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エピソード0 加賀6話

【ラーメン屋台】

気が付くと、難波室長の言葉に耳を傾けていた。

難波
とりあえず、ほら

加賀
···なんですか

難波
これに名前書いとけ。推薦者は俺だ

異動願いの書類を差し出され、それをじっと眺める。
ペンも渡されたが、まだそこに名前を書くのは躊躇われた。

難波
こっちに来れば、いろいろ調べられる
あの爆破テロのことも、お前が刑事になった “理由” も

それは暗に、親父のことを言っているらしい。

難波
お前が何をしても、俺は関与しねぇ
仕事さえきっちりこなしてくれればいい

加賀
···俺を、救ってくれるっていうのか

フッと、難波室長が笑った。

難波
そういうのは柄じゃねぇ。お前もそうだろ
なんでもいいから、さっさとその辛気臭ぇ顔を捨てて這い上がってこい

加賀
······

難波
お前自身が決断しなきゃ、何も始まらねぇよ

(···何も始まらない、か)
(どのみち今の状況じゃ、始まりも終わりもねぇ)

書類を眺め、心を決める。

加賀
···よろしくお願いします

難波
おっ、意外と上下関係を気にするタチか?

加賀
······

(···そんなんじゃねぇ)
(だが···)

難波
お前自身が決断しなきゃ、何も始まらねぇよ

その言葉に、共感しただけだ。
書類に自分で名前を書き、俺は未来を選んだ。

【教官室】

数年後、新設された “公安刑事養成学校” に呼び出された。

加賀
公安捜査員を育成するなんざ、またずいぶんな施設ですね

難波
この学校のことは、世間には知られてねぇ
警察の中でも、今のところ知らされてるのは一部の人間だけだ

真新しい校舎の “教官室” と書かれた部屋で、室長と対峙する。
ここに呼ばれた理由が、いまだはっきりしない。

加賀
回りくどいやり方は苦手なんですが

難波
ああ、そうだよな。悪かった
この学校は春から機能する。全国から選りすぐりのエリートたちが集まる
お前には、ここで教官をやってほしい

加賀
···教官?
また急な話ですね

難波
ハハ、長官直々のご指名だから拒否権はないも同じだ
それにお前に時間をかけて打診したって逃げられるだけだろ

加賀
······

難波
もちろん、現場から遠ざかるわけじゃねぇ。いや、多少は抱える案件は減るけどな
でも、これまで通りお前がやりたいようにやってくれていい

加賀
そのかわり、教官を引き受けろと

難波
別にそういうつもりじゃねぇよ。ただな···
そろそろ、第二のお前を育てるのもいいんじゃねぇか?

出会ったときから、その人の本音は見えない。
それでも恩義は感じているし、何より仕事面では誰より信用していた。

加賀
俺のしごきについてこれる奴がいますか

難波
おいおい、最初から全力でいくなよ。全員辞めたらどうすんだ
まあ、俺の希望としてはお前くらい仕事が出来て
もうちょっと物腰が柔らかい奴がいれば、言うことなしなんだけどねぇ

加賀
気色悪ぃでしょう。そんな奴

俺の言葉に苦笑しながら、室長が煙草を取り出す。
目配せされたので、遠慮せず俺も自分の煙草に火を点けた。

難波
それでなぁ、まだお前に言ってないことが···
っと···悪い、電話だ

携帯を取り出して、室長が教官室を出ていく。
だがその直後、誰かが戸口に立った。

石神
失礼します

加賀
······

(···この声は)

耳馴染みのある声に、振り返る気にもなれない。
すると、現れた男がわざとらしい咳払いをした。

(変わらねぇ嫌味野郎だな)

加賀
···久しぶりだな、クソ眼鏡

石神
···ここで貴様と会うことになるとはな

値踏みするような石神の視線が、俺の胸ポケットに辿り着く。
同じように奴の胸元を見ると、そこには同じ万年筆が挿してあった。

加賀
···チッ。胸糞悪い

石神
それはこちらの台詞だ

加賀
テメェのその物言い、変わってねぇな
頭でっかちの眼鏡に、指導官が務まんのか?

