【マンション】
向こうから歩いてきた人にぶつかられ、よろけた弾みで室長にぶつかり、
室長が持っていたビールが私のワンピースにかかるという、負の連鎖が起きてしまった後。
縁日から少し歩いたところにある、大きなマンションの前に連れて来られていた‥
難波
「シミになるとまずいから、うちで洗濯していけ」
「すぐ洗濯すれば、なんとかなるだろ」
サトコ
「室長の家って‥いいんですか?」
(奥さんが待ってるんじゃ‥いくら部下とはいえ、いきなりお邪魔するのは)
難波
「ああ、今日は大丈夫だ」
サトコ
「今日は‥?」
難波
「それじゃ行くか。急がないとな」
私の手を取り、室長がエレベーターホールの方へ歩き出す。
サトコ
「し、室長!あの‥」
難波
「ん?」
サトコ
「い、いえ‥」
(手‥繋がなくても!)
(でも、いつものんびりゆるいイメージなのに、ゴツゴツして、男の人の手‥)
そのギャップに、なんだか心がくすぐったくなるのを感じていた。
【部屋】
室長の家は、広めのリビングでとても綺麗にされていた。
サトコ
「お、お邪魔します‥」
難波
「えーと、まずは着替えだな」
「結構濡れてるから、全部着替えなきゃダメだろ。シャツと‥」
「‥‥‥」
サトコ
「室長?」
難波
「いや、さすがに俺のズボンだとでかいよな?」
「Tシャツ1枚でどうにかなるか?」
サトコ
「Tシャツ1枚って‥」
<選択してください>
サトコ
「さ、さすがに無理です!」
難波
「無理?」
サトコ
「だって、それって‥」
(い、いわゆる‥カレシャツならぬ、カレT‥!)
難波
「ああ、やっぱりズボンも必要ってことか?」
サトコ
「そうじゃなくて‥いえ、そうなんですけど!」
サトコ
「それって、その‥し、下着はどうすれば?」
難波
「下着?なんでそんな話になる?」
サトコ
「だって、Tシャツ1枚だと中が透けるじゃないですか」
難波
「ハハハ、大丈夫だ気にするな」
サトコ
「気にしますよ!」
難波
「訓練生のひよっこには欲情しないから」
(そう断言されると、女として寂しい‥)
サトコ
「む、向こう向いててください!」
難波
「ん?もう着替えるのか?」
「まあ、早い方がいいな」
「ちょっと待てよー。さすがにお前の着替えを見たら、セクハラになるからな」
そう言いながらも、室長はまったく焦っていない。
(きっと私の着替えを見ても、全然なんにも感じないんだろうな)
難波
「それじゃ、これと‥もしサイズが大丈夫そうなら、これも履いとけ」
室長がクローゼットを開けた時、中がチラリと見えた。
その中に、アイロンのかかったYシャツを見つける。
(奥さん、マメな人なんだろうな‥)
(室長がこんなだから、身の回りのことは全部やってあげてるとか)
部屋も綺麗で掃除も行き届いている。
(失礼だけど、このズボラな室長がこまめに掃除してるとは考えにくい‥)
(奥さんは、マメな人で綺麗好き、か‥)
難波
「洗濯機は脱衣所にあるから」
「ああ、そういや風呂も沸いてるけど、せっかくだから入っていくか?」
サトコ
「お、お風呂!?」
難波
「ビールのせいで濡れただろ?風邪引くと大変だしなあ」
サトコ
「だ、だだだ、大丈夫です!」
『お風呂』という言葉に、変に意識してしまったせいか、声が上擦る。
サトコ
「そ、それじゃあ、あの‥洗濯機、お借りします!」
着替えを持って、逃げるように脱衣所へ向かった。
【脱衣所】
脱衣所で着替えを済ませると、洗濯機にビールまみれの服を入れた。
すぐに洗濯は終わり、室内乾燥機で乾かさせてもらう。
サトコ
「室長の家にいるなんて、なんか不思議な気分だな」
「脱衣所も片付いてるし、洗濯物もちゃんと取り込まれて‥ん?」
洗面台に、入浴剤が置いてあるのが見えた。
(あれって、女性に人気の香りだよね‥CMで見たことある)
(あ‥化粧水も置いてあるし)
奥さんのものだと思うと、なんとなく、見てはいけないものを見たような気持ちになる。
洗面所から目を逸らすようにして室長のシャツに袖を通すと、ほのかにいい香りがした。
(これも奥さんの趣味かな‥?あの入浴剤といい、香りが良いものが好きなのかな)
サトコ
「って、なんか家を探索してるみたい‥いけないいけない」
(でも‥そういえばたまに、室長からいい香りがする気がしてたけど)
(‥この匂いだったんだ)
室長と同じ匂いに包まれていると思うと、なんとなく罪悪感を覚える。
首を振り、急いで脱衣所を出た。
【リビング】
乾燥機をセットして、リビングに戻ってきた。
サトコ
「室長、乾くまでもう少しお邪魔しててもいいですか?」
難波
「おお」
声はするものの、室長の姿はどこにもない。
サトコ
「室長?どこですか?」
難波
「こっちだ」
声がする方に行くと、室長はベランダでタバコをふかしている。
難波
「ちょっと、ビール2本取ってきてくれ」
サトコ
「はい。冷蔵庫、開けていいですか?」
難波
「ああ」
室長の許可を得て、キッチンの冷蔵庫を開ける。
中はビールとおつまみで埋め尽くされていた。
(ふふ、室長って本当にお酒が好きなんだ‥)
ビールを取ると、奥に透明な容器に入ったおかずが積み重ねられていた。
(これは‥)
難波
「おーい、早く来い。始まっちまうぞ」
サトコ
「あ、はい!」
冷蔵庫で冷えていた缶ビールを2本手に取り、急いでベランダに向かう。
(‥ん?でも、『始まる』って‥なにが?)
