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東雲 エピローグ 3話



【式場】

ブーケを取り損ねた数時間後。

さち
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
「ブーケ、本当はサトコちゃんに受け取ってほしかったのに」
「私ってばヘンな方向に投げちゃって」

サトコ
「いえ、そんな···」

関塚
「まぁ、いいんじゃないかな」
「ブーケを受け取ったのが東雲くんなら、意味合いは同じだろうし」

(えっ···)

さち
「そっか···それもそうよね」
「次に結婚するのが歩くんなら、お相手はもちろん···」

東雲
なんだ、ここにいたんだ

サトコ
「あ、教官」

さち
「あら、歩くん、ブーケは···」

東雲
ああ、あれ?
さちの友だちにせがまれてあげちゃった

サトコ
「ええっ」

(そんなぁ···)

さち
「もう!歩くんのバカ!」

東雲
えっ、だって···
あんなの迷信でしょ
ブーケ1つで人間の運命なんて変わらな···

さち
「そういう問題じゃないの!」
「バカバカバカ!」

(ほんと、さちさんの言うとおりだよ!)
(しかも教官、『なにかが変わるかもよ』って私の背中を押したくせにー!)

ひそかに拳を握りしめる私の隣で、教官はにっこりと笑顔を見せた。

東雲
心配いらないよ、さち
ブーケなんてなくても大事にするから

サトコ
「!」

さち
「まぁ···のろけられちゃった」

関塚
「ハハ、そうだな」

(ええっ···い、今の、本当にそう受け取っていいの?)
(絶対に教官のことだから、なにか企みが···)

ギュッ!

サトコ
「痛っ」

(な、なんで背中をつねって···)

さち
「あら、どうかしたの?」

東雲
気にしないで
彼女、ときどき挙動不審になるから

(ひどっ、今の教官のせいなのに!)
(嘘つきー!やっぱり嘘つきー!)

東雲
じゃあ、改めて···
結婚おめでとう、さち姉

さち
「!」

東雲
関塚さんとお腹の子と···絶対幸せになって

教官の言葉に、さちさんは目を潤ませた。

さち
「ふふ···なんだか久しぶりよね」
「歩くんがそんなふうに呼んでくれるの」

東雲
だってオレ、自慢の弟なんでしょ

さち
「ええ···」
「ええ······」

さちさんが、堪えきれなくなったように教官に抱きつく。
けれども教官は、ほろ苦い笑顔のまま、抱きしめ返そうとはしない。

東雲
本当に、幸せになって···

さち
「うん···」
「歩くんも···」

東雲
もちろん

(ああ、そっか···)

きっとこれが、教官の考えた『結末』なのだ。

(長かった恋を、ちゃんと終わらせるための···)

今この2人の間に、私が入って行くことは絶対にできない。
それは、きっと関塚さんも同じだ。

(でも、それでいいんだよね)
(だって、これは教官が一人で抱えてきた『想い』なんだから)

さち
「···あ、そう言えば···」
「2人とも、二次会にも出席してくれるわよね?」

東雲
ううん。オレたちはこれで···

さち
「でも、ビンゴ大会の景品に恐竜グッズを用意したのよ」

東雲

さち
「えっとね···いろいろあるの」
「『恐竜ライト』と『恐竜ウォッチ』と、それから···」

東雲
出るよ、さち姉

(ええっ!?)

東雲
絶対に2人で参加するから

(ちょ···そんなの聞いてない···)

呆気に取られる私の肩を、教官は強引に引き寄せる。

東雲
絶対景品ゲットして
オレとキミとで1個ずつ

サトコ
「そんなの、私になんの得が···」

東雲
そのドレスと靴···誰が用意したんだっけ?

サトコ
「···っ」

東雲
今度はオレに貢いでよ
いいよね、サトコちゃん

(ううっ、負けた···)

こうして私たちは、急きょ二次会···
どころか、三次会、四次会にまで参加することになり···


【電車】

その結果。

東雲
ふわぁ···
ねぇ、今何時?

サトコ
「5時6分です」

東雲
はぁぁ···サイアク···
まさか始発帰りになるなんて···
しかも恐竜グッズ···1個ももらえなかったし

サトコ
「私だって美顔器セットが欲しかったですよ」

東雲
大丈夫。キミが使ったところで大した成果出ないから

サトコ
「そ、そんなことないですよ!」
「使えば絶対にツヤツヤのすべすべに···」

東雲
ふわぁぁ···

(聞いてないし!もう···)

サトコ
「···寝ていいですよ」

東雲
ん?

サトコ
「教官もいろいろ疲れてると思いますし」
「乗換駅に着いたらちゃんと起こしますから」

東雲
ホントに?

