【自宅マンション】
ある日の夜、仕事から帰ると、まるで見計らったかのように携帯が鳴った。
画面を見ると、発信者は‥姉貴。
(嫌な予感がするな‥)
(‥大した用事じゃねぇなら、すぐ諦めんだろ)
そう思い、携帯をテーブルに置いて着替える。
でもすぐに、また鳴り出した。
しかも、今度は長い。
(こっちが出るまで、鳴らし続けるつもりかよ‥)
舌打ちをして出ると、姉貴の低い声が響く。
美優紀
『アンタ今、舌打ちした?』
加賀
「‥‥‥」
「‥なんの用だ」
美優紀
『それがね、週末ホテルが忙しいのよ』
加賀
「保育園に預けろ」
美優紀
『さっすが、何を言いたいか分かってるのね』
『もちろん、延長保育も考えたんだけど』
『花が、アンタと遊ぶって言って聞かないから』
(チッ‥花の名前を出せば承諾すると思いやがって‥)
加賀
「お袋たちに頼め」
美優紀
『ダメなの。温泉に行くらしいのよ』
『夫婦水入らずなのに、邪魔できないじゃない』
花
『ひょうご!ひょうご!』
姉貴の後ろから、舌足らずな声が聞こえてきた。
加賀
「‥花か」
花
『はなねー、ほいくえんでひょうごのおかおかいたの!』
『おえかきじょうずになったから、みにきてー!』
加賀
「‥わかった」
花の笑顔を思い出して、ため息交じりにそう返事をする。
姉貴の喜ぶ声を聞きながら、電話を切った。
【学校 廊下】
翌日。
(週末は、あの駄犬の散歩でも行こうかと思ってたが‥)
(‥仕方ねぇ。泊りがけになるし、花の子守りをするか‥)
鳴子
「きゃーっ、かわいい!」
サトコ
「ほんとだ!イケメンだね!」
聞き慣れた声に振り返ると、サトコが千葉や佐々木と楽しそうに話している。
(なんの話してやがる‥?)
サトコ
「わぁ‥素敵な家族だね」
鳴子
「いいな~、私も結婚したーい!」
「ねぇ、サトコもそう思うでしょ?」
サトコ
「うん‥」
廊下でたむろしながら、サトコは千葉の携帯を覗き込んでニヤニヤしていた。
(だらしねぇツラしやがって‥)
(んなツラ、他の男に見せてんじゃねぇ)
加賀
「おい、クズ」
サトコ
「ひい!」
気が付いた時には、サトコの首根っこを掴んでいた。
(うちの駄犬は少しも目を離せねぇな)
(‥週末は、花と一緒にテメェの子守りもしてやる)
サトコを引きずり、廊下を歩き出した。
【花宅】
サトコと花が作った、不格好なハンバーグが出そろった。
だが食う前に目についたのは、付け合せのニンジンとほうれん草。
(クズが‥なんてもん食わせる気だ)
花
「あのねー、ひょうごのは、はながちゅくった!」
「これねー、ねこしゃん!」
加賀
「猫のハンバーグか‥」
「シュールだな」
サトコ
「加賀さん、しーっ」
2人が食べるのを眺めながら、そっと、付け合せのニンジンとほうれん草を隅に避ける。
(花にバレると『じゃあ花も食べない』っつって、面倒だからな‥)
(気付かれる前に、さっさと下げるか)
そう思った時には、もう遅かった。
ガタガタ!と花が立ち上がり、俺の皿を指す。
花
「ひょうご、すききらいはダメ!」
(‥チッ)
加賀
「‥後で食うんだよ」
花
「おっきくなれないよー」
加賀
「‥‥‥」
俺たちのやり取りを見て、サトコが笑いを堪えている。
加賀
「‥ガキが寝たら、覚悟しとけ」
サトコ
「!?」
慌てたように身を竦めるサトコを見て、少し気が晴れる。
サトコが小動物のようにビクビクしているのを見ると、
どんな不快な気持ちも、霧が晴れるようになくなることが多かった。
(しかし‥ニンジンとほうれん草は、黙ってても消えねぇな)
仕方なく、花と一緒に野菜を口にする。
(‥思ったほど、食いにくくねぇ)
(花が食いやすいような味付けにしたのか)
その様子を、サトコが嬉しそうに見つめていた‥
【動物園】
翌日は、花の希望で動物園へとやってきた。
(めんどくせぇ‥)
(だが‥)
サトコ
「花ちゃん、何から見る!?」
花
「らいおんしゃんとぞうしゃんとくましゃんと‥」
サトコ
「私、オオカミが見たいな~。あ、キリンも見たい!」
花
「きりん!きりん!」
楽しそうに話す2人を見て、口元が緩む。
(昨日から楽しみにしてたからな‥)
(子守りに付き合わせちまったし、しょうがねぇ)
サトコの笑顔に自分を納得させて、目の前の園内マップの看板を見上げた。
(何から見るか‥花はライオン、ゾウ、クマ‥サトコはオオカミとキリンか)
花
「ひょうご!おしゃるしゃん!」
加賀
「あ?」
マップから引き離され、花に引っ張られる。
そのまま、目の前の猿山へと連れて行かれた。
花
「サトコ、おしゃるしゃん!」
サトコ
「ほら、子どものおサルさんもいるよ。お母さんにおんぶしてもらってるね」
花
「かわいいーーー」
(サルなんざ見て、何が楽しいんだ)
(‥あれがボスザルか?いい面構えしてんな)
山の山頂に君臨しているサルを眺めていると、サトコがこっそり笑っている。
加賀
「猿山に放り込むぞ」
サトコ
「!?」
笑いが止まり、サトコが絶望的な表情になる。
【キリンエリア】
その後は花が風船をもらいに走りだし、園の係員に礼を言いに行った。
サトコ
「花ちゃん、風船もらえてよかったね」
花
「うん!このふーせんがいちばんかわいかった!」
係員
「仲が良くて素敵なご家族ですね」
係員の言葉に、サトコがわかりやすく顔を赤くする。
(相変わらず、顔に出やすい野郎だな)
(‥俺たちは夫婦に見えてるのか)
職業柄、家族を持つことなどないと思っていた。
それなのに、悪くない、と感じている自分に、少し驚いた。
【動物園入口】
シロクマを見ようとした時、俺に触れた花の手に熱を感じた。
(なんで黙ってた‥!まさか、家を出る時からか?)
