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エピローグ 黒澤3話

「家まで送り返す」--

そんな無茶苦茶な言い訳を、黒澤さんに納得させた結果···

黒澤
どうぞ。入ってください

サトコ
「···おじゃまします」

黒澤
適当に座っていてください。お茶でも淹れますんで

サトコ
「···ありがとうございます」
「······」
「·········」

(なんか今、めっちゃ冷静になりつつあるんですけど)
(もしかしなくても私、結構すごいこと口走ったような···)
(どう考えても、私から誘ったとしか···)
(いいけど···)
(そうなっても構わないから「外泊届」を出してきたわけだけど)

ただ、あの時引き返した「一番の理由」はそれじゃない。

(私が望んでいるのは「見えない壁」をどうにかすることで···)

黒澤
お待たせしました。今イチオシの『ブレンド緑茶』でーす
っていっても、ペットボトルのお茶を2種類混ぜただけなんですけど

サトコ
「そ、そうですか」
「ありがとうございます」

(どうしよう、どうやって切り出そう)
(いきなり本題に入る?)
(でも、今そういう雰囲気じゃないし···)

黒澤
これ、簡単そうに見えるけど、なかなか大変なんですよ?
『綾鷲』と『よっ、お茶!』を6:4でブレンドして···
さらに20回ほどシェイクして···

(となるとキッカケ?落語でいう「まくら」的な?)
(そういうの、まずは考えないと···)

黒澤
···このあと、どうします?

サトコ
「えっ」

黒澤
せっかく、外泊届まで出してきてくれたってことは···
今日は『泊まっていく』ってことですよね?

(そ、そんな、どストレートに···)

黒澤
あれ、違いました?

サトコ
「い、いえ!違いません!」

黒澤
わかりました。じゃあ···
トランプでもしましょうか

(えっ?)

黒澤
何がいいかなー
ふたりで『ババ抜き』だとすぐに終わっちゃうし
となると『神経衰弱』『ポーカー』···あとは···

サトコ
「ま、待ってください!」

(マズいよ、トランプは)
(ますますそいういう雰囲気じゃなくなっちゃう)

黒澤
···あの?

(もっと、こう···落ち着いた雰囲気になるものを···)

ふと、棚に置いてあったカメラに目がいった。

(これだ!)

サトコ
「写真!」

黒澤
はい?

サトコ
「今日の写真、見せてもらってもいいですか?」

黒澤
これは、電車に乗っているときのサトコさんですね

サトコ
「······」

黒澤
これは、改札で転びかけて照れ笑いしているサトコさんで
こっちはカフェに向かっている途中
たしか、野良猫に気を取られていたような···

(···失敗した)
(これ、けっこう恥ずかしいんですけど)

なにせ、自分のスナップ写真を延々と見させられているのだ。
いたたまれないこと、この上ない。

サトコ
「·········あの」
「いつの間に、こんなに写真を撮っていたんですか?」

黒澤
えーそれは企業秘密ですよー
教えたら、次から撮らせてくれなくなるじゃないですか

(えっ)

サトコ
「次も撮るんですか!?」

黒澤
もちろんですよー
好きな人の写真、いっぱい残したいじゃないですから

(そ、そう言われると、拒否しにくいというか···)

黒澤
あっ、これこれ!オレのお気に入りなんですよ
ジャンボパフェを頬張ってるサトコさん

サトコ
「!!」

黒澤
いいですよねー、『食いしん坊バンザイ』って感じで···

サトコ
「これはダメです!消去してください!」

黒澤
イヤですよ。可愛いじゃないですか

サトコ
「その『可愛い』って、ペットとかに対するものですよね?」
「『ペットのブサ顔が可愛い』的な···」

黒澤
まあまあ
そうじゃない写真も、ちゃんとありますから

(否定しないし!)

黒澤
ええと······
これじゃないし···これでもないし···これも違うし······

(しかも「そうじゃない写真」、めちゃくちゃ少ないっぽい···)

黒澤
あ、ほら!
ありましたよ、見てください

(あ······)

それは、東京タワーに行った時のものだった。
たぶん、着いてすぐに景色を眺めていた時のもので···

黒澤
ね、これ、きれいでしょう?
この、少し唇を開いている感じとか···

サトコ
「······」

黒澤
あと、立ち姿かな
サトコさん、普段も割と姿勢がいいから

とくん、とくん、と鼓動がうるさい。
黒澤さんの目に映っている「自分」を、これでもかと意識させられて。

黒澤
他にも、好きな写真ありますよ
見たいですか?

サトコ
「······いえ」

黒澤
どうして?

