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東雲 ふたりの卒業編 Happy End



【モニタールーム】

サトコ
「教官!」

重たいドアを開けて、モニタールームに飛び込む。
教官は、やけにゆっくりとした動作で私のほうを振り返った。

サトコ
「教官、大丈夫ですか!?」

東雲
ど···して···

サトコ
「どうもこうも教官のことが心配で···」
「!!」

(空気の残量表示、赤になってる!)

サトコ
「教官、こっちのマスクに変えてください!」

東雲
そ···れ···

サトコ
「宮山くんのです!シェルターに避難するからいらないって」

東雲
······

サトコ
「教官、聞こえてますか!?」

東雲
······

(ダメだ、このままじゃ)
(私が何とかしないと)

サトコ
「すみません、失礼します」

私は、教官のマスクを無理やり外すと、宮山くんのものと付け替えた。

サトコ
「教官、息吸ってください」

東雲
······

サトコ
「教官···っ」

東雲
うる···さい···
声···大きすぎ···

教官は大きく息をすると、鬱陶しそうに頭を振った。

東雲
···なに
なんでキミ、ここにいるの

サトコ
「教官の手助けをしに来ました」

東雲
いらない。さっさとシェルターに行け

サトコ
「行きません。ここで手伝います」

東雲
だから手伝いは···

サトコ
「お願いです!」
「どうか教官の補佐官として、最後の仕事をさせてください!」

精一杯の想いを込めて、深く深く頭を下げる。
長い沈黙のあと、マスク越しでもわかるくらいはっきりとしたため息が聞こえてきた。

東雲
···図々しいね、キミ

サトコ
「え···」

東雲
なに、『最後の仕事』って
まだ卒業も確定していないくせに

サトコ
「そ、それはそうですけど···」

東雲
座って。隣
状況を説明するから

サトコ
「!! じゃあ···」

東雲
早く。時間がない

サトコ
「はいっ!」

急いで椅子に座ると、教官がディスプレイをこちらに向けてくれた。

東雲
空調プログラムの変更だけど、何度トライしてもエラーが出る

サトコ
「エラーって···マニュアルどおりに操作してもですか?」

東雲
そのマニュアルが使えない
地下シェルターを組み込んだプログラムにしていないから

(そっか、それで手間取って···)

東雲
今のところ、変更案は2つ
そのうちのB案のエラー原因をキミが探って
オレはA案を進めるから

サトコ
「わかりました」

腕時計を見て、ため息を飲み込む。
避難が始まってから、すでに20分が経過していた。

(シェルターは1時間が限界···)
(あと35分···ううん、実際の残り時間はもっと短いはず)

そもそも防毒マスクの空気量がどれくらいもつのかも怪しい。
黄色から赤への変化はかなり早いはずなのだ。

(とにかく少しでも早くエラー原因を探さないと)

静かな室内に、キーボードをたたく音ばかりが響きわたる。

(これは違う。こっちも違う···)
(じゃあ、これなら···)

教官の手も、先ほどからちっとも止まっていない。
私と同じで、改善策が見つからないのだろう。

(だからって焦るな)
(こんなときだからこそ、落ち着いて取り組まないと···)

サトコ
「···っ」

(目に汗が···)

冷房を一時的に止めたこともあって、室温がどんどん上がってきている。
モニタールームの機材が熱を発し続けているせいだ。

(ダメだ、頭がクラクラしてきた)
(でも、ここで休むわけには···)

ガタンッ!

サトコ
「!?」
「教官!?どうしたんですか!?」

東雲
······なんでもない
資料···落としただけ

教官は屈み込むと、床に落ちたファイルを拾い上げた。
けれども、その動きはどう見ても緩慢だ。
汗が流れ落ちても、拭おうとする素振りすら見せない。

(空気残量は···やっぱり「赤」だ···)

私の表示も赤だけど、まだそれほど息苦しくはない。
このままでは教官のほうが先に空気を使い切ってしまいそうだ。

(そんなのダメだ。教官が先に倒れるなんて)
(もし、そんなことになったら、その時は私が···)

東雲
人工呼吸
っていうか···キミっぽく言うなら『人工キッス』?

