【廊下】
(ここにもいない‥か)
ある日の夜。
俺はサトコを捜すため、校内を歩き回っていた。
(サトコは何事にも前向きだが‥繊細な部分も持ち合わせているからな)
俺は昼間に行われた訓練を、思い返す。
今日の訓練内容は、犯人役に扮した成田教官を取り押さえることだった。
石神
「動きが遅いと、何度も言っているだろう」
サトコ
「はい!」
石神
「もう一度だ」
サトコ
「っ、はい!」
サトコは合図と共に、成田教官に向かって駆け出す。
サトコ
「きゃっ!」
しかし、何度も同じところで躓いては、失敗を繰り返していた。
成田
「フン、相変わらず出来が悪いな」
サトコ
「っ、すみません」
(ここまで言われたら、男でもめげる奴が多いが‥)
成田教官の言葉を悔しそうにしながらも、サトコはしっかりと前を見据えている。
(さすがは、俺の補佐官といったところか)
石神
「いいか、氷川‥」
そんなサトコに、俺は厳しい指導を繰り返す。
しかし‥
サトコ
「ありがとう、ございました‥」
結局、サトコは訓練が終わるまで、成田教官を取り押さえることは出来なかった。
(成田教官から『出来が悪い』と言われて、落ち込んでいたな)
サトコは面に出ないようにしていたが、ひしひしとそれが伝わっていた。
石神
「いくらやる気があるとはいえ、少しやり過ぎたか‥」
(もちろん、公私混同するつもりは毛頭ない。だが‥)
俺はサトコの強いところも弱いところも、知っている。
今日の講義が全て終了した今、教官と生徒としてではなく恋人として声を掛けたい‥
そう思っていた。
石神
「‥ん?」
ふと窓の外を見ると、サトコの姿が目に入った。
(外にいたのか‥それじゃあ、捜しても見つからないはずだ)
俺は足早に、サトコの後を追った。
【校門】
校舎を出ると、サトコは千葉と話していた。
千葉
「な、なんでも‥って、思った‥」
(断片的にしか、聞こえないが‥)
ふたりの様子を見る限り、どうやら千葉がサトコを慰めているようだった。
サトコ
「ふふっ」
サトコの笑顔を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
(心配し過ぎたようだったようだな)
石神
「俺の出番はない、か」
そうひとりごちると、サトコたちに背を向ける。
(今回は、千葉に任せるか)
(訓練生同士の方が気持ちも分かるし、いい刺激にもなるだろう)
石神
「‥頑張れよ」
自分にしか聞こえないくらい小さな声で、サトコにエールを送った。
【教官室】
翌日。
講義が終わり自分のデスクで仕事をしていると、黒澤と室長の話し声が耳に届いた。
黒澤
「というわけで‥」
「今の時代、女性の心をつかむには積極性と胸キュンポイントを押さえるのが大事なんです」
難波
「へぇ、胸キュンポイントね」
室長は、興味深そうに黒澤の話を聞いている。
難波
「お前ら、胸キュンって知っているか?」
石神
「いえ」
後藤
「俺も、聞き覚えがありません」
颯馬
「女性が思わず胸をキュンッとさせるポイントってことですよね?」
東雲
「それ、まんまじゃないですか」
加賀
「くだらねぇ」
(加賀の言う通り、くだらない‥)
颯馬はにこやかに返し、東雲は呆れながらも黒澤たちの話に加わる。
後藤や加賀も興味がないのか、それぞれの仕事に没頭していた。
難波
「なんだ、意外と知られてんだな」
黒澤
「難波さんも胸キュンポイントを押さえれば、落とせない女の子はいませんよ!」
難波
「お前らより長く生きてんだ。俺にはそんなもん必要ない」
黒澤
「なんですか、その余裕発言!?」
「でも、難波さんなら頷けます‥」
石神
「はぁ‥」
あまりに会話がくだらな過ぎて、ため息が漏れる。
難波
「石神、なんだ溜息なんかついて?」
石神
「いえ」
難波
「お前は本当に真面目だな」
室長は怒る風でもなく、楽しそうな目で俺を見た。
難波
「くだらねぇって思ってるんだろうが、案外お前に足りてないものかもしれないぞ?」