【ベランダ】
ベランダに出た瞬間、ドーン!という音が響いた。
辺りが一瞬明るくなり、見上げると、夜空に大輪の花が次々に咲き誇り始める。
サトコ
「花火‥!」
難波
「このベランダ、花火の絶景スポットなんだ」
「祭りに合わせて、毎年この日は花火大会なんだよなぁ」
私からビールを受け取ると、室長が小気味よい音を立てて缶を開ける。
難波
「ほら、乾杯」
サトコ
「あ‥はい」
缶を軽く合わせて乾杯すると、花火を眺めながら室長の隣でビールに口をつけた。
難波
「綺麗だなー」
サトコ
「はい‥」
一瞬、『奥さんのいる人とふたりきり』という罪悪感を忘れるほど見事な花火だった。
(室長はきっと毎年、奥さんとこの花火を見てるんだろうな)
(私にも、こうして一緒に花火を『綺麗だね』って言い合える人がいたらいいのにな‥)
そっと室長を見ると、横顔が花火に照らされている。
その表情がどこか切なげに見えて、目を離すことができなかった。
難波
「‥誰かと一緒に、花火が見たくてな」
サトコ
「え‥」
難波
「付き合ってくれてサンキュ」
以前に見たような気がする、遠くを見るようなその表情のまま、
室長がゆっくりと、
(えっ‥‥‥)
(もしかして‥これって不倫の流れになっちゃうんじゃっ‥)
思わず、ギュッと目を閉じる。
すると、室長の指が唇に触れるのを感じた。
サトコ
「しつちょっ‥」
難波
「ヒゲが生えてるぞ」
サトコ
「‥はい?」
目を開けると、室長が指で私の唇の少し上を拭った。
難波
「ビールの泡で、白いヒゲみたいになってたぞ」
サトコ
「え‥」
(び、ビールの泡を取ってくれただけだった‥!?)
(なに、一人でドキドキしてるの、私‥!)