サトコ
「!!」

東雲
···図星か
ほんとバカ···ありえない···

サトコ
「な、なんでバレたんですか」

東雲
見てたから
この2年間···ずっとキミのこと···

思いがけない返答に、言葉が詰まる。
だって、こんなの予想外だ。

サトコ
「忘れたんじゃ···ないんですか」

東雲
······

サトコ
「忘れるって言いましたよね、私のこと···」

東雲
···言ったね

サトコ
「じゃあ、なんで···」
「なんで今更『2年間見てた』なんて···」

いろいろな感情が押し寄せてくる。
せっかく補佐官として振る舞おうとしているのに、これじゃ全部台無しだ。

サトコ
「ズルいです、こんなの···」

東雲
······

サトコ
「バカ···意地悪···」
「き···」

東雲
······

サトコ
「キ···ッス······楽しみにしてたのに···」

東雲
······

サトコ
「他にも···卒業したらいろいろ···」
「デートも···堂々とできるのかな···とか···」

東雲
······

サトコ
「なのに、あんな···いきなり『忘れろ』とか···」
「ムリ···絶対にムリ···」

ピッ!

サトコ
「!!」

(まさか···)

ディスプレイに表示された内容を見て、私は思わず立ち上がった。

サトコ
「教官、見つかりました!」
「プログラムが干渉し合っている部分···」

東雲
退いて
······
···なるほど···そういうこと···

教官の指が、すぐさまキーボードを叩き始める。

東雲
これが······ということは······
こっちが······になるはずで······

最後のキーを押した数秒後。
頭上から、ゴォォ···と空調が作動する音が聞こえてきた。

サトコ
「教官、作動しました!」

東雲
······

サトコ
「···教官?」

ガタッ···

サトコ
「教官!?」

東雲
······

サトコ
「しっかりしてください、教官!目を覚まして···」

東雲
卒ぎょ···

サトコ
「えっ?」

東雲
できるね···これで···

教官の指先が、私の頬に触れようとして···
かくん、と力を失った。
抱きかかえた身体が、いきなり重さを増した。
まぶたは伏せられ、まるで開く気配がない。

サトコ
「教官···?」

東雲
······

サトコ
「教官、目を覚まして···」

東雲
······

サトコ
「教官······っ!!」

(イヤだ、こんなの絶対に認めない!)
(助けなきゃ···とにかく空気さえあれば···)

サトコ
「···っ」

(そうだ、これ···!)

迷いはなかった。
私は自分の防毒マスクを外すと、教官のものと付け替えた。

(あとは装着···)
(ちゃんと···セット···して···)

濃い異臭が鼻を突く。
頭の奥がクラクラしてきた。

(大丈夫···間に合う···)
(絶対···間に合う······)
(教官は···私が···助け···て······)

カチン、と小さな音がした。
留め具がようやくはまったようだった。

サトコ
「やっ···た···」

(よかった···)
(これ···で···教官···は······)



サトコ
「う···ん···」

(あれ、ここは···)

東雲
バカだね、キミ

(ああ、教官···)
(よかった···生きてたんだ···)

東雲
うん、生きてたよ
もっともキミは······しまったけど

(···え?)

東雲
ありがとう、オレを助けてくれて
これからはキミの分まで幸せになるよ
さちと一緒に

(な···っ)
(ないない、そんなのあり得ない!)
(そもそもその人、さちさんじゃないんですけど!)

東雲
さあ、行こうか。さち

偽さち
「うん、あゆむん」

(違っ···なんで気付かないの?)
(教官···教官···っ)

サトコ
「目を覚ましてぇぇぇ···っ」

???
「覚めてるから。とっくに」

(え···)

サトコ
「教官!無事だった···」
「う···っぷ···っ」

身体を起こそうとしたとたん、ものすごい吐き気に襲われた。

東雲
バカ。早く寝て

サトコ
「う、うう···」

東雲
どうする?吐く?
吐くなら看護師呼ぶけど

サトコ
「大丈···夫······です···」

再びベッドに横たわって、胸元を強く押さえる。
どうにか吐き気が治まって、私は大きく息を吐き出した。

東雲
···本当に平気?

サトコ
「はい···でも、なんで···」

東雲
ガスのせい。たぶん

サトコ
「ガス···」

(そっか···私、途中で防毒マスクを外したから···)

サトコ
「教官の体調は···」

東雲
平気。誰かさんのマスクのおかげで

サトコ
「そうですか。よかっ···」

東雲
よくない

サトコ
「!」

東雲
なんなの、バカなの?
そんなに命を粗末にしたいの?

