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東雲 Season2 カレ目線4話



【個別教官室】

「二度とふたりきりでは会わない」――
そう決めた野田サチコに、再び誘いをかけたのは事態が急変したからだ。
さわやかさの欠片もない月曜の朝。
システム開発者課のグループLIDEに1件のメッセージが入った。
投稿者は、早朝出勤したらしい社員だ。

――「会社のロビーにすげー落書きwww」

アップされた添付写真を見て、背中がザワッとした。
すぐに自分の目で確かめたほうがいいと思った。

【廊下】

宮山
「あ、東雲教官···」

東雲
ミーティング中止
氷川さんに連絡して。すぐに会社に向かって

宮山
「??は、はい···」

嫌な予感がした。
何かが大きく動き出したかのような···



【四ツ橋ケミカル】

ロビーには、すでに人だかりができつつあった。
当然だ。目立つ場所にデカデカと奇妙な落書きがあるのだ。

(あれは···化学式?)

もしくは、それに似た何かかもしれない。
ただ、判断するには知識が足りない。

(消される前に記録を···)

スマホに手を伸ばしかけて、ハッとした。
「捨身を撮った者=落書きを記録した者」だ。
誰が見ているか分からない、ましてや防犯カメラが作動している状況で。
そのリストに加わるのは得策ではない。
いったん、野次馬から外れて、防犯カメラの死角に入った。
そこで、うちの補佐官が出社するのを待った。

(あの子なら覚えられるはず)
(「化学式」を「絵」と捉えられれば···)

東雲

不意打ち過ぎてギョッとした。
いきなり、目の前を監視対象者が横切ったのだ。

(ヤバ···動揺しすぎ)

とはいえ、中西はオレを見向きもしなかった。
お目当ては、やはり例の「落書き」のようだ。

(ただの野次馬か?)
(それとも···)

注意深く、中西のいそうなあたりに目を向ける。
果たして、それほど間をおかず、中西は野次馬のなかから飛び出してきた。
その顔は明らかに青ざめていた。

(何かある)

恐らく、中西はあの「落書き」の正体を知っている。

(そろそろ接触するか?)
(それとも、もう少し泳がせてみるか)

同時に、野田サチコの反応も気になった。
「研究員」であるはずの彼女は、これを見てどんな反応を示すのか。



【寮 廊下】

結局、オレが選んだのは野田サチコとの接触だった。
タイミングよく、彼女から夕食の誘いがあったからだ。

(待ち合わせまで、あと1時間···)
(それまでに情報を整理して···)

鳴子
「あ、おつかれさまです!」
「めずらしいですね、寮にいらっしゃるなんて」

東雲
ちょっと用があって
ところで氷川さんは···

鳴子
「それが、まだ帰って来てないっぽいんですよね」
「何か伝言があったら伝えましょうか?」

東雲
大丈夫。お気遣いありがとう

鳴子
「いえ」

(むしろ好都合だ。帰宅していない方が)

持ってきた差し入れ袋を、ドアノブにかけるだけで済む。
ちなみに、中身はファジーネーブルとハンドクリームだ。

(ほんと、女子力低すぎ)
(ちゃんとハンドケアしてないとか)

脳裏に浮かんだのは、赤い指先···
昨日、シャワー室で見かけた光景だ。

【資料室】

昨日の夕方···
調べものがあって資料室に向かったときのこと。

サトコ
「きゃああああっ!」

宮山
「先輩···っ」

呼び止めた宮山を無視して、彼女は資料室を飛び出していった。
入り口付近にオレがいたことに気付きもしないまま。
原因は、なんとなく把握した。
というか偶然見てしまった。

(宮山とキス···ってトコ?)

実は、オレの位置からは、顔がぶつかったようにしか見えなかった。
けれども、あの様子を思えば、おそらくそうだったのだろう。
室内を覗けば、宮山が呆然と立ち尽くしていた。
指先が唇に当てられているのが、なんだかひどく生々しい。

(なんなの?)
(女子中学生なの、あいつ)

げんなりしながら、彼女の後を追った。
すでに後ろ姿は見えなかったけど、行き先はなんとなくわかる気がした。

【シャワー室】

案の定、彼女はシャワー室にいた。
ものすごい勢いで、バシャバシャ唇を洗っていた。

(指先、真っ赤···)

それに、手自体がずいぶん荒れている。
あの手で水に触れ続けるのは、かなり痛みを伴うはずだ。

(バカ。女子力低すぎ)

東雲
タラコにでもなるつもり?
そんなに唇こすって

彼女は、弾かれたように振り返った。

サトコ
「教官···どうして···」

東雲
べつに。ただの偶然
それより何?さっきから

彼女の濡れた唇を、指先で拭う。
とたんに、彼女は何かを堪えるように顔を歪めた。

東雲
···なに、その涙目
理由は?

