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あの夜をもう一度 石神1話



【寮】

例年より早く咲いた桜は、気がつけば葉桜になりつつあった。
公安学校の卒業式が終わると、私はおそらく当分取れない長期休暇に入った。

【寮 自室】

(新年度になって配属が決まるまでは春休み···か)

警察官と訓練生という二足のわらじ生活も終わりを迎える。

(公安課に配属されれば長い休みなんてそうそう取れないだろうし、有意義に時間を使わないと)
(石神さんはいつも通り仕事だし、実家にでも帰ろうかな)
(でも、この休みの間に引っ越し先も決めておかなきゃいけないし···)

寮生活だったので私物は少なく、引っ越しの準備にはあまり時間を取られないと思う。

(前半実家に帰って、後半物件探しかなぁ)

とりあえず実家に電話してみようかと携帯を手に取ると、石神さんからの電話が入った。

サトコ
「はい!」

石神
···早いな

サトコ
「ちょうど携帯を手に持っていたので···どうかしましたか?」

石神
今日から長期休暇だったな

サトコ
「はい。どう過ごそうか悩んでいたところなんです」

石神
貴重な長期の休みだ。何かやりたいことはないのか?

サトコ
「私もそう思って、いろいろ考えてみたんですけど」
「いざとなると物件探しと実家に帰ることしか思いつかなくて···」

寂しい奴だと思われるかな···と考えつつ正直に言うと、一瞬沈黙が流れた。

サトコ
「あの···?」

石神
特に予定がないなら、俺の部屋に来るか?

サトコ
「え、でも、石神さんは仕事が···」

石神
来週、少しまとまった休みが取れる。その間なら、問題ない

サトコ
「そういうことなら、行きます!」

石神
···即答で大丈夫なのか?

間髪入れず返事をすると、かえって戸惑わせてしまったようだった。

(でも石神さんと一緒に連休を過ごせるなんて嬉しすぎる···)

サトコ
「大丈夫です!泊まりの支度をしていっていいんですよね?」

石神
ああ。俺はいつ呼び出しを受けるか分からないが、一応3日は休みにはなっている
この間の大阪旅行は慌ただしかったからな。今度はゆっくり過ごそう

サトコ
「はい!」

石神さんと電話を終えると、
先ほどまでのだらけた空気はどこへやら···小躍りしそうなくらい浮かれていた。

(3日も石神さんの部屋で過ごすなんて初めて···これってプチ同棲?)

サトコ
「いや、浮かれてばかりいないで、ここで幻滅されないように気をつけないと!」

いざ一緒に暮らしてみたら、素すぎる彼女に愛が冷めた···なんて話はよく聞く。

(何事も事前準備が大事!さっそく泊まりの支度をしよう!)

行くのは来週だというのに、私はクローゼットから大きなスーツケースを取り出した。



【石神マンション】

サトコ
「お世話になります」

石神
···海外にでも行きそうな荷物だな

サトコ
「いざって時のことを考えたら、つい膨らんでしまって···」

石神
必要なものがあれば買いに行けばいいだろう

サトコ
「以前のように、車で買い出しをお願いするわけにもいきませんから」

そう、あれは初めて石神さんの部屋に来た時のこと。

【バスルーム】

(こ、これはどうしたら···)

潮風に晒されていたせいで髪が絡まる、
という話をしたがために、流れでシャワーを借りてしまった。
もちろん、すぐ帰る気でいたために何の準備もなく···
仕事柄、近所のコンビニには行けないために、車を出してまで買い出しに付き合ってくれた。

サトコ
「落ち着けるわけない···!」

(あの時は、ものすごくソワソワしてたっけ···)
(それが今ではお泊り前提で呼んでもらえるんだから、変わったなぁ)

石神
そんなこともあったな。とにかく、入れ

サトコ
「お邪魔します!」

どんっと廊下に置くと、今さらながら荷物の大きさを感じてしまった。

(これじゃ、お泊りを楽しみにしてたってバレバレ···?)

石神
どうした?

サトコ
「い、いえ、なんでもありません!」

赤くなりそうな頬を隠すように笑うと、石神さんの部屋へと上がった。

【リビング】

石神
お茶でも淹れる。ほうじ茶でいいか?