石神
「は‥?」
眉を顰めると、難波さんはニヤリと笑みを浮かべる。
颯馬
「確かに、そうかもしれませんね」
東雲
「石神さんが胸キュン、ですか」
加賀
「フッ‥」
颯馬や東雲まで、楽しみを見つけたと言わんばかりの顔つきになる。
黒澤
「胸キュンとは、いわば意外性と積極性にあるんです」
「好きな人の新たな一面を見たり迫られたりして、ドキドキしたりするんですよ」
石神
「‥‥‥」
黒澤
「あ~!またくだらないって思いましたね!?」
石神
「まだ何も言っていない」
黒澤
「それくらい、言われなくても分かりますよ」
「石神さんは知らないかもしれませんが、女性は強引にされるくらいが好きなんです」
「積極的な男性に弱いんですよ」
石神
「そうか」
短く返事すると、資料に視線を戻す。
石神
「‥‥‥」
しかし、どうにも黒澤の言葉が気になり、耳だけは傾けていた。
黒澤
「もう、全然分かってないですね‥」
難波
「なぁ黒澤。そもそも、女は何をされたら胸キュンになるんだ?」
颯馬
「私が知る限りでは、壁ドンに床ドン、あとは‥」
東雲
「顎クイに耳つぶ‥ですよね?」
難波
「なるほどな‥そんなんで、女は本当にキュンッとなるものなのか?」
黒澤
「もちろんです!壁ドンなんて、王道中の王道です。ね、後藤さん?」
後藤
「俺に話を振るな」
黒澤
「え~、いいじゃないですか~」
難波
「それにしても、壁ドンや床ドンはなんとなく分かるが‥顎クイに耳つぶってなんだ?」
黒澤
「顎クイは女の子の顎に手を添えてクイッと上を向かせることで、耳つぶは耳元で囁くことです」
難波
「そのまんまだな」
黒澤
「まあまあ、名前はともかく女性に受けるのは本当なんですよ」
難波
「それって、信憑性はあるのか?」
サトコ
「失礼します」
そこに、サトコがノートを抱えて教官室へ入って来た。
サトコは真剣な様子で話す黒澤たちに首を傾げながら、デスクにノートを置く。
黒澤
「‥‥‥」
そんなサトコの様子を見て、黒澤たちは話を続けながら目を輝かせた。
サトコ
「それでは、ここに置いておきますね」
そのままサトコが踵を返すと‥
黒澤
「サトコさん」
サトコ
「!?」
(なっ‥!)
目の前の光景に声を上げそうになるものの、ぐっと堪える。
黒澤は真剣な表情でサトコを見つめながら、顎を持ち上げていた。
(アイツは、何をしているんだ‥!?)
思わず抗議の声を上げそうになるも、言葉を無理矢理飲み込む。
サトコは、顎を染めつつも戸惑いの様子で黒澤を見ていた。
黒澤
「‥みなさん、分かりましたか?これが顎クイです!」
サトコ
「へ‥?」
黒澤がサトコから手を離すと、ホッと息をつく。
(黒澤のヤツ‥まさか、サトコを実験台にしたのか?)
東雲
「へー、本当に効果あるわけ?」
颯馬
「耳つぶはどうなんですか?」
黒澤
「耳つぶはですね‥」
黒澤は颯馬の言葉を聞き、今度はサトコの耳元に唇を寄せる。
黒澤
「‥サトコさんって、素敵な女性ですね」
サトコ
「っ!?」
囁かれ、サトコの頬が一気に真っ赤になった。
サトコは顔を赤くしたまま耳を押さえ、黒澤から距離を取る。
(アイツ、また‥!)
気付かれないよう、黒澤に鋭い視線を送る。
黒澤たちがサトコにちょっかいを出すたび、胸に掛かる靄が濃くなっていった。
(ここで気を乱したらダメだ)
そう思い仕事に集中しようとするも、どうしてもサトコたちが気になってしまう。
さりげなく様子えお窺うと、
サトコは先ほど黒澤が力説していた胸キュンポイントに反応しているようだった。
(やはり、サトコも強引な男が好きなのか?)
俺はサトコを大切にしたいと言う気持ちが強いあまり、
今まで強引なことはほとんどしてこなかった。
(だけど、もしサトコが望むなら‥)
黒澤
「サトコさんだって、好きな人に顎クイや耳つぶされたらドキドキしますよね?」
サトコ
「え‥?」
(なんだと‥?)