サトコ
「はい」

東雲
じゃあ···

教官はもう一度あくびをすると、コロンと私の太ももに頭を乗せてきた。

サトコ
「ちょ···っ」
「ここ、電車の中···っ」

東雲
すぅ···すぅ···

(だから、寝るのが早すぎるってば!)

サトコ
「···もう」

幸い、私たち以外の乗客は2人しかいない。
その2人も、眠たそうにウトウトしている。

(ま、いっか···混んできてから起こせば)

もっとも、人がドッと乗り込んでくるような大きな駅は当分ない。
そう考えると、乗換駅まではきっとこのままなのだろう。

サトコ
「ふわぁ···」
「すぅ···すぅ······」
「って、ダメダメ!」

(マズい···私まで眠たくなってきちゃった)

サトコ
「えっと···眠気覚ましのツボは···」
「えいっ···えいっ···えいっ···」
「すぅ···すぅ···」

サトコ
「すぅ···すぅ···」

???
「···ちょっと」

(ん···?)

???
「起きろ、氷川サトコ」

ぎゅううう···っ!

サトコ
「痛たたたっ」

(み、耳がちぎれ···)

サトコ
「!?」

(な、なんか、窓の外が明るくなってきてるような···)

東雲
目、覚めた?

サトコ
「は、はい···」

東雲
ここ、どこだか分かる?

サトコ
「え、えっと···」

(まさか、ここって···)

東雲
終点

サトコ
「!」

東雲
しかも上り列車が出るのは、あと1時間後

(あああっ···!)

サトコ
「すみません!私···っ!」

東雲
いいよ、もう
起きれなかったのはオレも同じだし
それより降りよう

サトコ
「えっ」

東雲
海、近いみたいだから
少し付き合って


【海】

誰もいない海辺に、カモメと私たちだけが点々と足跡を残している。

サトコ
「磯の香りだー」

東雲
魚臭いだけじゃない

サトコ
「そんな色気もへったくれもない···」

東雲
ていうか、もっと可愛いこと言いなよ

サトコ
「えっ···じゃあ···」
「波がキラキラしてキレイ!」

東雲
マイナス10点

サトコ
「ええっ、0点以下ですか!?」
「結構頑張ってみたのに···」

ヒールの爪先が、ぬるっとした何かを踏んづける。

サトコ
「うわ···っ!」

ドスンッ!

サトコ
「痛たた···」

(今、なに踏んづけたの?昆布···?)

ザバァァンッ!

サトコ
「うわっぷ···」
「ゲホゲホゲホッ」

(まさかの、全身ずぶ濡れ···)

呆然とする私のそばに、教官が大笑いしながら戻ってくる。
どうやら波が来たのを見て、さっさと逃げていたらしい。

東雲
アハハハハッ
サイコー!ほんと、サイコーだよね、キミ!

サトコ
「ひどいですよ、教官···自分だけ逃げるなんて」

東雲
転んだ上に。頭から波を被るって···
絶対なんか持ってるよ、キミ!

(そこまで笑わなくても···)
(ていうか、ふつう助けてくれるんじゃ···)

さすがにしょんぼりしていると、目の前に手を差し出された。

サトコ
「···汚れますよ」

東雲
いいよ
ほら、捕まりなって

サトコ
「···ありがとうございます」

教官の手を支えにして、私はようやく立ち上がる。

東雲
ヒール、脱いだら?
どうせびしょ濡れでしょ

サトコ
「それもそうですね」

ストッキング1枚で砂浜に立つと、教官はゆっくりと歩き出した。

東雲
ほんと···すごいよ、キミ
ここまで笑わせてくれるなんて

サトコ
「······」

東雲
おかげで全部吹っ飛んだ
しんみりしていた気持ちとか

(教官···)

東雲
でも、1個だけやり残したことがあって···

サトコ
「なんですか?」

東雲
これ

教官がポケットから取り出しのは、例のガラスの欠片だ。

東雲
さちに返すつもりで持ってきたのに、すっかり忘れててさ

サトコ
「それなら···持っているべきだと思います」

東雲
······

サトコ
「大事な初恋の思い出なんだし」
「記念に持っていても···」

東雲
えいっ

(ちょっ···なんで海に投げて···っ)

サトコ
「ら···『ラーッ』!」

思わず叫んだ私を、教官は訝しげに振り返った。

東雲
···なに、その『ラー』って

サトコ
「あ、その···ゴルフのキャディーさん的な?」

東雲
だったら『ファー』でしょ

サトコ
「違いますよ。『ラー』ですよ」
「長野時代の上司が教えてくれましたから!」

とたんに、教官の眼差しに憐みのようなものが浮かんだ。

東雲
キミ···それ、騙されてるよ

サトコ
「ええっ、そんなはずは···」

東雲
もしくは上司が間違ってる
キャディーが叫ぶ『ファー』は、正しくは『フォア』···
つまり『前方の』って意味だから
『ファー』ならまだしも『ラー』は絶対有り得ないでしょ

(うっ···そうなんだ···)

ヘコむ私を置いて、教官はさっさと先に歩き出す。

東雲
ほんと···なんでキミなんだろうね

(え···)

東雲
バカだし、色気もないし
絶対オレの好みじゃないはずなんだけど

(うっ···)

東雲
なんだろ···ウイルスみたいなもの?
いつの間にか入り込んできて浸食されてました···って感じ?

