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元カレ カレ目線 難波 1話



【屋上】

一人屋上でタバコをふかしながら、俺はさっき犯した恥ずかしい勘違いをしみじみ思い出していた。

(冷静に考えれば、自分のことじゃないってことくらい、分かりそうなものを···)

難波
別にその···無理に誤魔化さなくたっていいんだぞ
俺は、別に

サトコ
「あの、それは···?」

改めてそう言うと、サトコは心なしかポカンとした表情になった。

難波
俺はお前とのこと、別に隠すつもりはないから

(そりゃ、事細かにいろいろ聞かれるのは困るが)
(こうなることも織り込み済みで踏み出した関係だ···)
(覚悟はできてる)

しかしサトコはさっきまでの質問攻めの悪夢からまだ立ち直れていないのか、

サトコ
「あ、ああ···」

(まったく、あいつらにも呆れたもんだよな)
(ガキじゃねぇんだから放って置きゃいいものを···)

そんなことを思っていた時だ。
突然現れた黒澤が、思いがけない言葉を発した。

黒澤
サトコさん、もしかして、ここでも質問を受けてたんですか?
元カレさんのことで!

サトコ
「黒澤さんっ!」

難波
モトカレサン···?

とっさに、それが何を意味するのか分からなかった。
でも徐々に、頭の中でその言葉が具体的な文字へと変換されていく······

難波
ああ···

(そうか···『元カレ』か···!)

目の前で黒澤とサトコがガタガタ言い合っている声が、どこか遠くに聞こえる。

(前の男との話を自分のことと勘違いするとは···)

あまりの恥ずかしさに、我ながら言葉を失った。
それと同時に、そんな内心を悟られまいと、あえて殊更に仏頂面を貫いた。

(確かにあの時俺も、『全部初めて』って辺りから何か変だとは思ってたんだ)
(なのになんで気付かねぇかな···)

タバコの煙と一緒に、盛大にため息を吐きだす。

(俺としたことが、若干舞い上がってたか?)
(まあ、しょうがねぇか。愛だの恋だのってのがまず久しぶりだしな···)
(でもこれも、サトコとのことを大切に思うからこその勇み足だ)

俺は自分に言い聞かせるように頷くと、思い切りタバコを灰皿に押し付けた。
まるで、心の動揺まで押し潰そうとするかのように。

難波
とりあえず、あれだな···

この件にはもう、できるだけ触れるまいと心に誓う。

(それにしても···そうか···そりゃそうだよな···)
(サトコにだって、付き合ってた男くらいいるよな···)
(まあ俺なんか、付き合ってたどころか結婚までしてたわけだし···)
(『全部初めて』ってのはちょっと癪だが、その辺はまあ、お互い様だ)



【教官室】

それから1時間ほどして。
室長室での雑務を済ませて教官室に顔を出すと、なにやら教官たちが騒がしい。

難波
なんだ、どうかしたのか?

石神
訓練中に事故がありまして、訓練生が一人、頭を打って倒れました

難波
頭を打った?状態は?

石神
恐らく、脳震とうかと

ガチャッ

加賀が入ってくると全員一斉にそちらを見た。

石神
氷川は?

(···!)

加賀
とりあえず保健室に運んだ

難波
倒れたのは、氷川か

加賀
はい

胸がざわついた。

(おいおい···大丈夫なのか?)

石神
打ち所の問題もある。一応、医者に診せた方がいいだろう

加賀
目が覚めたら、俺が病院に

難波
ちょっと待て。今、訓練はどうなってる?

加賀
中断して、待機させてますが···

難波
それなら、お前はすぐに訓練に戻れ
若手公安刑事の育成は急務だ
氷川の件はもちろん心配だが
それで全体のカリキュラムを狂わせるわけにはいかない

石神
しかしそうなると···

石神は厳しい表情で教官たちを見回す。

(確かに、こいつらもそれぞれに忙しい身だ)

状況は、誰よりも把握していた。

難波
「···わかった。それなら、氷川は俺が病院に連れて行く

石神
ですが、室長はこの後、重要な面会が···

難波
大丈夫だ。面会場所の近くにも病院くらいあるだろ

後藤
でしたら、俺が探しておきます

難波
そうしてもらえると助かるよ

やるべきことは山積だが、サトコのことも心配だ。

(多少無理すりゃ何とかなるだろ)
(それに、誰かに任せて心配してるよりは···)



