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東雲 続編 Happy End



そばにあった1メートル定規を握り、加地さんの手元めがけて振り下ろす!

加地
「ぐっ···」

それでも、彼はスタンガンを手放さない。
むしろ、定規を掴んで反撃しようとしてきた。

サトコ
「させるか···っ!」

武術の訓練で教わった通り、急所を狙って蹴りを入れる。
けれども、わずかに外れた上に、相手のスタンガンが身体をかすめた!

サトコ
「···っ」

痛みに身をすくめた際に、乱暴に床に押し倒された。
彼は薄い笑みを浮かべたまま、スタンガンを握り直す。

加地
「さあ、おとなしくしてもらいましょうか」

サトコ
「···っ」

加地
「大丈夫、あなたの命までは奪いませんよ」
「すべてが終わるまで、ただじっとしていてもらえれば···」

ガッ!

加地
「···っ!」

突然、短い悲鳴を上げて、加地さんがスタンガンを取り落した。
さらに、彼は何者かに襟を掴まれると、二度、三度と蹴りを入れられる。

(だ、誰···いきなり···)

???
「氷川!」

(え···)

サトコ
「教官!?」

石神
怪我はないか?

サトコ
「だ、大丈夫です···けど···」

(じゃあ今、加地さんをボコボコにしているのは···)

加賀
ったく···この程度のクズにくたばってんじゃねぇ

(やっぱり、加賀教官···)

加地
「な···なんなんだ、あんたたちは···」

石神
警察だ

加地
「警察···?」

その途端、加地さんは弾けたように笑い出した。

加地
「あははっ···なるほど、そうきたか···」
「まいったな、そこまでは読み切れなかったよ」
「長野さん···キミは社長側ではなく警察側の人間だったというわけか」

サトコ
「······」

加地
「あれ?じゃあ、もしかして社長補佐も···」

???
「加地くん···」

気遣わしげな声が、加地さんの言葉を遮った。

加地
「社長···」

社長
「彼らから聞いたよ」
「まさか、キミが過激派組織と関係していたとは···」

加地
「······」

社長
「一体どういうことだね」
「キミは仕事熱心で、上司や周囲からの評判もいいと聞いていた」
「次の人事異動では昇進の話だって···」

加地
「佐藤寛春」

社長
「!」

加地
「よかった···さすがに覚えていたようですね」
「そうじゃなければ、兄が浮かばれませんよ」
「あの人はこの会社に···」
「あなたに殺されたようなものですから」

(え···)

社長
「加地くん、それは···」

加地
「10年前···ここの社員だった兄は会社に超過勤務を強いられた」
「月100時間を超える残業が何ヶ月も続いて···」
「兄はそのせいで心身症を患った」

社長
「······」

加地
「そんな兄に、あなたは退職を迫って、自己都合で会社を辞めさせた···」
「兄が自ら命を絶ったのは、その翌日だ」

社長
「······」

加地
「それ以来、ずっと僕は恨んできたんですよ」
「兄を殺したこの会社と、あなたのことを」

淡々とした口調···渇いた眼差し···
それなのに、彼の憎しみや悲しみが、いやというほど伝わってくる。

(そういえば、前に言ってた···)
(私が泣きそうな顔で、ごはんを食べていた時に···)

······「泣けるうちは泣いた方がいいですよ」
······「人間、本当にどうにもならなくなると涙も枯れますから」

(···確かに彼には彼の言い分があるのかもしれない)
(でも、だからって···)

