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加賀兵吾の再調教 1話

【学校 廊下】

加賀
おい

ドスの効いた低い声に呼び止められて、ギクリと立ち止まる。
恐る恐る振り返ると、そこには予想通り、顔をしかめた加賀さんが立っていた。

サトコ
「な、なんでしょう···?」

加賀
テメェ、なんのつもりだ

サトコ
「え?」

加賀
こんなクソみてぇな報告書作りやがって

それは、さっき私が加賀さんに渡した書類だった。

サトコ
「何か問題でも···?」

加賀
大アリだ。わかんねぇのか

サトコ
「でも、ありのまま事実を書いたはずですけど」

加賀
誰がありのまま書けって言った?
テメェは何年、俺の補佐官をやってやがる

サトコ
「に、2年近く···」

加賀
この報告書を、あのサイボーグが見たらどうなる

そう尋ねられ、自分で作成した報告書の内容を思い出した。

サトコ
「···単独行動をした加賀さんが、こっぴどく怒られると思います···」

加賀
そういうことだ

バサーッと、目の前に書類を捨てられた。
数時間かけて頑張って書いた報告書が、無残にも床に散らばる。

サトコ
「ああ···!私の努力の結晶が」

加賀
書き直せ

サトコ
「ハイ···」

私が書類を拾い集めるのを一瞥すると、加賀さんはさっさと廊下を歩いて行ってしまった。
隣で息を呑んでいた鳴子と千葉さんが、書類を拾うのを手伝ってくれる。

鳴子
「すさまじい···」

千葉
「恐ろしい···」

サトコ
「びっくりさせてごめん···」

千葉
「それで、さっき加賀教官が言った『そういうことだ』ってどういうこと?」

サトコ
「えっと···私が書いた報告書だと、加賀教官の単独行動が石神教官にバレて」
「非常にめんどくさいことになるから、そうならないようにうまく書き直せ、って意味かな」

鳴子
「あの『そういうことだ』の中に、そんな事情が含まれてるとは···」
「でも、サトコは一生懸命仕事してるのに···さすがにちょっとひどいよね、加賀教官」

サトコ
「え?」

鳴子
「え?」

千葉
「え?」

サトコ
「いや···ひどい···かな」

(こんなの、今に始まったことじゃない···というか)
(身体的ダメージがない分、まだ優しい方なんだけど)

何も言わなくても、なんとなく鳴子たちには考えが伝わったらしい。
ふたりの表情に、同情の色が滲んだ。

鳴子
「サトコ、かわいそうに···加賀教官のひどさに慣れちゃったんだね」

千葉
「そうしないと生きて行けない、過酷な状況なんだな···」

サトコ
「そ、そういうわけじゃないけど」

(うーん···でも、そうか···他の人からはそう見えるんだ)
(この程度で済んでよかった···って思う私、かなり加賀さんに調教されてる···?)

書類を拾いながら、複雑な気持ちになる私だった。

【教場】

数日後の加賀さんの講義は、“暗号について” がテーマだった。

加賀
今からスクリーンに映像を流す。しっかり覚えて解読しろ
失敗したら、海外に工作員として送り込んでやる

訓練生
「!?」

加賀
実地で、命懸けで学んで来い

(お、恐ろしい···加賀さんなら本気でやりかねない···)

みんな、命の危険を感じてスクリーンに集中する。
短い時間、そこに5ケタの数字が浮かび上がった。

(今の数字を、この乱数表を使って解読するのが今日の課題か···)
(日本は平和だからあまり危機意識がないけど、海外ではこういう暗号がよく使われてるんだよね)

必死に解読していると、横に加賀さんが立った気配がした。

加賀
できたか?

サトコ
「は、はい···一応」

加賀
······

私が解読した結果を見ると、加賀さんが顔をしかめた。

(まさか、間違ってた···!?)
(このままじゃ、海外に工作員として送り込まれる···!)

加賀
···チッ

サトコ
「す、すみません!やり直しま···」

加賀
···正解だ

サトコ
「へ?」

(正解なら、なぜ舌打ちを···!?)

暗号を解いた紙を私に戻すと、加賀さんが周りに聞こえないように小声になった。

加賀
最近、工作員が日本の情報を海外に流してる動きがある
今度、そいつが参加するパーティーに潜入する。詳しいことはあとだ

サトコ
「は、はい」

私とは目を合わせることなく、加賀さんが教壇へと戻る。
そして再び、スクリーンにほんの一瞬、数字を表示させた。

加賀
今のを暗記できた奴は?