訊ねてみたけど、納得のいく答えは返ってこなかった。
やはり、オレには知られたくないのだろう。

(それって、オレ以外の男とキスしたから?)
(それとも···)

東雲
ここ、まだ使う?

サトコ
「いえ、もう···」

東雲
だったら出ていって
シャワー浴びたいから

サトコ
「···失礼します」

彼女は、しょぼくれた様子で出て行った。
まさに、泳ぎに失敗して陸に上げられた「かっぱ」のようだった。

東雲
······

(あのあと、すぐさま追いかけて···)
(腕の中に閉じ込めてしまっていたら)

あの子は、どうしただろう。
本当の理由を吐き出しただろうか?

【寮 廊下】

東雲
···!

スマホが点滅しているのに気付いて、我に返った。
ディスプレイに表示されているのは、宮山の名前だ。

東雲
はい···

宮山
『よかった、やっとつながった』
『氷川先輩が、経理課の中西を追っています』

(は?)

東雲
「どういうこと?」

宮山
『実は···』



【車】

十数分後。
オレは、駅に向かって車を走らせていた。
尾行を中断した彼女を、ピックアップするためだった。

(悪くない)

自分たちが持つ情報から、「中西」の存在に辿り着いた。
その点については、評価してもいい。
一方で、面白くない気持ちがあることも否めない。
彼女がこの結果を導き出せたのは、宮山がいたからだ。

(似た者同士)
(「いいコンビ」···)

後藤さんが、かつて指摘したとおりだ。
あのふたりは、物事に取り組む姿勢が良く似ている。
そのくせ、お互いのバランスの取り方も悪くない。

(どちらかが熱くなれば、どちらかが冷静になる)
(でも、一緒に動くべきときに足並みを揃えられる)

オレと彼女ではそうはいかない。
それは、立場の違いもあるのだろうけれど···
スマホが着信を伝えた。
彼女が、最寄駅に到着したとのことだった。
付近まで車を走らせ、周囲を確認した。
今のところ、彼女を監視するような怪しい人物は特にいないようだ。

(行くか)

彼女の目の前で車を止め、ロックを解除した。

東雲
乗って

サトコ
「···失礼します」

明らかに緊張している彼女を乗せて、オレは再び車を走らせた。

車内は、奇妙な空気に包まれていた。
といっても、原因はオレじゃない。
彼女が、勝手に緊張しまくっているせいだ。

(···仕方がない)

東雲
成果は?

彼女が、ハッと顔を上げた。

東雲
尾行の成果
あるよね。1つくらいは

サトコ
「は、はい···その···」

彼女の報告は、なかなかのものだった。
特に、中西の電話相手のことは、こっちで引き取って独自に調べたいところだ。
それに···

(これでほぼ確定)
(野田と中西は共犯だ)

先日見当たらなかったIDパスも、誰かに盗まれたのではない。
野田が、自分から中西に貸したのだろう。

(でも、なんでそんな面倒なことを···)
(研究データのコピーなら自分でやればいいのに)

サトコ
「あの···」

彼女が、遠慮がちに訊ねてきた。

サトコ
「今朝の落書きって結局なんだったんですか?」

返答に迷った。
質問に対する答えは「まだわからない。調査中」だ。
けれども、それを伝えるつもりはなかった。
もともと、潜入捜査の前から線引きしていたのだ。
彼女と宮山を関わらせたのは、今情報を渡している範囲まで。
つまりは、情報漏えいをしているだろう中西を捕まえるところまで。
情報を渡した組織はどこなのか。
盗んだ情報はなんだったのか。
それについては伝えられない。
よほどのことがない限りは。

(ということを、説明するかどうか···)

結局、オレは無言を貫いた。
それで十分伝わるはずだからだ。
けれども···

サトコ
「すみません、今の質問は忘れてください」
「余計なことを訊きすぎました」

彼女は、しゅんと肩を落とした。
その姿は、なんだか萎縮しているようにも見えた。

(べつに、そこまで落ち込まなくても···)

彼女は、オレといるとたまにこういう姿を見せる。
宮山といるときとは大違いだ。

(アイツとは、なんだかんだで楽しそうにやってるし)
(ずいぶん伸び伸びしているみたいだし)