【病院】

医師
「検査結果も特に問題はありませんでした。軽い脳震とうでしょう」

青年医師の言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。
サトコが振り返って俺に微笑みかける。
その瞳には、何事もなくてホッとした気持ちと、
俺に心配をかけた申し訳なさが浮かんでいた。

(こんな時くらい、気を遣わなくていいのによ···)

サトコの気遣いが少しもどかしくもあり、微笑ましくもある。
しかしこの距離感が、サトコの公安刑事としてのケジメなのもよく分かっていた。

(サトコが検査してる間に懸案の面会も済ませたし、この後は寮まで送ってやるか···)
(いや、一人にして急に状態が変化でもしたら大変だ)
(ここはやっぱり、ウチに連れて行った方が···?)

そんなことを思いながら先生に礼を言い、診察室を出ようとした時だ。

サトコ
「え···ハジメ?」

難波

振り返ると、サトコの目の前にいた先生がマスクを取って微笑んでいる。

(···知り合いか?)

ハジメ
「いつ気付くかと思って楽しみにしてたけど、相変わらずボーっとしてんな、サトコは」

(サトコ···)

サトコ
「だ、だって!まさかハジメがこんな所にいるなんて···」

ハジメ
「あれ?この間言わなかったか?今、ここで研修中なんだ」

(この間···?)

突然のこの状況に、俺は脳ミソをフル回転させた。

(この二人、最近どっかで会ったってことか···結構親密そうだが···)

知らず知らず、俺は『ハジメ』と呼ばれた先生をじっと見ていたようだった。

サトコ
「あ、こちら···」

サトコが俺の視線に気付いて話を止める。
ハジメ先生は俺に向き直ると、折り目正しく頭を下げた。

ハジメ
「サトコの友人の狭霧一です」

難波
どうも···難波です

その瞬間、俺の脳裏にひらめくものがあった。

(まさか、こいつが···?)

黒澤
それで、告白したのはサトコさんの方からだったそうですね
手を繋いだ場所は?初めてのデートは?
そしてなにより気になるのは!初めてのチュー!

よくよく考えてみれば、
今さら何のきっかけもなく元カレの話を黒澤たちに掘り返されるなんて不自然だ。
でも、最近再会したということであれば······

難波
俺、先に出てるんで、ごゆっくり

気づいた時にはそう言っていた。

サトコ
「あ、いいですよ。別に···」

サトコは慌てたように止めるが、得体のしれない感情が俺の身体を診察室の外へと引っ張る。

(なんで俺、こんな逃げるみたいなことしてるんだ···?)

【待合室】

(サトコのことだ···)
(ただの友だちなら、『懐かしい人に会った!』とか無邪気に報告してきそうなもんだよな···)
(てことは、やっぱりアイツが···?)

診察室を出てからも、答えの出ない問が頭の中でグルグル回っていた。
心なしか、胸の辺りもざわざわする。

(いや、別にいいんだけどな。アイツがサトコの元カレだろうがなかろうが···)
(大事なのは今な訳だし···)

自分に言い聞かせているとふと見ると、ちょうどサトコが診察室から出てきたところだった。
俺は、何事もなかったようにサトコに歩み寄る。

難波
よかったよ、大したことなくて

サトコ
「はい。ご心配をおかけしました」

難波
それはそうと、驚いたな。さっきの先生、知り合いだったなんて

サトコ
「ホントですよね。ハジメとは、幼なじみで···」

(そうか···しかも幼なじみなのか···)

俺の知らないサトコを知っているであろうハジメ先生に、心なしか羨ましさを感じた。
それなのに······

難波
そういうことなら安心だな

口をついて出たのは、裏腹な言葉。

難波
幼なじみなら、知らない同士よりも親身になって診察してくれるだろ

サトコ
「ああ、そうかも···ですね」

(···心にもない事言っちまったな、俺)
(だが、オトナっていうのはそういうもんだ)

歳を重ねれば、自分の気持ちを隠すことなどたやすくなるもので。
妙に冷静に分別のある返事をしている自分に、我ながら呆れてしまう。

難波
この後だが···今日はこのまま早退しろ
タクシーで俺んちまで送るから

呆れついでに、やはりサトコは寮ではなくウチに連れて帰ることにする。
もちろん身体も心配だが···純粋に、今日はサトコを傍に置いておきたかった。


【デパ地下】

なんとか残りの仕事を片付け、俺は夕食を仕入れにデパートの地下へと赴いた。
普段はこんな所には寄り付かないが、今日はサトコのためだ。

難波
しかし来てはみたものの···

お惣菜ひとつとっても、そのあまりの種類の多さに立ち尽くす。

(そもそもサトコの好きなもんって何だ?)