サトコ
「そ、そういうわけじゃ···」

東雲
じゃあ、どういうわけ···

難波
そう怒るな、歩

(えっ)

難波
氷川はお前を助けたくて必死だったんだ
それだけは分かってやれ

室長は、教官の頭を軽く撫でると、私のベッド脇に立った。

難波
具合はどうだ?

サトコ
「まだちょっと頭が痛いです」
「それと起き上がると吐き気がします」

難波
そうか。やっぱり千葉たちと同じ症状だな

サトコ
「!!」

(そうだ、千葉さんたちも倒れて···)

サトコ
「あの、みんなは···」

難波
倒れていた連中なら全員目を覚ました
お前よりもガスを吸ってるから、まだ身体を動かせないようだが

(そうなんだ···ひとまずよかった···)

東雲
他の訓練生はどうなりましたか?

難波
全員無事だ。今は寮で待機している

東雲
現場検証は···

難波
後藤と黒澤が内密に進めている
夕方からは石神と颯馬も加わるから何とかなるだろう

東雲
除染は···

難波
しかるべき部署に手配した
明日から数日間、全校休校にして除染作業を行う予定だ
というわけで、今日はゆっくり休め

サトコ
「わかりました」

東雲
······

難波
ほら、歩も。入院部屋が決まるまでおとなしく横になってろ

室長は苦笑いすると、隣のベッドをポンポンと叩いた。

東雲
···大丈夫ですよ。オレは

難波
そう強がるな
お前には、ひよっこたちより早めに現場復帰してもらわないと困るんだよ

東雲
······

難波
それじゃ、今日はゆっくり休めよ

室長がいなくなり、教官は隣のベッドに腰を下ろした。
けれども、なかなか横たわろうとはしない。

サトコ
「あの···」

東雲
お礼は言わない
サバゲー訓練のときにも伝えたはずだけど
オレを庇うなら、2人で生き残れるときだけにして
自分を犠牲にしないで

サトコ
「···っ」

(そうだ、あのときもこんなふうに怒られて···)

東雲
今度やったらキミとは別れる
本気だから。覚悟しておいて

(教官···)

静かな声音に、胸をつかれた。
そこから伝わってきたのは、怒りよりも深い悲しみだ。

サトコ
「すみません、教官」

東雲
······

サトコ
「もう二度と、今回みたいなこと···」

(···ん?ちょっと待って)

サトコ
「あの···ひとつ質問してもいいですか?」
「私と教官って、その···お別れしたわけじゃ···」

東雲
···なに?
別れたいの、キミ···

サトコ
「そんなわけないじゃないですか!」
「でも、教官···先日『オレのことは忘れていい』って···」

東雲
······なにか勘違いしているようだけど
あのとき、オレが言ったのは···

東雲
忘れていいよ、オレのこと全部
オレもそうする···卒業試験が終わるまでは
それじゃあ

(えええっ!?)

サトコ
「ま、待ってください!」
「『卒業試験が終わるまでは』って、そんなの初耳···」
「うっぷ···」

(まずい、また吐き気が···)

東雲
何やってんの
寝て、早く

サトコ
「す···すみませ···うっぷ···」

東雲
······

サトコ
「うう···苦しい···」

東雲
···バカ
学習能力なさすぎ

(うっ···)

サトコ
「だ、だって仕方ないじゃないですか」
「びっくりしすぎたんですから」

東雲
······

サトコ
「肝心な部分を聞いてなくて、ずっと誤解したままで···」
「あのあと事件も急展開したから、問い質すひまがなくて···」

東雲
······

サトコ
「おかげでずっと不安だったし···怖かったし···」
「宮山くんとも誤解されてるっぽいから···なんかもう···」
「ダメなのかな···って」

でも、違った。
あれは「別れ話」じゃなかった。

サトコ
「よかった···」

東雲
······

サトコ
「よかった···教官と『お別れ』じゃなくて···」

東雲
·········

教官は、何も言わずに自分のベッドに潜り込んだ。
そして、くるりと私に背中を向けた。

東雲
···来週の土曜日、予定は?

サトコ
「えっ」

東雲
······

サトコ
「あ···ええと、たしか空いていたかと···」

東雲
14時・駅の西口駐車場

サトコ
「!」

(それって···)

サトコ
「デートですか!?デートですよ···」
「うっぷ···」

東雲
なにやってんの!これで何度目?