サトコ
「それでも、それは犯罪です」
「やってはいけないことなんです」

加地
「···っ」

サトコ
「恨みがあるなら社長に直接ぶつけるべきです」
「こんな形で報復するべきじゃ···」

加地
「お前に何が分かる!」
「どうせ何も失ったことがないくせに···」
「この理不尽さが···どうしようもない怒りがお前に···」

そこまで言いかけて、彼は「ああ···」と唇に薄暗い笑みを浮かべた。

加地
「近いうちに少しは理解できるようになるか」
「東雲歩に死なれたら」

サトコ
「!」

加地
「楽しみだよ。そのとき、今と同じことを言えるのか···」

サトコ
「言います!同じことを」

加地
「···なに?」

サトコ
「あなたのことを、どれだけ憎んで恨んでも···」
「私は絶対にあなたと同じことはしない」
「テロリストに協力を頼むような真似はしない!」
「だって私は···警察官ですから···」

震える声で言い切って、私は目の前の彼を睨みつけた。
そうしなければいけないと思った。

(だって、そうじゃなきゃ顔向けできない···)
(私を、公安刑事として育ててくれようとした教官に···)

???
「84点···」

(え···)

東雲
悪くない···けど···
顔がブサイク···だから···マイナス16点···

後藤教官に支えられながら、東雲教官が姿を現す。
加地さんの目が、驚いたように見開かれた。

加地
「なぜだ···なぜ、あんたがここに···」

後藤
監禁場所から助け出した
警察の情報網を舐めるな

加地
「くそ···っ」

加賀
逃げんじゃねぇ
テメェには聞きたいことが山ほどある

加地
「···っ」

加賀
ほら、とっとと来やがれ

東雲
加地···!
佐藤寛春は···あんたのお兄さんは···本当は···

社長
「やめなさい、歩」

東雲
けど···っ

社長
「いいんだ!」
「いいんだ、歩···」

社長の声は、加地さんの笑い声にかき消される。

加地
「言っておくけどな!」
「僕を捕まえたところで何の意味もない!」
「情報はすでに連中に渡っているんだ!」

加賀
黙れ、このサイコクズが!

加地
「この会社はもう終わりだ!あんたたちはもう終わりだ!」
「僕の復讐は、これでほぼ···」

去っていく加地さんの背中を、東雲教官は睨みつけた。

東雲
冗談···
まだ終わってなんか···
···っ

社長
「歩!」

サトコ
「教官!」

駆け寄った私の手を、教官は驚くほど強い力で捕まえた。

東雲
社内便···

サトコ
「え?」

東雲
メモリ···
早く···解け···

そこで声が途切れ、今度こそ教官はガクリと倒れ込んだ。

サトコ
「教官!」

社長
「歩はいったい···」

後藤
監禁中に怪我を負ったようです
『どうしても』というのでここに寄りましたが···
今から病院に連れて行きます

サトコ
「だったら私も···」

後藤
ダメだ
氷川はメモリスティックのパスワードを解いてくれ

(え···)

後藤
俺たちに渡す予定だったメモリスティックは、すでに組織の連中に壊された
だが、予備の複製データをお前に託したと言っていた

サトコ
「!」

後藤
中身の解析は他のヤツでもできる
だが、最初のパスワードだけはお前か歩にしか解けない

(そんな···)

後藤
歩の回復を待っていたら手遅れになるかもしれない
今、お前が解くしかないんだ

石神
後藤の言う通りだ
氷川···お前は東雲の補佐官だったはずだ
入学してから今日まで、東雲から何を学んだ?

(教官から、私は···)

東雲
刑事部は、基本事件が起きてからじゃないと動けない
けど、オレたちは事件を『未然に防ぐ』ことができる

サトコ
「······」

東雲
刑事部の人間の使命は、犯罪者を逮捕すること
でも、オレたちはそうじゃない
『事件そのものを起こさせないこと』が、一番の誇りなんだ

私の手には、まだ赤い痕が残っている。
教官が意識を失う前に、強い力で掴んだからだ。

(最後の最後まで、私に「早く解け」って言ってた···)
(そうすることで、これから起こる「事件」を防げるなら···)

サトコ
「後藤教官···あとはお願いします」

後藤
分かった

石神
メモリスティックはどこにある?

