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東雲 ふたりの卒業編 5話



【ホテル前】

(私、何を見てるんだろう···)

教官が、キスをしている。
それも、私ではない···
さちさんと似た女性と、出てきたばかりのラブホテルの前で。

(これは···)
(·········仕事?)

そうだ、仕事だ。
コチ電業の潜入捜査の時にも同じようなことがあったじゃないか。

(でも、あのときは「キスのふり」をしただけで···)
(確か手で唇をかくしていて···)

宮山
「行きましょう」

サトコ
「え···」

宮山
「帰りましょう、先輩」

再び、力任せに腕を引かれた。
けれども今度は抗う気さえ起きなかった。

それから、どうやって戻ってきたのか覚えていない。
ただ、私は無言で···
宮山くんも同じように無言で···
頭の中は、さっき見た光景のことでいっぱいで···

宮山
「···着きましたよ、先輩」



【寮前】

(あ、もう寮···)

サトコ
「うわっ、手!」

宮山
「···っ」
「す、すみません、勝手に繋いだりして」
「でも、どうしてもあの場から先輩を連れ去りたくて」

両手を軽く上げたまま、宮山くんは困ったように眉尻を下げた。

宮山
「なんか、すみませんでした」
「あのとき、隠れたりしないでさっさと帰っていれば···」

(宮山くん···?)

宮山
「そうしていれば、教官のあんなところ···」

サトコ
「いいよ、気にしてないから!」

宮山
「えっ?」

サトコ
「大丈夫···本当に大丈夫···」
「あんなのでいちいち傷ついたりしないから」

宮山
「でも···」

サトコ
「じゃあ、おつかれさま。おやすみ!」

宮山
「先輩、待って···」

振り切るようにひたすら走った。
ただ、早くひとりになりたくて···

【寮 自室】

サトコ
「はぁ···はぁ···」
「はぁぁぁぁ···っ」

ドアを閉め、そのままもたれるように座り込んだ。

(苦しい···心臓が爆発しそう···)
(最近、走り込みしてなかったせいかな···)

サトコ
「···はぁぁ···」

目を閉じると、イヤでも同じ光景が浮かんでくる。
ラブホテルの前、さちさん似の女性とキスしていた教官の···

サトコ
「···違う!」

(浮気なんかじゃない、そんなことしない!)
(だって教官は教官で、いつだってちゃんと教官で···)

ガツッ!

サトコ
「痛っ」

肩が棚に当たり、上からコンビニの袋が落ちてきた。

サトコ
「危な···っ」

(そうだ···これ、昨日ドアノブにかけてあった···)

放置したままだったことを思い出して、慌てて中身を確認してみる。
手紙やメモ用紙の類は入っていない。
あるのはペットボトル1本だけ。
それも···

サトコ
「幻のピーチネクターの···新作?」

見覚えのないパッケージに、胸がギュッとなった。
幻のシリーズの新作は、なかなか手に入りにくいのだ。

(それなのに、わざわざ···)

サトコ
「教官···」

(···大丈夫、もう落ち着いた)
(今なら冷静に考えられる)

教官が浮気をするはずがない。
だとしたら、あの場にいた理由はひとつしかない。

(ハニートラップ···)
(つまり「研究2課」の彼女は何かの情報を握っているはず)

【資料室】

翌日、私は朝から資料室に閉じこもった。
教官からもらった記憶媒体内のデータを、今日こそ確認するためだ。

(この間、教官は「報告することはない」って言った)
(それって、つまり私たちの知らない案件を抱えているってことだ)

いつもなら、そう気づいた時点で探ることを止める。
下手に突っ込めば、迷惑をかけるかもしれないからだ。

(でも今回は違う。教官は私に記憶媒体を預けてくれた)
(もし、ここから必要な情報を手に入れられたら、一緒に捜査することも···)

ガタンガタンッ!

(なに、今の物音···)

千葉
「う···うう···しぇるた···」

(千葉さん?)

