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東雲 カレ目線 6話



【関塚家】

幸い、さちは翌日には退院できた。
倒れた原因はストレスによる心労、そして···

(妊娠、か···)

これに関して言えば···
思っていたほどのダメージはなかった。

(まぁ、いつかはそんな日が来ると思っていたし···)

さち
「ごめんね、歩くん···ずっと付き添ってもらって···」

東雲
いいよ、オレのことは気にしないで
それより関塚さんと連絡取れた?

さち
「それが、電話しても繋がらないんだ」
「話したいこと、いっぱいあるのに」

(やっぱりね)

さちを気の毒に思う一方で、室長への報告内容を考えてる自分がいる。
だって、オレが今ここにいるのは「公安刑事」だからだ。

東雲
···そのうち、きっと連絡が来るよ
早く驚かせたいね

さち
「うん···ふふ!」

さちは少しフラつきながら、ゆっくりと立ち上がった。

さち
「リンゴ食べようかな···歩くんも食べる?」

東雲
さちが手を切らずに皮を剥けるならね

さち
「もう···今はちゃんと剥けるんだから」

さちがキッチンに向かったのを確認して、オレはスマホを取り出した。
1時間ほど前、室長に頼みごとがあってメールをしていたのだ。

(あ、返信が来てる。えっと···)

······『例のものは氷川に届けさせる。夕方まで待つように』

(彼女に···?)

気まずい思いが胸に広がった。
なにせ一昨日の夕方、彼女との約束をドタキャンしているのだ。

(やば···あれから何もフォローしていないし)
(まずは最初に謝らないと···)
(それから、何か埋め合わせをして···)

さち
「お待たせ。はい、リンゴ」

東雲
ん···

(···待てよ、『埋め合わせ』?)
(埋め合わせってなにをするわけ?別にそんなことしなくたって···)

さち
「歩くん、リンゴ食べないの?」

東雲
ああ、うん···食べる···

(ていうか、それ以前に···)
(今日どうやって彼女をこの部屋に招き入れよう···)
(部下として?それとも『女友達』?)
(いや、どれも不自然だし···)

さち
「···歩くん?」

(さちに疑われない理由を考えないと···)
(オレがこの家に呼んでも、納得してもらえそうな理由···)

東雲
あの···今日さ!
さちに紹介したい相手がいるんだけど!

さち
「紹介?誰?」

東雲
えっと、その···
か······
······カノジョ?

それからの、さちの張りきりっぷりはすごかった。
ついさっきまで顔色が悪かったのが嘘のようだ。

さち
「ね、どうやって歓迎すればいい?」
「クラッカー?やっぱりクラッカーだよね?」

東雲
いや、クラッカーはちょっと···

(まぁ、確かにこれまでに何度も言われてたけど)
(『カノジョができたら紹介しろ』って)

もちろん、そのたびにスルーしてきた。
遊び相手を紹介するわけにはいかなかったし、オレなりの意地もあったから。

(それなのに、なんでこんな形で···)

そもそも冷静になってみれば、さちに紹介する必要などなかったのだ。
荷物の受け渡しなら、マンションのエントランスでできたわけで。

(はぁぁ···)
(ほんと、ヘタうったな···)



【帰り道】

結局この日は、予定より30分早く関塚家をあとにした。
これ以上、滞在が長引いたらボロが出そうだったからだ。

(いちおう、普段どおりに振る舞えた自信はあるけど···)

チラリと隣を見ると、彼女も疲れた顔をしている。

(さちから「カノジョ」向けの質問攻めにあってたし···)
(オレのどこが好きか···なんて聞かれてるし)
(しかも、それに律儀に答えたりして···)

東雲
······

(あの答え、どこまで本気だったんだろう)
(···まぁ、その···どっちでもいいんだけど)

それより、今は彼女に言わなければいけないことがある。
本当なら真っ先に伝えたかったこと。

東雲
ごめん
土曜日、急にキャンセルして

サトコ
「あ、いえ···っ」

彼女は、慌てたように首を振った。

サトコ
「聞いてますから。さちさんに付き添ってたって」
「それに、その···」
「教官から電話をもらったとき、実はすでに寮に戻ってて!」

(え···)

