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石神 続編 シークレット3

Ishigami’s Side3

普通に生きていれば、拳銃のような物騒なものを目の当たりにする機会など、

この国にいる限りそうない。

思えばサトコは‥この短期間に、しなくてもいい経験をどれほどしただろうか。

【首相官邸】

サトコ

「‥拳銃を下ろしてください」

吉川

「‥‥‥」

サトコ

「お願いです。これ以上、岩下議員を悲しませないで‥」

なおも気丈に、サトコは説得を続ける。

後藤

黒澤‥

後藤の口からそう、小さく漏れた。

パン‥!

‥‥室内での発砲音は、やけに響く。

黒澤

‥‥‥

サトコ

「黒澤さ‥」

吉川

「どうして邪魔をするの‥!」

(お前こそ、何故分からない‥!)

胸が焼けるような憤りをそのままに、現場へ飛び出す。

後藤

石神さん!

石神

‥‥こうまでしても、まだ分からないのか!

どうしても、我慢できなかった。

吉川の高い能力が、真っ当に使われていないことが。

サトコに向けられた銃口が。

国を導こうと切磋琢磨するはずの政治家が、こともあろうに人の命を脅かすことが‥

岩下

「‥君の教え子は、人材じゃなくて人財だ」

「怪我をさせずに済んで良かった‥」

俺の肩に手を置いて、岩下議員は一歩前に出る。

吉川と対峙するその背中に、ただ胸が詰まった。

(あいつらにも、世話になったな‥)

警察関係者が入り乱れる中に戻っていく後藤たちの背中を見送る。

ふと、斜め左下から、心配そうな視線を感じた。

石神

‥よく頑張ったな

サトコ

「石神さん‥」

今度は何に阻まれるでもなく、真っ直ぐに褒めてやれる。

(誰が何と言おうと、サトコはよくやってくれた)

サトコの手を引いて歩くのが、随分と久しく感じる。

この華奢な手で恐怖を耐え、立ち向かったのかと思うと、抱きしめてやりたくなった。

石神

‥サトコ?

足を止めたサトコを振り返ると、今にも泣き出しそうな顔で下唇を噛んでいる。

サトコ

「‥おかえりなさい」

そういって、サトコはしがみつくように俺の背中に腕を回した。

石神

‥‥‥

(サトコには敵わないな‥)

怖かったと縋るわけでもなく、無事に終えたことに安堵するでもなく‥

第一声が「おかえり」だとは。

ひとりでどれほどの不安と闘っていたのかと思うと、堪らなくなった。

石神

‥ただいま

サトコの肩を抱き寄せると、心が凪いでいくのが分かる。

(ただいま、か‥)

(何年ぶりに言っただろうか‥)

サトコ相手にはやけにしっくりくるその響きが、愛おしく思えた。

【個別教官室】

西日が差しこむ教官室で、サトコは熱心に雑務を始めた。

細かいことだが、言わずとも気づいて作業してくれるサトコには、いつも助けられている。

(溜まっていた仕事も、どうにか終わる目処が立ったことだ‥)

(そろそろサトコとのんびり過ごしたいところだな)

次の休みを逃せば、予算設定時期と重なって、なかなか身動きが取れなくなる。

サトコ

「このテーブルに積んであるのはチェック済みのレポートですよね?」

「仕分けて持っていきますよ」

石神

ああ

(しかし、よく働くな‥)

俺とサトコが似ていると言ったのは、後藤だったか。

だとしたらやはり、休ませてやりたい。

石神

‥来週の代休は予定を入れないでくれるか

サトコ

「?」

「捜査訓練の代休日ですか?」

石神

たまにはふたりでのんびり過ごそうと思うんだが‥

サトコ

「!」

(またこいつは‥表情で返事ができるとは妙な特技だ)

サトコが笑顔になる瞬間の、ふわりと優しくなる目元が好きだ。

(‥この調子では、デートがサトコへの褒美というのはただのこじつけだな)