(「どうして」って···)

気恥ずかしくなって、目を逸らす。
黒澤さんが笑ったのが、気配で伝わってきた。

黒澤
意外とすぐ照れますよね、サトコさんって

サトコ
「······」

黒澤
こういう顔は、撮るのNGでしたっけ?

サトコ
「ダメです···NGです···」

黒澤
じゃあ、また···
心のフォルダに保存しておかないと

包み込むように手を重ねられる。
お互いの距離は、さっきよりも明らかに近い。

(今、顔を上げたら···)
(きっと、もっと縮まるはず···)

そうなることを望んでいないわけじゃない。
それなのに、わずかに残るこの苦味はなんなのか。

(好きだ。この人のことが)
(どういうようもなく好きで、だから···)
(だから、私は······)

黒澤
······なーんて

(え···)

黒澤
ごめんなさい。距離、近すぎましたよね
うっかりうっかり

熱が、すっと離れた。
驚いて顔を上げると、黒澤さんが苦笑いしていた。

黒澤
大丈夫です。そんな顔しなくても
時間をかける覚悟、できていますから

(それって、あのときの···)

頭を過ったのは、初めて告白されたときのことだ。
この部屋で、黒澤さんが伝えてくれた言葉。

ーー『時間をかけて、信じさせてみせますから』
ーー『好きです。サトコさんのことが』

(違う···そこは理解できてる···)

「言葉」で、「行い」で、「写真」で、黒澤さんは伝えようとしてくれてたから。

(それでも迷ったのは···)
(心が揺れてしまったのは···)

黒澤
せっかくだから違う写真も見せちゃおっかなー
最新版の、激レア石神さんグラビア集······

サトコ
「黒澤さん」

今度は、私の方から黒澤さんの手を掴んだ。

サトコ
「教えてください」
「お父さんのこと、どうするつもりですか」

黒澤
······

サトコ
「本当に、黒澤さんのなかで『一段落』したんですか?」

緊張のあまり、声が震えた。
それでも、視線だけは外さないように真っ直ぐぶつけた。

サトコ
「もし、そうだとしたら」
「この間の合コンはなんのためですか」
「ただの気分転換ですか?」

黒澤
······あれは······

(あれは?)

黒澤
······

鼓動がうるさい。
沈黙が続くからこそ、耳に響いてどうしようもなく痛い。
それでも手を離せなかった。
今、退いたら、いつか「見えない壁」に負けてしまう気がした。

(嫌だ、そんなの)

好きだから。
どうしようもなく、好きだから。

(負けるなんて、絶対に嫌だ)

やがて、黒澤さんは息を吐き出した。
張り詰めていた空気が、それで一気に緩んだように思えた。

黒澤
黙秘権を、行使しても?

サトコ
「構いません。ただ···」
「行使する理由を知りたいです」

黒澤
······

サトコ
「誰にだって話せないことはあります」
「それを無理に暴きたいわけじゃないんです」

黒澤
······

サトコ
「ただ、理由がわからないまま、壁を作られるのはイヤです」
「笑顔で誤魔化されて、拒絶されるのは······正直辛いです」

黒澤
······そう···ですよね

黒澤さんの目が揺れていた。
まるで心の迷いを映し出しているかのようだった。

黒澤
ごめんなさい。アナタを拒絶しているつもりはないんです
ただ、なんていうか···
自分でも、よくわからないんです
アナタには、オレから少し離れた場所で笑っていてほしいのか
それとも、オレの勝手な事情に引きずり込んで
一緒にもがいてほしいのか

サトコ
「······」

黒澤
怒りも、憤りも、長く抱えるのは辛いです
まるで底なし沼のように、どんどん沈んで身動きが取れなくなる

サトコ
「······」

黒澤
だから、迷っています
そこにアナタを引きずり込むのは、あまりにも勝手なオレの···

サトコ
「引きずり込んでください」

黒澤

サトコ
「もがくのも構わないです。私でよければ」

(だけど···)

サトコ
「離れた場所で笑っているのは無理です」
「もう知っちゃいましたから。黒澤さんの心を」

拘束していた手を放し、少しかさついている両頬を包み込んだ。
黒澤さんの顔が、笑うことに失敗したようにひどく歪んだ。

黒澤
そうでしたね。すでに巻き込んでいるんでした
オレの手で、アナタを

ようやく視線が合った。
薄く開いた唇から洩れたのは、かすれたような声だった。

黒澤
······キス、しても?

答える代わりに、唇を触れ合わせた。
黒澤さんの身体が、わずかに震えたのがわかった。

黒澤
サトコさん

やがて、静かな望みが耳に届いた。
少しだけ速い鼓動とともに。

黒澤
アナタを···
抱いても、いいですか?