サトコ
「たぶん庶務課です」

(さっき「社内便」って言ってた。だったら···)



【庶務課】

パソコンの電源を入れ、まだ未開封だった社内便の封を切る。
案の定、中からフラッシュメモリが出てきた。

石神
これがそうだと?

サトコ
「はい」

メモリを装着すると、パスワード画面が出てくる。

サトコ
「ヒント···『8ケタ』···?」

(えっ、それだけ?)

石神
心当たりは?

サトコ
「すみません、何も···」

まず、頭をよぎったのは、以前教官のパソコンを探った時のことだ。

(あのときは、さちさんの誕生日だった···)
(あれは、確に8ケタだったけど···)

記憶を頼りに入力して、Enterキーを押してみる。

ピーッ!

(ダメだ、違った···)
(え···「警告」?)

サトコ
「あと2回!?」

(どうしよう、これじゃ何回も試せないよ)
(絶対に、確信を得てるものだけにしないと···)

石神
チャンスはあと1回だ

サトコ
「えっ···」

石神
次に間違えたら、東雲が回復するのを待って本人から聞く

サトコ
「でも、それじゃあ、手遅れになるかもしれないって···」

石神
このデータを失うわけにはいかない
だから、お前はあと1回で解いてみせろ

(あと1回···)
(聞いた覚えのないパスワードを、あと1回で···)

サトコ
「···ううん」

(教官は必ずヒントをくれていたはずだ)
(捨てるはずのない写真を、わざと目立つようにゴミ箱に捨てたみたいに···)

今回、ゴミ箱にそうしたものが入っていた記憶はない。
けれども、似たようなことをまたしているはずだ。

(屋台の付箋のメモ?)
(ううん、あれは「油断するな」だから8ケタにはならない···)
(他に印象に残っていることは?)
(意味ありげで、忘れられないような···)

サトコ
「あ···」

ふいによみがえったのは、教官室で最後にあったときの一言だった。

······「メール、見た?」
······「だったらいい」

サトコ
「メール!」

石神
メール?

サトコ
「はい!以前、東雲教官に変なメールをもらって···」

(しかも、わざわざ「見た?」って確認してきた···)
(それなら、あのメールの可能性が···)

急いで該当メールを開くと、私は文字数を確認した。

サトコ
「1・2・3···やっぱり8ケタです!」

石神
わかったのか?

サトコ
「はい···」

私は震える指先で、慎重に8ケタの文字を入力した。

(

T

_

T

/

~

~

(T_T)/~~

(お願い···!)

祈るような気持ちでEnterを押す。
その途端、アラート画面が消え、フォルダが表示された!

サトコ
「石神教官!」

石神
今のパスワードをこのメモに書いてくれ
あとは私が対策チームに持って行く

サトコ
「じゃあ···」

石神
お前の本日の任務は以上だ。あとは好きにするといい

サトコ
「はい!」

メモ用紙に顔文字を書いて渡すと、私は会社を飛び出した。


【病院】

病院にかけつけると、後藤教官が待っていた。

後藤
氷川、こっちだ

サトコ
「東雲教官は···」

後藤
さっき目を覚ました
今日はひとまず入院して、明日、精密検査を受けるそうだ
会っていくか?

サトコ
「はい!」

【病室】

病室に足を踏み入れると、教官はゆっくりと身体を起こした。

サトコ
「ダメです、寝ててください!」

東雲
いいよ、べつに
これくらいどうってこと···
···っ」

後藤
無理するな、歩

サトコ
「そうですよ。やっぱりまだ···」

東雲
平気です。それより···
氷川さん、報告

鋭い声でうながされて、私は慌てて背筋を伸ばした。

サトコ
「社内便で受け取ったメモリスティックですが」
「パスワードのメモをつけて、石神教官に渡しました」

後藤
ということは、無事に解けたんだな?

サトコ
「はい!」

東雲
何回で?