「今が大事」と言ってる割に、改めて考えてみると、
そんなことすらよく分かっていない自分に気付く。

(よくよく考えてみたら、サトコの好みなんてあんまり考えもしなかったな)
(俺が店を選ぶときはいつも、食うものってよりは雰囲気重視だったし···)
(サトコはどんなもんでも、いつも喜んで食ってくれた記憶しか···)

考えあぐねて、思わず使い慣れていないスマホを取り出した。
サトコに掛けかけて、ふと思いとどまる。

(いやいや、待てよ···もしかしたら寝てるとこを起こしちまうかもしれないしな···)
(ここは何とか自力で···)

俺はスマホをしまうと、気合を入れて品定めに入った。

(もしかしたらこれは、サトコのことをもっとよく見ろっていう神様のお告げかもしれねぇしな)


【難波マンション】

食後のサトコの反応は上々だった。

(どうやら、大きく外してはいなかったみたいだ···)

ホッとしながら食器を片づけていると、
リビングにいるサトコのスマホからLIDEの着信音が鳴った。

サトコ
「あ···」

画面を見たサトコが表情を曇らせる。

(もしかして、アイツか?)

とっさに思うが、じっと考え込んでいる様子のサトコは、
見ようによっては体調が悪そうにも映る。
俺は、心配になってサトコに歩み寄った。

難波
どうした?また頭でも痛いのか?

サトコ
「い、いえ···」

サトコは一瞬うろたえたようになってから、表情を引き締めた。

サトコ
「あの、今日、病院で会ったハジメのことなんですけど···」
「実はハジメは···私の元カレなんです」

突然の告白。
でも俺は、思った以上に落ち着いていた。

難波
やっぱりそうか~

サトコ
「すみません。今まで黙ってて」

難波
別に謝ることじゃねぇだろ
それにまぁ、何となくそうかもなとは思ってた
どうやら、俺の直感も捨てたもんじゃねぇようだな

俺が笑うと、サトコもちょっと笑った。

難波
もしかして、それを気に病んで難しい顔してたのか?」

サトコ
「ま、まぁ···」

難波
バカだな

サトコ
「···ですね」

それからサトコは、
ハジメ先生との再会から教官室での尋問に至る経緯を包み隠さず打ち明けてくれた。

サトコ
「もちろん、ハジメのことはもう何とも思っていませんし、私が今好きなのは室長です」
「だからハジメとはもう、病院以外で会うつもりは···」

難波
会うな。病院でも

サトコ
「へ···?」

思ってもいなかった言葉に、自分でも驚いた。
サトコも戸惑ったように俺を見つめている。

サトコ
「でも、それじゃ···今後の診察は···?」

難波
······

(呆れちまうが、どんなに取り繕っても、これが本音だ。何しろ相手はかなりの好青年···)
(心配しないかって言われたらウソになる。でも、信じなきゃいけねぇよな)
(俺たちが重ねた時間を···)


【寝室】

サトコを寝室に運ぶ頃には、俺の気持ちはもう吹っ切れていた。
しかしサトコは俺に気を遣っているのか、ハジメ先生からの誘いを断るという。

難波
別に会ってもいいんだぞ?もう、 “元” な訳だし···

サトコ
「でも···」

難波
色んな過去が積み重なって今のお前があるんだから
俺はどんな過去も、否定するつもりはない

サトコ
「室長···」

口に出したら、改めて腹が据わった気がした。

(俺にだって、過去がある)
(それを消せない以上、過去ごと受け入れてもらうしかねぇもんな、お互い···)

サトコ
「···断ります」

今度は気遣いではなく、サトコの意思を感じた。
にもかかわらず、再びスマホを見たサトコは、あっという間に前言を撤回した。

サトコ
「やっぱり私、会いに行きます。ハジメに」

難波
!?

サトコ
「室長と一緒に」

難波
え···俺も?

驚き、のち戸惑い。
でもそんな俺とは対照的に、サトコの顔は晴れやかだ。

サトコ
「大切な人ができたら、必ず紹介するって約束したので···だから」

難波
···そうか

(そういうことか···)

胸の中に広がっていく穏やかな幸せと一緒に、俺は、サトコを強く抱きしめた。



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