天井の照明が落とされ、部屋は控えめな光に包まれた。
それだけで、夜の気配が濃密になったような気がした。

黒澤
この服、可愛いですね
シャツワンピっていうんでしたっけ

器用そうに見える指先が、ひとつずつボタンを外していく。
意外と時間がかかっているのは、たぶんボタンが小さいせいだ。

サトコ
「すみません。その···」
「手間かけさせてしまって」

黒澤
いえ。ちょうどいいです
できるだけ時間をかけたかったから

(時間を?)

最後の一つまで丁寧にボタンを外して、黒澤んは肩に手をかけた。

黒澤
···いいんですよね、本当に

最終確認のように訊ねられて、こくんと頷いた。
それなのに、黒澤さんはなかなか手を動かそうとしない。

サトコ
「···あの?」

黒澤
ごめんなさい。少し怖いんです
サトコさん、なんだかんだ言って優しいから
オレが望んだこと、すべて応じてくれそうで

サトコ
「そんなこと···」

黒澤
でも、初めてキスしたとき、震えていたでしょう?

(あれは···)
(あのときは、たんに緊張していただけで···)

黒澤
それに今日うちに来た時も···
部屋にあがってから、後悔していたみたいだったし

サトコ
「!」

黒澤
だから、一晩中トランプしようって思ってたのに
結局こんなことになってしまって

(黒澤さん···)

自嘲するような笑みを見て、ようやく気が付いた。
この人はこの人で、きっと不安だったのだ。

(ああ、これも「知らなかった顔」だ)
(初めて見せてもらった、黒澤さんの···)

サトコ
「大丈夫です。後悔しません」

黒澤
······

サトコ
「黒澤さんが好きです」
「約束していないのに外泊届を出してきたくらい、好きです」

黒澤
······

サトコ
「キスだって、さっきは震えていなかったはずです」

肩に置かれたままの手に、自分の手を重ねて···
シャツワンピを滑り落した。

サトコ
「脱いでください。黒澤さんも」

黒澤
······

サトコ
「それとも、私が脱がせますか?」

黒澤
······いえ

ようやく、黒澤さんはホッとしたように笑って···
身に着けていたものを、すべて脱ぎ捨てた。

(あ···)

最初に目を奪われたのは、日焼けしていない背中だった。
それから、肩甲骨。
薄くついた筋肉。
そしてーー

サトコ
「それ···」

黒澤
え?

サトコ
「そのペンダント···」

記憶の中で、何度もちらついていたもの。
指輪にチェーンを通した、シンプルな形状の···

黒澤
ああ、これ···
結婚指輪です。母の

(お母さんの?)

黒澤
父が亡くなって、兄と形見分けした時にもらったんです
母は、この指輪を大事にしていましたから

(じゃあ···)

サトコ
「それを、握ってたんですね」

黒澤
え?

サトコ
「黒澤さん、ときどき胸元を握るじゃないですか」
「ずっと、胸が苦しいのかなって思ってたんですけど」

黒澤
オレが?胸元を?

サトコ
「はい」

(あれ、まさか···)

サトコ
「気付いてませんでした?たまにシャツの上から握ってますよ」
「こんなふうにギュウって···」

黒澤
······
本当に?

サトコ
「······はい」

きまずそうにうつむく彼から、嘘の気配は感じられない。
つまり、本当にあれは無意識の行動で···

(それだけ大事なものなんだ)
(何かあった時、心のよすがにしてしまうような···)

黒澤
···まいったな
なんかオレ、格好悪いですよね
この年にもなって、親離れできていないみたいで

サトコ
「いえ、そんなことは···」

黒澤
ですが······
···
やっぱり外します。この指輪

サトコ
「えっ。いいですよ、そのままで···」

黒澤
でも、外さないと痛いかも

黒澤
こういう態勢で動いたときに
アナタにぶつかって

(···な、なるほど)

黒澤
それに、ぶっちゃけますけど···
オレ、今日気遣いできる自信ないです
アナタに···
火を点けられてしまったから

冗談めかした口調に、甘やかな色が滲んでいる。
それだけで、体温がグッと上がったような気がした。

サトコ
「じゃあ、あの···」
「外しましょうか!『危険防止』ってことで」

黒澤
ええ

いったん離れた熱が、再び私の上に戻ってくる。
優しく髪をなでられて、こめかみにそっと口づけされた。

黒澤
···ごめんなさい
アナタのこと、壊してしまったら

冗談めかしたお詫びには、できる限りの笑顔を向けて···

サトコ
「大丈夫です」
「そんなにヤワじゃないです、私」

(そうだ、絶対に壊れたりなんかしない)
(これから先、黒澤さんがどんな道を選んだとしても)

ペンダントのなくなった首に手を回した。
引き寄せ、吐息を交わし、深いキスを何度も繰り返した。

(ああ、ほんとだ)
(ちょっと···前より荒いかも···)