(いや、さっきまでは普通だった‥楽しそうに笑ってた)
だが思い起こせば、途中から少し元気がなかった気がする。
加賀
「なんで具合が悪いって分かった時に言わねぇんだ」
思わず、少し強い口調になってしまう。
その瞬間、花の表情が歪んだ。
花
「ぅわあああーーーん!」
サトコ
「加賀さん!花ちゃんを責めないでください!」
加賀
「!」
サトコ
「気付かなかった私たちの責任です!」
サトコの言葉に、ハッとなった。
(そうだ‥昨日から楽しみにしてた)
(動物に夢中になって‥自分じゃ気づけねぇよな)
(‥気づいてやれなかった、俺の責任だ)
止めてくれたサトコに、心の中で感謝する。
(俺より、花のことよくわかってるじゃねぇか)
(‥敵わねぇな)
花を抱き上げて、すぐに動物園を出た。
【帰り道】
車から降りて、眠った花を背負い、家までの道を歩く。
サトコ
「加賀さんは、きっといいパパになりますね」
サトコの言葉に、口の端が持ち上がる。
加賀
「ずいぶん、気が早ぇな」
サトコ
「え?」
意味に気付いたらしいサトコが、慌てながらも必死な様子で言葉にする。
サトコ
「い、いつか加賀さんと‥そんな生活を送れたらいいなって」
(‥クズが)
(そういうことは、女から言うんじゃねぇ)
いつか、そう遠くない未来に、サトコと、そして‥
花ではない、自分たちの子どもと、こうして3人で歩いているかもしれない。
(だが‥今はまだ、ガキが2人いるみてぇだ)
(まぁ、それでもいいか‥今は、まだな)
そんな甘いことを考える自分に、また少し驚いてしまった。
【花宅】
家に帰ってくると、サトコが花を寝かしつける。
だが部屋からなかなか戻って来ず、しびれを切らして花の部屋を覗きに行く。
(あの駄犬は、いつまで主人を放っておくつもりだ)
【花部屋】
部屋では、サトコが花と手を繋ぎ、優しく髪を撫でているところだった。
加賀
「‥‥‥」
サトコ
「‥加賀さん?」
振り返ったサトコは、いつもの俺の言葉や態度におびえる様子は全くなかった。
(‥女ってのは、これだから怖ぇ)
(まだまだ、俺の知らねぇ顔があるってことか)
加賀
「‥なんでもねぇ」
サトコ
「花ちゃん、手を離してくれないんです」
「無理に放したら起きちゃいそうで‥かわいくて」
加賀
「‥悪かったな」
サトコ
「え?」
サトコが、きょとんとした顔で首を傾げる。
(休みの日に、子守りに付き合わされて)
(さすがにうんざりしたか‥)
サトコ
「加賀さん、来週もまた子守りですか?」
「もしそうなら、また誘ってください」
その言葉に、さすがに驚く。
加賀
「‥懲りてねぇのか」
サトコ
「加賀さんと一緒にいられるのが嬉しいんです」
(‥どんな殺し文句だ)
(手のひらで転がされてるのは‥俺の方か)
衝動のまま、サトコの唇を貪る。
押し倒し、さらに求めようとした時‥姉貴が帰ってきた。
(いつも、肝心な時に邪魔しやがる‥)
(仕方ねぇ‥続きは帰ってからだ)
姉貴の前で必死に取り繕うサトコに、心の中で告げた。
(後で、たっぷりかわいがってやる)
(楽しみにしとけ)
End