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東雲 ふたりの卒業編 7話



【四ツ橋ケミカル】

灯りの点いていない真っ暗な廊下を、足音を忍ばせて歩いていく。
目的地は「研究2課」。
東雲教官からの連絡によると、今そこに中西がいるらしい。

宮山
「その話、本当なんですか?」
「人の気配、全然ないんですけど」

サトコ
「それは、まだ距離があるせいだよ」
「もう少し『研究2課』に近づけば···」

宮山
「でも、加賀教官の気配もないですよ」
「実はまだスタンバイしてない···」
「ひ···っ」

加賀
···なんだ、テメェらか
チッ、ろくに気配も消せねぇクズ2匹を寄越しやがって

サトコ
「す、すみません···」

(いつの間にこんな近くに···さすが加賀教官···)

サトコ
「!」

(今、光った?)

(まただ。しかも、光が見えた部屋って···)

宮山
「研究2課ですよね、あそこ」

サトコ
「うん」

緊張感が一気に高まる。
やはり今、あの部屋に部外者のはずの中西がいるのだ。

サトコ
「加賀教官、私たちはどうすれば···」

加賀
トイレに隠れていろ
コール3回で尾行、コール1で身柄確保だ

サトコ
「了解です。行こう、宮山くん」

宮山
「はい」



10分···20分···
どんどん時間が過ぎていく。
ついに30分が経過した。
それでも加賀教官からの連絡はない。

宮山
「·········ふぅ···」

サトコ
「······」

宮山
「動きませんね、中西のヤツ」

(焦るな、落ち着け)
(こういうときほど···)

東雲
平常心

サトコ
『え?』

東雲
どうせ続かないから。人の集中力は
だからこそ緊張しすぎるな。肩の力を抜け
ただし、完全にスイッチを切るな
いざというとき···

(すぐに動き出せるように···)

サトコ
「!」

遠くでドアの開く音がした。
さらに···

???
「あー、俺だけど」
「例の、手に入ったから。今からそっちに向かってもいい?」

(この声は···)

宮山くんが大きく頷く。
どうやら中西の声で間違いなさそうだ。

(となると気になるのは電話の相手だよね)
(野田サチコならともかく、もし取引相手だとしたら厄介なことに···)

ブルッ!

(電話···)
(コール1回···「身柄確保」だ!)

宮山
「先輩···」

サトコ
「私が先に出る。フォローお願い」

耳を澄ませて、息を整える。
近付いてくる声と足音で、出ていくタイミングを判断しなければいけない。

(大丈夫。こういうのも訓練でさんざんやってきた)
(まだ···まだ早い···もう少し···)
(今だ!)

【廊下】

サトコ
「失礼します」

中西
「ひ···っ」

サトコ
「総務部経理課の中西さんですね。少しお話を···」

中西
「うわあああっ」

(逃げた!でもそっちは···)

宮山
「おつかれさまです」

中西
「!?」

宮山
「アンタに聞きたいことがあります。ぜひ、俺と一緒に来てください」

中西
「へっ···お、お前···アキバ···」

宮山
「来てください」

中西
「うわああっ」

一度は逃げようとした中西が、再び私のほうに突進してきた。
どうやら、すっかり冷静さを失ってしまったようだ。

(でも、それも···)

サトコ
「想定内!」

中西
「ぐ···っ」

進行方向を完全に塞ぎ、体当たりをして体勢を崩させる。
そこに宮山くんが加わって、ふたりで完全に中西を抑え込んだ。

中西
「な、なんだ、お前らは!俺が何をしたって言うんだ!」

宮山
「それについてはアンタ自身が一番よく分かってるでしょう」
「経理課の人間が、どうして『研究2課』にいたんです?」

中西
「そ、そんなの関係ないだろっ!俺は疾しいことは何も···」

加賀
よく吠えるな、今日のクズは

ダンッ!

中西
「ぐはぁっ」

2人
「!!」

(そ、それは踏んだらダメなトコ···!)

加賀
ったく、手応えのねぇ野郎だ
俺の出る幕がなかったじゃねぇか

加賀教官は舌打ちすると、私に向かって顎をしゃくってきた。

加賀
歩に連絡しろ

サトコ
「は、はい!」

(そうだ、教官に報告···)

逸る気持ちを何とか押さえて、教官の番号をタップする。
果たして、コール3回で教官との通話がつながった。

サトコ
「おつかれさまです。氷川···」

東雲
中西は?