でも、怖くない。
不思議と不安な気持ちはない。むしろ···

サトコ
「大丈夫···」

黒澤
え···

サトコ
「大丈夫···ですから···」

黒澤
······はい

祈るような気持で、彼を受け止めた。
その厳しさも、不安定さも、確かな重みもすべて。

黒澤
サトコ···さん···

泣きそうな声が、耳を掠めて消えた。
濡れた首筋からは、初めての夜より強い汗のにおいがした。



そして、翌日ーー

サトコ
「ん···」

(あれ···ここって······)

サトコ
「!!」

(そうだ、私···)
(黒澤さんの家にお泊りして···)

???
「おはようございまーす」

サトコ
「ひゃっ」

(背筋!指でなぞるとか···っ)

もちろん、そんなイタズラができるのはひとりしかいない。

サトコ
「なにするんですか、もう!」

黒澤
だって、ようやく起きたみたいだったから
サトコさんとイチャイチャしたいなーって

(イチャイチャって···)

サトコ
「しません。そんなこと」

黒澤
どうしてですか?しましょうよ、イチャイチャ

サトコ
「······」

黒澤
まずは『愛のあいさつ』ってことで···
おはようのキス、してもいいですか?

(また、そんなこと···)

サトコ
「いちいち聞かないでください」

黒澤
なにがですか?

サトコ
「キ···」

黒澤
『キ』?

サトコ
「キスの許可、とか···」

黒澤
そうですねー。でも···
こう言うと、サトコさんからキスしてくれるじゃないですか

サトコ
「!」

(それって、昨日の!)

黒澤
んー、早くー
サトコさん、キスー

サトコ
「し、知りません、そんなの」
「したいなら、黒澤さんの方から···」

黒澤
あ、なんか物足りないなぁ、その呼び方

(え?)

黒澤
他人行儀じゃないですか
付き合ってるのに『黒澤さん』って

(······たしかに)

サトコ
「じゃあ、なんて呼べばいいですか?」

黒澤
そうですねぇ、親しい感じ希望なんで···
『とおるん』で☆

(···「とおるん」?)
(と・お・る・ん?)

黒澤
あれ、フリーズしちゃいました?
もしもーし、もしもーし···

サトコ
「大丈夫です、起動しています。それより···」
「せめて『透さん』とかにしてほしいんですけど」

黒澤
うーん···『透さん』かー
もう一声!

(そう言われても···)

黒澤
ほら、オレたち、同じ年ですから
『透さん』というよりは?

サトコ
「······『透くん』?」

黒澤
ハイ、採用!

(あ、いいんだ「透くん」で)
(そっか、「透くん」か···)
(透くん···透くん······)

サトコ
「あ、でも学校では『黒澤さん』って呼ばせてください」

黒澤
ええっ、どうしてですか!?
いいじゃないですか、学校でも『透くん』で

サトコ
「ダメですよ!黒さ······」
「透くんは、公安刑事としては先輩ですし」
「そのあたりはちゃんとしておかないと」

黒澤
はぁぁ···『ちゃんと』って···
さすが、石神さんの補佐官ですよねー

(いや、そこは関係ないような···)

黒澤
わかりました。了解です
今後は、そういう『プレイ』ってことで楽しみます

(プレイ?)

黒澤
本当は付き合ってるのに、職場では『先輩・後輩』のふりをする···
名付けて『上下関係プレイ』!
いいですねー、燃えますねー

(···そうかな。いまいちピンとこないけど)

黒澤
あー、でもそれなら『黒澤先輩』のほうが燃えそうですよねー
公安期待の新星『サトコさん』と、他人行儀な『黒澤先輩』···
けれども、夜になるとふたりは···
キャーー!

いきなり、勢いよく抱きつかれた。
それこそ、大型犬がじゃれてくるみたいに。

サトコ
「ちょ···苦し···っ」
「もっと、腕、ゆるめて···っ」

黒澤
ダメです。夜のふたりは恋人同士です

サトコ
「今は朝です!もう10時です!」

私を腕の中に囲い込んで、笑っている···
そんな彼の、別の顔を知っている。
怒り、苦しみ、やるせなさ···
様々な表情を、この数ヶ月で目にしてきた。

(でも、きっとまだ私の知らない顔がある)
(とても怖がりで、慎重な人だから···)

今は、それでいい。
ゆっくり時間をかけて、すべてを見せてくれたら。

サトコ
「透くん···」

「通常営業」の笑顔を浮かべている彼の頬を、私は両手で包み込んだ。
少し前のリクエストに、応えるために。
今日最初の「愛のあいさつ」をするために。

Happy End

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