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あの夜をもう一度 加賀2話



【教官室】

難波
あの女と寝て、情報を取ってこい

室長の感情のこもっていない声が、頭の中で何度も繰り返される。

(女と寝て、情報を取ってこい···)
(加賀さんがそれをするってことは、つまり···)

難波
氷川もいるし、ついでだから今説明するか

サトコ
「···えっ?」

難波
公安が追ってる組織に情報を流してる女の居所を、ようやくつかんだ
今まで、潜伏していたらしいな。動き出したってことは、組織に接触する可能性が高い
お前らには、女が最近よく行くクラブに潜入してもらう

加賀
分かりました

サトコ
「は、はい···了解です」

(クラブに潜入して、対象の女性と接触するのが今回の任務···)
(でも、そのあとは···)

加賀
テメェは見張りだ。女の相手は俺がやる

サトコ
「···はい」

難波
内容自体は別に難しくない。頼んだぞ

確かに室長の言うとおり、今回の潜入捜査はさほど難しくない。
演習で何度もやってきたし、2年間の厳しい訓練を耐え抜いてきたという自信もあった。

(だけど···)

難波
あの女と寝て、情報を取ってこい

再び、室長の言葉が頭の中をぐるぐる回り始める。

( “寝る” って···要するに、そういうことだよね)
(本当にするってこと···?いや、でも···仕事なんだから)

室長が出ていくと、教官室に沈黙が落ちた。
加賀さんは表情ひとつ変えず、書類にペンを走らせている。

サトコ
「あ···私、大福用意してきますね」

加賀
ああ

短い返事を聞いて、お茶の準備をしに給湯室へ向かう。

(落ち着け···何があったって、加賀さんが私の恋人であることに変わりはないんだから)
(···たとえ、仕事で他の人を抱いたとしても)



【車内】

数日後、女性がクラブに現れたと聞いて、加賀さんとともに店に向かっていた。

加賀
テメェとは、バラバラに入店する

サトコ
「はい」

加賀
手順はさっき話した通りだ
俺が女に接触したあと、押さえてあるVIPルームに連れて行く
そこで、女から情報を手に入れる。お前は誰も来ねぇように見張っとけ

サトコ
「わかりました」

何か言おうにも、声が詰まって必要最低限の返事しかできない。
加賀さんはいつも通りの様子で、車を走らせ続けた。

(今は、任務に集中しなきゃ)
(公安がずっと追っていた組織に情報を流してる女性···なんとしてでも、口を割らせたい)

だからこそ、室長も加賀さんに潜入捜査をやらせているのだろう。

(加賀さんなら、必ず情報を持ち帰る)
(そう···どんな方法を使ってでも)

車が停まり、ハッと我に返る。

加賀
行け

サトコ
「はい」

言葉少なに車を降りようとした私に、加賀さんが笑う。

加賀
テメェの男が他の女を抱いてる声聞いて、欲情すんなよ

サトコ
「······!」
「···しません!」

咄嗟に反論してから、気持ちを落ち着かせて加賀さんを見つめ返した。

サトコ
「加賀さんこそ、しっかりやってくださいね」

加賀
ほう···言うようになったじゃねぇか

サトコ
「この情報がどれだけ大事か、私にもわかりますから」
「それじゃ···あとは、インカムで連絡を取ります」

加賀
ああ

最初の予定通り、店から少しはなっれたところで降り、加賀さんとは別々に入店した。



【クラブ】

インカムの状態を確認しながら、クラブに潜入する。
爆音でクラブミュージックが響き渡っているため、少し隅の方へ行かなければ声を拾えなかった。

(今はとにかく、加賀さんと女性の様子を見張らなきゃ)
(女性は仕事じゃなくて、趣味でこのクラブに来てるって話だけど)

さりげなく入り口を見ていると、加賀さんがひとりで入ってくるのが見えた。
わざと視線を外しながら、ターゲットがいる方向を一度だけ見て目を逸らす。

サトコ
「女性はカウンターにいます」

加賀
了解

何気ないしぐさで、加賀さんがカウンターへ向かう。
そこでアルコールをもらい、女性の後ろを通り過ぎようとして、つまずいたふりをした。

女性
『きゃっ』

加賀
おっと···失礼
服にかかってしまいましたよね。すみません

女性
『いえ···少しだから大丈夫ですよ』

加賀
そうはいきません。お詫びさせてください

女性の隣の席に座り、加賀さんがバーテンダーからおしぼりをもらっている。
ひとりで飲んでいた女性にカクテルを驕り、まずは接触が成功したようだった。

(このあと、打ち解けたところでVIPルームに誘い込んで···)
(···ううん。これは、仕事なんだから)

