カテゴリー

東雲 エピローグ 2話



【商店街】

尾行訓練当日。
電信柱の陰に身を隠しながら、私はインカムに手を掛けた。

サトコ
「対象者出発しました。尾行開始します」

東雲
了解
見失った時点でアウトだから気を付けて

サトコ
「はい」

今回の訓練のことを、尾行対象者は知らされていないらしい。
つまり相手に気付かれない限り、不自然に逃げられることはないはずだ。

(ただ、相手が相手というか···)

難波
どーも
たい焼き、1個ちょうだい

店員
「はいよー」

(まさか、いきなり難波室長なんて···)

店員
「お待たせ」

難波
ありがと
ああ、代金はツケで。あとで部下が払いにくるから

(しかも、またお金払ってないし)
(誰が払いに来るんだろ。加賀教官かな、それとも石神教官···)
(って、そんなこと考えてる場合じゃないってば)

室長はたい焼きをかじりながら、またふらふらと歩き出す。

(どこに行くのかな)
(この方向だと、もしかしていつものラーメン屋台とか···)
(···ダメダメ、推測禁止!)

よけいな推測は、時に正しい判断の妨げになる。

(大事なのは、目の前の状況に集中すること)
(そうじゃないと、いざというときに臨機応変な対応が···)

サトコ
「ん?」

ぽつん、ぽつん···とそらから雨粒が落ちてくる。

(参ったな、折りたたみ傘なんて持って来てないのに)
(でも、この程度なら傘をささなくても平気···)

ザアアアアアッ!

(うそっ!?)

まさかのゲリラ豪雨で、視界がまったく見えなくなる。

(なにこれ···夏でもないのにどうして!?)
(ていうか、目···開けられないんですけど···!)

幸い10分ほどで雨足は弱まり、豪雨からただの本降りへと落ち着いた。
けれども···



【駅前】

東雲
つまり雨足が弱まるころには室長を見失っていた···と

サトコ
「はい···」

東雲
この状況を一言で言うと?

サトコ
「『任務失敗』···です」

口にするだけで、胃がぎゅうっとなる。

(やっちゃった···)
(これが本当の任務なら大失敗だよね)

一度見失った監視対象者を探し出すのが、どれだけ大変なことなのか。
「ララ・リー」の一件で身に染みたはずだ。

(それなのに、もう···)

東雲
原因は

サトコ
「私の準備不足です」
「想定外の事態への対応を考えていなかったのと」
「そもそも雨具の用意をしていなかったのと、それから···」

東雲
わかった
それ、明日の夕方までにレポートとして提出して
もちろん今後の対策についても

サトコ
「···はい」

東雲
それと···

教官はジャケットを脱ぐと、私の肩にバサリとかけた。

サトコ
「これは···?」

東雲
透けてる。さっさと羽織って

(あ···っ)

サトコ
「す、すみません!」

東雲
べつに
迷惑防止条例の対象になるのを防いだだけだから

(ええっ)

サトコ
「わ、私の下着は暴力行為の類ですか!」

東雲
似たようなものでしょ
視界の暴力なんだから

(うっ、ひどい···)

東雲
もういい?羽織った?

サトコ
「はい」

東雲
じゃあ、学校に戻るよ

教官は、自分の黒い傘を勢いよく開く。
柄の部分に結ばれた恐竜のストラップが、ゆらゆらと揺れてなんだか愛らしい。

(って見とれてる場合じゃないってば)
(マツヒトで傘を買ってこないと···)

東雲
なにしてんの。早く入って

サトコ
「え···いいんですか?」

東雲
当たり前でしょ
オレのジャケット、濡らす気?