サトコ
「さ、3度目···」

東雲
バカ。ほんとバカ
それとキモ!顔ニヤけすぎ

サトコ
「す、すみません···」

その後、入院病棟に移されたものの、私と教官は数日で退院することができた。
吐き気が治まり、精密検査でも『異常なし』と診断されたからだ。

さらに、後藤教官たちの捜査で犯人はガス会社の人間を装っていたこと···
ガス点検のふりをして、ダクトに細工をしていたことが判明した。
使用されたガスは、やはり例の「神経ガス」だったとのこと。
ただし、濃度が薄かったため、被害が少なく済んだらしい。


【車内】

サトコ
「じゃあ、なんでテロ組織が薄いガスを撒いたのかっていうと···」
「訓練生の間では『脅し』説が有力でして」

東雲
······

サトコ
「こちらの潜入捜査をテロ組織は把握していた」
「そこで、まずは四ツ橋ケミカルのロビーに『落書き』をした」

東雲
······

サトコ
「それでもこちらが退かずに中西たちを逮捕したから···」
「今度は公安学校にガスを撒いた」
「『自分たちはすべてを把握している』と伝えるために」

東雲
······

サトコ
「あるいは『脅し』じゃなくて『宣戦布告』の可能性もある···」
「って、今のは宮山くんの意見ですけど」

東雲
······

(···そうですか)
(ここまで話しても「無言」ですか)

それが何を意味するのか、この2年間で嫌というほど学んできた。
これ以上、質問をぶつけても、教官は「自分の意見」すら言わないだろう。

(しょうがない、話題を変えるか)
(そもそも今はデートの真っ最中なんだし)

あの日、病院の病室で交わしたデートの約束···
あれを、今まさに実行にうつしているところなのだ。

(そういえば、今どこに向かってるんだろう)
(今日は『お泊りデートをする』ってこと以外、何もわかってない···)

サトコ
「うわぁ···」

いきなり目の前に広がった光景に、思わず目を見張ってしまった。

サトコ
「教官、海···海です···!」

東雲
知ってる。目的地だし

(え···)
(ていうか、この海ってまさか···)

【海】

(やっぱり···ここって···)

東雲
覚えてる?

サトコ
「はい。さちさんの結婚式の帰りに行った···」

東雲
そう、あの時の海
キミが昆布で滑って転んで、頭から波を被った···

サトコ
「···っ」
「そ、そういう過去は忘れてください!」

東雲
へぇ、いいんだ?忘れても
ここで、オレがさちとの思い出を捨てたことも
キミが『ラー』って叫んだことも

(うっ···)

東雲
それから、キミに···
······

(教官···?)

東雲
···この続き、言ってほしい?

振り向いた教官は、少し困ったように笑っていた。
まさにあの日···
「好き」と言ってくれた時と、同じような笑顔だ。

サトコ
「それは、まぁ···言ってほしいです」
「でも、言ってくれなくても、私の気持ちは変わらないです」

東雲
······

サトコ
「私は、教官のことが大好きですし」
「教官が私を大切にしてくれていることも、本当はちゃんと知っています」

東雲
······

サトコ
「だから、教官が言葉にしてくれなくても···」
「大切なことはちゃんと胸に届いて···」

東雲
好きだよ。サトコ

(えっ···)

東雲
ああ···悪くないね
キミのこと、名前で呼ぶの

(えっ、ちょ···待っ···)

東雲
でも、使い分けるの、いちいち面倒だし
やっぱり、これからも『氷川さん』のままで···

サトコ
「名前···!名前を希望します!」
「せめて2人きりのときだけでも」

ドンッ!

東雲
ちょ···なに抱きついて···

サトコ
「······」

東雲
氷川さん!

サトコ
「············」

東雲
······サトコ

サトコ
「はい、教官!」

元気いっぱい顔を上げたとたん、教官にスパンッと足払いをかけられた。

(ちょ、なんで···)

しかも、砂浜に尻もちをついたとたん、波が頭上からやってきて···

サトコ
「うわっぷ···」
「ゲホゲホゲホッ」

(なにこれ···またずぶ濡れ···?)