サトコ
「2回です」
「あのメール···今日のためだったんですね」

東雲
使わずに済むに越したことはなかったんだけどね
ま、よかったよ
キミに託して

(教官···)

じわりと涙が滲みそうになったのを、必死になって私は堪える。

(まだダメだ、まだ任務中···)

後藤
···悪いが、俺はそろそろ帰らせてもらう
氷川はどうする?

サトコ
「もう少し、ここに残ります」

後藤
そうか。歩を頼んだぞ

後藤教官が帰り、私は東雲教官と2人きりになった。

東雲
···他に言いたいことは?

サトコ
「······」

東雲
刑事としてじゃなくてもいいよ
キミ個人としてでも

サトコ
「······」

東雲
もう、なにもない?

サトコ
「いえ、あります···でも···」
「なんか、なんていうか···」

教官が、実は警察官を辞めていなかったこととか。
大事なものを託してくれていたこととか。
とにかく無事でよかった、ってこととか。

(言いたいこと、いっぱいあるけど···)

東雲
···まぁ、いいか
今は無理っぽいし

教官は苦笑すると、私の頭をくしゃりと撫でてくれた。

東雲
99点
お疲れさま

その一言で、今度こそ堪えていたものが溢れ出した。

サトコ
「教官、わた···私···っ」
「ほんとは不安で···怖くて···」

東雲
うん···

サトコ
「失敗も···いろいろあって···」
「あやうく···加地さんに、さらわれそうになったし···」

東雲
うん···

サトコ
「でも···っ、でも教官のおかげでなんとか···」
「なんとかでき···っ」
「ふ···うう···っ」

あとは、もう子どものように泣きじゃくった。
たぶん、どうしようもなくブサイクな顔で。

翌日。
東雲教官は精密検査を受け「全治1ヶ月」の診断をもらった。
どうやら、身体中のあちこちにヒビが入っていたらしい。
とはいえ、他は無事だったので、ほんの数日で退院してしまった。
ちなみに、あの日倒れたのは空腹と睡眠不足とストレスが原因だったらしい。

もちろん、被疑者が捕まったので潜入捜査は終了。
私も教官も、コチ電業を退職することになった。
その際「予想外の出来事」がいくつかあったんだけど、それはまた別の話として···

【個別教官室】

週末···

サトコ
「黒澤さん、この荷物は段ボールに入れればいいですか?」

黒澤
はい

サトコ
「こっちの荷物は···」

黒澤
それは後藤さんの教官室にでも押し込んでおいてください

サトコ
「はぁ···」

(いいのかな、そんなことして)
(バレたら絶対に怒られそうだけど···)

東雲
ちょっと、早く片付けてよ
これじゃ、オレの荷物運び込めないんだけど

黒澤
だったら歩さんも手伝ってくださいよ~

東雲
無理
身体中ヒビだらけだし

教官はソファにふんぞり返ると、露骨に「はぁぁ」とため息をついた。

東雲
来週からまたバカたちの世話か
上からの命令だから仕方ないけど···

黒澤
とか言って、本当は公安学校に復帰できて嬉しい···

ポカッ!

黒澤
痛っ!

東雲
短い間だったけど、お疲れさま、透

黒澤
やだなぁ、歩さん。言ってることとやってることが違いすぎますよー
でも、まぁ無事に事件が解決してよかったですよね
おかげで、国会議事堂や霞ケ関周辺の停電を防げたわけですし

そう、加地寛人が過激派組織に渡していたのは、官公庁の電力設備システムの情報だったのだ。

サトコ
「あと1日遅ければまずかったんでしたっけ」

黒澤
ええ、加地は情報だけじゃなく
システムを制御不能にさせるためのプログラムまで渡していましたからね
停電が起きて混乱が生じたところで、テロ発生!
なんてシャレにならないですよねー