颯馬
おや、ここにいたんですね
今、逃亡したら卒業できませんよ。さあ、書類倉庫に戻りましょう

千葉
「う、うう···」

(千葉さん···すごいやつれてた気が···)
(どんな最終課題に取り組んでいるのかな)

サトコ
「って、気にしてる場合じゃないってば」

(こっちはこっちで頑張らないと)
(まずは、例の「さっちん」のデータを検索して···)

サトコ
「···あった!」

(彼女、「野田サチコ」っていうんだ)
(名前まで、さちさんにそっくり···)

サトコ
「って関係ないから」

(仕事、仕事!切り替え、切り替え···)

野田サチコのデータは、阿川ほどじゃないにしても結構な量があった。
特にメールは私用にも使っているようで、送信量がかなり多い。

(これ···全部確認するの、相当時間がかかるな)
(いっそ、めぼしいメールだけに絞って···)
(···ううん、見逃した中に隠れた情報があるかもしれないし)

さらにWeb閲覧履歴や提出書類にも目を通す。
そうしているうちに時間はどんどん過ぎていき···

サトコ
「はぁぁ···」

(ダメだ、何も出てこない)
(あとは研修日誌か。こっちを先に見るべきだったかな···)

サトコ
「···ん?」

(これは···チャット履歴?)
(うわ、ログが多いな。特に『Central West』って人との···)

???
「調べものですか?」

サトコ
「!」

宮山
「おつかれさまです。これ、よかったらどうぞ」

(あ、コーヒー···)

宮山
「ちなみに砂糖多めです」
「ジュースと迷ったんですけど、眠気覚ましも必要かなと思って」

サトコ
「そっか、ありがとう」

(そういえば教官も砂糖入りのコーヒーを飲むよね)
(頭を使うから「糖分が必要」って···)

宮山
「···なに笑ってるんですか」

サトコ
「えっ、べつに笑ってなんか···」

宮山
「笑ってましたよ」
「まぁ、理由はなんとなく想像つきますけど」

(宮山くん···)

宮山
「それで?先輩は何を調べているんですか?」

サトコ
「あ、ええと···」

(どうしよう、言いにくいな)
(でも、いずれバレることだし···)

サトコ
「野田サチコのデータを探ってたんだ」

宮山
「野田?」

サトコ
「昨日、教官と一緒にいた人」
「教官から預かった記憶媒体のなかに彼女のデータもあって···」

宮山
「だから調べたんですか?」
「彼女が、東雲教官のお相手だから···」

サトコ
「違うよ!」
「ううん、ある意味そうだけど、そういう下世話な理由じゃなくて」
「教官が一緒にいたってことは、彼女が今回の捜査に関わってるはずなんだ」

宮山
「······」

サトコ
「じゃないと、あんなことするはずない」
「あんな、ラブホから出てきてキスすること···」

宮山
「しますよ。好意のある女性となら」

サトコ
「ハニートラップでもするよ!」

宮山
「そんな必要ないでしょう!」
「『研究2課』への不審な入金はなかったんだから」

サトコ
「···っ」

(そうだけど···)

宮山
「先輩、現実を見てください」
「あれはただのデートです。ハニートラップなんかじゃない」

サトコ
「でも···っ」

宮山
「そもそもできないですよ」
「いくら仕事でも、好きでもない相手とキスなんて···」

サトコ
「できるよ!」

宮山
「できません!」

サトコ
「できるよ、私だってする!たとえその相手が···」

<選択してください>

A: 後藤教官でも

サトコ
「後藤教官でも、必要があればきっと···」

宮山
「そんなの無効です!それなら俺だってできます!」

(···え?)

宮山
「あ、いや、そういう意味じゃなくて···」
「俺が先輩の立場っていうか、女性だったらとかそういう意味で···」

サトコ
「いいよ、弁解しなくて」
「そういえば宮山くん、後藤教官にチョコレートをあげて···」

宮山
「だから違うって」

宮山くんは遮るように、私の肩を強く引いた。
ところが、勢い余って椅子ごとぐらりと傾いて···

サトコ
「うわっ」

宮山
「あっ···」

B: 成田教官でも

サトコ
「成田教官でもキスするもん!」

宮山
「え···」
「そ、それって本気で···」

サトコ
「本気だよ!200%本気だよ!」
「それくらいの覚悟、公安刑事として当然···」
「うわっ」

勢いよく立ち上がろうとしたはずが、何かを踏んづけて足が滑った!

宮山
「先輩!?」

C: 宮山くんでも

サトコ
「宮山くんだったとしても」

宮山
「え···」
「お、俺と···?」

サトコ
「するよ!だって私は公安刑事だもん!」
「いざとなったらそれくらい···」
「うわっ」

勢いよく立ち上がろうとしたはずが、何かを踏んづけて足が滑った!

宮山
「先輩!?」

ガッ···と歯茎に衝撃が走った。
お互いの歯と歯がぶつかったせいだった。

(うう、痛···)

宮山
「あ···」
「お、俺···今、先輩と···」

(···私?)