サトコ
「い、いえ···」
「では、失礼して···」

教官の左側に並ぼうとすると、グイッと右側に押しやられる。

東雲
行くよ

サトコ
「···はい」

私たちは雨の中を急ぎ足で歩き出した。



【商店街】

駅前を離れ、いつもの商店街まで来ても雨足は相変わらず強めだった。

サトコ
「やむ気配ないですね」
「今日はこのままずっと雨でしょうか」

東雲
たぶんね。降水確率60%だし

サトコ
「えっ···」

東雲
···やっぱりチェックしないで尾行訓練に臨んだんだ
ほんとバカだよね。キミ

サトコ
「すみません···」

頭を下げようとしたところで、いきなりグイと身体を押される。

サトコ
「ちょ···教官···っ」

バシャンッ!

(あ···)

水しぶきをあげた軽自動車が、教官の脇を走り抜けていった。

東雲
あの車···

教官は忌々しげに、泥水をかけられたズボンを睨みつけた。
けれども、それ以上に左肩がすでにぐっしょりと濡れている。

(肩は、雨のせいだよね···)

その一方で、私の右肩はほとんど濡れていない。
それがなにを意味するのか、分からないほど鈍くはないつもりだ。

(ちゃんと私、大事にされてる···)
(それなのに贅沢だよね。わざわざ『好き』って言って欲しいなんて」

でも、たまに不安になるのだ。
本当に教官に好かれているのか。
本当に恋人だと思ってもらえているのか。

(結局、自信がないってことなのかな)
(そもそも、いつから好かれていたのか、未だによく分からないし)

卒業するまで手を出さない、というのは仕方ないかなと思う。
でも「好き」という言葉は聞いてみたい。

(やっぱり贅沢だなぁ···私···)

東雲
ああ、そういえば
キミ、今度の土曜日空いてる?

サトコ
「土曜日ですか?えっと···」
「たぶん大丈夫です」

東雲
じゃあ、1時に駅前集合ね

サトコ
「!」

東雲
いちおう断っておくけど、訓練じゃないから

サトコ
「!!」

東雲
それじゃ

教官は私に傘を預けると、そのまま走っていってしまう。
残された私は、今告げられたばかりの言葉を頭の中で反芻した。

(訓練じゃない···ってことは、つまり···)


【駅前】

約束の土曜日がやってきた。

(外でのデートなんて久しぶりだな)
(ていうか、デートでいいんだよね、これ)

若干不安に思いつつも、窓ガラスに映った自分の姿を確認する。

(このカットソー···やっぱり別のが良かったかも)
(でも、もう一着のは胸元がちょっと開きすぎてて···)

東雲
もう来てたんだ。早いね

サトコ
「おはようございます」

東雲
おはよう。昼だけど

(ぐ···っ)

東雲
嘘。嘘。冗談だよ
さ、出かけようか

サトコ
「···はい」

(なんだか教官···ご機嫌なような···)
(気のせい?でも、いつもよりも笑顔が多いよね?)

【街】

高級ブランドの路面店が並ぶ通りを、教官に手を引かれて歩く。

サトコ
「今日はどこに行くんですか?」
「家電量販店ですか?」
「それともスイーツの美味しいカフェとか···」

東雲
セレクトショップだよ
今日はとことんキミを着飾ろうと思って

サトコ
「えっ」

(着飾る···私を?)

東雲
ああ···この店だ
ほら、入ろう?

(ええっ、ここって···)

【ショップ】

お店に入るなり、東雲教官は店員の1人と話し込み始める。
その間、やることのない私は、ただきょろきょろと店内を見回した。

(やっぱりそうだ···)
(ここ、ファッション誌でよく取り上げられてるお店だよね)
(確かきれいめな服が多いけど、お値段もそれなりで···)

東雲
···じゃあ、ひとまず3着ほどお願いします

店員
「かしこまりました。試着室にどうぞ」

いきなり店員さんに品の良い微笑みを向けられて、私はギョッと後ずさった。

サトコ
「い、いえ、私は···」

東雲
いいから行ってきなよ
着飾ったキミの姿、オレに見せて

サトコ
「は、はぁ···」

(なんか教官···やっぱりいつもと態度が違う気が···)

【試着室】

試着室に入ると、すぐに最初のドレスを渡された。

(これ···フォーマルドレスだよね)
(どうして私が、こんなものを···)

サトコ
「うっ···」

(待って!これ、二の腕がキツい···)

東雲
着替えた?

