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やさしい嘘を零すとき 東雲4話

カレ目線

【動物病院】

あの日。

急に元気がなくなった子猫を獣医に診せると、思いがけない事実が分かった。

遺伝性の病気で、長くは生きられないかも知れないという。

獣医

「最初に気付かなくて、申し訳ありません」

「この病気は、まだ対症療法しか治療法が無いんです」

「少しでもおかしいと思ったら、すぐに連れて来てください」

東雲

‥分かりました

(捨てられて、拾われて)

(やっと安心できると思ったら病気って‥)

(どんだけついてないんだよ)

(‥くそ)

それから合間を見て病院に連れて行ったけれど、

子猫の具合は日に日に悪くなっていき‥

少し苦しそうにしているのを見つけて病院に連れて行った日、

子猫はオレの手の中で静かに息を引き取った。

(あっけないな、本当)

(ついこの間まで、元気にオレと遊んでたのに)

(オレがもっと早く病院に連れて来られたら‥)

(もっと早く気付いてやれてたら)

(‥結果は違うものになってたのかな)

‥なんて、今になってあれこれ考えても遅い。

また大事なものが、オレの前から居なくなってしまった。

その事実はもう変えることなどできない。

【公園】

(‥あの子に会いたい)

(会って、子猫のことを話して‥)

抱きしめて寄りかかって、優しい体温を感じたい。

(‥いや、ダメだ)

あの子は子猫の面倒を見ることに、最初乗り気じゃなかった。

それは幼い頃、一緒に暮らした猫の思い出があるためだった。

(そのくせウチで預かると決まった途端、飼育のハウツー本とか山ほど買ってきて)

(ウチに来るたび、一生懸命を焼いて。子猫も懐いて‥)

(そんな子に‥言える訳、ない)

昔のようなお別れを、もう一度あの子に味わわせるのは嫌だった。

(あの子が悲しむところなんて見たくない)

(本当のことは言わないでおこう)

(しばらくウチに来ない間に、里親が見つかったことにでもして‥)

けれども、本当にそれでいいのだろうか。

(あの子のことだから、どんな結果でも最後まで見届けたいだろうし)

(それが出来る子のはず‥)

(いや‥これでいいんだ、多分)

(こんな思いをするのは、オレだけでいい)

【教官室】

サトコ

「そう、だったんですね‥」

オレが事実を話し終えると、彼女は小さな声で呟いた。

(嘘をつくことで、この子の心を守ったつもりでいたけど)

(オレがこの子の立場なら、同じことを思って怒っただろうし)

(伝えなかったのは、やっぱり判断ミスだ)

あの時迷いに迷って、最後に残ったのは、

「彼女の悲しむ顔を見たくない」というオレの我儘だった。

自分の感情に流されて嘘ついて、相手の心を大事にできてなかった。

(ホント‥今さら気付くなんて、どうかしてる)

東雲

ごめん、言わなくて

サトコ

「いいえ‥私も、ごめんなさい」

東雲

どうしてキミが謝るの

サトコ

「だって、教官に辛いことを思い出させてしまって‥」

(別に、キミは悪くないのに)

可愛がっていたのだから、怒るのは当然のことだ。

(しかも、信じてたオレに嘘までつかれて‥)

たとえそこに正当な理由があったとしても動揺するだろう。

(オレも、まだまだだな‥)

サトコ

「今、あの子は?」

東雲

どうするか決めるまで、動物病院で預かってもらってる

サトコ

「そうですか‥。一緒にお見送りさせてもらってもいいですか?」

東雲

もちろん。キミも一緒に来て

サトコ

「‥はい。ありがとうございます」

頬を伝った涙を拭い微笑んでくれたから、少しだけほっとする。

東雲

‥で?

サトコ

「え?」

東雲

わざわざ教官室まで来た用件は?

サトコ

「あ、いえ」

「あれからずっと教官の様子がおかしい気がして、気になって」

「どうしたんですかって、直接聞きに来たんです」

東雲

‥オレ、そんなに分かりやすかった?