サトコ
「先ほど、身柄確保しました」

東雲
わかった。兵吾さんに伝えて
こっちも女を取り押さえたって

サトコ
「それって···」

東雲
野田サチコ。恐らく今回の主犯

サトコ
「!!」

(じゃあ···)

東雲
おつかれさま
これで終了だよ、キミの卒業試験は



【学校 教場】

そんなわけで数日後。

サトコ
「うーん!」

(この教場の雰囲気、なんだか懐かしいな)
(鳴子と千葉さんは···)

鳴子
「おつかれ···」

サトコ
「鳴子!?どうしたの、なんかやつれてない?」

鳴子
「どうもこうも最終課題のせいだよ」
「最後の追い込みがほんと大変でさ」
「当分、合コンはパスって感じ」

サトコ
「そ、そうなんだ···」

(鳴子がこんなこと言うなんて、どんな課題だったんだろう···)

鳴子
「で、そっちは?」

サトコ
「えっ?」

鳴子
「最終課題。楽勝ってことはなかったでしょ?」

サトコ
「それは、まぁ···いろいろあったし」

鳴子
「いろいろって?」

<選択してください>

A: エビフライ事件とか

サトコ
「エビフライ事件とか···」

鳴子
「エビフライ?」

サトコ
「まぁ、その···」
「潜入捜査先でエビフライを作ろうとして失敗してさ」

鳴子
「なんで?」
「エビフライって、衣着けて揚げるだけじゃん」

サトコ
「そうなんだけどね」

(そうだよ、ほんとそのとおりだよ)
(たったそれだけのはずなのに···)

B: キッス事件とか

サトコ
「キッス事件とか···」

鳴子
「なにそれ!まさかのハニトラ!?」
「それで相手の男と恋に落ちたとか···」

サトコ
「違うから。落ちてないから」

(ていうか、ハニトラやったの教官だし)
(教官がハニトラでキッスして···)
(私は私で事故キッスがあって···それで···それで···)

C: キノコの乱が···

サトコ
「キノコの乱が···」

鳴子
「なにそれ、毒キノコにでも当たったの?」

(そうだよ、ある意味、そんな感じだよ)
(あんなキッスのあと、いきなり「忘れて」とか言い出して···)
(自分は野田サチコの香水の匂いをプンプンさせて···)

サトコ
「!」

(そうだよ、あの香水はなんだったわけ?)
(ハニトラだとしても香水の香りがジャケットに移るって···)
(それって···よっぽど············なこと···)

サトコ
「あああっ!」

鳴子
「ちょ···なに、いきなり。落ち着きなって」
「とりあえず、ここにいるってことは最終課題は終わったんだよね?」

サトコ
「終わったよ!終わったけど···」

鳴子
「じゃあ、よかったじゃん」
「まだ課題やってる千葉くんに比べればさ」

(あ···)

サトコ
「そういえばいないね、千葉さん」

鳴子
「もう!サトコってば、気付くの遅すぎ」
「ていうか、千葉くんの最終課題だけどさ」
「噂によると、まさかの地下シェルター···」

男子訓練生A
「おーい、氷川。後輩が来てるぞー」

(後輩?)
(ああ···)

【廊下】

サトコ
「おはよう。どうしたの、こんな朝から···」

宮山
「先輩、四ツ橋ケミカルの件、聞きましたか?」

サトコ
「ああ、うん···」
「やっぱり中西がテロ組織に情報を流していたらしいね」
「データの受け渡し現場が防犯カメラに映ってたそうだし」
「中西の銀行口座から報酬らしい入金も見つかったって話だし」

宮山
「······」

サトコ
「問題は、野田サチコだよね」
「中西は、彼女から『IDカードを借りて』データを盗った···」
「つまり『野田サチコは共犯だった』って主張しているけど」
「野田サチコは『IDカードは勝手に盗まれた』···」
「つまり共犯説を否定しているわけで···」

宮山
「······」

サトコ
「でも、それについては例のチャット履歴もあるわけだし」
「あとはテロ組織側の人間を特定できれば···」

宮山
「おかしくありませんか?」

サトコ
「えっ、なにが?」

宮山
「どうしてテロ組織は、ロビーの壁に落書きをしたんでしょう」

(···ん?)