サトコ
「だって約束の時間より1時間も過ぎてたし!」
「だから、あまり気にしなくていいっていうか···」

無理に浮かべている笑顔が痛々しい。
それに、下手くそすぎる嘘も。

(なんだよ···それ···)

心臓を鷲掴みにされたのかと思うくらい、息ができなかった。
もっとオレを責めればいい。
もっと詰め寄ればいい。

(それなのに、どうして···)

サトコ
「それより良かったですね。頬の腫れ、だいぶ引いたみたいで」

東雲
···ああ

サトコ
「まだ痛みますか?」

彼女の手がいきなり頬に伸びてくる。
驚いたオレは、とっさにその手を振り払ってしまった。

サトコ
「!」

東雲
あ···
ご、ごめん

サトコ
「いえ、私のほうこそ、急に触ろうとして···」

心臓がものすごく速いリズムを刻んでいる。
思春期のガキでもないのに、どうにもこうにも息苦しい。

サトコ
「その···湿布、きれいに貼れてますね」

東雲
ああ···さちに貼ってもらったから

なんとか当たり障りのない答えを返す。
正直、今は彼女の顔をまともに見られない。

(違う···べつに動揺してるわけじゃ···)
(単に、傷口に触られそうになったから驚いただけで···)

東雲
···行こうか

逃げるように先に歩き出すと、彼女はあとからついてきた。
そのあと駅前で別れるまで、会話はほとんどなかった。

この日を境に、彼女との間に微妙な距離ができ始めた。
理由はいろいろあったけど、一番の原因はたぶんオレだ。
彼女に対して、以前のように振る舞えなくなってしまったから。



【関塚家】

そうこうしているうちに、彼女は後藤さんと潜入捜査に入り···
関塚家を見張るオレとは、完全に別行動になってしまった。

さち
「歩くん」

東雲
······

さち
「あ・ゆ・む・くーん」

東雲
···ああ、なに?

さち
「コーヒー淹れたよ。どうぞ」

東雲
ありがとう

マグカップを受け取ったオレを、さちは伺うようにジッと見る。

さち
「···なんか元気ないね」
「もしかしてケンカした?サトコちゃんと」

東雲
···っ
してないよ

さち
「······」

東雲
ほんとにしてないって

さち
「だったらいいけど」
「大事にしなきゃダメだよ」
「サトコちゃんは特別な女のコなんだから」

(特別って···)
(別に···ただの補佐官だし···)

こっそり呟いて、カップに口をつける。
コーヒーには砂糖が入っているはずなのに、今日は何だか妙にほろ苦い。

さち
「ね、気付いてた?」

東雲
なにが?

さち
「歩くんね、サトコちゃんの前だと···」
「ふわってなるんだよ」

(えっ?)

さち
「なんて言うかね···力が抜けてるの」
「ちょっとゆるーい感じになってるっていうか···」

東雲
さちの悪いクセ。それじゃ伝わんないよ

さち
「えっと···例えばね」
「今こうして私と2人でいても、歩くん、ちょっと緊張してるの」
「でも、この間サトコちゃんが来たときはね」
「ちょっとした瞬間に、ふわって柔らかくなってて···」

東雲
······

さち
「それで『ああ、彼女は特別な女のコなんだな』って」
「だから大事にしないとダメだよ。ね?」

【帰り道】

さちの言ってることは、やっぱりよくわからなかった。

(力が抜けてるって···)
(任務中なのに、そんなのあり得ないし)
(そりゃ、他に比べて気さくな相手だとは思うけど···)

プルル、とポケットの中のスマホが震える。
ディスプレイに表示されているのは颯馬さんの名前だ。

東雲
おつかれさまです

颯馬
歩、今どちらですか?

東雲
監視対象者の家を出たところですが···

颯馬
では、最寄り駅で待っていてください。すぐに拾います

東雲
なにかあったんですか?