サトコ

「何となくです」

「でも、そんなの見てるの私くらいだし、誰も気付いてないと思いますよ」

(確かにね)

(普段は鋭い黒澤も、何も気付いてなかったみたいだし)

(この子ってボーっとしてるようで、結構よく見てるんだよな)

サトコ

「教官」

「さっきも言いましたけど、私にも教官の荷物、半分持たせてください」

東雲

え?

サトコ

「共有したいんです‥嬉しいことだけじゃなくて、悲しいことも」

(‥そんな風に思うんだ、この子は)

悲しみを共有するなんて、オレはこれまで考えたこともなかった。

(そんな必要があるなんて、思ったこともないし)

けれども、この子の言っている意味は何となく分かる。

東雲

ここ、座って

適当に椅子を引き寄せて隣に置き、座るように促す。

東雲

‥貸して、肩

返事を待たず、頭を肩に乗せた。

(どうせ答えは分かってるし)

(‥‥)

(‥息してる。あったかい)

呼吸をするたびにわずかに動く身体を近くに感じて、不思議なほどに安心する。

(‥‥‥生きてる)

腕を回してぎゅっと抱きしめると、そっと背中に手が触れる。

彼女の温かさに包まれ、凝っていたものがゆっくりと解けていくのを感じながら目を閉じた。

2日後の週末。

オレは旅立った子猫の小さな身体を合同火葬で見送ると決めた。

ペット霊園で空を見上げ、彼女がほうっと息をつく。

サトコ

「あの子、今頃お空に昇ってますかね」

東雲

煙としてね

サトコ

「なっ、なんでそういうことを」

東雲

はいはい、昇ってる昇ってる

サトコ

「もう!」

「でも、綺麗なところで見送れて良かった」

「‥‥遠くまで来た甲斐がありましたね」

東雲

‥そうだね

しんみりとした空気が漂ったので、オレはもう前へ進むことにした。

東雲

そろそろ行こっか

サトコ

「はい‥」

「‥ところで教官、念のために確かめたいことがあるんですけど」

東雲

何?

サトコ

「やっぱり帰りも私が運転するんですか‥?」

東雲

じゃんけんで決めたから平等でしょ

サトコ

「行きも帰りも私が運転してる時点で平等じゃないですよ!」

「まったくもう、たまには運転してくれたって‥」

いつもの不満そうな顔でぶつくさと文句を言う彼女に、ふっと笑みがこぼれる。

(この子がいつも通りに戻ったってだけで、救われた気持ちになる)

【車内】

車を運転しながら、不意に彼女が問いかけて来る。

サトコ

「そうだ、教官」

東雲

サトコ

「あの子の名前、いつの間に決めてたんですか?」

東雲

‥‥

目だけ向けると、あの子は不思議そうに首を傾げた。

サトコ

「あれっ。確か書類の名前欄に書いてましたよね?」

「ちょっと遠くて、何て名前かまでは分かりませんでしたけど‥」

(見てたのか‥油断した)

この子に見られないうちに、サラサラっと書いたつもりだったのに。

東雲

まあ、もしものときのためにね

サトコ

「そうだったんですね。何て名前なんですか?」

東雲

覗き魔には教えない

サトコ

「って、覗いてないです!たまたま見えただけです!!」

(焦り方が分かりやすくてバレバレなんだけど)

(‥あの子の名前は、オレとあの子だけが知ってればいいでしょ)

サトコ

「そんな意地悪言わないで、教えてくださいよ~」

東雲

しつこい

ほら信号青、早く車出して

サトコ

「あ、話逸らしましたね!?」

笑いながら、オレは晴れ渡った空に目を向けた。

(悲しみを分け合う‥か)

喪失感は消えないけれど、心は穏やかだった。

おそらく、隣で文句を垂れながら運転しているこの子のおかげだろう。

(本当は今日だって、こんな風に笑えるなんて思わなかった)

(‥ホント、困るんだけど)

こんな感情を知ってしまったら、もっとこの子から離れられなくなる。

(こういうのって何て言うんだろ。末期?)

くすぐったい嬉しさと少しの困惑。

つい緩む口元を隠すために、オレはまた窓の外を見つめた。

小さなあの子の旅立ちを導くように、空はどこまでも晴れ渡っていた。

Happy  End

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