宮山
「今回の捜査ではっきりしましたけど···」
「中西はテロ組織に『積極的に』情報を渡していたじゃないですか」

サトコ
「うん、まぁ···」

宮山
「それに対して組織側もちゃんと報酬を支払っている」
「つまり両者の取引はきちんと成立しています」

サトコ
「まぁ、そうだね」

宮山
「なのに、どうしてテロ組織はロビーに落書きをしたんでしょう」
「それも中西が驚いて逃げ出すような落書きを」

サトコ
「それ···は···」

宮山
「最初は俺、中西を脅すための落書きかなって思ってたんです」
「でも、それにしては中西はテロ組織に協力的過ぎる」
「俺たちが捕まえた日に入手したデータも、依頼があったのは前日です」
「そんな協力的だったヤツを···」

???
「テロ組織が脅す理由はない」

(えっ?)

黒澤
となると、あの落書きは誰に宛てたものなのか

(うわ、いつの間に···)

宮山
「そうです!それなんです、俺が言いたかったのは」
「俺は、あの落書きを中西へのメッセージだと思ってました」
「でも、そうじゃなかったとしたら···」

サトコ
「四ツ橋ケミカルに、中西以外の協力者がいるってこと?」

黒澤
それも考えられますが···
もし、あれが············宛てだとしたら

サトコ
「!!」
「それって···」

聞き返そうとしたそのとき、スマホが着信を伝えてきた。

サトコ
「すみません、失礼します···」

(あ、千葉さんだ)

サトコ
「はい」

千葉
『······』

(あれ、無言?)

サトコ
「もしもし···千葉さん?」

千葉
『教か···呼ん···で···』

サトコ
「教官?」

千葉
『倉···庫······み···な······倒······れて······』

(な···っ)

サトコ
「もしもし、今のどういうこと?『皆、倒れてる』って···」

2人
「!!」

サトコ
「もしもし?もしもし?」

(···ダメだ、返事がない)

宮山
「どういうことですか?いったい何が···」

サトコ
「わかんない。皆が倉庫で倒れてるってことくらいしか···」

黒澤
それについてはオレが確認してきます
おふたりは、教官室に行ってこのことを報告してきてください

サトコ
「分かりました!」



【教官室】

サトコ
「失礼します!」

宮山
「失礼します!」

莉子
「あら、首席コンビじゃない。どうしたの、そんなに慌てて」

サトコ
「莉子さん、教官は···」

莉子
「歩ならソファで仮眠中よ。それ以外なら···」

後藤
どうした?

サトコ
「後藤教官!実は···」

後藤
···つまり、今は黒澤からの連絡待ちということだな

莉子
「それにしても不穏な話ね。書類倉庫で人が倒れているなんて」

プルル···

(きた、黒澤さんからだ!)

サトコ
「はい、氷川···」

黒澤
今、教官室ですか?

サトコ
「はい、先ほどのことを後藤教官に報告していました」

黒澤
よかった。ちょっと代わってください

私は、スマホを後藤教官に差し出した。

後藤
もしもし···
ああ···ああ······
ああ······

(後藤教官の顔付が···)
(いったい何が起きてるっていうの?)

後藤
···わかった。俺のアドレスに送ってくれ

後藤教官は通話を切るなり、自分のスマホを取り出した。

莉子
「透はなんて?」

後藤
訓練生が5名、書類倉庫付近の廊下で倒れているそうです

莉子
「原因は?」

後藤
おそらく何らかのガスではないかと
黒澤自身、気分が悪くなりかけて近づけなかったそうですし
それと廊下の壁にこんな化学式が···

後藤教官のスマホ画面に、見覚えのある「落書き」が表示された。

サトコ
「これ、ロビーの···」

後藤
ロビー?

サトコ
「数日前、四ツ橋ケミカルのロビーに同じものが書かれていたんです」

莉子
「四ツ橋ケミカル···まさか···」

後藤
···間違いないか?

