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お留守番彼氏 東雲

【個別教官室】

それは梅雨シーズン真っ只中のある日のこと。

黒澤
やー、なんかすみません
まさか、このタイミングでラブコールがくるとは思わなくて

東雲
······

黒澤
でも、せっかくの監視対象者からのお誘いですからね
心して、探って来ようと思います

東雲
······

黒澤
というわけで、あとはよろしくお願いしますね
あ、お土産は『紫の恋人』で
それじゃ!

軽やかに閉まったドアに、オレはカレンダーを投げつけてやりたくなった。
これで、明後日から1週間分の予定はすべてキャンセルだ。

(あり得ない)
(透の代わりに出張とか)

ひとまず仕事の予定をすべて変更。
その後、プライベートの予定を記したカレンダーアプリを立ち上げた。

(土曜日···昼から映画)
(その後、久しぶりに外食)

そうだ、先週あの子がはしゃいでいた。
「予定は半年待ち」の焼き肉店の予約を、譲ってもらえたのだと。

(そのあと泊まり)
(しかも3週間ぶりだったはず)

でも、それらもすべてキャンセルだ。
急な出張のせいで。

(サイアク···)
(ほんとサイアク)

LIDEでメッセージを送信して、ため息をつく。
もちろん、仕事が理由だから、責められることはないだろう。
ただ、彼女が落ち込む姿は容易に想像できた。

(しょぼくれるか、へんなスタンプの連打が来るか)
(ああ、でも空元気が過ぎて、意味不明な返信が来る可能性も···)

ピンポーン!

(きた、返事···)

ーー『了解です』

東雲
······
············

(···え、これだけ?)

思わず、アカウント名を確認する。
だが、何度見ても彼女のもので間違いない。

(···いや、いいけど)
(了解なら、それで···)

東雲
······

(まぁ、でも念のため···)

東雲
『どうするの、焼肉』···送信···

ピンポーン!

ーーー『鳴子を誘おうと思います』

東雲
······あっそう

(だったらいいけど)

東雲
······
············

(いや、まぁ···)
(いいんだけど。別に)

その後、特に連絡を取り合うこともなくオレは7日間の出張に出た。
ちなみに、今回は後藤さんも一緒なので、仕事面ではだいぶ気が楽だ。
あとはホテルの部屋を片付けてくれれば、更に快適なのだけれど。

【会議室】

さて、出張2日目。

後藤
歩、このあとどうする?
今晩は、この面子で食事に行こうって話が出ているんだが···

東雲
どこの店ですか?

後藤
近所の焼肉店だ。ジンギスカンが美味いらしい

東雲
そうですか。じゃあ、オレも行こうかな

後藤
わかった。歩も参加だな

「焼肉店」で思い出した。
今日は、うちの彼女も焼き肉を食べに行っているはずだ。

(半年は予約が取れない店···だっけ)
(いちおう釘を刺しておくか)

ーー「今、焼き肉?」
ーー「はしゃぎすぎて、鳴子ちゃんに迷惑かけないように」

(まあ、そのうち写真でも送ってきて···)

ピンポーン!

ーー「今、焼き肉中です」

(だろうね)

ーー「宮山くんと来ています」

東雲
は!?

(なんで宮山と!?)
(聞いてないんだけど!)

慌てて、メッセージ欄に文字を打ち込む。

(『それ、どういう経緯』···)

後藤
歩、15分後に入口集合だそうだ

東雲
···っ

後藤
ん?どうかしたのか

東雲
······いえ

後藤
そうか。じゃあ、忘れるなよ

(···そうだ、忘れるところだった)

今のところ、オレは「気付いていないフリ」を装っているのだ。
彼女と宮山の、微妙な関係性に。

(でも、なんで宮山···?)
(問い詰めたいんだけど。今すぐに)

悩みに悩んだ末、この場では返事を送らなかった。
彼女からの報告を待とうと思ったのだ。

(どうせ、そのうち肉の写真でも送ってくるだろうし)
(そのときに返信すれば···)

ところが、彼女からは1通も返信がなかった。
それどころか、翌日もその翌日も連絡がなかった。
その結果、悶々とした気持ちばかりが膨らみ続け···

【ホテル】

出張5日目

(···あり得ない)
(電話もLIDEもないんだけど)

もちろん、彼女が気を遣っている可能性もある。
なぜなら、今回オレは後藤さんとホテルで同室だからだ。

(付き合っているのは内緒だし)
(そのあたりを配慮した可能性も···)

後藤
ああ、歩、ここにいたのか
今回の出張、1日早く終わることになったぞ

東雲
えっ、じゃあ···

後藤
明日の夕方の便で、東京に戻ってもいいそうだ
もっとも、室長はのんびりしてこいと言っているが···

東雲
いえ、帰ります

すぐさま航空会社のサイトにアクセスして、空席情報を確認した。

(18時の便に乗れば19:30には東京に着く)
(17時台も···まだ空いてる)
(16時台は···さすがにここからだと間に合わないか)

ひとまず座席は取れそうなので、うちの彼女にメッセージを送った。

ーー「明日の夜の予定は?」

(たぶん17時以降は空いているはず)
(だとしたら食事···)
(例の焼肉店はさすがに無理だろうけど、確か吉祥寺に美味しい店が···)

ピンポーン!