もう何度もそうやって自分を納得させて、小さく首を振る。
店内に響き渡る音のせいか、今は加賀さんたちの音声がなかなか拾えない。

(でも、動き出せばわかる···怪しまれないように、だけどちゃんと見ておかなきゃ)
(加賀さんのことだから、もう少しすれば···)

思った通り、言葉巧みに女性を誘い出したらしく、加賀さんが立ち上がった。
強いカクテルを飲まされたのか、女性は酔っているようだ。

サトコ
「······」

加賀さんが、女性の腰を支えるように抱き寄せる。
心を無にして、ふたりを追いかけた。

【VIPルーム】

加賀さんは最初の予定通り、女性を伴ってVIPルームへと消えた。
誰も来ないように廊下で見張っていると、インカムから声が聞こえてくる。

加賀
さっきは悪かった。どうしても、あんたとふたりきりになりたかったんだ

女性
『他の女ことも、そうやって口説いてるんでしょ?』

加賀
口説きたいと思う女は多くない。あんたは別だ

女性
『本当に?』

その会話はまるで、恋人たちの睦言のような甘さを含んでいる。
用心深く辺りに注意を張り巡らせながらも、加賀さんの声を聞くたびに胸が痛んだ。

(おとり捜査で女性を口説くくらいなら、もう平気だったけど···)
(さすがに···これは)

つらい、と思いかけて、ぎゅっと口を結ぶ。
加賀さんの甘い言葉は続き、やがてインカムからは女性の吐息が聞こえてきた。

サトコ
「っ······」

意識がそちらに向きそうになるのを、必死に仕事へと戻す。
インカムから直接耳に届く女性の声から、VIPルームで何が行われているかは容易に想像できた。

(···仕事だよね)
(加賀さんにとっては、なんの意味もない···情報を持ち帰るためだけの “手段” なんだから)

頭では、ちゃんとわかっている。
なのに、加賀さんの隣にいる女性の嬌声が、苦くて仕方がない。

(いつか、こういう日が来るって分かってた···避けて通れないって)
(だけど···私にはまだ、その覚悟が足りなかったんだ)

感情を殺して、廊下を見張る。
加賀さんが情報を得た後も、女性の声が耳に残っていた。



【外】

加賀さんがVIPルームから出る少し前に、私は一歩先にクラブを後にしていた。
予定していた場所で待っていると、クラブから出て念のため着替えてきた加賀さんが戻ってくる。

サトコ
「お疲れさまでした」

加賀
ああ

サトコ
「ターゲットは、本当にプライベートで来てたみたいです」
「彼女が加賀さんといなくなったあとも、怪しむようなそぶりを見せる客はいませんでした」

加賀
そうか

私から離れて、加賀さんが携帯を取り出す。
室長に報告するその背中を、何とも言えない気持ちで見つめていた。

(加賀さんはいつだって、事件を未然に防ぐために仕事してる)
(正しいと思って行動している···私も、それを尊敬してる)

裏切られたなんて、思っているわけではない。
私もこれが最善の策だって思うし、室長が加賀さんに任せた意味もわかってる。

(昔とは違う···どんなことをしてでも手に入れなきゃいけない情報があることも、わかってる)
(···私の覚悟が、足りなかっただけだ)

報告を終えた加賀さんが、こちらに戻ってくる。
弱くなっている心を見せないように、気丈に振る舞った。

サトコ
「車、回してきます」

加賀
俺が行く

サトコ
「でも加賀さん、お酒···」

加賀
この程度の潜入なら、飲む必要もねぇ
···まさか、寮に帰るなんて言わねぇだろうな

サトコ
「え···」

実は、加賀さんに何も言われなければ、寮に帰るつもりでいた。

(もし、このまま加賀さんの部屋に行ったら、きっと···)

あんなことがあったあとで、そんな気持ちにはとてもではないけれど、なれない。

(だけど、断ったらきっと気まずくなる···私が今日のことを気にしてるって、すぐ気付かれる)

それは、本意ではない。
そう思った時には、加賀さんの誘いにうなずいていた。


【加賀マンション】

加賀さんの部屋に着くとすぐに寝室へ連れ込まれ、ベッドに押し倒された。
きつく目を閉じて、加賀さんを受け入れる心の準備をする。

(こんなことくらいで、いちいちヘコんでるわけにはいかない)
(きっとこれからも、同じようなことは何度だってある···)

必死に、頭の中からあの女性の声を追い出そうとする。
でもまるで耳にこびりついるように、離れてくれない。

加賀
······

(ダメだ···忘れなきゃ)
(じゃないと、加賀さんとこれから一緒にいられなくなる···)