サトコ
「は···はい、いちおう」

私は恐る恐るカーテンを開ける。

東雲
···ああ。なるほど
キミ、意外と肩や二の腕がしっかりしてるんだね

サトコ
「そ、そうですか?剣道やってたせいかな···」

東雲
で、案の定、胸の生地は余ってる···と

(う···っ)

東雲
ま、いいや
次のドレス、着てみて

サトコ
「···どうでしょうか」

東雲
おかしいな、ワンピースのはずなのに···
幼稚園児の制服みたいだね

(それってスモックみたいってこと!?)

東雲
じゃあ次

サトコ
「これは···」

東雲
···キミってほんと天邪鬼だよね
出るべきところが平らで、引っ込むべきところが出ていて
はい、次

その後もさらにドレスの試着は続いて···

(し、試着をしているだけなのに)
(もはや、心がバキバキに折れてるんですけど···)

東雲
ねー、まだ着替えてんの?

サトコ
「いえ···」

もはや何度目かわからないドレスを身につけて、私は試着室のカーテンを開けた。

サトコ
「···いかがでしょうか」

東雲
······

サトコ
「···また『次』ですか」

東雲
ううん、悪くない
···どう思いますか?

教官は、隣にいた店員さんに声をかける。

店員
「ええ、とてもお似合いです」

東雲
じゃあ、これを購入で

(ええっ!?)

サトコ
「ま、待ってください、教官!」

私は慌てて教官の腕を引くと、店員に聞こえないように耳打ちした。

サトコ
「ダメです、こんなお高い服!」
「ボーナスが入ってからじゃないと絶対無理···っ」

東雲
なに言ってんの。オレが払うに決まってるじゃない

サトコ
「えっ」

東雲
たまにはプレゼントしないとね
可愛い恋人に

(この笑顔···まさか···)

東雲
では、会計を···

サトコ
「ま、待って!待ってください、教官!」

(なにかある!絶対あの人、なにか企んでる!)


【カフェ】

東雲
ホント、いい買い物ができたね

サトコ
「······」

東雲
キミの可愛い姿を見られて、大満足だし

サトコ
「······」

東雲
あれ、嬉しくない?

サトコ
「···目的を教えてください」

東雲
······

サトコ
「本当の目的は何ですか?」

とたんに、教官の笑顔が見慣れたものへと変わる。

東雲
良かった
キミが少しはマシなバカに進化してくれてるみたいで
はい、これ

差し出されたのは、白封筒に入った招待状だ。

サトコ
「『結婚式のお知らせ』···」

東雲
そう、さちと関塚さんの

サトコ
「えっ···」
「あ、ほんとだ!」
「でも、どうしてこんなの···」

東雲
式を挙げるからに決まってるでしょ
あの2人、籍を入れただけで挙式はまだだったから
子どもが生まれる前に済ませたいんじゃない

サトコ
「はぁ···そうですか···」

(ん?まさかさっきのドレスは···)

窺うように教官を見ると、口元の笑みが一層深くなる。

東雲
さちがさ、キミにも来てほしいって

サトコ
「······」

東雲
もちろん行くよね
オレが買ったドレス···まさかムダにしないよね?


【式場】

リーンゴーン···と教官の鐘が鳴り響く中···
真っ赤なヴァージンロードの上をさちさんと関塚さんが歩いていた。

サトコ
「きれいですね。さちさん」
「いいなぁ···すごく幸せそう···」

東雲
そう?シュール過ぎない?
妊婦がヴァージンロードを歩くって

サトコ
「ゲホッ」

(な···っ)