サトコ
「はい。ありがとうございます」

石神さんがキッチンに向かい、私は水槽の前に立った。
綺麗な水槽にはディスカスと、つがいのチョコレートグラミーが泳いでいる。

サトコ
「元気みたいでよかった」

(君たちはいつも石神さんと一緒にいられていいね)
(この水槽からは、どんな石神さんが見えるのかな)

この部屋で過ごす彼のことを思っていると、後ろから抱きしめられた。

石神
お前は何年経っても、俺より熱帯魚に興味があるようだな

普段の冷たさを残した声が耳をくすぐると、鼓動が駆け足になる。

サトコ
「この魚たちが見ている石神さんは、どんな姿なんだろうなって思ってたんです」

石神
お前は面白いことを考えるな。変わり映えのない姿ばかりで、飽きているだろう

サトコ
「そんなことないと思いますよ?私だったら、ずっと見ていたいくらいですし···」

話ながらも石神さんの手が私の頬にかかり、吐息が触れ合う。
キスの気配にそっと目を伏せると···水槽にチラッと赤い小さなものが見えた。

サトコ
「あれ···」

石神
今、言葉がいるのか

サトコ
「水槽を見てください!あの赤くて小さいのって···」

私の言葉に石神さんは身体を離し、その眼鏡を押し上げた。

石神
···チョコレートグラミーの稚魚だな

サトコ
「子どもが生まれたんですか!?」

石神
俺も気が付かなかった。このままだと親に食べられてしまう。隔離しよう

サトコ
「ええと、何か器は···」

石神
以前に使っていた小さな水槽がある。それを持ってくるから稚魚を見ていてくれ

サトコ
「はい!」

石神さんが水槽を持ってくる間、私はじっと稚魚を見つめる。

(このチョコレートグラミー、相性良かったんだ)

オスを私が選んで、メスを石神さんが選んだ。
その二匹の相性が良かったのは、やっぱり嬉しい。

サトコ
「すっかり仲良くなってたんだね。全然知らなかった」

石神
人知れず育まれるのは、人間も魚も同じということだ

小さな水槽を整えると、石神さんは稚魚をそちらに移す。
そして水槽を並べると再び私の肩を抱き寄せた。

石神
俺たちも、あの頃とは随分変わった

サトコ
「そうですよね···」

(さっきの話じゃないけど、部屋に泊まるってだけで緊張したし)
(このチョコレートグラミーを飼った頃は恋人になりたての頃で···)

石神
名前の呼び方は、なかなか変えられないようだがな

サトコ
「あ···」

(二人きりの時は、秀樹さんって呼ぶようにって話になったのに)

私の卒業に合わせて、私のことを考えて秀樹さんが提案してくれたことだった。



【ホテル】

石神
俺が敬語をやめ、名前で呼ぶように提案したのは···
サトコが少しでも本音を言いやすいように···そう思ったからだ

【リビング】

石神
すっかり忘れていたか?

サトコ
「忘れていたというか、まだ慣れなくて···」

(意識しないと、つい石神さんって呼んじゃうんだよね)
(名前で呼べるのは、私にとっても嬉しいことなんだけど···)

そこにはまだ若干の照れがある。

石神
チョコレートグラミーを買った頃も、教官呼びが抜けなかったな
使っていけば慣れていく

サトコ
「はい、秀樹さん···」

さっきの続きを···と、名前を呼ぶ声が口づけに溶けそうになった時。
携帯の振動音が秀樹さんから聞こえてきた。

石神
···悪い

サトコ
「お構いなく!」

顔を赤くして答える私に苦笑しながら、秀樹さんは電話を取る。

石神
···分かりました。すぐに向かいます

(仕事入っちゃったんだ)

その真剣な眼差しを見れば、それはすぐにわかった。

石神
すまない。出ることになった

サトコ
「気にしないでください。こういうこともあるかなって思ってましたから」
「とりあえず、私は一旦帰りますね。家にいられても落ち着かないでしょうし」

持ってきたスーツケースに手を伸ばそうとすると、秀樹さんの手がそれを止めた。

石神
帰る必要はない。お前さえ良ければ、だが···

サトコ
「秀樹さん···」

(部屋で待ってていいってこと···?)

サトコ
「いいんですか?本当に···」

石神
泊まりで出るわけじゃない。出来るだけ早く帰る

サトコ
「それじゃ、お言葉に甘えて···おかえり待ってますね」

石神
合鍵だ。部屋にある本やDVDは好きに観ていてくれ

サトコ
「 “スッパニパータ” は、ありますか?」

石神
本棚の手前にある。まだ読み終わってないのか?