颯馬
今晩、例の女スパイが何らかの取引をするようです
後藤とサトコさんが、その現場を押さえようとしています

東雲
それで応援に?

颯馬
ええ···歩も気になるでしょう

(気になる?オレが?)
(そりゃ、あの子1人が現場に出るなら気になるけど···)

東雲
···いえ、特には
後藤さんと組んでいるなら問題ないでしょうし

かすかな苦みに気付かないふりをして、オレはあえてそう返す。
それなのに、電話の相手はなぜかふっと笑った。

東雲
···なぜ笑うんですか

颯馬
いえ···私が「気になるだろう」と言ったのは取引のことでして
べつに「貴方の補佐官」のことではないのですが

東雲
···っ

颯馬
それでは最寄り駅で待ち合わせを

東雲
···了解

通話を切るなり、オレはスマホを投げつけたくなった。

(ほんっっっと、腹黒!)

さっきの返事は、絶対誘導されたに決まっている。
じゃなければ、オレがあんなことを言うはずがない。

(ていうか、別におかしくないし!)
(オレがあの子のことを気に掛けたって)
(あの子、オレの補佐官なんだし)

そうだ、彼女はオレの補佐官で教え子だ。


【倉庫】

だからこそ、後藤さんと彼女がヘタうったと知って···
オレが、助けに来たわけなんだけど。

組織員
「サッサト入レ、スッポン」

サトコ
「痛···っ」

組織員
「オ前モダ、キノコ」

東雲
···っ

オレたちが放り込まれたのは、頑丈そうなコンクリート造りの部屋だ。

(窓はない···ドア以外の出入口も···)

弱点があるとしたら、あのドアくらいだろう。

(見た目は重たそうだけど、強度はそれほど高くない···)
(ちゃんと探りさえすれば、絶対に壊せるポイントが見つかるはず)

もっとも、それには両腕を縛る縄を外さなければいけない。

(なにか刃物の代わりになりそうなもの···)

目に付いたのは、錆びた鉄パイプだ。
幸いなことに、一部が割れて刃先のようになっている。

(よし、これを使って···)

突然、彼女が「ぎゃっ」と相変わらず色気のない悲鳴を上げた。
見ると、天井のパイプから勢いよく水が噴き出している。

東雲
あー水攻めかー

サトコ
「水攻めって···」

東雲
待って。計算するから

(部屋はそんなに広くない···水の量もかなりある···)
(ああ、でもやっぱりドアの隙間から水が流れるっぽい···)
(となると、もう少し時間がかかって···)

東雲
···なるほど。20分ってところか

サトコ
「それってなにが···」

東雲
この部屋が水で満杯になる時間

じわりと焦りが生じる。
なにせ縄は濡れると強度が増すのだ。

(つまり、水位が上がるまでにどうにかしないと)
(でも、それまでにこの縄を切れるかどうか···)

ドンッ、とものすごい音がした。
驚いて顔を上げると、彼女がドアに体当たりをしていた。

東雲
なにやってんだよ!やめろって!

けれども、彼女はやめない。
何度も何度もドアに体当たりし続ける。

(く···っ)

彼女を引き留めているヒマはない。
とにかく今は、両腕を縛る縄を切るのが先決だ。

(ああ、もう···)
(ほんとサイアク···っ)

そうこうしているうちに水位はどんどん上がり、縛っている縄が濡れ始めた。

(あと少しなのに···)
(たぶん、もうちょっとで切れるはずなのに···)

ドンッ!

(あっちはあっちで、まだドアに体当たりしてるし!)

しかも、なにか目算があってやっているわけではない。
ただ他にやることがないから、体当たりしているだけなのだ。

(ああ、もうあのバカ···!)

たまりかねたオレは、もう一度彼女に向かって叫んだ。

東雲
だから無理だって
それじゃあ、絶対に開かない!

サトコ
「じゃあ、諦めるんですか!」

東雲
そうじゃ···

サトコ
「このまま···」
「このまま、さちさんに会えなくてもいいんですか!」

(······は?)