(あ···)
(そうだ···)
(今···)
(口と口が···)

サトコ
「きゃあああっ!」

宮山
「先輩···っ」



【シャワー室】

シャワー室に飛び込むなり、ジャブジャブと水を流して唇をこすった。
けれども、どんなに洗っても違和感が拭えない。

(やだ···絶対にやだ!)
(なんで教官以外の人と···)

???
「タラコにでもなるつもり?」
「そんなに唇こすって」

サトコ
「!!」

(この声は···)

サトコ
「教官···どうして···」

東雲
べつに。ただの偶然
それより何?さっきから

指先で、きゅ、と唇を拭われた。
とたんに、ものすごい罪悪感に襲われた。

東雲
···なに、その涙目
理由は?

(言えない···言えるわけない···)

<選択してください>

A: ごめんなさい

サトコ
「ごめんなさい」

東雲
なにそれ。謝れなんて一言も···

サトコ
「······」

東雲
······
···あっそう
ここ、まだ使う?

B: 教官には関係ない

サトコ
「教官には関係ありません」

東雲
本当に?

サトコ
「本当·········です···」

東雲
···そう
ここ、まだ使う?

C: 独自のリップケアです

サトコ
「ど、独自のリップケアです!」
「水で3分間洗ったあと『キノコ・キノコ』と20回復唱して···」

東雲
そういう誤魔化しはいいから
事実を言え。100文字以内で

(そんなの···)

東雲
······

(言えるはずない。本当のことなんて···)

東雲
···わかった。もういい
ここ、まだ使う?

サトコ
「いえ、もう···」

東雲
だったら出ていって
シャワー浴びたいから

サトコ
「···失礼します」

(へんに思われたかな···)
(思われたよね、きっと)

本当は、教官にキスの上書きをしてほしかった。
ここが学校じゃなかったら、きっとそうお願いしていた。

(ズルいのかな、そういうのって)
(でもキスは···仕事以外のキッスは···)
(教官以外、考えられないよ)

【資料室】

資料室に戻ると、宮山くんの姿はすでになかった。

(よかった···今はまだ顔を合わせづらいから···)
(でも、このままってわけにはいかないよね)
(明日は出社前にミーティングがあるし、今日中になんとかしないと···)

石神
誰かいるのか?

(えっ···)

石神
ああ、氷川か
悪いが、ここを空けてくれないか?
これから使いたいんだが

サトコ
「わかりました。すぐに片付けます」

(しょうがない···残りは部屋で調べるか)
(貸出禁止の資料をひとまず戻して···と)

【寮 廊下】

(あとは研修日誌を調べるだけか)
(あれ、読むの大変なんだよね)
(専門用語だらけだから、調べるのに時間がかかって···)

サトコ
「え···」

部屋のドアノブに、またコンビニの袋がぶら下がっていた。

(これ、教官からだよね?)
(やっぱり···幻シリーズの新作だ!)

【寮 自室】

サトコ
「はぁぁ···おいしい」

(まさか教官から2度も差し入れしてもらえるなんて···)
(もはや奇跡越え?ギリシャ神話的な?)

ピンポーン!

サトコ
「あ、LIDE···」

(えっ、宮山くん?)

「先ほどはすみませんでした」
「わざとじゃないので、それだけは分かってください」

サトコ
「宮山くん···」

(そうだよね、あれはただの事故だもんね)
(しかも、ほぼ私が原因の事故キスなわけだし···)

サトコ
「よし、謝ろう」
「『こちらこそごめん』···」
「『悪いのはよろけた私なので気にしないで』送信っと···」

ピンポーン!

サトコ
「早っ、もう返信···」

「そう言ってもらえてよかったです」
「今日は頭が疲れていると思うので、甘いものを口にして休んでください」

サトコ
「大丈夫、もう飲んでますよ···っと」

「ありがとう」のスタンプを送信して、再びペットボトルに口をつける。

(それにしても美味しいなぁ、この新作ピーチネクター)
(通常のより味が濃厚だし、デザインの桃とオレンジも可愛くて···)

サトコ
「ん?桃とオレンジ?」

(どういうこと?これ『ピーチネクター』じゃ···)

サトコ
「『限定ファジーネーブル風味』···」
「『ピーチとオレンジの甘いハーモニー』···」

(え···え···)