俺が、サトコと過ごしたいだけのことだ。

自分自身に呆れながら、俺は嬉しそうに笑っているサトコを見つめていた。

【石神 マンション】

ディスカスたちを眺めながら、サトコとどこへ行こうかと考える。

(遠出、近場‥それか家でのんびりしてもいいが‥)

(どこへ連れていけばサトコは喜ぶだろうか‥)

考えてもみれば、合間を見て一緒に食事をするだけで、サトコはいつも幸せそうに笑う。

石神

‥‥‥

(どこでも喜びそうだな‥)

ふと、水槽に映る自分の顔が目に入る。

石神

やけにニヤけている自分に気付いて、思わず目を逸らした。

(浮かれているのは俺の方なのか‥)

何とも言い難い敗北感ではあるが、悪くはない。

それほどまでに、サトコに心を寄せている証拠だろう。

反対に、サトコを好きになるまでの自分がもう、思い出せない。

仕事、仕事と打ち込み、気がつけば歳も30を過ぎていた。

石神

‥まさか、こんな日が来るとは

少なくとも、好きな女のことを考えてニヤけるような男ではなかった。

‥サトコと出会うまでは。

煩わしいとさえ感じていた付き合いが、

サトコに対してだけは、かけがえのないものになっている。

(お前たちも、もうすぐサトコに会えるぞ‥)

水槽でそよそよと泳ぐチョコレートグラミーを見つめながら、

穏やかな気分で部屋の灯りを弱めた。

【個別教官室】

(結局、どこへ行こうか‥)

約束の日が迫るものの、まだ行き先が決まらずにいる。

黒澤

石神さーん!

石神

‥ノックくらいしろ

黒澤

これから、そらさんの快気祝いで飲みに行くんですけど、一緒にいかがですか?

(そういえば、俺より先に復帰したと言っていたな‥)

石神

‥悪いが、仕事が残っている

黒澤

残念‥

まぁ、ダメ元で来たんで気にしないでください

それにメンバーはそらさんと海司さんだけなんで、いつもの満腹軒です

(その面子でよく俺を誘おうと思ったな‥)

(ああ、俺の復帰も一緒に祝おうと考えてくれてたのか‥?)

黒澤

ふんふーん‥♪

差し入れ置いときますね

黒澤は持っていたコンビニの袋の中身を広げて、プリンを一つテーブルに置いた。

黒澤

では!行って参ります!

石神

‥黒澤

ドアノブに手を掛けた黒澤を呼び止める。

黒澤

はい?

石神

‥吉川の件、礼を言う

報告書もご苦労だった

黒澤

‥‥‥

石神

‥行け

ドアの向こうに、後藤の背中が見えた。

パタン、と閉められたはずのドアの向こうから、騒がしい声が洩れてくる。

黒澤

後藤さん!大変です!事件です!

後藤

事件!?

黒澤

石神さんに褒められたんです!

後藤

なっ‥寝惚けてるのか?

黒澤

あ、信じてないですね!本当なんですって!

(当分褒めてやることもないだろうが‥)

(今回は、黒澤のおかげでサトコも無事だったしな)

もしあのまま、サトコが撃たれていたら‥

石神

‥‥‥

考えただけで、こんなにも怖いことはない。

(想像しただけでこうだ。サトコにはどれほど心配をかけただろう‥)

意識を失いながらも、サトコに何度も呼ばれた感覚だけは残っていた。

どんな思いで俺を呼んでいたのかと思うと、申し訳なさばかりが募る。

石神

黒澤もたまには気が利くな‥

‥?