サトコ
「そうですよね···」

東雲
あいつ、まだ黙秘してるの?
いえ、昨日から少しずつ喋ってるみたいですよ
たとえば、大手3社のサイバー攻撃のこととか···

サトコ
「えっ、あれも加地さんの仕業だったんですか?」

黒澤
そうですよ
彼としては、まず『情報漏えい』のことで世間に騒がれて···
そのあと『黒幕は「コチ電業」でした』ってことで
再度世間の注目を集めたかったらしいんです
ただその件については、うちの上層部が公表を控えさせましたからねー
『捜査の邪魔になるから』って

東雲
でも、そのことがかえって加地の敵愾心をあおった···
結果、過激派組織と手を組む決意をさせた
彼の目的は、ある意味シンプルなんだよ
『コチ電業』の評判を落として倒産に追い込めればいい
そのためならテロが起きても構わない···

教官の言葉に、改めてゾッとする。

サトコ
「何だか怖いですね」
「個人の恨みが、国を揺るがす事件になるかもしれないなんて」

東雲
なに言ってんの
きっかけなんてそんなものでしょ
身内を軍隊に殺されてテロ集団に入ったとか···
わりとありがちじゃない?

サトコ
「それは···そうかもしれないですけど···」

黒澤
でも皮肉ですよねー
その原因となった『お兄さんの一件』が···
彼の知っていた真実とは違っていたなんて

(え···)


【東雲 マンション】

その日の夜。
久しぶりに訪れたこの家で、教官はぽつぽつと話してくれた。

東雲
加地寛人の兄が会社を辞めた本当の理由は、横領未遂なんだ
ただ、超過勤務のせいで心身症を患ったのは事実だし···
うちの父も申し訳なく思ったみたいで懲戒解雇にはしなかった
あくまで『自主退職』という形にしたんだ

サトコ
「だから、横領のことを加地さんは知らなかった···」
「それで心身症のせいで退職させられたと思い込んだ···」

東雲
そういうこと
ま、仲のいい兄弟だったらしいからね
両親が離婚しても、兄弟間だけは行き来があった
加地の大学進学にも、お兄さんがかなり援助したそうだから

(そうだったんだ···)

私個人としては、気の毒だと思う。
でも···

サトコ
「だからって···同情はできないです」

東雲
···そうだね

どんな事情があっても、犯罪を犯した人間に同情はできない。
それは、警察官としてやってはいけないことなのだ。

サトコ
「でも、そう考えると···」
「今回の一番の被害者は櫻井さんってことですか?」
「彼女、組織とは無関係だったんですよね?」

東雲
そうらしいね
パソコンも、加地に勝手に使われていただけらしいし

(となると···)
(櫻井さんが教官に言い寄ってたのは「本気」だったわけで···)

サトコ
「···大丈夫ですよね?」

東雲
は?

サトコ
「教官、櫻井さんの誘惑に負けてませんよね?」

東雲
なにそれ
信じてたんじゃなかったの?オレのこと

サトコ
「そ、それは信じてましたけど···」
「櫻井さん、美人だったし、教官にもベタベタしてたし···」
「それに、その···キ···」

東雲
キ?

サトコ
「キス···してたし···」

ようやく吐き出した一言に、教官は「ふーん」と目を細めた。

東雲
···なに。まだ気にしてたの?

サトコ
「してますよ!一生気にしますよ!」
「私以外の人とキスとか···」

東雲
ふーん
これでも?

(え···)

サトコ
「···んっ」

教官の右手が、私の口元をおさえる。
さらに、その手の上から自分の唇を押し付けて···

(えっ···うわ···)
(確かにキスじゃない···けど···)

東雲
···彼女とはこんな感じだったけど
まだ気にする?

サトコ
「······」

東雲
返事は?