サトコ
「えええっ!?」


【学校 廊下】

翌朝···

サトコ
「ふわぁぁ···」

(サイアクだ···)
(まさか『ファジーネーブル』のせいで寝不足になるなんて)

最初は差し入れされたのは「ピーチネクター」だと思い込んでいた。
だから、教官からだと信じることができたのだ。

(でも『桃とオレンジ』だと話が変わってくる気が···)
(教官、最近妙にオレンジジュースを敵対視しているし)
(そもそもオレンジジュースって宮山くんのイメージ···)

宮山
「先輩!」

(うわ、オレンジ···)

宮山
「今朝のミーティングは中止です」
「至急、会社に来てくれとのことです」

サトコ
「えっ、誰が···」

宮山
「東雲教官に決まってるでしょう。ほら、急いで!」

サトコ
「う、うん···」


【四ツ橋ケミカル】

宮山くんよりも1本早い電車に乗って、先に会社へとたどり着く。

(なに、この人混み···)

男性社員1
「なんだ、あれ」

男性社員2
「落書き?つーか化学式?」

(え、どういうこと?)
(ここからじゃ、よく見えないんだけど···)

サトコ
「うわっ」

???
「···っ!」

いきなり、野次馬のなかから飛び出してきた男性に体当たりされた。

サトコ
「うう、痛たた···」

(って、ひどっ!お尻打ったんですけど)
(せめて一言謝って···)

プルル···

(電話···東雲教官から!?)

サトコ
「はい!」

東雲
なに尻もちついてるの

サトコ
「すみません、男性社員に体当たりされて···」
「それより今どこに···」

東雲
探すな。近くにいる
それより、今すぐ壁の落書きを見て

サトコ
「壁?」

東雲
ロビーの壁に落書きがある
その内容をすべて覚えてきて

(ええっ?)

東雲
カメラ禁止、メモ禁止
あくまで野次馬のふりをして「見る」だけにとどめて···

サトコ
「ま、待ってください。話が全然···」

東雲
壁の落書きを全て暗記しろ。以上
できるよね?

サトコ
「でも···」

東雲
で・き・る・よ・ね?
オレの補佐官さん

(う、うう···)

サトコ
「できます!長野かっぱ、頑張ります!」

東雲
了解。13:15に社食で

通話は一方的に切れ、私は目の前の「人の壁」に向き直った。

(この先に問題の落書きが···)
(ってことは、まずこの野次馬の先頭に出ないといけないよね)

サトコ
「···よし!」

サトコ
「すみませーん」

ドンッ!

女性社員1
「えっ···」

女性社員2
「なに、この子···」

サトコ
「すみません、すみません···」

男性社員3
「おい、なに割り込んでるんだよ!」

ドカッ!

サトコ
「痛っ···」

(くっ、負けるか···!)

サトコ
「すみません、すみません···」
「すみませーんっ!」


【社食 厨房】

果たして数時間後···

(うう、痛たた···)

パート1
「どうしたんだい、さっきから腰を押さえて」

パート2
「顔もアザができてるじゃないか」

サトコ
「それが、その···今朝転んじゃって···」

(おかげで、なんとか落書きを暗記できたけど)
(あれ、何なんだろう)
(そもそも、どうして会社のロビーの壁に落書きが···)

サトコ
「痛っ」

パート1
「今度はなんだい?」

サトコ
「あ、その···手が···」

パート1
「あら、ずいぶん荒れてるねぇ」

パート2
「しょうがないよ。この仕事に手荒れはつきものだから」

(そうだよね···毎日、強めの洗剤を使ってるんだもんね)
(今度、ハンドクリームも買ってこないと···)

東雲
すみません、これお願いします

(···きた!)

サトコ
「エビフライ定食1つ」

パート1
「はいよ」

(落書きを写したメモは···)
(大丈夫、ポケットの中にある。これをお皿の下に乗せて···)

サトコ
「お待たせしました」

トレイを渡して、エビフライの皿を軽く持ち上げてみせる。
教官は、一瞬だけ視線を皿の下へ向けて···

コン、コン!

(今の、もしかして···)

教官がご実家で使っていた、壁を叩く合図。

(コンコン2回は『はい』···)
(つまり「オッケー」ってことだよね)

ふ、と肩の力が抜けた。
どうやら無事に務めを果たせたようだ。

(あの落書きの謎、あとで教えてもらえるかな)
(もちろん話せる範囲で構わないけど···)

宮山
「キノコ定食を1つ。ご飯大盛りで」

(あ、宮山くん···)

サトコ
「!」

注文札の下に、2つに折られたメモがある。

(なに、これ···)
(18時···カフェ「#」···?)