ーー『クラスのみんなと飲み会です』

東雲
···は?

(明日?なんで?)
(いや、ここは冷静に···)

東雲
『誰と?』送信···

ピンポーン!

ーー『ですから、クラスのみんなとです』

東雲
······

いたたまれない、とはまさにこういうときに使う言葉なのだろう。

結局、東京には最終便で帰ることにした。
半ば意地だった。
今さら、発言を取り消すことはできなかった。

(だいたい違うから)
(彼女に会うためだけじゃないから)

【帰り道】

(1日早く帰れば、ゆとりを持てるし)
(明日いきなり台風が来ても、欠航の心配をしなくて済むし)
(他にも様々なメリットが···)

東雲
······

嘘だ。
あの子に会えないなら、もう一泊すればよかった。
明日の、後藤さんの「滝めぐり」に付き合えばよかった。

(お土産、ゆっくり選べなかったし)
(海鮮居酒屋にも行きそびれたし)
(疲れて飛行機で爆睡したせいで、髪のすそも跳ねて···)

東雲
え···

【東雲マンション】

思わず、足を止めた。
うちのマンションのエントランスで、誰かが体育座りをしていたのだ。

(ていうか、あれ···)
(うちの彼女?)

幻か、と疑いながらもゆっくり近づいてみる。
「ねえ」と声をかけると、彼女はのろのろと顔を上げた。

サトコ
「え···幻···?」

東雲
いや、本物だけど

サトコ
「そうですか···本物······」
「ぎゃっ」

いきなり妙な声を上げたかと思うと、彼女は脱兎のごとく走り出した。

東雲
!?

(なにあれ!?)

ワケが分からないまま、彼女を追いかける。
幸いなことに、100メートルも走らずに追いついて···

東雲
待て

サトコ
「···っ」

東雲
なんなの、キミ
なんで逃げて···

サトコ
「きょ、教官こそ、なんで今ここにいるんですか!?」

東雲
は?

サトコ
「帰るの、明日だったはずですよね?」
「だから私···ちょっとくらいならって···」

東雲
??

サトコ
「なのに、これじゃ···」
「莉子さん直伝の『クールビューティー計画』が···」

【学校 カフェテラス】

そう、彼女いわく、先日莉子ちゃんと恋愛話をする機会があり···

莉子
「やだ、サトコちゃんったら」
「それじゃ、お付き合いしている彼に体当たりしっぱなしじゃない」

サトコ
「はい、まぁ···」
「もともと、私のほうが『押せ押せ』だったもので···」

莉子
「ダメよ、そんなの」
「お付き合いしているからこそ、もっとクールに接しないと」
「追われるのが当たり前になって、追いかけてくれなくなるわよ?」

【東雲マンション】

サトコ
「って、莉子さんが···」

(いや、無理だから)
(それができるの、莉子ちゃんのスペックがあってのことだから!)

東雲
···それで?

サトコ
「だったら頑張ってみようかな···って」
「自分から教官に連絡するの、控えたり···」
「LIDEのメッセージも、その···」
「クールビューティーっぽくしてみようかなって···」

(あれのどこが?)
(ただの「連絡事項」だったじゃん)

東雲
···で?
今日、ここにいた理由は?

サトコ
「···っ、それは···」
「その···やっぱり寂しくて···」

東雲
······

サトコ
「ほんとは、教官の声、いっぱい聞きたいし···」
「でも、自分から電話するのはクールじゃないし···」

東雲
······

サトコ
「だから、その···」
「ここに来て···こっそり、教官の残り香だけでも···」

(変態か!)

東雲
しないから!残り香とか
ていうか、すでにクールビューティーじゃないから
ここに来た時点で

サトコ
「すみません、すみません!」
「でも、クラスのみんなと一緒にいても寂しくて···」
「だから、つい出来心で···」
「···っ」

彼女が、驚いたように息を呑んだ。
その理由は···
多分、オレがいきなり抱きしめたからだ。

(仕方ない)
(緊急事態だし。今は)

このまま放っておけば、うちの彼女がただの変態になりかねない。
それを防ぐための「応急処置」なのだ、これは。

サトコ
「教官···?」

東雲
······

サトコ
「教官、これって···」

東雲
なに、不満?

サトコ
「いえ、でも···」
「できればキッスも···」

東雲
···バカ

そんなの応えられない···わけじゃない。
でも、今はもう少しだけこのままでいさせてほしい。
応急処置が必要なのは、たぶんオレも同じだから。

Happy End

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