サトコ
「なんてことを言うんですか!」

東雲
でも事実でしょ
ま、それを言ったら世の中の花嫁の9割は歩けな···

サトコ
「ほら、もうすぐ2人が来ますよ」
「笑顔、笑顔!」

東雲
···うざ

やがてフラワーシャワーを浴びながら、2人がゆっくりと歩いてきた。

女性
「おめでとー、さち」

さち
「ふふ、ありがとう」

男性
「関塚、カミさんを大事にしろよ」

関塚
「ああ」

ふとこちらを見たさちさんが、「あ···」と唇をほころばせる。
そんな彼女に笑顔を返しながら、教官はぽつりと呟いた。

東雲
運命だと思ったんだけどな

サトコ
「なにがですか?」

東雲
溺れてるところを助けられたとき···
子供心に、彼女は『運命の相手だ』って
向こうは、違ってたみたいだけど

(教官···)

胸の奥に、鈍い痛みが広がる。
けれども、教官の気持ちも分からないわけじゃない。

(そうだよね)
(教官···ずっとさちさんのことが好きだったんだもんね)

サトコ
「···だったら次は私が助けます」

東雲
は?

サトコ
「もしも教官が溺れたら、私が教官のことを助けます!」

東雲
······

サトコ
「近いうちに水難救助の訓練を受けて···」
「確実に助けられるだけのスキルを身につけて···」
「それで絶対に助けますから!」
「だから、今は私を運命の相手に···」

(って、いない!?)

女性1
「キミが、さちの幼なじみの『歩くん』なんだー」

東雲
はい

(ああ、いつの間に···っ!)

少し目を離したスキに、教官は女性に囲まれていた。

女性2
「結婚はー?」

女性3
「カノジョは?」

女性4
「たしか公務員って聞いたけどー」

サトコ
「し···失礼します!」

私は、慌てて輪の中に割り込んだ。

サトコ
「教官、ダメです!まだ式の途中です」

東雲
いいじゃない、べつに
どうせ記念撮影までやることないんだし

女性1
「そうよそうよ」

女性2
「それより、彼女はどちら様?」

東雲
ああ、この子は···

サトコ
「東雲教官の補佐官です!」

女性2
「補佐···?」

サトコ
「さ、列に戻りましょう、教官」

私は強引に腕を引くと、女の人たちの中から教官を引っ張り出した。

東雲
···なに?やきもち?

サトコ
「······」

東雲
だったら『恋人です』って言えばよかったじゃない
『補佐官』なんて言わないで···

サトコ
「いいんです。ムカついてますから!」

東雲
へぇ、なんで?
逆ナンされてたから?

サトコ
「それもありますけど、他にもいろいろと···」

そのとき、少し離れたところから司会者のアナウンスが聞こえてきた。

司会者
「女性の皆様、お待たせいたしました」
「ブーケトスのお時間です」

サトコ
「!」

司会者
「素敵な出会いを望まれる方···あるいは『次は私が!』と望まれる方」
「ぜひ前に出て来てください」

アナウンスが流れたとたん、未婚の女の人たちが我先にと前に出て行く。

東雲
ほら、キミも行って来れば?
ブーケを取れたら、なにか変わるかもよ?

(なにかが···)

教官に背中を押されて、私も慌てて走り出した。

(そうだ···ここでブーケを取れたら、なにかが変わるかもしれない)
(今よりもう少し、教官との距離が縮まるとか···)
(教官に『運命の相手』って思ってもらえるとか!)

皆が集まってきたところで、さちさんはにっこりと笑顔になる。

さち
「じゃあ、今から投げまーす」

(よし、絶対にブーケを手に···)

サトコ
「···ん?」

(今···さちさんと目が合った···?)

けれどもはっきりそうだと確信する前に、さちさんは背中を向けてしまう。

さち
「じゃあ、いきまーす。3···2···」
「1···っ」

白いブーケは勢いよく放られ、皆が一斉にその行方を追った。

(お願い、こっちに来て!私のところに···)

(って、あれ···なんでそっちに···)
(え···あ···っ)
(ああ···っ!)

まったく見当違いの方向に飛んだブーケを、誰かがひょいとキャッチする。

東雲
すみません。いただきました

女性たち
「あああっ!」

こうして私も含めた女性陣の悲鳴が、青空の下に響き渡ったのだった。

to be contineud




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする