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マリアージュ 東雲カレ目線

【街】

うちの彼女がしょげている。

一見そんな感じはしなくても、オレには分かる。

サトコ

「今日こそ、おいしいエビフライが出来ると思うんですよ」

「なので今日は、タルタルソースも自分で作ってみようと思って‥」

東雲

‥‥‥

サトコ

「‥はぁ‥」

(ほら、ため息)

(これで5回目)

スーパーに向かうほんの10分間でこれだ。

もっとも本人は気付いてないようだけど。

(まぁ、いちおう元気に振る舞おうとはしてるみたいだし)

原因もだいたい分かってる。

彼女の「イメトレ」という名の「妄想」を、オレが無視したせいだ。

(ほんと謎すぎ)

(なんでたかだか妄想であれだけ盛り上がれるんだか)

しかも、妄想の内容もツッコミどころが満載だ。

(なに、あの愛憎劇のくだり)

(なんでそこで透と兵吾さんが出てくるわけ?)

(千葉や宮山ならまだしも‥)

東雲

‥‥‥

(‥それはそれでシャレにならないか)

東雲

はぁ‥っ

サトコ

「ど、どうしたんですか?いきなりため息ついて」

東雲

べつに

(ていうかキミだから。原因は)

(キミがつまらない妄想をするから)

カウンターキッチンがどうのとか。

オレを眺めながら料理をしたい、とか。

(ほんと、キモすぎ)

【スーパー】

(あと「ピーチネクター専用冷蔵庫」?)

(そんなの買うわけないじゃん)

(最近ようやく箱買いをやめさせて、パシリを復活させたのに)

さらに「婚約・同棲」という設定が、オレにはまるで理解できない。

(だったら先に籍を入れるじゃん。一緒に暮らすんだったら)

(ほんと意味不明)

そんなうちの彼女は、今ピーチネクターの試飲を美味しそうに飲んでいる。

試飲・試食サービスが苦手なオレからは理解できない無防備さだ。

(無理。絶対有り得ない)

(正直なにが入ってるか分からないし、だいたい‥)

販売員

「よろしければ旦那さんもいかがですか?」

(は!?)

笑顔とともに差し出されたカップを、オレは半ば反射的に拒絶した。

東雲

結構です

それと、彼女はアカの他人ですから

とたんに、彼女がぴくっと肩を震わせた。

(‥ん?)

販売員

「まあ、そうでしたか。失礼いたしました」

東雲

いえ

結局、新製品は3本買うことにして、その場を離れた。

けれども、うちの彼女のテンションは明らかにガタ落ちしてしまった。

(まさか、さっきの「アカの他人」って言葉に傷ついた?)

(‥そういえば、あのときも‥)

東雲

だとしたら、なおさら無理

そもそも他人と一緒に暮らすとか、ありえないし

サトコ

『で、でも今のは「婚約者」って設定で‥』

東雲

だから他人じゃん

違う?

サトコ

『違わない‥ですけど‥』

(‥え、しょげてた理由ってそっち?)

(妄想を無視したことじゃなくて?)

サトコ

「え、ええと、私‥エビフライのエビ、選んできますね」

彼女は、1人でとぼとぼと鮮魚コーナーへと向かった。

どうやらオレの推測は「あたり」だったようだ。

(なるほど「他人」ね‥)

誤解を恐れずに言うなら、オレにとって自分以外はすべて「他人」だ。

幼い頃は、実の両親に対してすら、そんなふうに思っていた。

それが「世間的にあまりよろしくない」と気づいたのは、東雲の家に引き取られてからのこと。

だから、今は「家族」だけは他人じゃないと思うようにしていた。

(でも、たぶんうちの彼女は違う‥)

「家族」はもちろんのこと、「恋人」「友人」「婚約者」‥

そうした親しい人間すべてが、彼女にとって「他人」ではないのだ。

とはいえ、そうした個人の見解の違いについて謝るのもどうなのか。

そもそもなんて説明すればいいのか。

そんなことを考えているうちに、今日の夕食が出来上がった。

(出たよ、お約束のブラックタイガー)

いつもなら、オレがそのことをからかっておしまい。

けれども今日は‥

【キッチン】

サトコ

「はぁぁ‥」

(‥またため息)

食べ終わった食器を洗いながら、ちらりと隣を盗み見る。

布巾を手にする彼女は、すっかりしょげかえっていて明らかに生気がない。

(精神的湿度80%ってとこ?)

でも、じゃあ、オレにどうしろと?

(今さら「キミは他人じゃないよ」って言えばいいわけ?)

(あるいは「ブラックタイガー美味しかったよ」とでも?)

もちろん、言おうと思えば言えなくはない。

仕事柄、嘘をつくことには慣れているのだ。

(でも、それってどうなわけ?)

