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加賀兵吾の再調教 2話

【牢屋】

······あのパーティーから、何日経っただろう。
窓のない部屋に監禁されて、時間の感覚がなかった。

(身体が痛い···あちこち擦れて、血が滲んでる)
(なんで、こんなことに···)

まだ困惑している頭で、自分が置かれた状況を改めて確認する。
いつの間にか足枷がつけれられて、そこから伸びいる鎖は床に刺さった楔につながっていた。

(動ける範囲は、2メートルくらい···)
(看守は常にひとり···実際はふたりで昼と夜、交代しながら見回りしてる)

食事は一日二度、檻の中まで運び込まれる。
トイレは申告すれば連れて行ってもらえるけど、目の前まで看守に付き添われてながらだ。

(常に監視の目がある···逃げられない)
(いや、そもそもこの足枷をどうしかしないと)

冷静になるよう、自分に言い聞かせる。
でもどうしてこんなことになったのかわからず、ただただ戸惑うばかりだ。

(加賀さんに勧められたあのシャンパンに、何か入ってたのは間違いない)
(だけど、どうしてそんなこと···打ち合わせではそんな話してなかった)

いくら考えても答えは出ず、結局何もできないまま数日が過ぎている。
足音が聞こえて顔を上げると、いつもこの時間に見廻りに来る看守が歩いてきた。

看守
「大丈夫か?つらいだろう」
「足枷を取ってやってくれって言ってるんだが、聞き入れてもらえなくてな···」

サトコ
「ありがとうございます···」

ここに来てから、唯一優しくしてくれるのはこの看守だ。
その気遣わしげな眼差しに、気が緩みそうになるのを感じる。

(ここに連れて来られて、一度だけ加賀さんの姿を見た···)
(あれは、確か···)

【牢屋】

目を覚ました時にはすでに、見慣れない鉄格子の中だった。
訳が分からずぼんやりしていると、近くから聞き慣れた声がすることに気付く。

加賀
ああ、あの女で問題ねぇ


『なら、さっさと引き渡した方がいいんじゃないですか?』
『ボスが、向こうの機嫌を損ねる前にって言ってましたよ』

加賀
そっちとは、俺が交渉する

(加賀さんの声···助けに来てくれた···?)

でも、話の内容からそうではなさそうなことは容易に想像できる。

(交渉···引き渡し···一体、なんの···)


『向こうに恩を売れるし、全部丸く収まりそうですよ』
『予定の女が死んだときには、どうしようかと思いましたけどね』

加賀
代わりにあの女を組織に売りつければ、今回の取引はどうにかなる

冷たい声音に、背筋が凍りつくような気がした。

( “あの女” って···私のこと?)
(組織に売る···?一体、何が起きてるの?)


『せっかくだし、売る前にあの女と愉しみませんか?』
『黙ってりゃバレませんよ。こんなに苦労してるんだから、少しくらいは···』

それ以降の言葉が頭に入ってこない。
身体の奥から、心臓の鼓動が鈍く聞こえる。
口の中は渇ききり、手も足も鉛のように重い。

(私が、売られる··· “組織” って、どこの···?)
(いや···加賀さんのことだから、きっと何か考えが)

でも振り向いてみても、加賀さんはこちらに背を向けていて顔が分からない。
持ち物はすべて没収されているらしく、インカムも携帯も、通信機器は手元に残っていなかった。

(東雲教官たちに連絡も取れない···加賀さんとは目も合わない)
(どうしたらいいの?私は、何をすれば···このままじゃ···)

ただただ混乱の中、床の冷たい感触だけを感じていた······

【牢屋】

(あれから、加賀さんの姿は見てない···)
(どういうことなのか説明して欲しいけど、この状況じゃきっと無理だろうし)

東雲
相手も、潜入のプロだから。変な行動はとらないようにね
失敗すれば、目が覚めたら檻の中、なんてこともあるよ

現実になってしまった東雲教官の言葉が思い出され、なおさら落ち込みそうになる。

(油断したつもりはない···まさか加賀さんに一服盛られるとは思ってなかったから)
(でも、こういう状況になったからこそ、できることもあるかもしれないし)

そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
振り返ると、加賀さんが数人を引き連れて歩いてくるのが見える。

看守
「お疲れ様です」

加賀
ああ
···起きてたか

見たこともないほど冷たい笑みを浮かべて、加賀さんが私を一瞥する。
その顔を見るだけで、なぜか無性に泣きたくなった。

(ダメだ···まだ加賀さんの考えも分からないのに、泣いてる場合じゃない)
(加賀さんのことだから、きっとこういう状況でも私に何か伝えようとしてくれるはず···)

サトコ
「···私に、何か恨みでもあるんですか?」
「どうしてこんなこと···聞く権利くらいありますよね?」

加賀
ずいぶん度胸が据わってんな
テメェはこれから、あのパーティーの主催者とつながってる富豪に売られる

部下
「変態大富豪って有名らしいぜ。せいぜいかわいがってもらえよ」

(変態大富豪···売られる···)
(目が覚めたときに聞いた話は、聞き間違いじゃなかった···!)

