エピソード 10.5
「恋する気持ちとメガネとプリン」
???
「‥サトコ」
(ん‥?)
(誰か呼んでる‥?)
???
「おい、サトコ‥」
(何‥?)
優しい声が私を呼んでいるけれど、頭を撫でる手が心地よくて瞼が上がらない。
???
「サトコ」
サトコ
「‥?」
目が覚めると、そこは資料室だった。
(あれ‥自習しながら寝ちゃったのかな)
石神
「サトコ」
サトコ
「い、石神教官‥!」
(って、あれ?)
(え、今“サトコ”って言った‥!?)
当然のように隣に座り、私の顔を覗き込んでいる。
石神
「こんなところで寝る奴があるか」
サトコ
「す、すみません‥」
石神
「まったく、風邪引くぞ」
サトコ
「!」
(な、なな何事‥!?)
どういうわけか、愛おしげに細められた目と、髪に伸びてくる指先。
身構えていると、スッとメガネを外して机の上に置かれる。
サトコ
「い、石神教官!?」
石神
「なんだ」
サトコ
「か、顔近くないですか」
石神
「これでも遠いくらいだが」
サトコ
「い、いつもと違いません‥?」
石神
「メガネを外したからじゃないか‥?」
頬に手を添えられて、傾いた顔が迫ってくる。
20センチ‥10センチ‥
(も、もう無理‥)
目を閉じかける頃には、5センチにも満たない距離。
サトコ
「ん‥」
肩を揺らされて目が覚める。
(ああ、やっぱり夢だったんだ‥)
(そりゃそうだよね。石神教官があんなことするわけないし‥)
石神
「いい身分だな」
サトコ
「へ‥」
夢の中で聞いていた声が、すぐそばから聞こえる。
ギギギ‥と音でもしそうな、ぎこちなさで右側に顔を向けると、怪訝そうな顔をした石神教官がいた。
サトコ
「わわわ‥!出た‥!」
石神
「教官に向かってその態度は何だ」
サトコ
「す、すすすすみません!」
石神
「まったく‥気を抜いていないか様子を見に来てみればこれだ」
サトコ
「はい‥」
(ああ、大失態‥)
自分の中の恋心に気付いて数日。
せめて生徒として認められるようにと心に誓ったのに、早速これだ。
サトコ
「やっぱり現実は甘くない‥」
石神
「何か言ったか」
サトコ
「いえ、反省しているところです」
石神教官はゴソゴソと音を立てて袋の中身を取り出す。
石神
「反省は5秒で済ませろ。無駄だ」
サトコ
「え‥」
言いながら差し出されたのは、プリンだった。
サトコ
「こ、これ、前に話した白金にあるお店のじゃないですか‥!」
石神
「たまたま通りかかったからな」
サトコ
「わぁ、ありがとうございます!」
「石神教官からプリンを頂くなんて恐縮です」
石神
「‥‥‥」
サトコ
「あれ、頂けないんですか‥?」
石神
「はぁ‥」
「この間の褒美だ」
サトコ
「‥!」
(木倉議員の件のことだよね‥)
褒美だなんて言われると、じーんとして食べるのがもったいなくなる。
石神
「言っておくが、自分用のついでだからな」
サトコ
「分かってます!」
貰ったプリンを見てニコニコと顔を緩ませる。
サトコ
「あの‥教官、よかったら一緒に食べませんか?」
「コーヒーでも飲みながら‥どうですか?」
石神
「‥ああ」
(やった‥!)
少し特別な時間を手に入れたことに、心の中で小さくガッツポーズをしながら荷物をまとめた。
【個別教官室】
教官室にある給湯コーナーでコーヒーを淹れ、個室へと向かう。
サトコ
「お待たせしました」
石神
「ああ。悪いな」
サトコ
「ドリップコーヒーとか、紅茶とか種類が豊富すぎて驚きました」
石神
「‥世話好きのSPもたまに出入りしてるからな」
サトコ
「世話好き‥?」
(SPの講師って言えば一柳教官‥?)
カップを差し出すと、指先が軽く教官の手に触れる。
サトコ
「!」
石神
「こっちに座れ」
サトコ
「は、はい」
(こんなことで慌ててたらおかしいって‥!)
(ちょっと落ち着こう‥)
掠った程度に触れた部分が、一気に熱くなって。
そんなこととは知らずに石神教官は涼しい顔でコーヒーに口をつける。
(ドキドキしてる場合じゃない。普通にしてないと怪しまれる‥)
ひとまず心を落ち着かせようと、淹れたてのカフェオレをひと口。
不自然じゃない程度に、小さく深呼吸した。
サトコ
「‥プリンなんて、いつも献上してばかりなので、なんだか新鮮です」
石神
「俺はどこぞの将軍か何かか」
サトコ
「ふふっ、じゃあ私は臣下ですね」
石神
「出来の悪い、な」
サトコ
「う‥言い返す言葉もありません‥」
「でも、出来の悪い子ほど可愛いって言いますよね」
石神
「黒澤とお前に関しては規格外だ」
サトコ
「ええ‥」
(いや、黒澤さんはゆるキャラみたいになってるけど)
(仕事はピカイチだって東雲教官が言ってたし‥)
(同列に扱われるのは気が引けるかも‥)
石神
「何を難しい顔してるんだ?」
メガネを外しながら、石神教官は目頭を指で押さえている。
(本部での仕事もあって休めていないんだろうな‥)
普段はサイボーグのように隙を見せないのに、今この場所では少しは寛いでくれている。
そう思うと、少しくすぐったい。
サトコ
「あっ‥」
(め、メガネ外したら‥!)
さっき見た夢を思い出し、不自然なまでに顔を背けてしまう。
石神
「どうした」
サトコ
「いいえ、何も!」
石神
「やけに顔が赤くないか?」
サトコ
「!!」
裸眼で距離感が掴めないのか、石神教官の顔がいつもより近い。
(こんなの赤くならない方がおかしい‥)
石神
「‥何か言え。実はほぼ見えていない」
「今の俺の視界ではお前はのっぺらぼうだ」
サトコ
「‥‥‥」
(ずるい‥)
(でも今の自分の顔を見られたら死にそうなくらい恥ずかしい‥)
サトコ
「‥それなら、プリン食べてる間はメガネなしにしてください」
石神
「何故だ」
サトコ
「‥幸せそうに食べてるところに嫌味を言われたくないですし」
石神
「お前も言うようになったな」
サトコ
「ふふっ」
「あ、でも‥メガネなくて気分悪くなったりするなら、掛けて‥」
石神
「ああ」
言い終わらないうちに、小さく微笑む。
(そんな顔されたら‥反則だよ‥)
石神教官を前にして平然としていられた頃が、もう思い出せない。
火照る頬をそのままに、石神教官と一緒にプリンをひと口‥
サトコ
「わ‥おいしい!」
石神
「悪くはないな」
同じものを美味しいと感じられたことに、キュンと胸が反応する。
(‥って、たかがプリンだから!いちいち反応してたら身が持たないから!)
(でも、今くらいいいよね‥)
今こうして一緒に居られる時間を大事にしよう。
そう小さな願いを込めて、石神教官の横顔を見つめた。
End