颯馬
「ここのメニューは、どれもおすすめですよ」
一番奥の席に座った後、颯馬さんがメニューを見せてくれた。
盆栽カフェというだけあり、メニューのほとんどが和風テイストだ。
颯馬
「サトコなら、この白玉あんみつが好きかもしれません」
颯馬さんは私の隣の席に移動して、一緒にメニューを覗き込む。
サトコ
「颯馬さん‥!?」
颯馬
「さあ、早く決めないと」
サトコ
「そ、それなら颯馬さんのおすすめの白玉あんみつにします!」
優しく微笑んだ颯馬さんが私の顔を見つめる。
そして‥
チュッ
突然、私の頬に颯馬さんがキスしてきた。
サトコ
「そ、颯馬さん‥!?」
颯馬
「フフ、顔が赤いですよ?」
サトコ
「それは、颯馬さんが頬にキスなんてしてくるからです‥!」
颯馬
「‥サトコにプレゼントです」
颯馬さんはにっこりと人差し指で自分の唇を指さしながら、悪びれる様子もなく答えてくる。
サトコ
「ま、周りに人もいるのに‥!」
颯馬
「構いませんよ。私は見られて困るようなことはしていないつもりなので」
颯馬さんはそう言うと、機嫌よさそうにメニューに視線を落とした。
(周りの視線も気にしないで、堂々とキスしてくれた‥)
(‥ちょっと恥ずかしいけど、それ以上に嬉しい、かな)
颯馬さんを見ながら、私は幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
盆栽カフェで数時間過ごした後、私は寮まで送ってもらった。
(颯馬さんを喜ばせることには成功したけど、次はもっと驚かせたいな‥)
(‥うーん、でも盆栽カフェに行っていたなら、盆栽系で驚かせるのは無理かも?)
そんなことを考えていると、前から東雲教官と加賀教官が歩いて来る姿が見えた。
サトコ
「加賀教官、東雲教官、お疲れ様です」
東雲
「お疲れ。ふーん、今日はデートだったんだ」
サトコ
「えっ!?」
(‥もしかして、見られてた?)
嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
サトコ
「あの、私は‥」
東雲
「あぁ、別にみてたとかじゃないから。オレもそこまで暇じゃないし」
サトコ
「そ、そうですよね‥」
東雲
「いつもと雰囲気違うし、服装見ればだいたいわかるでしょ」
サトコ
「そういうものですか?」
加賀
「まぁ、洒落込んでもテメェはガキくせぇけどな」
サトコ
「うっ」
加賀
「色気でも出してみろよ。まぁ、クズにはそんなもんないだろうがな」
サトコ
「私だって、少しくらいは‥絞り出せば、ある‥はずです!」
東雲
「そんなんじゃ『彼氏』ができても、すぐに飽きられちゃうんじゃない?」
(‥飽きられる!?)
(颯馬さんも、大人っぽい方が好きなのかな‥?)
でも、前にデートで私がヒールを履いて、迷惑かけちゃったしな‥
東雲
「まぁ、服装は無理でもメイクを変えるとかそういう方法もあると思うけど」
加賀
「くだらねぇ、さっさと行くぞ」
東雲
「せいぜい飽きられないよう、頑張ってね」
サトコ
「うっ‥」
加賀教官と東雲教官はそれだけ言うと、そのまま私の横を通り過ぎて行った。
(服装が無理ならメイク、か。試してみる価値はあるかも‥!)
鳴子
「え?メイクについて?」
ひとりで色々と練習してみたけど、うまくいかず、結局私は鳴子に相談していた。
もちろん、颯馬さんのことは伏せて‥だけど。
鳴子
「いきなり大人っぽいメイクの仕方を教えてって言われてもねー」
「そういうのって人それぞれだと思うんだけど‥」
サトコ
「全部教えてほしいわけじゃなくて、ヒントになるようなことでも‥」
鳴子
「だったら、グロスとかどう?」
「ちょうどこの前買ったグロス持ってるし、サトコもつけてみる?」
そう言いながら、鳴子は化粧ポーチからグロスを取り出した。
(私には少し派手な色のような‥)
(でも、こういう色の方が大人っぽいってことなのかな?)