サトコ
「私が何とかします」
「絶対にこのドア、壊してみせます」
「だから、お願いだから···」
「さちさんのこと、ちゃんとケリつけてください!」

こんな切迫した状況のなかで、彼女は切々と訴えてくる。
オレに新しい恋をしろと。
今度こそ好きな人を捕まえて幸せになれと。

(バカなの···?)
(なんでこの状況下で、そんなくだらないこと···)

それなのに、心が揺さぶられる。
理性に反して、どうしようもなく胸が苦しくなる。

(ああ···くそっ!!)

べつに、こんなことは初めてじゃない。
これまでにも何度か彼女に心を揺さぶられてきた。
でも、その都度、自分に「言い訳」をしてきた。

ーー『これは恋愛感情じゃない』

ーー『彼女は補佐官だから』

けど、もう隠せない。
他の言葉で片付けることなんてできやしない。

(そうだ···)
(本当にバカなのはオレの方だ)

一番のバカは、間違いなくオレだ。

東雲
ああ、もう黙れ!
頼むから集中させて!
あと少しで縄が解けるから

一か八かで、全身を大きく捻る。
鋭い痛みとともに、ようやく身体が自由になる。

東雲
ああ、もう···
腕まで切っちゃったし
キミがごちゃごちゃごちゃごちゃうるさいから

サトコ
「す、すみま···」

東雲
もういい、黙って

自由になった手で、真っ先に彼女を捕まえる。
本当はこんなことをしている場合じゃない。
だけど、オレにだって言いたいことはあるのだ。

東雲
キミ、ほんと鈍すぎ

サトコ
「へ···」

東雲
新しい恋なんてとっくに始まってる

逃がさないように両頬を挟み込むと、そのまま深く口づけた。
これまで目を逸らしてきた想いを、ただ彼女に伝えるように。

その後、オレたちはドアをぶち破って、なんとか水攻めから解放された。
倉庫にいた連中は石神さんが、笹野川議員の元愛人は颯馬さんが逮捕。
テロ計画も、無事に阻止することができた。


【教官室】

そして···
穏やかな日差しが降り注ぐなか。
オレは教官室の窓から、何気ないふりをして外を眺めている。
なぜかって?
お遣いに出た「うちの彼女」が、そろそろ通りかかるはずだからだ。

(ていうか、ほんと、いつ気付くんだろ)
(よく頼まれるものは、通販でまとめ買いすればラクできるって)

もちろん、そんなことは教えてやらないけど。

(それにそんなことをしたら、せっかくの楽しみが···)

東雲
あ···

やっと彼女が戻って来た。
どうやら他にも買い物があったらしく、コンビニの袋を手に提げている。

(あれ、駅の向こうのコンビニの···)
(ほんと、要領悪すぎ···)

黒澤
あれあれ~、どうしたんですか?
歩さん、顔が緩んでますよ~?

また面倒なヤツがやってきた。

黒澤
あっ、もしかして歩さん、今···

東雲
少し黙れ。透

ギュウッ!

黒澤
ちょ···だからそこはダメですって···
ちょ···ああ···っ、歩さ···

石神
静かにしないか、黒澤

後藤
まったくだ

黒澤
だ、だって歩さんがぁ···

透の抗議を無視して、オレは再び外に目を向ける。
彼女はとっくに前を通り過ぎていて、もう背中しか見ることができない。

(ま、いいか)
(どうせ、あと5分もすればここに来るんだし)

ふと「運命の人」より上は何だろうと考える。

(『運命』より上···『宿命』···?)
(じゃあ、あの子は『宿命の人』···とか?)

けれども、どうもピンと来ない。
彼女はそんなガラじゃないし···
何より「運命」とか「宿命」なんてもの、体当たりで壊してしまいそうだ。

(···ま、いっか)

そんな安っぽいものは、もうどうだっていい。
今のオレは、彼女のことが、ただただ愛おしくてしょうがないのだから。

Happy End



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