訓練生
「······」

加賀
チッ

サトコ
「す、すみません···消えるのが早すぎて」

加賀
「 “ターゲットの確保に成功。全員持ち場に戻れ” 」
さっきの乱数表とこの数字を照らし合わせて、確認してみろ

もう一度スクリーンに映し出された数字を、乱数表と比べてみる。
確かに、加賀さんが言ったような意味合いであることは間違いなかった。

加賀
現場に出れば、このスピードと精度が要求される
乱数表は、不定期に敵が更新する。その都度記憶しなきゃならねぇ

訓練生A
「その都度···」

訓練生B
「当たり前だけど、メモしてる余裕なんてないよな···」

加賀
いつでも、ターゲットが使ってる最新の乱数表を頭に叩き込んでおけ
でなきゃ、待ってるのは “死” だ

そこでちょうどチャイムが鳴り、講義が終了する。
みんな、加賀さんのすごさを目の前にして絶句するばかりだった。

(教官たちはみんな、あれを普通にできるってことだよね)
(私たちも公安刑事になったら、あのくらいできなきゃダメなんだ)

加賀
おい

講義終了後、加賀さんに呼ばれて教壇へ向かう。
他の訓練生がいなくなったのを確認して、加賀さんが口を開いた。

加賀
さっき話した通りだ

サトコ
「潜入捜査ですね」

加賀
敵国とつながってる工作員が、ある団体の主催するパーティーに参加する
だが、情報はそこまでだ。そいつが主催者側なのか来客なのかは不明
俺は主催者側として潜入する。氷川は来客側だ

サトコ
「わかりました」

(これってきっと、さっき講義で聞いたばかりの暗号の解読の仕方が役に立つかも)

もしかして、このためにこのタイミングでさっきの講義をしてくれたのかもしれない。

サトコ
「パーティーってことは、ドレスコードもあるんですよね」

加賀
一般的なパーティーだ。それなりの恰好をしてくりゃ問題ねぇ
他に質問はあるか

サトコ
「えっと···潜入するのは、私たちだけですか?」

加賀
いつも通り、歩に援護させる
だが、現場に入るのは俺とテメェだけだ

(じゃあ、いざというときに加賀さんの補佐ができるのは、私だけなんだ)

サトコ
「あ···相手国の乱数表、覚えた方がいいでしょうか?」

加賀
できるもんならな

意地悪な笑みを浮かべ、加賀さんが私を一瞥する。

(これ絶対、『どうせ無理だろ』って思われてる···)
(でも、工作員を野放しにしておくと、国家の危機につながる可能性が高い···頑張らなきゃ!)

改めて気を引き締め直し、加賀さんと一緒に教場を出た。

【パーティー会場】

数日後、予定通り、加賀さんと別行動でパーティーに潜入した。

(このパーティーの主催者は、日本でも有数の人権団体···)
(そこに、工作員が紛れ込むってことは···)

人権団体と工作員がつながっているのか、はたまた団体にスパイ仲間がいるのか···
ただの隠れ蓑にしている可能性も否定できず、慎重な行動が求められる。

(今回の任務は、パーティーの中にいる工作員を特定して敵国とつながってる証拠をつかむこと)
(できれば工作員を確保できるのが、一番いいんだけど)

何食わぬ顔でパーティーに潜入すると、自分の格好を確かめる。

(前に加賀さんからもらったネックレス···)
(それに、去年のクリスマスに加賀さんがプレゼントしてくれた靴···よし、完璧!)

まるで加賀さんに守られているような気持ちになれて、心強い。
それに加え、会場のどこかに加賀さんがいるはずだ。

サトコ
「氷川、入りました」

インカムに向けて、小さく報告する。
微かな物音の後、東雲教官の声が聞こえた。

東雲
兵吾さんも定位置についたよ

サトコ
「わかりました」

東雲
相手も、潜入のプロだから。変な行動は取らないようにね
失敗すれば、目が覚めたら檻の中、なんてこともあるよ

サトコ
「笑えませんから···」

でも東雲教官は、インカムの向こうニヤニヤ笑いを浮かべている気がする。
東雲教官に加賀さんの居場所を聞いて、目線だけをそちらに向けた。

加賀
······

(いた···!このあとは、主催者側の動きを加賀さんから聞いて、次の行動を決めるから)
(とりあえず今は、それとなく加賀さんと接触しないと)