サトコ
「間違いありません」
「これを丸暗記して東雲教官に報告したのは私です」

(そして、この落書きを書いたのが同じ人間だとしたら?)
(さっき、黒澤さんが指摘したとおり···)

黒澤
もし、あれが「公安宛て」だとしたら

(中西が情報を流していたテロ組織は、潜入捜査を把握していた···)
(つまり、この落書きが、私たち『公安』への警告だったとしたら?)

東雲
見せて、氷川さん

サトコ
「えっ」

東雲
その画像、早く見せて

サトコ
「は、はい!」

(教官、いつの間に···)

東雲
······
氷川さん、これ···四ツ橋ケミカルのと···

サトコ
「同じです。間違いありません」

莉子
「だとしたら、例の『神経ガス』ね」

後藤
神経ガス?

莉子
「この『落書き』が示しているものよ」
「歩に頼まれて調べていたのだけれど、かなりタチが悪い···」
「温度によっては命を落とすような代物よ」

サトコ
「···っ!じゃあ、千葉さんたちは···」

後藤
倒れた訓練生は俺と黒澤で助け出す。たしか防毒マスクは···

東雲
その奥にあります
ただし、彼らを外に連れ出さないでください
窓を開けるのも厳禁です

後藤
どういうことだ?

莉子
「近隣への被害を極力防ぐためよ」
「このガス、どこまで影響を及ぼすのかまだはっきりしていないの」

宮山
「じゃあ、どうするんですか!」
「もし、このガスが学校中に充満したら、俺たちは···」

東雲
そうなる前に地下シェルターに避難すればいい

(えっ···!?)

後藤
地下シェルターって、まさかアレか?
試作段階で中断したままの···

東雲
それでも教場にいるよりはだいぶマシでしょう

後藤
だが、あそこもせいぜい1時間程度しかもたないはずだ

東雲
それまでに校内の空調プログラムをいじります
ガスの発生場所を特定して、ひとまず汚染された空気を地下の空調室に集めることができれば···

後藤
ガスが校舎全域に広がるのを防げるというわけか

東雲
はい

後藤
···わかった。プログラミングはお前に任せる
俺は、倒れた訓練生の救助とガスの発生源の特定を引き受ける
黒澤には訓練生の救助と、シェルターへの誘導を···

莉子
「誘導なら私が引き受けるわ」
「今日は秀樹や兵吾たちが出払っていて人手不足でしょう?」

後藤
ありがとうございます。助かります

莉子
「さあ、サトコちゃん、一緒に行きましょう」
「もちろん、そこの首席の坊やも」

宮山
「なっ···坊やって···」

東雲
待ってください
氷川さん、キミは一仕事してきて

(え···)

東雲
書類倉庫の奥に、千葉が最近ずっと使ってたPCがあるから
遠隔操作できるよに設定を変えてきて

宮山
「な···っ!」
「何を言ってるんですか!なんで先輩がそんなことを···」

東雲
千葉が最終課題で『地下シェルター』について調べていたから
確か地下シェルターの空調関係についても調査済みだったはず···

宮山
「そうじゃなくて!」
「なんでそんな危険な目に合わせるのかって訊いているんです!」
「先輩は女で、あなたの補佐官で···」

サトコ
「だからだよ」

宮山
「えっ···」

サトコ
「だから私が行くんだよ」
「東雲教官の補佐官だから」

(そうだ、教官が指名してくれたのは信頼してくれているからだ)
(「私にならできる」って判断してくれたから)

サトコ
「私の務めは、千葉さんのPCの設定を変えるだけですか?」

東雲
それで十分
終わったら避難して

サトコ
「わかりました」

宮山
「先輩···」

私が頷いたところで、後藤教官が防毒マスクを持ってきた。

後藤
俺と黒澤、莉子さんの分はすでにもらった
あと3つあるが···

東雲
1つは彼女に。あとは···

教官の目が、宮山くんに向けられた。

東雲
どうする?キミはシェルターに避難する?
それとも···

宮山
「先輩についていきます」

サトコ
「···っ、いいよ、任務は私ひとりで···」

東雲
じゃあ、これを

教官は、私の言葉を無視して防毒マスクを宮山くんに差し出した。

宮山
「···いいんですか?」

東雲
なにが?

