黒澤
いいでしょ、この夜景

サトコ
「はい!空から星が落ちてきたみたい···」

(って、子どもか!私···)

サトコ
「すみません。なんか変なこと言っちゃって」

黒澤
いえ、オレも同じようなことを思いましたよ
初めてここに来たとき『星を散りばめたみたいだ』って

(黒澤さんも···!)
(そっか···そうなんだ···)
(それって、なんだか嬉しい···)

黒澤
オレね、サトコさん
わりとふつーな人間なんですよ

(···普通?)

黒澤
仕事は少し特殊だけど、それ以外はすべて『ふつー』···
特別仕事ができるわけでも、何かが優れている訳でもない
サトコさんが思っているほど優しくもない。つまり···
サトコさんが『尊敬』するような人間じゃない

(えっ···)

黒澤
そもそも同い歳でしょ、オレたちって
採用年も一緒、違うのは『公安部』への配属年だけ
本来なら『先輩』じゃない
ただの『同僚』なんですよ、オレたち

サトコ
「それは···そうですけど···」
「···っ」

ごとん、と肩が重くなった。
黒澤さんが、私の肩に額を埋めていた。

黒澤
オレが、今日アナタを誘った本当の理由···
話してもいいですか?

サトコ
「······はい」

黒澤
16年前の今日、大事な人を失いました
オレにとって、かけがえのない人でした

サトコ
「!」

黒澤
今でも、あの日のことを思い出すとたまらなくなります
悲しくて寂しくて、泣きたくなって···
16年って、それなりに長い年月のはずなのに···
未だ、オレはそれを乗り越えることが出来ない
どうしようもない喪失感で、胸が潰れそうになるんです

(黒澤さん···)

黒澤
『情けない』って自分でも思います。でも···
寂しいんです
今日という日を、ひとりで過ごしたくないんです

黒澤さんの手が、私の腰にまわされた。

黒澤
サトコさん、どうかお願いです
今日は帰らないで···このままオレのそばにいて

サトコ
「······」

黒澤
こんな情けないオレを、どうかひとりにしないで···

腰にまわされた手から、じっとりと熱が伝わってくる。
その熱さは、明らかに「そばにいる」という言葉に、それだけではない意味を含ませていた。

(···いいの、本当に?)
(黒澤さんは、「尊敬している先輩」で···)
(それ以上ではなかったはず···で···)

それなのに、弱々しい訴えは私の心を揺さぶった。
初めて知った「先輩じゃない黒澤さん」は、なんて頼りなさげなのだろう。

黒澤
サトコさん···

(でも、だからってこのまま受け入れるのは···)
(本当に、そういうことしてしまったら、私は···)

黒澤
ごめんなさい

いきなり、熱が遠のいた。
驚いて顔を上げると、うつむいている黒澤さんがいた。

黒澤
オレ、ヘンなこと言いましたね
全部···忘れてください

(黒澤さん···?)

黒澤
じゃあ、そろそろ帰りましょうか
終電も近いですし、ここから駅まで15分はかかりますし

(待って···待って、黒澤さん···)

黒澤
あ、そう言えば知ってます?
今度の水曜日、成田さんが抜き打ちテストをやるって···

サトコ
「待ってください!」

歩き出そうとして黒澤さんの手を、とっさに私は捕まえていた。

黒澤
サトコさん···?

サトコ
「······」

黒澤
あの···もう帰らないと···

サトコ
「い······すか···」

黒澤
えっ?

サトコ
「本当に、私で······いいんですか?」

黒澤
······

サトコ
「だったら私···」
「私······」

ふ、と笑う気配がした。
振り向いた黒澤さんは、なぜか泣きそうな顔をしていた。

黒澤
本当に···
優しい人ですね、サトコさんは

案内されたのは、ホテルのその日最後の1室だった。
35階の部屋だったのに、外の夜景を見た記憶はまったくなかった。
バスローブに指が掛かる寸前で、黒澤さんがすこし冗談めかしたように笑った。

黒澤
逮捕、しますか?

私は、首を横に振った。
そのまま目を閉じると、なぜか泣きそうな顔の黒澤さんばかりが浮かんだ。

(優しい···のかな、私は···)

違う気がした。
単に便乗しただけなのかもしれなかった。

(だって、薄々気付いてた···)

好きになっていたのだ、黒澤さんのことが。
たぶん、どこかの瞬間から···

気怠さに身を任せて、夢とうつつの間をゆらゆら彷徨っていた。
眠いのに、眠れない···
そんななか、小さな声が聞こえてきた。

???
「···わかりました」
「近いうちに一度帰ります」

(この声···黒澤さん···?)

???
「ええ、伯父さんにもそう伝えてください」
「では···」

声は、それきり聞こえなくなった。
けれども、人の気配は残っていて···
私は、うっすらと目を開けた。

最初に目についたのは、ネックレスだった。
チェーンに通された指輪が、月明かりで鈍く光っている。

黒澤
ああ、すみません、起こしましたか

サトコ
「いえ···」

黒澤
いいですよ、寝ていて
チェックアウトは朝の10時ですし

(そうなんだ···10時······)

ふと、輝く月に目がいった。

(あ、満月···)

おとぎ話なら、お姫さまが月に帰ってしまう日。
だからだろうか。
深く考えることなく、訊ねてしまったのは。

サトコ
「どこに···『帰る』んですか?」

黒澤
···ああ、さっきの電話、聞こえていましたか
あなたには関係のないことですよ。たかが···

彼の唇が、ゆっくり動いた。
それを目にしながら、私は再びまぶたを閉じた。

そのあと、私はコンコンと眠り続けた。
彼が、いつ帰ったのか···
そもそも先ほどの光景が現実だったのかも、分からなくなるくらいに。
ただ、夢の中で、何度か黒澤さんの言葉を思い出していた。
再びまぶたが落ちる寸前、ゆっくり動いていたあの唇。

ーー「アナタには関係のないことですよ」

ーー「たかが一度寝ただけの人には」

Happy End



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