さりげなくそちらに向かったけど、なぜか加賀さんは私と反対の方向へ歩き出した。
どうやら、主催者の誰かに呼ばれたらしい。

(仕方ない。予定はちょっと変わるけど、もう少しあとにしよう)

でも、その後も加賀さんとはことごとくタイミングが合わず、接触できないまま時間が過ぎていく。

加賀
そうですね···では、そちらは任せてください

組織幹部
「本当になんとかなるんだろうな?」

加賀
ええ

主催者のひとりと、何やら相談しているのが見える。
あまりにも避けられているようなその様子に、加賀さんを追うのを止めた。

(もしかして、何か予定と違う事態になったのかも)
(今、私と接触するとまずいとか···?)

そもそも、工作員が参加するパーティーということを考えると、人権団体自体も怪しい。
加賀さんのことだから、この行動にな理由があるはずだった。

(でも、それじゃ次はどうしたら···)
(東雲教官に連絡入ってるかな。指示を仰いだ方がいいかも)

通信しようとしたとき、横に誰かが立つ気配がした。
ギリギリのところで通信を止めて振り返ると、そこにいたのは···加賀さんだった。

サトコ
「あ···」

加賀
どうも。おひとりですか?

サトコ
「えっ?」

驚く私の腰に手を回し、加賀さんが柔らかい笑顔を浮かべる。

(これは···誰!?)
(いや、それより···こんな堂々と、直接接触してくるなんて)

加賀
よかったら一緒に飲みませんか

サトコ
「いえ、私は···」

戸惑いを隠して、必死に加賀さんの表情から状況をつかもうと努力する。
でもこの笑みからは、何も読み取れなかった。

加賀
こんなに綺麗な方にパートナーがいないなんて、もったいない

サトコ
「!?」

加賀
よろしければ、私の相手をしてもらえませんか?

(『綺麗な方』···『私』!?)
(いや、落ち着け···今は潜入中なんだから)

こういう状況で、口説くフリなどをして初対面を装うことは捜査員の間ではよくある。
なんの理由もなく、加賀さんがこんなことをするはずがない。

サトコ
「そ、そうですね···私でよければ、ぜひ」

加賀
では、まずは乾杯しましょう

加賀さんが、ウエイターにシャンパンを持って来させる。
そのうちのひとつを、私に差し出した。

加賀
どうぞ

(こんなの、予定にない···でも、断るのも変かな)
(それに、どこで誰が見てるかわからないし)

サトコ
「ありがとうございます。じゃあ、乾杯」

笑顔でグラスを傾けると、加賀さんが自分のグラスを軽く目の高さに上げる。

加賀
私もひとりなんですよ。正直、つまらないと思っていたんですが···
あなたのような人に出会えて、幸運だった

サトコ
「は、はい···」

加賀さんの口から飛び出す予想外の言葉の数々に、吹き出しそうになる。

(ダメだ···笑っちゃダメだ!でもつらい!)
(こんな加賀さん、二度と見れない···ムービー撮りたい···!)

必死に頬の筋肉を引き締めて、グラスに口をつけると、飲むふりをする。
でも同じようにシャンパンを口にした加賀さんに、目で『飲め』と合図された気がした。

(どういうことだろう···?予定外のことだらけで、どうしたらいいか···)
(とりあえずここは、加賀さんに従おう)

シャンパンが喉を通って行ったあと、ほんの一瞬、視界が揺らいだ気がした。

(この程度で···?いや、そんなにお酒に弱いわけじゃないし)
(加賀さんは平気そう···もしかして、結構強いお酒だった?)

サトコ
「あの···」

加賀
······

サトコ
「わ、わたし···」

なんとか言葉にしようとするのに、うまく舌が回らない。
次第に意識が遠のき始め、身体に力が入らない私を、加賀さんが抱き留めた。

サトコ
「か···」

加賀
······

(待って···これ、どういう···)
(まさか···お酒に、何か···)

一服盛られたと気づく前に、視界が狭まっていく。

最後に見えたのは、加賀さんの口元に浮かんだ、意味深な笑みだった······

to  be  continued

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