なにより、今回の捜査で宮山は彼女の力になっている。
「頼れる」という意味では、オレより宮山のほうが上のはずだ。

(オレは何もしていない)
(何の力にもなっていない)

「試験官」という立場を考えればそれが正解だ。
今回は、うかつに手を貸すわけにはいかない。

(でも、それ以外なら?)
(例えば「恋人」という立場で考えた場合、今のオレは···)

いきなり、彼女が顔を上げた。
そして、何かを吹っ切ったかのように朗らかな笑顔を向けてきた。

サトコ
「大丈夫です。ちゃんと捜査します」
「宮山くんも力になってくれているし、彼と2人で···」

カッ、とこめかみが焼けた気がした。
気付いたら、オレはブレーキを踏んでいた。

サトコ
「教か···?」

(うるさい!)

シートベルトを外して、彼女にのしかかった。
腕を掴み、引き寄せて···
彼女の唇を乱暴にふさいだ。

サトコ
「···っ!?」

久しぶりの行為だった。
深く貪れば貪るほど、よく知る甘さが広がっていくような気がした。
なのに、高ぶった気持ちはまるで治まらなかった。
むしろ苛立ちが沸いてきて、自分でもワケが分からなくなって···

(くそっ)
(くそくそくそくそ、くそ···っ)

サトコ
「んんっ······んーーっ!」

ガリッ、と手の甲に鈍い痛みが走った。
渦巻いていた憤りが、ようやくそこで断ち切られた。

(あ···)

東雲
オレ···

ようやく、目の前の彼女を見た。
彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

東雲
···っ

(オレ···今、何を···)

濡れた唇を、手の甲で拭った。
引っ掻き傷から、微かに血の味がした。

東雲
ごめん、下りて

サトコ
「えっ」

東雲
下りて。早く

やった。
やってしまった。
感情に任せてひどいことをしてしまった。
しかも、大事な試験期間中に。
寮付近の、誰に見られてもおかしくないような場所で。

(ダメだ、このままじゃ)
(この子といると、オレは···)

東雲
忘れていいよ、オレのこと全部
オレもそうする。卒業試験が終わるまでは
それじゃあ

早口で言い捨てて、ドアを閉めた。
そして、すぐさま車を発進させた。

(サイアクだ)
(なんで、あんな乱暴でリスキーなことを···)

そんなオレに追い打ちをかけるように、スマホの振動音が聞こえてきた。

(「南雲駆」用のスマホだ)
(一体、誰がこんな時間に···)

東雲
!!

すっかり忘れていた。
今夜、野田サチコと約束をしていたのだ。
時計を見ると、約束の時間よりすでに30分以上経過していた。

(ありえない···)
(バカなの?オレ)

右に出すはずだったウィンカーを、急きょ左に出した。
目的地まで20分。
信号にぶつからなければ15分。

(それまでに頭を切り替えないと)


【繁華街】

東雲
はぁ···はぁ···
すみません、遅くなって

大げさなくらい息を弾ませて、野田の前で頭を下げる。
彼女は、腕を組んだまま不愉快そうな眼差しをぶつけてきた。

野田
「···ありえない」

東雲
ごめんなさい
連絡したかったんですけど、出がけに前の職場から電話が入って
書類関係のことで話し込んでるうちに、つい···

野田
「·········それ、本当?」

東雲
本当です
でも、こんなのただの言い訳ですよね。ごめんなさい

内心、面倒くせーと思いながらも、分かりやすくうなだれて見せる。
今は「情報提供者」兼「監視対象者」の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

野田
「···悪いけど、今日はもう帰るから」
「明日、朝イチで会議だし」

東雲
だったら駅まで送ります

野田
「その前にお詫び」
「キスして。ここで」

(はぁぁぁっ!?)

野田
「···なぁに?」
「キスだけじゃ物足りない···とか?」

東雲
いえ

(冗談じゃない。キス以上とか)

ラブホ街に誘導をされる前に、オレは野田を引き寄せた。
野田は、一瞬不満そうな顔をしたものの、すぐに目を閉じて軽く顎を上げた。

(さっさと終わらせよう)
(それで機嫌をとって···駅までの道のりで情報を聞き出して···)

ふいに、舌の上に甘い味が蘇った。

東雲
······

よく知った味だった。
つい先ほど貪った、あの子とのキスの味。

(···無理)