宮山
「······いえ」

宮山くんは、緑色のラインのマスクを受け取った。
それを確認して、教官は黄色いラインのマスクを早々と装着した。

後藤
行くぞ、氷川、宮山

サトコ
「はい」

宮山
「は、はい···」

サトコ
「教官、行ってきます!」

東雲
うるさい、さっさと行け

【廊下】

廊下に出たとたん、かすかな異臭が鼻についた。

サトコ
「これは···」

後藤
おそらく例のガスだ。マスクを装着しろ

サトコ
「はいっ」

(もう、こんなところまでガスが漂ってきてるなんて···)
(こうなったら1分でも1秒でも早く任務を終わらせないと)

さらに先に進むとハンカチで口元を押さえた黒澤さんが現れた。

黒澤
ちょ···ブハッ!
なんですか、その昆虫みたいな被り物···

ガツッ!

黒澤
痛っ···

後藤
防毒マスクだ。笑ってないでさっさと装着しろ
氷川、宮山、お前たちは先に行け
倒れている訓練生には構うな。今は自分たちの任務のことだけを考えろ

サトコ
「わかりました。行こう、宮山くん」

宮山
「はい!」

そこから先は脇目も振らずに走った。
少しでも早く書類倉庫に辿り着きたかったからだ。
ただ、一度だけ···

(千葉さん···!)

思わず立ち止まりかけた私の背中を、宮山くんが押してくれた。

宮山
「ダメです!今は先に進まないと」

サトコ
「う、うん···」

(千葉さん、ごめん)
(絶対、後藤教官たちが助けてくれるから!)

そうして振り切るように走って、ようやく···


【資料室】

サトコ
「はぁ···はぁ···」

(やっと、着いた···)
(早く、作業しないと···)

休んでいるヒマはない。
まずは、千葉さんが使っていたと思われるPCのキーボードを叩いた。

(よかった、起動済みだ)
(PWは···共用PCだからモニタールームのものと同じはず···)

サトコ
「よし、解除」

(あとは設定変更をするだけ···)

サトコ
「え···」

(リモート機能がない?)

宮山
「どういうことですか?こんなのって···」

サトコ
「大丈夫、落ち着いて」

(教官が指示を出したってことは絶対に設定変更できるはずだ)
(このフォルダにないってことは、別のフォルダか···あるいは···)

サトコ
「···あった、アプリだ」

宮山
「えっ?」

サトコ
「宮山くん、教官に連絡して。今から設定変更するって」

アイコンをクリックして、必要な操作を済ませていく。
これ自体は、それほど難しい作業ではない。

(ただ、もしかしたら···)

宮山
「先輩、向こうでアクセスエラーが出ているそうです」

サトコ
「スマホ貸して」
「···代わりました、氷川です」

東雲
外部アクセスを遮断してる。ポートをいじって

サトコ
「了解です」

検索ボックスから呼び出して、該当ファイルを修正する。
特に考えることなく手が動くのは、2年前の訓練のたまものだ。

サトコ
「修正完了です」

東雲
······

サトコ
「···教官?」

東雲
ああ、うん······
アクセスできた。おつかれ

(よし!)

サトコ
「他にやることは···」

東雲
ない。すぐに避難して
シェルターの場所···
······

(···教官?)

サトコ
「教官、シェルターの場所がどうしましたか?」

東雲
ああ、うん······
キミと宮山のスマホ···メールしてる···から···
それに従っ···て···

(やっぱり···なんだか様子が···)

サトコ
「教官、どうかしましたか?もしかして具合が悪いとか···」

東雲
平気···

サトコ
「でも、さっきから様子が···」

東雲
うるさい···作業のジャマ···
早く移動しろ

プツッ···

(えっ···)

サトコ
「もしもし、教官!?もしもし···」

慌てて、自分のスマホからかけ直してみる。
けれども、教官が電話に出る気配はない。

宮山
「どうしたんですか?」

サトコ
「···教官、モニタールームにいるはずだよね」

宮山
「はい、たぶん···」

(防毒マスクは、教官も装着しているはず)
(でも、もし何かトラブルが起きていたとしたら···)