サトコ
「売るなんて、そんなの許されるはずが···警察が黙ってませんよ!」

加賀
警察が何してくれる?クソ喰らえだ
テメェに助けは来ねぇ。せいぜい、売られるまで大人しくしてろ

(日本でも有数の人権団体の主催者が、人身売買に関わってたなんて)
(私たちは、工作員の動向を追うはずだったのに···)

どうやら、それとはまた別の大きな事件が水面下で動いていたらしい。

(あの団体、工作員が隠れ蓑にするくらいだから、怪しいとは思ってたけど)

加賀さんは、それに気付いて両方追うつもりなのかもしれない。

(加賀さんらしいけど···でも、何か合図をくれないとどうしていいかわからない)
(とにかくなんでもいいから、情報を···)

サトコ
「···どうして、こんなことするんですか?」
「これからどうするつもりですか?逃げ切れるはずないのに」

それは、表向きは犯人に向けた言葉だ。
でも周りに気付かれないように、必死に加賀さんに訴えかけたつもりだった。

(私は何をすればいいか、加賀さんから指示をもらわなきゃ···!)

加賀
······

加賀さんが、私を睨みつけるように見下ろす。

部下
「黙らせますか?」

加賀
···手っ取り早い方法がある

ゆっくりと歩いてくると、加賀さんが私の顎に手を添えて強引に上を向かせた。
身を引く前に、無理やり唇が重なる。

(なっ···)

それはいつもの加賀さんの、強引だけど優しさを感じられるキスでは、欠片もなかった。
なんの感情もない、ただの冷たい、見せしめのようなキスでしかない。

(こんなのっ···)

反射的に、潜り込んできた加賀さんの舌を噛む。

加賀

サトコ
「何をっ···」

加賀
···いい目してんじゃねぇか
相手は変態大富豪らしいからな。このくらい、生易しいだろ

演技だと信じたいのに、その言葉は、私の知っている加賀さんのものではない。


「どうせ、数日中には向こうの手に渡るんですよ」
「ここで俺たちが愉しんでも、バレませんって」

加賀さんの様子に、近くに居た男がニヤニヤしながら私の方へ近づいてくる。
でも加賀さんの舌打ちが聞こえたのか、慌てた様子で引き下がった。

加賀
看守といい、男をたぶらかすのが特技か?

サトコ
「······!」

加賀
あと数日、せいぜい自由を楽しみやがれ

なんの感情もこもっていないその声と言葉に、それ以上何も言えなくなる。
加賀さんが立ち去ると、
一緒に来た男たちもこちらをチラチラ見ながら仕方なさそうについていった。

サトコ
『どうして、こんなことするんですか?』
『これからどうするつもりですか?逃げ切れるはずないのに』

(私なりに、精一杯、加賀さんの考えを探ろうとした···)
(加賀さんが、それに気付かないはずがない)

でも、なんのヒントも得られなかった。
つまり加賀さんは、私に何も伝えるつもりがないということだ。

(どうして···加賀さん···)

看守
「···大丈夫か?」

サトコ
「······」

看守
「ひどいよな···いくらなんでも、ここまでしなくたって···」

床に崩れ落ちている私と同じ目線にしゃがみ込み、看守が心配そうに顔を覗き込んできた。
鉄格子の向こうから聞こえる優しい声に、涙が零れそうになる。

(気をしっかり持たなきゃ···加賀さんが本当に私を売ろうとするはずがない)

わかっているのに、頭が真っ白になりそうだった···

それから数日は、何の動きもなかった。
相変わらず優しいのは看守だけで、
たまに男たちがやってきて、ねっとりとした、いやらしい目つきで私を見ていく。

(外との連絡手段は、全部奪われた···でも、教官たちや室長が絶対に探してくれてるはずだ)
(東雲教官のことだから、もしかしてもう、私の居場所にも目星をつけてるかもしれない)

加賀さんが何を考えているのか分からない以上、そうやって心を強く持つしかない。
私には何も言ってくれないけど、加賀さんがすでに教官たちと連絡を取っている可能性もある。

加賀
立て

布団も何もない冷たい床で連日寝かされていたせいか、不意に意識が飛ぶ瞬間がある。
気が付くと、いつの間にか加賀さんが檻の外に立っていた。

サトコ
「あ···」

加賀
······

意識が朦朧としているせいで、危うく加賀さんの名前を呼びそうになる。
慌てて首を振り、言われるまま立ち上がると、加賀さんが檻の中に入ってきた。

加賀
ここから出してやる

サトコ
「え···?」

看守から受け取った鍵で加賀さんに足枷を外されて、ようやく身体を拘束しているものが消えた。
安堵したのも束の間、今度は首に冷たいものが触れる。

(これ···まさか、首輪?)