黒澤が置いて行ったプリンの横に、雑誌があるのが目に入った。

(忘れていったのか‥しょうがない奴だ)

表紙には「彼女が喜ぶデートプラン20選」とある。

石神

‥‥‥

(黒澤に踊らされている気もするが‥)

休憩ついでにそれを捲りながら、サトコのことばかりを考えていた。

【カフェ】

サトコ

「このお店、何時間でもお茶していたいですね」

「ケーキも美味しいし、魚も綺麗だし‥」

(連れてきて良かったな‥)

サトコ

「そういえば石神さん、頭は大丈夫なんですか?」

石神

‥‥‥

サトコ

「あ、なんだか変な言い方しちゃいましたね」

「頭痛とか、眩暈とか‥」

「中身が心配なのはむしろ私の方なんですけども」

石神

フッ‥最後まで自分で言うな

サトコ

「石神さんに私のバカさ加減を心配されたらヘコみますからね!」

「先手を打つに限るんです」

石神

‥もう平気だ。心配をかけた

サトコ

「大変でしたけど、無事に治って良かったです」

「‥万が一のことがあったらどうしようって、気が気じゃなかったので」

サトコは心底ほっとした顔で微笑む。

石神

その割に、大胆に捜査したようだが

サトコ

「う‥やっぱりお説教ですか?」

石神

何を今さら‥褒めてやることはあっても、責めることはないと何度も言っただろう

サトコ

「‥ひとつだけ、懺悔したいんですけど」

石神

は‥?

サトコ

「実は石神さんが動けない間に、教官室のデスクを漁っちゃったんです」

「‥ごめんなさい。信用問題です」

石神

‥‥‥

(信用問題だと‥?)

(これは本気で言ってるのか‥?)

しゅんと眉を下げるサトコを見る限り、どうやら本気らしい。

石神

それで怒ると思うのか?

サトコ

「誰でも勝手に見られたら嫌じゃないですか」

石神

お前の中では緊急事態だったんだろう?

サトコ

「はい‥」

石神

怒るより、褒めてやるところじゃないのか

まぁ、デスクを漁って情報が得られると浅はかに考えた点については指導が必要だが

サトコ

「あ、焦ってたんです‥!」

石神

だろうな

大丈夫だ。サトコが気にする必要は一切ない

サトコ

「ありがとうございます」

「でも、やっぱりごめんなさい‥」

(サトコらしいな‥)

しどろもどろと俯いていく様子が微笑ましい。

石神

‥まだ食べられるなら、このあたりのメニューを追加で頼まないか?

ひとりだと多い

サトコ

「食べます!半分こしましょう!」

石神

‥‥‥

立ち直りも、早い。

(ずっと見ていっても飽きないな‥)

サトコ

「10種のフルーツタルト‥ああっ、こっちも美味しそう」

「どうしましょうね‥」

あれこれとスイーツのメニューを眺めるサトコを、穏やかな気持ちで見つめた。

【公園】

サトコと並んで他愛のない話をしながら、俺はさっきのサトコの言葉を思い返していた。

(信用問題か‥)

真面目なサトコらしいとは思いながら、どこか距離のようなものを感じてしまう。

(いつも、“追い付きたい”と必死だからだろうか‥)

(俺は隣にいるつもりでも、サトコにとっては後ろを歩いている感覚なのかもしれないな‥)

年齢差に、立場。

警察組織の縦社会というものもあるだろうか。

(仕方のない部分もあるかもしれないが、それでも安心させてやりたい‥)

石神

サトコ‥

サトコ

「? はい」

手を取ると、サトコは弾かれたように顔を上げる。

石神

‥俺はお前を信用している

サトコ

「‥‥‥」

石神

お前が考えている以上に、俺はお前のことを信じている

どうか、そのことだけは分かっていてほしい。

サトコが真っ直ぐにぶつかってきてくれたように、

俺もまた、サトコの手を離すことなどないということを。

石神

‥もしまた、無鉄砲に道を踏み外すようなことがあれば、ちゃんと俺が手を引いてやる

その役目を担うのは、俺でいい。

他の誰かに譲るなんてことは考えられない。

(ああ、そうか‥)

(俺も、自分で思っている以上にサトコを愛しているのかもしれないな‥)

サトコ

「‥‥‥」

サトコは、蚊の鳴くような声で俺を呼んで‥

「ただいま」を伝えた時のように、俺を抱きしめた。

(お前のペースでいい。俺はちゃんと見ている‥)

困ったことに、愛情表現はそう得意な方ではないが‥

柔らかな髪を撫でる手に、少しでも伝わればいいと願いを込めた。

Happy  End

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