昔のようにやりあっていると、室長が飄々とした様子で戻ってくる。

難波
さっそく賑やかだな。いや~、お前らを呼んだのは正解だった
確か同期だろ?警察大学校の寮でも同室だったらしいじゃねぇか

石神
私の人生の中で最大の汚点です

加賀
上等だ。表出ろ

石神
そうやってすぐ力でねじ伏せようとする性格は、相変わらずか
人間は年を取れば丸くなると言うが、お前は一生変わらないだろうな

加賀
お前こそ、相変わらず頭でっかちじゃねぇか

難波
ははは、いいぞー。お前らみたいな水と油の奴らがいるのは面白い
いや、磁石のS極とN極とも言えるか
ま、訓練生たちにもいい刺激になるだろ

加賀・石神
「······」

(よりにもよって、クソ真面目眼鏡と一緒とはな···)
(···退屈しねぇ毎日になりそうだ)

こうして、俺の教官としての生活が始まった――――

【加賀マンション】

サトコ
「···さん」
「加賀さん?まだ寝ないんですか?」

風呂から上がってきたサトコが、控えめに声をかけてくる。
俺が見ていたパソコンの画面には、あの爆破テロの資料が表示されていた。

(いっちょ前に、気遣ったか)

邪魔をしないようにと、小声で話しかけてきたのだろう。
振り返ると、その髪はまだ少し濡れていた。

サトコ
「その資料、あの爆破テロのですね」

加賀
···ああ

サトコ
「何か分かりましたか?浜口さんのこととか」

加賀
あれ以上、あいつが関わってることはねぇ
結局、あいつも利用されただけだからな

爆破テロが起きる直前の、浜口からの無線。
あのときにはもう、浜口は松田に情報を流していたことになる。

(あいつはあのとき、松田が真犯人だってことに気付いたんじゃねぇのか···)
(だから最後に、俺にそれを伝えようとした···)

だが爆発が起き、それもできなくなった。

浜口鉄郎
『悪い、加賀···もしかしたら···』

あの謝罪は、自分が松田に情報を流していたことだったのかもしれない。

(バカ正直で、刑事には向いてねぇ)
(そんなあいつが、情報を流したなんて重大なことを墓まで持っていけるはずもねぇ)

結局俺はあの後、査問会でお咎めなしとされた。
結果的には死者や被害を最小限に食い止めたところを評価され、手柄と出世を手に入れた。

(その分、“仲間殺し” の声は大きくなったが)
(だが実際、仲間を見殺しにして手柄を立てたのと一緒だ)

サトコ
「加賀さん、浜口さんのこと考えてます?」

加賀
あ?

サトコ
「加賀さんがそういう顔をするときって、昔の仲間のことを考えてるんですよ」
「···って、私が勝手に思ってるだけですけど」

加賀
···チッ

資料のファイルを閉じて、パソコンの電源を落とす。
立ち上がり、サトコの腰を抱き寄せた。

加賀
だったらどうした

サトコ
「えっ」

加賀
死んだ奴より、テメェのことを考えろってか

サトコ
「そ、そんなこと思いませんよ」
「浜口さんたちは、加賀さんの大事な仲間ですから」

加賀
······

(バカ正直で、刑事には向いてねぇ)
(なのに、犬みてぇに俺のあとをついてくる···どんな危険が待ってるとしても)

本当に、こいつと浜口はよく似ている。
柔らかいサトコの二の腕をつかみ、寝室のドアを開けた。

サトコ
「か、加賀さん?」

加賀
ご要望に応えて、じっくりかわいがってやる

サトコ
「そんなことしましたっけ···!?」

加賀
テメェの顔見りゃわかる

恥ずかしそうにうつむきながらも、サトコは黙ってついてくる。
出会った頃は、ラブホのベッドに押し倒しただけでキャンキャン喚いていたことを思い出した。

(そう思えば、よく躾けられたもんだな)
(···お前にだけは追いつかれねぇように、俺はこれからも前だけを見て走り続ける)

そして、サトコは必ずそのあとを必死に追ってくるだろう。
そう思うだけで、刑事課にいた頃には感じたことのない安心感や安らぎを覚える。
それが今の俺の、原動力の一つだった。

―――ただひとつ、未だ一部の人間にしか知られていない事実。
爆破テロ事件当日、記者会見の場で記者たちの携帯を一斉に鳴らしたあのハッカー···

(あのクソガキ、まさかあの頃から色々やらかしてたとはな)

でもこれは、また別の話···

Happy End

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