(『浸食』···それに『ウイルス』って···)

サトコ
「あの、言わんとしてることは分からなくはないですけど···」
「その例えは、さすがにちょっと···」

東雲
だからさ
正直オレもわかんないんだよね
いつ、どの瞬間からキミに惹かれてたのか

サトコ
「!」

東雲
でも、まぁ···
これだけは間違いないから

教官は振り返ると、少し困ったような笑顔になった。

東雲
キミが好きだよ、氷川サトコ

サトコ
「······」

東雲
とりあえず、それだけ覚えといて

(教官···)

目の前の教官の姿が···
さらにその後ろの紫色の空が···
じんわりと浮かんだ涙のせいで、ひどく歪んで見える。

サトコ
「あ、これ···」
「違うんです···目から鼻水とか、汗とか···」
「そういうんじゃなくて···」

東雲
······うん

サトコ
「あの···たぶん、絶対···嬉し泣き···みたいな···」

東雲
···知ってる

ふわり、と頭を抱き寄せられる。

東雲
ちゃんと知ってるから

サトコ
「···っ」

前にも一度だけ、泣いてるときに抱きしめられたことがあった。
でも、今の気持ちは、あのときとは全然違う。

(だって、言ってくれた···)
(やっと···やっと『好き』って···)

サトコ
「教官···アンコール···」

東雲
イヤだよ
こんなの1回で十分でしょ

サトコ
「じゃ···じゃあ···!」
「かわりに私が何回も言います!」

東雲
は?

サトコ
「好きです!」

東雲
······

サトコ
「好きです、教官···!」

東雲
···キモ

サトコ
「ひどい···っ!」

抗議すると、少し乱暴に頭を抱き寄せられる。
だから私はブサイクな顔のまま、教官の胸元に顔を埋めた。
それからひとしきり笑い合って、私たちは再び駅へとむかった。
朝焼けの中、ゆっくりとした足取りで、手を繋ぎながら。


【東雲マンション】

結局、予定より2時間以上遅れて私たちは教官の家へとたどり着いた。

(うう、やっぱり濡れたままだと気持ち悪いな)
(ドレスは仕方ないとしても、せめてストッキングだけは···)

サトコ
「すみません、私···コンビニに行ってきてもいいですか?」
「ストッキング、まだ乾いてないから気持ち悪くて···」

すると、背後で着替えていた教官が不思議そうに首を傾げる。

東雲
脱げばいいじゃない

サトコ
「えっ、でも替えが···」

東雲
ていうか、こっちも脱いで···

(ちょっ、なんでドレスのファスナーに指かけて···)

サトコ
「ぎゃっ!」

(下ろした···っ!この人、勝手に···)

サトコ
「ななな何するんですか!」

東雲
え···脱がせたいんだけど···

サトコ
「卒業!」
「私が卒業するまで何もしないんでしたよね!?」

東雲

サトコ
「キョトンとしてもダメです!」」
「この間、はっきりそう言って···」
「ぎゃあっ···!」

(な、なんか背中から抱きしめられてるんですけど···っ)

東雲
サトコ···

(しかも呼び捨て!?)

東雲
サトコ···

サトコ
「だ、ダメです···耳元、くすぐったい···」
「ん···っ」

背後から覆い被さってきた身体がやけに熱い。
唇も、吐息も、教官のすべてが熱くて···

(ん、熱い?)

慌てて振り返ると、教官は頬を赤らめて、どこかぼんやりとしている。

(これって、まさか···)

サトコ
「すみません、おでこ失礼します」

(···やっぱり、すごい熱!)

サトコ
「教官、体温計は···」

東雲

サトコ
「ああ、もう···っ」
「ベッド!まずはベッドに入ってください!」

東雲
ベッド···
···するの···?

サトコ
「しませんから!」

【寝室】

なんとか体温計を見つけ出すと、まずは教官の熱を測る。

サトコ
「38度9分···」

(思ってた以上だ···)
(でも、救急箱の中に風邪薬はなかったよね)

サトコ
「教官、私、薬買ってきます」
「あと、ついでに着替えてきますんで」
「それまで大人しく寝ていてください」

すると、ドレスの裾を掴まれる。

東雲
帰るの?