黒澤の言葉に、サトコと共に反応する。
サトコ
「そ、それは、まあ‥」
頬を赤らめて、おずおずと肯定するサトコ。
黒澤
「ほら、やっぱり!女の子はみんな、ああいうのが大好きなんですよ」
東雲
「へぇ‥それじゃあ、サトコちゃんが練習台になってあげたら?」
サトコ
「へ?練習台って‥」
黒澤
「それは、名案ですね」
東雲の提案に、黒澤のテンションが一気に上がる。
黒澤
「石神さん!後藤さん!サトコさんで練習しましょう!」
後藤
「は?」
石神
「‥何を言っている」
黒澤
「だから、胸キュンシチュエーションの練習ですよ~」
「まずは、先ほどお手本を見せた耳つぶからやってみましょう!」
サトコ
「本当にやるんですか?」
黒澤
「もちろんです!では、石神さんからいってみましょう!」
石神
「黒澤、俺は‥」
黒澤
「ほらほら、石神さん!」
石神
「っ、何をする!」
俺はサトコの前に、無理矢理連れて行かれる。
サトコ
「‥‥‥」
サトコは戸惑っているのか、緊張気味に俺を見上げた。
不安そうなその顔に、庇護欲がそそられる。
(耳つぶ、か‥)
先ほどの様子を見る限り、確かに効果はあるのかもしれない。
(だけど‥ここで黒澤たちの言いなりになるのは癪だ)
そもそも、人前ですることでもない。
サトコ
「石神さん‥」
サトコが俺の名前を呼ぶ声に、愛しさが溢れ出しそうになる。
俺はそれに耐えながら、ゆっくりと口を開いた。
石神
「‥こんなくだらんことを、やらせるな」
吐き捨てるように言い、サトコに背を向けた。
黒澤たちの残念そうな声が耳に届くも、自分のデスクに戻る。
石神
「‥‥‥」
俺はサトコへの気持ちを隠すように、仕事に集中した。
【廊下】
翌日。
石神
「ん‥?」
廊下を歩いていると、目の前の光景に思わず足を止める。
(あれは加賀と‥サトコ!?)
壁際に追いやられたサトコは、加賀に迫られていた。
加賀は片方の手をサトコの顔の横に、もう片方の手で顎を持ち上げている。
(何故、加賀はサトコを‥)
俺はふと、先ほどの教官室での出来事を思い返す。
【教官室】
加賀
『テメェんとこのグズは、救いようがねぇクズだな』
『俺のテストでクソみたいな点を取るなんざ、許さねぇ』
【廊下】
(きっと、あのことでサトコに迫っているのだろう)
少し冷静になれば、そんなことは分かり切っていた。
しかし、今目の前で起こっていることに感情が揺れ動く。
【教官室】
黒澤
『女性は強引にされるくらいが好きなんです』
『積極的な男性に弱いんですよ』
【廊下】
石神
「っ‥」
黒澤の言葉が脳裏を過り、気付いたら足を踏み出していた。
石神
「‥恐喝にしか見えないぞ」
サトコ
「わわっ!」
感情のままに動いた俺はサトコの腕を強くつかみ、背中に隠した。
突然現れた俺に、加賀は睨みを利かせる。
加賀
「ああ゛?テメェが生ぬるい教育しかしてねぇからだろうが」
石神
「‥‥‥」
(俺は公私混同してサトコと接しているつもりはない)
しかし自分の気付かないところで、
サトコを甘やかしているという面がないとは言い切れなかった。
(そもそも、サトコは俺の補佐官だ。補佐官のミスは、教官の責任でもある)
石神
「‥ちゃんと、俺からきつく言っておく」
加賀
「ああ?」
石神
「‥‥‥」
加賀は渋々といったように、俺たちに背を向ける。
加賀
「‥チッ。次はねぇからな」
加賀の姿が見えなくなると、サトコから安堵のため息が漏れた。
サトコ
「石神、教官‥」
俺は視線を巡らせ、周りに誰もいないことを確認する。
石神
「‥今日の夜、何か予定は入っているか?」
そして、戸惑いを見せるサトコを家に誘った。
【石神の部屋】
家に着くと、サトコに勉強を教える。
サトコ
「石神さん、この取り調べ方ですが‥」
石神
「ん?これか‥」
俺はサトコに合わせて、いつもの講義とは違った方法で説明をしていく。
サトコ