サトコ
「ま、待ってください···」
「その、なんか···」
「久しぶりに間近で教官を見たからドキドキして···」

東雲
···っ
なに言い出すの、キミ
エレベーターであんなことしておいて···

サトコ
「あれは···っ」
「あのときは、勢いというか事故というか···!」
「だから、あまりちゃんと覚えてなくて···」

東雲
······

サトコ
「すみません、でも···」
「もうちょっとしたら心臓も落ち着くはず···」

東雲
いいよ。そのままで

サトコ
「···っ」

東雲
落ち着かせないで···
ずっとドキドキしてて···
もう全部撤回するから···

(え···)

東雲
やっぱり無理
卒業までしないとか
だから···
させて···

(教官···)

つん、と互いの唇がぶつかって···
それからもう一度、今度は確かめるように唇を重ねられる。

(あ···なんか···)
(すごく気持ちいい···)

寝惚けたときのキスとも、一方的なキスとも違う···
じわりと痺れるような、特別な感触。

東雲
なんて顔するの···

サトコ
「え···」

東雲
ほんと、キミって···

どこか苦しげなその声に、胸がギュッとなる。

(そうだ···こういうの待ってたの···)
(私だけじゃない···)

そのまま言葉もなく、何度もキスを繰り返す。
自然と唇が開き、深く誘い、さらに貪られて···
私は、床に押し倒された。

(あ、まずい···)
(ほんと···心臓壊れそう···)

それでも嫌だと言えない。
ううん、言いたくない。
だって、心のどこかで思ってる。
もっともっと、その先に手を伸ばしたいって···

(教官···)

サトコ
「ん···っ」

(教官···教官···)
(教官······)

ピピピピッ···ピピピピッ···

東雲
···っ

突然響いたアラーム音に、教官は驚いたように身体を起こした。

東雲
やば···
撤回しすぎるところだった···

サトコ
「え···」

はだけた私の胸元を整えると、教官は目を逸らしてぼそりと言った。

東雲
ごめん···送ってく···
終電、近いし

(ええっ!?)

【帰り道】

お互い、無言のまま駅までの道のりを歩いて行く。
特に教官は、全然私のほうを見ようとしない。

サトコ
「あの···」

東雲
なに?

サトコ
「手···繋いでも···」

東雲
ああ···うん···

ようやく気付いたというように教官は手を繋いでくれた。
さっきまでの熱は、すでにもうない。
今、軽く触れ合っている部分がじわりと温かいだけだ。

サトコ
「あの、一応確認ですけど···」
「撤回というのは、どこまで···」

東雲
······

サトコ
「キス···はいいんですよね?」

東雲
うん···

サトコ
「お泊りは···」

東雲
······
···検討中

(そっか···検討中···)

東雲
ごめん

サトコ
「!」

東雲
なんか、ほんと···
我慢···きかなくて···

サトコ
「······」

東雲
ちょっと、自分でも持て余してる···
情けない話だけど···

(教官···)

もしかしたら、初めてかもしれない。
こんなにヘコんでる教官を見るのは。

(だって、教官はいつも余裕ありげで···)
(振り回されるのは、圧倒的に私のほうが多くて···)

だから、思い切って···
空いていた右手で、教官の頭をポンポンと撫でてみた。

東雲
な···
なに、いきなり···

サトコ
「情けなくなんかないです」
「むしろ嬉しいです」
「私、『カノジョ』なんだなぁって思えて···」

東雲
······

サトコ
「だから、その···」
「そんな顔しなくても···」

東雲
···うるさい
生意気。補佐官のくせに

その言葉とは裏腹に、左手でぎゅうっと抱き寄せられた。

東雲
バカ···
生意気···

サトコ
「はい」

東雲
長野のかっぱ···
長野のすっぽん···

さとこ
「でも···」
「『キスの反対』···ですよね」

東雲
···っ
···ほんと、キミって···

黙れ、というようにチュッと唇を塞がれる。
それだけのことでも今は嬉しくて、つい口元が緩んでしまった。

東雲
···ヘンな顔

サトコ
「ひどい!」

東雲
ニヤけてるくせに

サトコ
「教官こそ···」

そして、今度こそ私たちは本気で笑い合うのだ。
ひどく満たされた、幸せいっぱいな気持ちのままで。

Happy End



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