東雲
アハハハハッ
サイコー!ほんと、サイコーだよね、キミ!
しかも、今回は頭に昆布を被ってるし

サトコ
「笑い事じゃありません!今回のは完全に教官のせい···」

東雲
もうすぐ教官じゃなくなるけどね

(え···)

東雲
今朝、室長からメールがきた
キミ、試験合格だって

サトコ
「!! じゃあ···」

東雲
卒業決定
よかったね。元ウラグチさん

その一言で、一気に様々な思い出がよみがえってきた。
入学してすぐに「裏口入学」だと告げられたこと。
そのせいで、いろいろパシられたこと。

(でも、教官は根気よく勉強をみてくれて···)
(私のことを「マシなバカ」にするって言ってくれて···)

サトコ
「うっ···うぐ···っ」

東雲
え、なに?
まだなんだけど、卒業式···

サトコ
「だ、だって···うぐ···っ···」
「なんか···いろいろ···思い出しちゃって···」

東雲
······

サトコ
「私···ウラグチなのに···卒業···できて······」
「それ···教か···の···おかげ···うぐ···っ···」

東雲
······

サトコ
「教か···あり······」
「ありがと···ございま···ううっ···」

東雲
······バカ

結局、泣いて、泣いて、泣きすぎて···
最後は教官のシャツに鼻水をつけて、頬っぺを抓られて···

(はぁぁ···嬉しいなぁ)
(本当に私、もうすぐ公安刑事になれるんだ···)

東雲
着いたよ。降りて


【ホテル】

東雲
荷物見てて。チェックインしてくるから

サトコ
「はい···」

(でも、ぜんぜん実感が湧かないなぁ)
(本当に公安学校を卒業するんだよね、私)

考えれば考えるほど、顔がにやけてしまう。
だって、卒業に絡んだ約束がいくつかあるからだ。

(まずは「卒業キッス」だよね)
(「卒業祝い」はあるか分かんないけど···それより···なにより···)
(ついに···ついに教官と······)

サトコ
「○×△■※■×~~~!!!」

(どうしよう、いつなのかな)
(卒業して最初のデートの夜?それとも卒業式の日にすぐ···とか?)
(どっちにしろ、当日は勝負下着で···)

東雲
···なに悶えてんの
キモいんだけど、さっきから

(うっ···)

サトコ
「気にしないでください。ちょっと考え事をしてただけですから」
「それよりチェックインは···」

東雲
済ませた。507号室

サトコ
「私の部屋がですか?」

東雲
?? オレたちの部屋がだけど

(えっ···)

東雲
借りたの、1部屋だけど

(えええっ!?)

【エレベーター】

エレベーターのドアが、目の前でゆっくりと開いた。

東雲
早く乗って

サトコ
「は、はい···」

(落ち着け···落ち着こう、私)
(同じ部屋に泊まるのは、別に初めてじゃないよね?)
(1回目の北海道の時は、教官がどこかに行っちゃってたけど···)
(山梨も、この間のラブホも同室だったわけだし)

もっとも、いま思い出した過去3回はすべて「やむを得ず」だった。
そこが今回と明らかに違っている。

(もしかして卒業が決まったから?)
(ってことは、まさかの本日解禁···)

サトコ
「!!」

(どうしよう···今日持ってきたの、勝負下着じゃないんですけど!)
(いつもの、半額セールで買った薄紫色ので···)

東雲
降りないの?5階だけど

サトコ
「お、降ります!」

【廊下】

(ヤラれた···油断しすぎだよ···)
(なんで好きな人との1泊旅行でセール品の下着なんて···)

東雲
507号室···ここだね
どうぞ、サトコ

サトコ
「···っ」

(このタイミングで、また···)

東雲
どうしたの。入らないの?

サトコ
「いえ、その···」

(こうなったら覚悟を決めて···)

サトコ
「先に入ります!失礼しま···」

【部屋】

サトコ
「す···」

(·········あれ、ベッドが2つ?)

東雲
キミ、窓際ね
オレは壁際にするから

サトコ
「······」

東雲
シャワーは?

サトコ
「あ···ええと···先にどうぞ···」

東雲
わかった
ルームサービス、頼みたかったら適当に頼んで

教官がいなくなり、私は改めて部屋のなかを見回した。

(そうだよね、ツインルームに決まってるよね)
(だって、まだ卒業してないわけだし)

サトコ
「あーーーっ!」

(心配して損したーーっ!)