加賀
···やめだ

私の反応を見ていた加賀さんが、身体を離した。
ベッドに起き上がる加賀さんを、私も身を起こして見つめる。

サトコ
「加賀さん···?」

加賀
その気のねぇ女を抱いても、面白くねぇ

サトコ
「!」

私に背を向けて、加賀さんが小さくため息をつく。
シャツのボタンを緩めて、私を振り返った。

加賀
テメェが今考えていること、当ててやる

サトコ
「え···?」

加賀
情報を得るためには仕方ねぇ。俺がその方法を取るのも理解してる
だが、許容できねぇ。そんなとこだろ

サトコ
「ち、違います···ちゃんと納得してます」

加賀
テメェが無理してることに、気付いてねぇとでも思ったか
その姿勢は評価してやる。だが、見破られる時点で茶番だ

(やっぱり、気付かれてたんだ···)

情けなさに、加賀さんの目を見ることができない。
それでも必死に、自分の考えを言葉にして絞り出した。

サトコ
「仕事だって···分かってます」
「たとえ加賀さんが···他の人を抱いても、私は」

加賀
誰が、最後までヤッたって言った?

サトコ
「···!?」

ストレートな表現に、一瞬言葉を失う。
でもすぐにその言葉の意味を理解して、ぽかんと口を開けた。

サトコ
「···えっ?」

加賀
要するに、情報を持ちかえりゃいいんだろ
チョロイ女だったからな。酔わせていい気分にさせりゃ簡単だった

サトコ
「だ、だって···」

インカムから聞こえてきた艶めかしい声を思い出す私に、加賀さんが続ける。

加賀
抱いて情報を手に入れるのは簡単だ
だが、そんなクソつまらねぇことなんざする必要もねぇ

サトコ
「それって···」

加賀
役に立つ女と抱きてぇ女は、別物だ

サトコ
「······!」

(じゃあ···あのとき加賀さんは、あの人と何もなかった···?)

力が抜けて、もう少し気が緩むと、涙がこぼれそうだった。

サトコ
「私···ず、ずっと···自己嫌悪で」
「仕事だから仕方ないって思ってるのに、どうしても辛くて···苦しくて」

加賀
···クズが

少し強引に私の肩を抱き寄せると、加賀さんが耳元でささやく。
言葉とは裏腹に、その声はいつも以上に優しい響きを含んでいた。

サトコ
「このままじゃ、加賀さんの恋人失格だと思って···」
「この程度の覚悟もできてないようじゃ、これから先···」

加賀
テメェに覚悟が足りねぇことなんざ、今さらだ

サトコ
「うっ···」

泣きそうになりそうなのを、必死に堪える。
加賀さんの気持ちが嬉しくて、抱きしめ返した。

(加賀さんならきっと、それしか方法がないなら、他の人を抱くこともする)
(今回は、それを回避できただけにすぎない···)

だとすれば、この先避けられない状況も出てくるだろう。
そのときにはもう、こんなに気持ちが揺れたり悩んだりしたくない。

(もう少し時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと納得できる自分になりたい)
(加賀さんにこんなに愛されてるんだから、それだけで十分だって)

本心から、そう思えるようになりたい。
再びベッドに押し倒され、今度こそ抵抗せずにそれを受け入れた。

加賀
さっきとはえらい違いだな

サトコ
「だ、だって···」

加賀さんの背中に手を回しながら、少し照れる。
そこでふと、今さらながらに気付いたことがあった。

サトコ
「ところで···インカムから、やけに鮮明にVIPルームの様子が聞こえてきたんですけど」
「加賀さんの声が鮮明なのはわかりますけど、相手の女性の声が聞こえるって···」

加賀
さあな

サトコ
「···もしかして」

(わ、わざと···!?いや、まさかそんな)

私の身体を弄びながら、加賀さんが口の端を持ち上げて意味深に笑う。
あまりにもひどい仕打ちに、思わず加賀さんの胸に手を添えて押し戻した。

サトコ
「私、ものすごくつらかったんですよ!?」

加賀
耐性ができただろ
俺の女なら、あの程度のことでいちいち喚くんじゃねぇ

その後は反論を許されず、キス口をふさがれ口内を甘く犯される。
この間の強引な抱き方とは違い、なだめるような優しい愛撫だった。

(言葉足らずどころか、わざと意地悪するし、ぶっきらぼうだし、ほんとにひどいけど···)
(でも、どんなときでも加賀さんなりの方法で、 “私だけが加賀さんの女” だって伝えてくれる)

その気持ちを信じていられるなら、きっとこれから先もやっていける。

(もっともっと、強くなりたい。公安刑事として···それに、女としても)
(何があっても、『私だけが加賀さんの女だ』って胸を張って言えるように)

加賀さんの愛を全身で受け止めながら、改めてそう誓うのだった。

Happy End



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