「‥なるほど。取り調べひとつとっても、教官によってはこんなにも解釈が違うんですね」
理解できたのが嬉しいのか、サトコは満面の笑みを浮かべた。
(サトコは決して天才肌ではない。完全な努力家だ)
(ゼロどころかマイナスからのスタートだったが‥よくここまで成長したな)
サトコの成長を一番近くで見てきたせいか、感慨深くなる。
サトコ
「そういえば、前に訓練で加賀教官のお手本を見たことがありますが‥すごい迫力でした」
「私には到底無理な手法で‥改めて、すごいなって思いました」
「私も、早く教官たちみたいになりたいな‥」
サトコはその時のことを思い返しているのか、キラキラとした表情で語り始めた。
(教官たちのことを、素直に尊敬しているのだろう)
(まったく、本当に分かりやすい奴だ)
しかし‥
そんなサトコを微笑ましく思う一方で、不穏な気持ちが渦巻く。
(なんだ、この気持ちは‥)
サトコ
「東雲教官は私とそう歳も変わらないはずなのに、すごいですよね」
「東雲教官だけじゃありません。後藤教官や、他の教官だって‥‥」
石神
「‥サトコ」
気付いたら、サトコの言葉を遮っていた。
(俺は‥あいつらに嫉妬しているのか。らしくない、な)
だからといって、これ以上自分の気持ちは誤魔化したくない。
俺は自分の気持ちに素直になり、サトコを腕の中に閉じ込める。
石神
「それ以上、言うな」
そのまま強引に、唇を重ねた。
サトコ
「んっ‥」
角度を変え、むさぼるようにキスを繰り返す。
唇の隙間から漏れるサトコの吐息が、妙に官能的だった。
サトコ
「石神、さん‥」
サトコの唇から、俺の名前が紡がれる。
その度、彼女を愛したいという熱情が募っていった。
サトコ
「‥はぁ」
長いキスが終わりを告げると、サトコは肩を上下させながら潤んだ瞳で俺を見上げる。
(こんな強引なキスだなんて、俺らしくない‥)
息を荒げながらも頭の一部はどこか冷静で‥
石神
「っ、すまない」
サトコ
「きゃっ!」
しかし、慌ててサトコから離れようとしたため、バランスを崩し、
そのままサトコを押し倒してしまう。
石神
「っ‥」
サトコ
「いたた‥」
身体を僅かに起こすと、唇が触れ合いそうになるくらい近くにサトコの顔があった。
サトコ
「あっ‥」
自分たちの状態に気付いたのか、サトコは頬を真っ赤に染め上げる。
石神
「‥これが、黒澤の言ってた床ドンというやつか」
触れ合いそうなほどの距離感、いつもより強引な行動。
そして、困惑な表情を浮かべながらも、いつも以上に反応を示すサトコ。
(なるほどな‥)
サトコのリアクションを見て、頬が緩むのを感じる。
(これも、悪くない)
気にしていない風を装っていたが、
実のところ黒澤たちが言っていた『強引』と『積極性』という単語は頭の片隅にこびりついていた。
(教官室でアイツらがサトコに迫っていた時も、正直気が気じゃなかった‥)
事故的だが床ドンというものをやり、サトコの照れる可愛い姿を見ることができたのだ。
(たまには、積極的になるのもいいな)
サトコ
「その‥石神さんからの床ドン、嬉しいです‥」
控えめに言いながら、はにかむ彼女に、熱い想いが込み上げていく。
石神
「俺だって‥いつも、お前に触れたいと思っていた」
サトコ
「そう、なんですか‥?」
石神
「当たり前だろう?好きな女に触れたいと思わない男なんて、いないからな」
俺はサトコの頬をそっと撫でると、想いを込めてキスをする。
何度もキスを繰り返して唇を離すと、ポツリと漏らした。
石神
「アイツの言葉を、鵜呑みにしてしまったな‥」
アイツ‥黒澤がいなかったら、胸キュンポイントなど気にしなかっただろう。
黒澤が意気揚々と、俺に話を振った時のことを思い出す。
サトコ
「アイツ、ですか‥?」
ほんの少しだが、アイツに感謝をしながら。
石神
「なんでもない」
サトコ
「んっ‥」
誰よりも愛しくて大切な彼女に唇を重ね、たくさんの愛情を注ぎこんでいった‥‥
Happy End