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Season3 プロローグ1話



「···別れよう」

彼の唇から零れ落ちた言葉を危うく拾い逃がすところだった。
どこか息の詰まるような音で発せられたひと言。
それは私の耳に流れ込み、重く、深く···沈んでいく。

(今、別れようって···?)
(待って、そんな···どうして···)

向けられた背中。
引き留めようと腕を伸ばしても、その手は虚しく空を切る。

(どうして···っ)

声さえも上手く出ない。
重苦しい空気に押しつぶされそうになり、大きく息を吸ったときだった――

【自室】

サトコ
「···っ!」

息苦しさから解放されたと思ったときには、目の前の景色も変わっていた。

サトコ
「夢···」

天井に伸ばしていた手を、パタッとシーツの上に落とす。
見慣れない真新しい天井。
ここは公安学校の寮を出た私の新居だった。

サトコ
「···嫌な夢」

先程の別離の宣告が夢だったと分かり、安心すると同時に嫌な汗が噴き出してくる。

(今日から正式に公安課に配属されることになる)
(その初日の朝に、こんな夢って···)

幸先が悪すぎるとため息を吐きながら、念のため、ベッドサイドに置いた携帯に手を伸ばした。

(うん、彼からの連絡はちゃんときてる)

短くとも彼らしいメッセージに、差し込む日差しと同じように心が温まる。

(あんな悪夢、きっと新しい環境への不安のせいだよね)
(こういう時は、さっさと気持ちを切り替える!)

物事の始まりには、多かれ少なかれ不安がつきまとうもの。
考えるより動くのみだと、顔を洗って出勤準備にとりかかることにした。

【電車】

久しぶりの通勤電車。
念には念を入れ、かなり早い時間に家を出たこともあり車内の混雑は、さほどでもなかった。

(今日から新しい生活が始まるんだ)
(前に、こんな緊張感を覚えたのは、確か···)

そう、あの時もこんなふうに、電車に揺られながら独特の緊張感に包まれていた。
公安学校の入学式の日。

(あの朝のことは、今でも鮮烈に覚えてる)
(教官たちとの、初めての出会いだったんだから···)

あの日は満員電車だった。
車内でスリを見つけ、取り押さえようとした時に男が暴れ出して――

ジャンパーの男
「どけぇ!!」

サトコ
「!」

突っ込んできた男に身構えた時だった。

後藤
素人が無理をするな

サトコ
「あ、え···あ、は、はい···」

(流れるような動きで一瞬で男を取り押さえてくれたのが、後藤教官だった)

そして――

石神
お怪我は?

サトコ
「私は大丈夫です」

石神
犯罪を見逃さない勇気は大切ですが、無理はいけません
怪我がなくて何よりです

(次に声をかけてくれたのが、石神教官···)
(あの時は教官として知る厳しさなんて、微塵も感じさせなかったよね)

それから――

加賀
クズの回収をしてる場合か

石神
車内で刃物を持ち出したんだ。仕方あるまい

加賀
コソ泥なんざ、正義感溢れる一般市民にでも任せておけばいい

石神
お前が抱えているものだけが事件ではない

加賀
俺が抱えてねぇ事件は事件とは呼べねーな。ただの茶番だ

石神
···好きに言っていろ

(···うん、出会ったときから、加賀教官の『クズ』聞いてたんだ)
(今思えば、あの頃から教官たちのやりとりって変わってなかったんだな···)

規則的な揺れに身を任せながら、過ぎた日々に思いを馳せる。

(あの時は、まさか盛りに盛られた経歴が出されてるとは思いもしなくて)
(彼と出会って、公安刑事としての在り方を教えられて···)

尊敬は信頼へ、信頼は慕情へ···最後に訪れたのは片思いという恋。

(まさか通じるなんて思ってもいなかった)
(教官への想いが···)

決して穏やかな日々ではなかったけれど、共に公安学校での時間を過ごしたという自覚はある。

(恋だけじゃない。彼の隣に立つ相棒になりたいと願うようになって···)

教官たちの指導ひとつひとつが胸に蘇ってくる。

後藤
氷川、大事なのは何を成すのか···だ。課程は関係ない

石神
もしまだ、無鉄砲に道を踏み外すようなことがあれば、ちゃんと俺が手を引いてやる

颯馬
一人前になるには、少々準備が必要になりますが
あなたはいい目をしています

東雲
刑事部は、基本事件が起きてからじゃないと動けない
けど、オレたちは事件を『未然に防ぐ』ことができる

加賀
さっさと追いついて来い
でなきゃ、いつまで経っても相棒不在だ

サトコ
「······」

思い出を潜り抜けたあとにあるのは不思議と穏やかな気持ちだった。
人はこれを自信と呼ぶのかもしれない。

(今日から、ひとりの公安刑事としてスタートラインに立てる)
(彼の背中がやっと見えたと言ってもいい距離···ここから始まるんだ!)

ただの緊張に心地よさが足され、期待に胸を膨らませた時
妙な違和感を覚え、私は視線を巡らせた。

(スマホ···?)

違和感の正体が、ずっとこちらに向けられているスマホだとわかる。
持ち主が画面を見るには、いささか不自然な角度に思えた。

(盗撮?考えられなくもないけど···)

画面は見えず、確認する術はない。
どうしたものかと考えていると、一瞬窓に反射したスマホの画面が映った。

to be continued

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