さっきまで緊張していた反動なのか。
理性のメーターが一気に反対方向へと振り切れた。

(こうなったら飲もう···とことん飲もう!)
(まずはルームサービスで···)

サトコ
「すみません、ワインとビールと、それから···」

思えば、ここからいろいろ間違えたのだ。
まずは、教官のシャワー中にビールを1本。
交替してシャワーを浴びた後、教官とふたりでワインを開けて···

サトコ
「美味しい!」

東雲
まぁ、良いワインだから···

サトコ
「もう1杯いいですか?いいですよね?」

東雲
···好きにすれば

このあたりから徐々に記憶が薄れてきて···

気が付いた時には···

サトコ
「う···ん···」

(抱き枕···あったかい···)
(抱き心地はいまいちだけど、温度がちょうど···)

サトコ
「いい···むにゃ······」

ゴソ···

(あれ···今、抱き枕が動いた気が···)

ゴソ···
ゴソゴソゴソ···

(違う···「抱き枕」なんかじゃなくて···)
(もっと、こう···ちゃんとした···)

東雲
離れろ、すっぽん

サトコ
「···っ」

東雲
起きてるよね?さっきから
だったら、は・な・れ・ろ

冷ややかな声音に負けて、私は恐る恐る顔をあげた。
もはや「抱き枕」の正体を確認する必要はなかった。

サトコ
「あの···今の時刻は···」

東雲
丑三つ時
正確には午前2時17分

(うっ···結構な時間···)

サトコ
「すみません!長い間、抱き枕にして···」

東雲
ほんとにね。びっくりなんだけど
足を絡めて、ギュウギュウ抱きついてきたりして···

(うう、やっぱり···)
(ベッドは別々のはずなのに、なんてことを···)

東雲
まぁ、でも···
半分はオレの責任だけど

(えっ···)

サトコ
「半分って···どのあたりが···」

東雲
······

サトコ
「教官···?」

東雲
誘い込んだから。オレが
キミを、こっちのベッドに

(うそ···)

サトコ
「なんで、そんなこと···」

東雲
上書きしたかったから
宮山のキスの

サトコ
「···っ」
「あ、あれは本当にただの事故で···」

東雲
知ってる
だけど、結構ムカついた

(教官···)

東雲
キミは?上書きしたくならない?
オレの任務上のキス

(あ···)

とたんに、あの日の光景が脳裏によみがえった。

(そうだ···教官は野田サチコと···)

サトコ
「あの···彼女とラブホで···」

東雲
していない。キス以上のことは

サトコ
「···っ、本当に?」

東雲
証明はできない
キミには『信じて』としか言えない
でも、本当にそれ以上のことはしていない

(教官···)

おめでたい、と笑われるかもしれない。
けれども、どうしてもほかの選択肢が浮かばない。

(だったら···)

そっと教官のシャツを引っ張った。

サトコ
「上書き···したいです」

東雲
······

サトコ
「私のも···してほしい···」

東雲
···うん

肩を抱き寄せられて、唇をついばまれた。
ちゅ、ちゅ···と繰り返されるキスに、自然と唇がほころんでしまった。
けれども、この程度じゃ消えない。
上書きなんてできるはずがない。

サトコ
「あの···」

東雲
ん···わかってる···

再び、唇が落ちてくる。
ようやく、お互いの間に、甘く濡れた音が生まれ始める。

(ああ···)

やっぱり違う。
ぜんぜん違う。
こんなに求めたくなる相手は、他にはいない。

(教官だけ···)
(この人だけが、私の「特別」なんだ···)

唇が離れると、いつになく優しく抱きしめられた。
鼻をかすめたのは、おなじみのユーカリの香りだ。

東雲
消えた?アイツのキス···

サトコ
「はい···」
「教官は···」

東雲
もう思い出せない

サトコ
「···よかった」

もしかしたら、これから先も同じことがあるかもしれない。
あるいは、私のほうが教官と同じ立場に立たされるかもしれない。

(でも、それでも···)

サトコ
「好きです···」

東雲
······

サトコ
「教官のことだけが、ずっと···」

あたたかな鼓動を聞いているうちに、再び瞼が重たくなってきた。
また眠り足りなくて···
でも、甘やかな誘惑に身を任せたい気持ちもあって···
私は、ゆっくりと息を吐き出した。

東雲
···寝るの?

サトコ
「······」

東雲
おやすみ

(おやすみ···なさい···)

目が覚めたとき、どうかまだこの腕の中にいられますように。
この先、補佐官でなくなっても、ずっと教官のそばにいられますように。

Happy End




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