難波
「ん?どうした?」
サトコ
「いえ!その、お、お恥ずかしいところをお見せして‥!」
慌てまくる私に、室長がくしゃっと笑う。
難波
「氷川はやっぱり面白いなー」
サトコ
「!」
難波
「お前と一緒にいると飽きない」
「なんていうか、小動物を見てるみたいだ」
サトコ
「小動物‥」
でも、そう言われたことよりも、子どものような室長の笑顔に心臓がうるさく鳴り始める。
(な、なんだろう、これ‥)
(っていうか私、なんで泡なんてつけちゃったんだろ‥室長に変な顔見られた‥)
難波
「石神や加賀たちがお前を構いたくなる気持ちが分かるな」
「反応が面白くて、いじる甲斐がある」
<選択してください>
サトコ
「それ、褒められてるんですかね‥?」
難波
「どうだろうなぁ」
(そこは、お世辞でも『そうだよ』って言うところじゃ)
難波
「でも、俺は嫌いじゃないぞ?」
サトコ
「え‥」
(室長、こういうこと絶対無意識で言ってるよね‥)
サトコ
「私、教官たちにそんなに構われてませんよ?」
難波
「そうか?他の訓練生に比べればずいぶん構われてると思うぞ」
サトコ
「うーん‥いい小間使いとして‥?」
難波
「今は小間使いでも、それが活きてくる日が来る」
サトコ
「あの‥それ、あんまり嬉しくないです」
難波
「そうか?構われるってことは、色々教えてもらえるってことだぞ」
「その気になれば、あいつらから刑事として必要なものを盗むこともできる」
(刑事として必要なものを盗む、か‥私に、それができればいいけど)
(‥家族のこと、聞いてみようかな)
(もしかしたら‥意外とあっさり教えてくれるかもしれない‥)
意を決して口を開こうとした時、脱衣所からけたたましい音が聞こえてきた。
サトコ
「な、何ですか!?」
難波
「ああ、乾燥機の音だな。お前の服、乾いたんじゃないか」
サトコ
「あ‥じゃあ私、着替えてきます!」
なんとなく逃げるようにして、脱衣所へ向かった。
【リビング】
ワンピースに着替えると、綺麗に畳んだTシャツとズボンを室長に渡す。
サトコ
「これ、ありがとうございました。それに、洗濯機までお借りして」
難波
「ちゃんと乾いたか?風邪引くなよ」
サトコ
「大丈夫です。それじゃ私、これで‥」
難波
「駅まで送るぞ。暗いし、危ないだろ」
サトコ
「いえ、変なのに襲われたら返り討ちにしますから!」
「それに、道わかるので平気です!お、お邪魔しました!」
金魚が泳いでいる袋を手に取ると、頭を下げて室長の部屋を後にした。
【学校 廊下】
夏休み明け、学校へ行ったもののなんとなく落ち着かない。
(はぁ‥なんか、残りの夏休みはずっとぼんやりして過ごしちゃった‥)
(うっかりすると、室長のことばっかり考えそうで)
サトコ
「お祭り、楽しかったな‥金魚すくいも楽しかったし」
「‥花火も、綺麗だったな」
難波
「ん?氷川?」
突然後ろから声を掛けられて、ビクッと肩が震えた。
サトコ
「室長‥!おは、おはようございます」
難波
「ああ、おはよう。夏休みはどうだった?」
サトコ
「はい!エンジョイしました!」
(嘘だけど‥ほとんど部屋の中で悶々としながら過ごしたけど‥)
難波
「エンジョイかー。若いっていいな」
室長の笑顔が、なんだかいつもと違って見える。
(なんでだろう‥?いつもより優しく見えるような‥でも絶対、普段と同じなのに)
黒澤
「あっ!サトコさん、難波さん、おはようございまーす!」
後藤
「おはようございます」
サトコ
「黒澤さん、後藤教官、おはようございます」
難波
「おはよう。研修旅行はどうだった?」
黒澤
「それが、聞いてくださいよ!」
「後藤さん、一緒に温泉に入ってくれなかったんです!」
後藤
「‥ゆっくり入りたいのに、お前と入ったら台無しだからな」
黒澤
「石神さんとは一緒に入ったくせに!」
後藤
「良い研修でした」
難波
「そうか、よかったな」
黒澤
「ちょっと!!お二人とも無視しないでください!」
後藤
「‥お前は、朝からうるさいな」
難波
「ハハハ、相変わらずだな黒澤」
いつも通りの雰囲気に、なんとなくホッとする。
サトコ
「幹事だったのに、行けなくてすみませんでした」
黒澤
「いえいえ!サトコさんは難波さんの手伝いをしてたんですから!」
「どうでした?捜査、順調に行きました?」
難波
「ああ、無事に解決した」
「そういえば氷川、あの金魚元気か?」
サトコ
「あ、はい!実家から金魚鉢一式送ってもらいました」
黒澤
「金魚?」
私たちの話に、黒澤さんが首を傾げる。
黒澤
「サトコさん、金魚飼ってるんですか?」
後藤
「氷川は金魚が好きなのか」
サトコ
「えーと、好きというか‥」
お祭りのことを話そうとすると、室長に肩を叩かれた。
サトコ
「え?」
難波
「あの日のことは、ふたりだけの秘密だ」
黒澤さんたちに聞こえないように、室長が唇の前に人差し指を立てる。
(ふたりだけの秘密‥)
黒澤
「な~んか怪しいですね‥コソコソして‥」
難波
「なんでもないよな、氷川」
サトコ
「は、はい‥」
室長の笑顔に、なぜか胸がギュッと締め付けられる。
(普段は適当でゆるいイメージなのに、仕事のことになると厳しい顔になって)
(たまに切ない顔したと思ったら、こんな笑顔だし‥)
なんだかこれからは、これまで以上に室長のいろんな顔に振り回される予感がした‥
Happy End