サトコ
「や、やめ···」

加賀
喚くんじゃねぇ

ぐいっと、首輪からつながっている鎖を引っ張られた。
まともに歩いてすらいなかった身体は簡単によろけて、加賀さんのほうへ倒れ込んでしまう。

加賀
何してやがる

サトコ
「っ······」

微かに、加賀さんの煙草の香りが鼻をくすぐった。
懐かしいとすら感じるその匂いに、張り詰めていた緊張の糸が切れそうになる。

(いけない···今は、そんな場合じゃない)
(絶対に、加賀さんには何か考えがある···そう信じなきゃ)

【応接室】

首輪をつけたまま連れて来られた応接室には、ひとりの男性が待っていた。
加賀さんが恭しく頭を下げると、男が私を見て立ち上がる。

加賀
「 “商品” をお持ちしました

大富豪
「やあ、その女か!素晴らしい!」

どうやら、この男が “変態大富豪” らしい。
ギラギラと気持ち悪いくらいに貴金属を身につけて、私の方へ近づいてきた。

大富豪
「首輪がよく似合うなあ。私の家に来たら、新しい首輪を買ってやろう」
「どうだ?嬉しいだろう?かわいがってやるからな」

伸びてきた手が、私に触れようと頬に近づいた。

(やだ···!気持ち悪い!)

加賀さんに握られた鎖があるせいで、逃げることはできない。
思わず身を硬くすると、触れられる前に加賀さんが男と私の間に立った。

加賀
洗ってませんので、触れない方がよろしいかと

大富豪
「むぅ···」

加賀
ご安心を。お売りする際は、綺麗にしてお渡しします

大富豪
「そうかそうか!楽しみにしてるぞ!」

男は大喜びで部屋を出て行ったものの、加賀さんは私に背を向けたままだ。

(助けてくれたんだって、思いたいけど···)

予定外のことが続いた上、何も情報がないままこんな状況に追い込まれ、心が揺れる。

(···加賀さんを信じて、本当にいいんだよね?)

そんなふうに思うことに、罪悪感が過った。

(ダメだ···ここに来てから、ずっと弱気なままだ)
(ここで諦めたら、工作員の動向も人身売買の証拠も、何もつかめなくなる)

そのとき、シャラン···と微かな音が床から聞こえた。
視線を落とすと、そこには加賀さんからもらったネックレスが落ちている。

サトコ
「あ···!」

拾おうとした私の手がネックレスに触れる前に、加賀さんがそれを踏みつけた。

加賀
商品が、勝手な行動してんじゃねぇ

サトコ
「······!」

加賀
連れてけ

部下
「はい」

首輪の鎖を部下に渡すと、加賀さんが冷たい笑みを浮かべた。

加賀
せいぜい、看守に命乞いでもしてみろ
情けをかけてもらえれば、助けてもらえるかもな

サトコ
「っ······」

うつむいて、必死に涙を堪える。
加賀さんがネックレスを踏みつけた姿が、頭から離れなかった。

【牢屋】

檻に戻されると、再び足枷でつながれた。
でもそれよりも、ネックレスが壊れてしまったことに胸が苦しくなる。

(加賀さんからもらった、大事なネックレス···)

加賀さんがプレゼントしてくれた靴は、ここに入れられた時に脱がされたらしい。
今、加賀さんを感じられるものは、何ひとつ身につけていなかった。

(···泣くな、泣くな!)
(ここで泣いても、何の解決にもならない)

自分にそう言い聞かせて唇を噛み締め、きつく目を閉じる。
手を握り、必死に我慢して···それでも、堪えきれなったひと粒が、頬を伝った···

翌日、ひと晩考えてようやく少し落ち着いた。

(不安は残る···でも、加賀さんを信じたい。ううん、信じなきゃ)
(だけど、現時点で何を信用していいかわからない···)

このまま何もしなければ、事態は最悪の方へ進むだろう。
少なくとも加賀さんは、今は向こう側の人間で、私を助けてくれる気配はない。

(つまり、自分でどうにかしろってことだ)
(何か考えがあるなら、加賀さんのことだから、きっと私にメッセージを送ってるはず···)

これまでの、加賀さんの言動を思い出してみる。

加賀
警察が何してくれる?クソ喰らえだ
···いい目してんじゃねぇか

(他は···?何かヒントになるようなこと、言ってなかった?)
(絶対、他の人にはわからない、私だけに伝わる言葉があるはずだ)

そしてようやく、ひとつだけ気になるワードに行きついた。

加賀
看守といい、男をたぶらかすのが特技か?
せいぜい、看守に命乞いでもしてみろ

(···なんであんなに、看守を気にしてたんだろう?)
(何も考えずに、加賀さんがあんなことを言う···?)

これまでのことを考えると、加賀さんの言葉には必ず意味があった。
特にこういう状況で、なんの理由もなく発言する人ではない。

(···イチかバチか)
(でも···やるしかない)

少しすると、檻の向こうから足音が聞こえてきた。
あの優しい看守が、今日も心配そうに私に声を掛ける。

看守
「大丈夫か?もう少ししたら食事だからな」

サトコ
「ありがとうございます···あの」

看守
「なんだ?」

サトコ
「足首の···枷のところが、擦れて痛くて」
「ちょっと、見てもらえませんか···?」

看守
「······」

ドレスの裾を少しだけ上げて、肌を見せる。
永遠とも感じるような一瞬の静寂の後···
檻の中に入ってきた看守が、持っていた鍵で私の枷を外す音が響いたーーー

to  be   continued

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