確かに彼女は、オレの教え子で部下で恋人だけど‥

結局「他人」であることに変わりはない。

それに、ブラックタイガーは今日も苦くてまずかった。

(まぁ、アレについては、いっそこのままでいい気もするけど)

エビフライをまともに揚げられない程度で、彼女に失望するわけじゃない。

ただ、それではこの子自身が納得しないのだ。

だからこそ「上手に作れる自分」を妄想したのだろうし。

(となると‥)

東雲

まぁ、ブラックタイガーを脱してからだよね。最低限

サトコ

「え、何が‥」

(もちろん、キミが散々妄想していた‥)

東雲

婚約‥

そう言いかけて、ハッとした。

(オレ、今‥声にして‥)

慌てて隣を見ると、彼女は茹でカッパのごとく真っ赤になっていた。

東雲

な、なに赤くなってんの

サトコ

「きょ、教官こそ‥っ」

(くそっ‥)

サイアクだ。

本当にサイアクだ。

(心の中で言ってたつもりだったのに!)

いつの間にか止めていた蛇口を、急いで捻って水を出す。

何食わぬ顔で食器を洗い続けたけど、頭の中はすでに大混乱だ。

(ていうか、なんでこの子まで黙り込んでるの!)

(いつもなら、こういうときこそ食いついてくるじゃん)

「ブラックタイガーを脱したら結婚してくれるんですか!?」とか

「今のプロポーズですか?プロポーズですよね?」とか。

(そうすれば、こっちもリアクションできるのに)

(「調子に乗るな」ってデコピンして、それで‥そのあと‥)

(いつもどおりの雰囲気に戻れたら‥)

ピピピピッ‥ピピピピッ‥

突然鳴り響いたアラームが、オレの思考に「待った」をかけた。

サトコ

「え、ええと‥そろそろ帰る時間ですよね‥」

(えっ、帰る?)

サトコ

「すみません、片づけの途中なのに」

東雲

‥‥‥

(‥ああ、そうだった)

(さっきの、そのためのアラーム‥)

ようやく我に返ったオレ。

なのに、彼女はすでにキッチンを出て行ったあとで‥

【リビング】

慌てて追いかけると、彼女は荷物に手を伸ばそうとしていた。

(あのバッグ‥)

ハンドメイド感満載の、大き目なサイズのトートバッグ。

これまでに何度も見かけたことがあるから、中身もだいたい想像がついた。

(着替えとか化粧品とか、スマホの充電器とか‥)

(いわゆる「お泊り道具」が入っているはずで‥)

もちろん、気付かなかったふりをすることもできた。

だって、今日は彼女と泊まりの約束をしていないのだ。

(つまり、彼女が勝手に準備をしてきただけだし)

それでも、想像したくなかった。

重たそうな荷物を抱えて、寮に帰ってゆく彼女を。

精神的湿度80%のまま、肩を落として帰ってゆく彼女を。

(ああ、もう‥!)

サトコ

「それじゃ、おじゃまし‥」

すぐさま彼女に近づいて、その腕を強く引っ張った。

そして、有無を言わさず目の前の唇を強引にふさいだ。

サトコ

「ふ‥」

「んん‥っ‥」

(こんなの、オレらしくない)

(らしくない‥けど‥)

このまま1人にさせたくない。

帰したくない。

何より彼女にまだここにいて欲しいのだ。

【寝室】

そんなわけで、うちの彼女は今、客用布団で爆睡している。

寝顔が妙にニヤついてるあたり、どうせおめでたい夢でもみているのだろう。

(たぶん「エビフライがうまくできた」とか‥)

(「幻のピーチネクターが1軒目で見つかった」ってとこ‥)

サトコ

「教か‥」

東雲

サトコ

「ごほ‥び‥‥‥キッ‥ス‥」

(‥バカ。図々しすぎ)

ベッドの上から手を伸ばして、下唇に軽く触れてみた。

(やわらか‥)

(‥ま、知ってたけど。それくらいのことは)

感触だけじゃない。

キスしたときの甘さも、喉から漏れるくぐもった声も‥

さんざん味わったあとの唇の色味も、どれもよく知っている。

(ま、でもそれはお互いさまか)

彼女は彼女で、オレについて「いろいろなこと」を知っているのだろう。

(例えば、今日のあの妄想だって‥)

80%はくだらなかったけど、残りの20%はなかなか的を得ていた。

(キッチンカウンター越しに見つめられて文句を言うところとか)

(ベッドのくだりで喧嘩になるところとか)

東雲

で、最後はこっちが折れる‥と

オレにとってはかなり不本意な結末。

なのに、あながち間違っていない気がするからタチが悪い。

(まぁ、カウンター越しに見られるのは、いずれ慣れるだろうし)

(ベッドは‥一緒だと熟睡できなそうだけど‥)

(とりあえずキングサイズにすればくっつかずに済むはず‥)

サトコ

「ふふ‥教官‥‥むにゃ‥」

東雲

‥‥‥

(‥まぁ、少しくらいならくっつかれても‥)

(いずれ慣れるかもしれないし‥)

こうして付き合いが長くなればなるほど、自分の一部分が少しずつ変わっていく。

同時に、オレも彼女の一部をきっと変えているのだろう。

(‥悪くないか。それはそれで)

オレは、ベッドから降りると、彼女の前で身体を屈めた。

東雲

おやすみ

ちゅっ‥

この日、最後にキスした場所は‥

キミにも教えるつもりはない、オレだけの秘密だ。

Happy  End

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