あの味を消したくない。
今、舌の上にある甘さだけを覚えていたい。

野田
「·········南雲くん?」

野田が、うっすらとまぶたを開けた。
苛立ちの滲んだ目で睨まれて、今が任務中であることを思い出した。

東雲
すみません、その···
オレ···今、汗臭い気がして···

野田
「汗?」

東雲
ここまで走ってきたから···

野田
「そぉね。だったら···」

シュッと、何かを吹き付けられた。
甘ったるい香水臭に包まれて、オレは危うく咽そうになった。

(···っ、ありえない···)
(いきなり吹き付けてくるとか···)

野田
「これで汗臭くないよね?」

東雲
······はぁ···

キツい人工の香りにめまいがする。
今すぐジャケットを脱ぎ捨ててしまいたい。

野田
「さぁ、早く···」

(サイアク)

でも、これは仕事だ。

(仕事仕事仕事仕事···)

呪文のように唱えて、唇をぶつけようとした。
ところが、今度は彼女のスマホがそれをさえぎった。

野田
「もう!誰···」
「······」

(表情が変わった)
(相手は中西か···それとも···)

野田は、オレの前では電話に出なかった。
そのかわり「帰ろう」とオレの腕に手を絡めて歩き出した。

何かが起きたのは明白だった。
ただ、それを聞き出すには、さすがに野田のガードが堅かった。

(いいけど、別に)
(あとでスマホを確認すれば)


【東雲マンション】

帰宅するなり、作業用のPCを開いた。
もちろん、野田のスマホの中身を確認するためだ。

(メールか、LIDEか···)

そこで、ふと手を止めた。
数時間前に突き放したうちの彼女のことを思い出したのだ。

(通知オフってたし)
(あの子のことだから、ヘタすれば20通くらい続けて···)

東雲
······

LIDEの未読メッセージ・0件。
新着メールも、届いているのはくだらないものばかりだ。

(···なにこれ)
(納得済みってわけ?)

もちろん、納得してもらわないと困る。
ただ、いつものあの子なら···

――『どうしてですか』
――『納得いきません』
――『何を忘れろっていうんですか』

などと、連投してくるはずなのだ。

東雲
·········いいけど。べつに

スマホを置こうとしたところで、軽やかな着信音が鳴り響いた。

(きた!)

すぐさま、スマホ画面を確認した。

――『TORUの明日の恋予報★くもりのち雨』

オレが兵吾さんだったら、今頃オーバースローでスマホを投げつけていただろう。

【個別教官室】

そんなわけで、翌朝のミーティングは最低最悪だった。
うちの彼女は、ほぼ通常営業。
なのに、オレは内心モヤモヤしっぱなし。
挙句の果てに

宮山
「それ、野田サチコの香水ですか」
「すごく臭いんですけど、そのジャケット」

これが発端となって、まさかのラブホ話に発展。
プチンときて、つい余計なことを言ってしまった。

東雲
イヤでしょ、キミたちも
『この間、資料室でキスしてたね』って指摘されるのは

宮山
「な···っ」
「待ってください!」
「誤解です!あれはただの事故で···」

【廊下】

(サイアク)
(ほんとサイアク···っ)

バカか。
やられたらやり返す、とか。

(子どもじゃあるまいし)

けれども、今更どうすればいいのか分からない。
ラブホ話も、任務が関わっている以上、おいそれと話すわけにはいかない。

結局、オレはなんのフォローもしなかった。
それでも、彼女は無事に自分の任務をやり遂げた。


【繁華街】

さらに、この日の夜···
事態は急展開した。

野田
「どういうこと!?なんなの、この人たち···」

東雲
オレの先輩です。野田さんにお話を伺いたいそうで

颯馬
大した話じゃありませんよ
あなたの知人の外国人について話を聞かせていただきたいだけです

石神
それと、四ツ橋ケミカルの研究情報漏洩について

野田
「···っ」
「な、なんの話···」

東雲
心当たりがないなら、そう証言してください
先輩たち、悪い人じゃありませんから

にっこり笑いかけたところで、スマホが着信を伝えてきた。
2人に目配せをして、オレは裏路地へと入った。

【裏路地】

繁華街の騒がしさが遠のいたところで、オレはスマホをタップした。

サトコ
『おつかれさまです。氷川···』

東雲
中西は?

サトコ
『先ほど、身柄確保しました』

東雲
わかった。兵吾さんに伝えて
こっちも女を取り押さえたって

彼女が、息を飲んだのがわかった。
それでもオレはあえて淡々と伝えた。

東雲
おつかれさま
これで終了だよ、キミの卒業試験は

そう、終わりだ。
これで「おしまい」のはずなのだ。
なのに、オレの心は晴れなかった。
見えない「何か」が、重石のように心に引っかかっていた。

to be continued



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