鳴子
「サトコ?」
サトコ
「あっ、ううん、なんでもない!せっかくだから使ってみてもいい?」
鳴子
「いいよー♪」
早速、鳴子に借りたグロスを塗ってみる。
鳴子
「お、似合うじゃん!他の色もあるし、今度一緒に買いに行こうよ♪」
サトコ
「ありがとう!あ、そろそろ資料室に行かなきゃ」
鳴子
「颯馬教官の手伝い?」
サトコ
「うん、資料作成の手伝いをしてほしいって頼まれてるんだ」
鳴子
「わかった。頑張ってね!」
鳴子は手を振りながら私を見送ってくれる。
(‥颯馬さん、このグロスのことどう思うかな?)
(少しは大人っぽい、色っぽいって思ってくれるかな?)
そんな期待を抱きながら、私は資料室への道を急いだ。
慌てて資料室のドアを開けると、颯馬さんはもう来ていた。
サトコ
「すみません。少し遅れてしまいました‥!」
颯馬
「そんなに慌てなくても構いませんよ」
私を見た時、颯馬さんの動きが一瞬止まった気がした。
(あ、グロスに気づいてくれたのかな?)
ドキドキしながら、私は資料作成に必要な本を棚から取り出す。
颯馬
「‥‥‥」
すると、颯馬教官はそのまま私に近づいてくる。
颯馬さんの顔が間近で、私の心臓はバクバクと早鐘を打っていた。
サトコ
「あ、あの、颯馬教官‥?」
颯馬
「唇‥」
サトコ
「え?」
颯馬
「学校に、こういうものを付けて来てはいけませんよ?」
颯馬さんはいつもの優しい笑顔を浮かべながら、私の唇に触れてくる。
サトコ
「あっ、す、すみません‥」
颯馬さんにドキッとしてもらいたい気持ちで塗ったグロスだったけど‥
場所をわきまえるべきだったと、今更ながら後悔した。
(‥空回りしちゃった、ちょっと焦り過ぎちゃったのかな)
それから、私は気分が晴れないまま資料作成の手伝いをしていた。
あれから数日が経ち、明日は待ちに待った颯馬さんの休日。
サトコ
「‥結局、このグロス買っちゃった」
鳴子とふたりで買い物に行き、すすめられるままにグロスを買ってしまった。
サトコ
「鳴子は似合うって言ってくれたけど、派手じゃないかなぁ‥」
グロスの色は明るい赤系のもの。
普段の私なら、あまり付けようとは思わない色だからどうしても不安になってしまう。
サトコ
「はぁ‥」
小さなため息をついた時、携帯電話が着信を知らせてくる。
画面には『颯馬教官』と表示されていた。
サトコ
「もしもし‥!」
颯馬
『こんばんは、夜分に申し訳ありません』
『明日の件で電話をしたんですけど、今は大丈夫ですか?』
サトコ
「はい」
颯馬
『よかった。明日なんですけど、私の家に来てもらえませんか?』
サトコ
「わかりました。時間は‥はい、お昼頃ですね」
「明日、楽しみにしてます。おやすみなさい」
颯馬さんからの電話に、私は今までの不安な気持ちなど吹き飛んでしまう。
(明日はおうちデートなのかな?)
(おうちデートなら、このグロス付けて行こう‥!)
休日だから、学校を理由に咎められることはないはず。
今度こそ、颯馬さんの感想が聞けるかもしれない、と思うと沈んでいた心が急に弾みだした。
(早く明日にならないかな)
うきうきした気持ちを抱えたまま、私は眠りについた。
サトコ
「お邪魔します!」
「颯馬さんのおうちにお邪魔するのって、久しぶりですね」
颯馬
「そうですね‥」
「おや?今日も何だか雰囲気が違いますね」
じっ、と私を見つめながら颯馬さんが話しかけてくる。
(あ、気づいてもらえたのかな?)