サトコ
「えっ···」

東雲
帰る···?

サトコ
「はい···でも、また来ます」

東雲
ん···

教官は満足そうに頷くと、ぽすんと枕に顔を埋めた。

(な···なんだったの、今の。やけに甘え口調だったような···)
(ていうか、なんでさっきドレスを脱がせようと···)

サトコ
「あれが本音?」

(···いやいや、まさか)
(いつも『性的興奮を覚えない』とか言ってたし!)

ひそかに悶々としながらも、私は言ったん教官の家を後にした。

その後、寮で急いでシャワーと着替えを済ませ···
さらに風邪薬やスポーツ飲料を購入して···

サトコ
「おじゃましまーす···」

再び寝室を覗くと、静かな寝息が聞こえてきた。

(よかった···ぐっすり眠ってるみたい)
(いろいろ疲れたのかな。でも、熱があるなんて全然気付かな···)

東雲
ん···

(マズい、起こしちゃった!?)

後ずさりかけたところで、寝返りをうった教官と目が合う。

東雲
サトコ···ちゃん···?

サトコ
「!!」

東雲
な···に···?

サトコ
「あ、え···えっと···」
「薬、買ってきたんですけど···」

東雲
······

サトコ
「そ、その前に、ごはんですよね?」
「食後の薬だから、なにか食べてからじゃないと···」

東雲
ホットケーキ···

サトコ
「へっ?」

東雲
ふわふわ···の···

(ふ、ふわふわ···!?)
(か、可愛い生物がここにっ!)

サトコ
「わかりました!」
「氷川、ふわっふわのホットケーキを作ります!」

東雲
ん···ありがと···

サトコ
「!!」

(なにこれ···全部熱のせい?)
(それとも寝起きはいつもこうなの?)

サトコ
「と、とりあえず落ち着こう···うん」

(まずは深呼吸して···)
(それから、ホットケーキを焼かないと···)



【リビング】

サトコ
「よし、できた」

(一部潰れ気味だけど、いちおうふわふわ感は出てるよね)

東雲
···なにこの甘いにおい

サトコ
「教官!熱は···」

東雲
熱?なんのこと?

サトコ
「えっ···だって38度9分も···」

東雲
······全然なんともないんだけど

サトコ
「ええっ」

私は、慌てて教官のおでこに触れてみる。

(あれ、全然熱くない···)

東雲
ていうか、なにそれ

サトコ
「なにって···ホットケーキですけど···」

東雲
······オレ、朝は和食派なんだよね

サトコ
「ええっ···」
「だって言ったじゃないですか!ホットケーキが食べたいって」
「ふわふわのホットケーキって、あんなに可愛く···」

東雲
なにその妄想。怖いんだけど

サトコ
「も、妄想じゃありません!」
「間違いなく『ホットケーキ』って···」

東雲
ありえない
キミこそ、熱があるんじゃない

サトコ
「そんなぁ···」

(で···でも言われてみれば夢だったような気も···)
(だってこの教官が、あんな天使みたいな顔をするはずが···)

東雲
あ、結構ふわふわ

サトコ
「!」

東雲
ん···まぁ、味も···
悪くはないよね

勝手につまみ食いをする教官を眺めながら、私は改めて確信する。

(やっぱり夢なんかじゃない···)
(絶対言ってたよ。甘えるみたいな声で『ふわふわのホットケーキ』って)

新たに知った一面を思い出して、つい忍び笑いを洩らしてしまう。
とたんに、冷ややかな視線が突き刺さった。

東雲
なに笑ってんの

サトコ
「いえ、特に理由は···」
「···ふふっ」

東雲
キモ。思い出し笑いするって
色気もないくせに

(な···っ!)

サトコ
「思い出し笑いと色気は関係ないじゃないですか!」

東雲
あるでしょ
思い出し笑いする人間はエロいって言うじゃない
キミは例外だけど

サトコ
「そ···そんなこと言って···!」
「今朝、私のドレスを脱がせようとしたくせに···」

東雲
は?
また妄想?

サトコ
「妄想じゃありません!」

東雲
妄想でしょ
絶対あり得ないし

サトコ
「違···」

ちゅっ!

サトコ
「!?」

(な、なんで···)

呆気にとられる私の前で、教官は視線を下に逸らす。

東雲
妄想ってことにしておいて
キミが卒業するまで

(それって、もしかして···)

訊ねようとした言葉は、2度目のキスに飲み込まれてしまう。

(ひどい、こんな···口のふさぎ方···)

ホットケーキの甘い香りと···
予想外の甘いキス。
今度は、私のほうが高熱を出しそうだった。

Happy End



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