宮山
「まさか、モニタールームに行くつもりですか?」

サトコ
「······」

宮山
「ダメですよ!俺たちの任務はもう終わりです」
「早くシェルターに避難しましょう!」

サトコ
「でも、教官の様子がおかしかったんだよ!」

宮山
「!」

サトコ
「なんか具合悪そうで···」
「話している途中で何度か黙り込んだりして···」

宮山
「だとしても自分で対処するでしょう。それくらいできる人なんだし」

サトコ
「そうだけど···っ」

宮山
「とにかく急ぎましょう」
「俺たちのマスクの空気残量もだいぶ減ってきているんですから」

サトコ
「えっ、残量?」

宮山
「ここです!この表示、黄色になってるじゃないですか!」

宮山くんが指差した部分を見てハッとした。
このラインが空気の残量表示だと知らなかったのだ。

(これ···宮山くんが受け取った時は「緑」だった)
(でも、教官のマスクは、最初から「黄色」で···)

宮山
「ほら、行きますよ、先輩!」

宮山くんに引きずられるような形で、私は書類倉庫をあとにした。
けれども、頭のなかは教官のことでいっぱいだ。

(もし、具合が悪そうだったのが酸欠のせいだとしたら)
(それでも、教官がひとりで奮闘しているのだとしたら···)

【階段】

宮山
「この先にシェルター行きの非常通路があるんでしたよね」

サトコ
「······」

宮山
「先輩、早く···」

サトコ
「ごめん。やっぱりモニタールームに行ってくる」

宮山
「先輩!」

サトコ
「教官の手助けをしてくる」

宮山
「必要ありませんよ、そんなの!」
「行ったところで、どうせ『ジャマだ』って怒られるだけで···」

サトコ
「それでも力になりたいんだよ!」

宮山
「···っ」

わかっている。
こんなのは、完全に「ただの私情」だ。

(それでも、私は···)

宮山
「···そんなに好きですか。東雲教官のことが」

サトコ
「······」

宮山
「今、避難しなかったら命を落とすことになるかもしれない」
「それでも駆けつけたいほど、教官のことが好きですか?」

<選択してください>

A: 好きだよ

サトコ
「好きだよ」

宮山
「······」

サトコ
「東雲教官のことが好き」

B: なんて答えてほしい?

サトコ
「宮山くんはなんて答えてほしい?」

宮山
「そんなの決まってます」
「俺が望む答えはひとつだけです」

C: ······

サトコ
「······」

宮山
「···答えられませんか?」
「それは、俺への配慮ですか?」

サトコ
「·····」

宮山
「だったら、改めて言わせてもらいます」

宮山
「俺は、先輩のことが好きです」
「だから、先輩を教官のもとに行かせたくありません」

サトコ
「······」

宮山
「···ここまで言ってもダメですか?」
「これだけ『好き』って伝えても···」

サトコ
「うん、ごめん」

思えば、宮山くんは何度も「好き」という言葉をくれた。
教官がちっとも口にしてくれない言葉を、数えきれないくらい届けてくれた。

(それでも···)

サトコ
「私が好きなのは、東雲教官だから」
「たとえ『好き』って言ってくれなくても」

この気持ちは揺るがない。
これから先、何が起きても変わることはないのだ。

宮山
「·········わかりました」
「負けました、先輩には」

(え···)

サトコ
「宮山くん、何を···」

宮山
「このマスク、東雲教官に渡してください」
「教官のは残量がだいぶ少ないはずなんで」

サトコ
「!」

宮山
「まぁ、あの人のことだからすでに替えを手配済みかもしれないですけど」
「先輩が駆けつける『言い訳』としては悪くないでしょう?」

サトコ
「ダメだよ。それじゃ、宮山くんが···」

宮山
「俺にはもう必要ありません。シェルターはすぐそこですし」

宮山くんは私にマスクを押し付けると、容赦なくドンッと背中を押した。

宮山
「ほら、早く行って」
「教官が待ってますよ」

(宮山くん···)

サトコ
「ありがとう!あとでファジーネーブルをおごるから!」

宮山
「遠慮します。俺が好きなのはオレンジジュースです」

宮山くんの防毒マスクを抱えて、今度こそ私は走り出した。
この先になるモニタールームへ。
誰よりも大切な人がいる場所へ。

to be contineud



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