今日のメイクは自分なりに大人っぽさを意識して頑張ってみたんだけど‥
だからこれで颯馬さんが喜んでくれるのなら嬉しいな。
颯馬
「こんなリップを付けなくても、サトコはそのままでいいんですよ」
学校でしたように、颯馬さんが私の唇に触れながら言葉を紡ぐ。
サトコ
「え?」
颯馬
「私が好きになったのは、ありのままのサトコなんですよ」
「だから、無理に背伸びをしたメイクも服装も必要ないんです」
颯馬さんはそう言うと、まるでグロスを取るように私の唇にキスを落とす。
颯馬
「‥さすがに化粧品はおいしくないですね。薬品っぽいというか‥」
サトコ
「ふふ、そうですね。何か飲み物を取ってきますね」
そう言って立ち上がろうとしたけど、颯馬さんがそれを阻むように私の手首を掴んできた。
サトコ
「‥颯馬さん?」
颯馬
「口直しは別のものでさせて頂きますから、今はここに座っていてください」
サトコ
「は、はい‥」
颯馬さんの言葉に、私は再び元の場所に座る。
サトコ
「あの、颯馬さんは気づいていたんですね‥」
「私が無理に大人っぽいメイクをしようとしていたって‥」
颯馬
「ええ、貴女のことを一番知っているのは私ですから」
「貴女の良さは、そのピュアなところです」
「だから無理して色気を出さないで、私の好きな貴女で居続けてください」
サトコ
「‥っ、は、はい‥!」
「‥空回りしちゃいましたね」
颯馬
「そんなことないです。それだけ私の事を考えてくれた証ですから」
サトコ
「もしかして、そのことを言うためにおうちデートにしたんですか?」
颯馬
「いえ、実はサトコに見せたいものがあるんです」
サトコ
「見せたいもの‥?」
颯馬さんはそう言って、花が咲いた盆栽の鉢植えを見せてくれた。
サトコ
「可愛い‥!」
颯馬
「ソメイヨシノの盆栽です。サトコにぴったりの花言葉だと思いまして‥」
サトコ
「花言葉‥?」
颯馬
「ソメイヨシノの花言葉は『純潔』です」
「貴女が純潔だからこそ、この花も花言葉も似合うんです」
サトコ
「純潔‥」
颯馬
「穢れなく、心が清らかなこと‥」
「清純、まさにサトコにぴったりでしょう?」
サトコ
「そ、そんなふうに言われると、照れちゃいます‥」
「‥それに、颯馬さんは大人っぽい女性が好きなんじゃないんですか?」
颯馬
「勘違いしないでください。私は貴女が好きなんですよ?」
「‥貴女の色っぽいところは、俺だけが知っていればいい」
「それとも‥他の男に見せるつもり?」
サトコ
「‥っ」
突然、口調の変わった颯馬さんにドキッと胸が高鳴る。
そして、私は否定するように勢いよく首を振った。
颯馬
「フフフ、それでいいんですよ」
「サトコの色っぽいところ、仕草、それらはすべて私だけのものです」
「それに、まだ貴女は完全に俺色に染まっていない」
サトコ
「‥色?」
颯馬
「盆栽のように、長く、じっくり手をかけて俺色に染める‥」
「これが俺の目標ですよ。どんな盆栽を育てるよりも、楽しみなんです」
にっこりと微笑まれて、私はポッと頬に熱が集まるのを感じていた。
颯馬
「このソメイヨシノも、私が育てた中ではかなりの力作なのですけど‥」
「サトコはどんな色に染まるんでしょうね」
颯馬さんは私の頬に手を寄せ、微笑みながら呟く。
颯馬
「俺が一番手をかけて育ててるのだから、きっと美しい花を咲かせるはず‥」
「‥いつ、花が開くのか楽しみです。見るのも、育てるのも‥ね?」
そう言って、颯馬さんはゆっくりと顔を近づけてきた。
(あ、キス‥)
私も瞳を閉じて、颯馬さんの唇を待つ。
視界が完全に真っ暗になる前、可愛くて綺麗なピンク色の花が目に入った。
(私も、いつかあんなふうに花を咲かせられるのかな‥)
そう思った時、唇に優しい温もりが触れた。
(‥なんか、盆栽の気持ちが分かるような気がする)
盆栽を育てるのは愛情だと聞いたことがあるけれど、あれは本当なのかもしれない。
唇に触れる熱、愛おしそうに呼ばれる名前、それらを受けて私は育っていく。
いつか、颯馬さんの手によって花開くその時までずっと‥
Happy End
【管理人のツッコミ】
だから選択肢は!?www