サトコ
「数ページ読むと眠くなっちゃって···いい機会なので、読ませてもらいます」

石神
ああ。ここまですぐに連絡は来ないだろうと思っていた俺の読みが甘かった

サトコ
「呼び出しが早い分、あとでゆっくり出来るかもしれませんよ」

石神
お前はいつも前向きだな

その表情をわずかに和らげると、私の頭に軽く手を置く。

石神
行ってくる

サトコ
「いってらっしゃい。お気をつけて」

(こんなふうに石神さんを見送るのは初めて···)

新鮮な気持ちで私は彼を送り出した。

サトコ
「さて···」

(早く帰ってくるって言っても、夜だろうし···まだ時間はたっぷりある···)

時計は午後を回ったばかりで、どう過ごそうか考える。

(本やDVDは好きに観ていいって言われたけど)
(せっかくだから秀樹さんの役に立つような時間の使い方をしたいな)

冷蔵庫の中を見ると、相変わらず余計なものはなくきちんと整頓されている。

(この感じだと、自炊もあんまりしてないみたいだし···)
(秀樹さんの好きなものを作って待ってよう!)
(今日は時間があるから、プリンも···)

頭の中で献立を立てながら、私はまずは買い物に出かけることにした。

サトコ
「7時···こんなに早くは帰ってこないよね」

夕飯の支度はほぼ終わり、プリンも冷蔵庫で冷やしてある。

サトコ
「帰ってきたら秀樹さんもシャワー浴びるだろうし···先にお風呂借りようかな」

9時頃には帰ってくるだろうかと考えながら、
私は持ってきたお風呂グッズと共にバスルームに向かった。

(9時半すぎ···そろそろ···)

携帯に連絡がないかと何度も見ているけれど着信はない。

(難航してるのかな。深夜を回ったり、明日の朝になるかも···)

一緒に食べようと思っていて、私もまだ夕飯を食べていない。

(先に食べる?でも、こういう時に限って食べてすぐに帰ってきたりしそうだし···)

サトコ
「ここは “スッタニパータ” でも読んで、気持ちを落ち着かせよう」

動物園でサイを一緒に見たことで、興味を持った仏教の本 “スッタニパータ” 。
興味深くも難解な内容は···いつものように私を眠りの世界へと誘った。



【寝室】

サトコ
「ん···」

寝返りを打つと、柔らかなベッドの感触が心地よい。
うっすらと目を開けると、ここが寮の部屋ではないことに気が付く。

(秀樹さんの部屋···そっか、昨日から泊まりに来て···)

サトコ
「待ってたはずなのに、いつの間にベッドに!?」

ガバッと起き上ってリビングに急ぐと···

【リビング】

石神
······

(秀樹さん···)

昨日私が座っていたソファに秀樹さんは横になっていた。
キッチンを見れば、昨日用意した食事のお皿が綺麗に洗って片付けられている。

(プリンの器も···食べてくれたんだ)

いつ帰って来たのか全然わからなかった。
きっと深夜だっただろうに、それでも全部食べてくれたことが嬉しい。

サトコ
「秀樹さん」

石神
······

ソファの横に座り、その寝顔を見つめる。
眼鏡を掛けず、その鋭い眼差しがないと印象も違って見える。

(髪をもっとラフにしたら別人っぽくなったり?)

石神
······

サトコ
「ぁ···」

伸ばした手を彼にとられた。

(起こしちゃった?)

私の手を掴み、目を開けるかと思いきや···
秀樹さんは私の手を握ったまま規則正しい呼吸を繰り返している。

(大丈夫だったみたい。疲れてるのかな)

仕事柄、完全に気を緩められることはあまりない。
深く眠っているのは、ここが自宅だからか、疲れているからか。

(秀樹さんこそベッドに眠ってくれればよかったのに)
(寝てる私を起こさないように気を遣ってくれた?)

疲れてるところに食事の片づけまでさせてしまったことも申し訳ない。

(役に立とうと思ったのに、かえって負担をかけちゃてるかも···)

やはり帰ればよかっただろうかと、そんな思いが過りながら。
掴まれている手を見ると離れがたく、その手の甲に頬を寄せてしまった。

to be continued



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