【カフェ】

そんなわけで18時···
私は、指定されたカフェのドアをそっと開けた。

店員
「いらっしゃいませ。お1人様ですか?」

サトコ
「いえ、待ち合わせで···」

(あ、いた)

サトコ
「おつかれさま」

宮山
「おつかれさまです。すみません、急に呼び出したりして」

サトコ
「いいよ。用があったからだよね?」

宮山
「はい、まぁ···」
「ぶっちゃけると、野田サチコの件で」

(え···)

注文を取りに来た店員さんにアイスティーを頼む。
彼女が席を離れたところで、再び宮山くんは小声で話し始めた。

宮山
「今日1日、俺なりに『野田サチコ』について調べてみました」
「そうしたら、ちょっと気になる点が出てきまして···」

サトコ
「待って、どうして宮山くんが彼女のこと···」

宮山
「深い意味はありません」
「ただ、先輩があまりにも『ハニートラップだ』って言い張るから」
「その可能性も探ってみようと思っただけです」

(宮山くん···)

サトコ
「ありがとう、信じてくれて」

宮山
「べつに信じたわけじゃありません」
「俺自身は、今でも彼女と東雲教官はアヤしいと思っています」

(うっ···)

宮山
「ただ、野田サチコには他にも交際相手がいると踏んでいまして」
「ぶっちゃけ、今、先輩の斜め前の席に座っている人なんですけど」

(ええっ!?)

慌てて、斜め前の席を確認する。
たしかに、男性客がひとり背中を向けて座っていた。

サトコ
「彼の名前は?」

宮山
「中西景太郎。経理課で俺の隣の席に座っているんですが···」
「あの人、しょっちゅう野田サチコとチャットしているんです」
「それも、仕事中なのに『愛してる』『私も』とか···」

(うわぁ···)

宮山
「ただ、それより気になるやりとりがありまして」
「これは先月のチャットログをコピーしたものなんですが···」

ーー「週末のホテル、ここがいいな」
ーー「30万www 了解、臨時収入あるし」
ーー「それ、私のおかげ」
ーー「ごもっとも」
ーー「この時計も欲しい。買って」

宮山
「最後におねだりしている時計はブランド品です」
「値段を見たら189万円でした」

(ひゃくはち···っ!?ええっ···!?)

宮山
「『四ツ橋ケミカル』は副業禁止、ボーナスシーズンでもありません」
「もちろん、宝くじや馬券が当たった可能性もありますけど···」

サトコ
「野田サチコと彼が、監視対象組織と繋がってる可能性もある?」

宮山
「ええ、なにせ野田サチコは研究2課ですから」
「そこで得た情報を組織に流して、臨時収入を受け取った可能性も···」

???
「違っ、俺は···」

いきなり、中西景太郎がいきり立った様子で立ち上がった。

中西
「だから俺はアンタらの言うとおり···」

宮山
「···この声、中西さんですよね?」

サトコ
「うん、なんか電話中っぽい···」

(えっ···)

サトコ
「あの人、今朝の···」

宮山
「今朝?」

サトコ
「ほら、今朝ロビーで騒ぎがあったでしょ」
「あのとき、あの人とぶつかったんだ」
「野次馬のなかからすごい勢いで飛び出してきたから、私も避けきれなくて···」

宮山
「···それ、おかしくないですか?」

サトコ
「えっ、なにが···」

宮山
「野次馬のなかに勢いよく入っていく人はたまに見かけますけど···」
「出てくるときって、ふつうテンション下がってるじゃないですか」
「好奇心が満たされて興奮状態じゃなくなってしまうから」

(あ、確かに···)

宮山
「それなのに『飛び出してきた』って、何かあると思うんですけど」
「たとえば『落書き』のことを急いで誰かに知らせようとしてた···とか」
「『落書き』が自分に関わる事だった···とか」

サトコ
「待って、ちょっと整理させて」

中西は「落書き」を見て、野次馬のなかから飛び出してきた。
しかも、中西は野田サチコと恋人関係にある。

(そして教官は···)
(あの「落書き」を私に覚えさせて、野田サチコに接近していて···)

ガタン、と荒っぽい音がした。
中西景太郎が、レシートを掴み席を離れようとしていた。

サトコ
「宮山くん···私、このまま中西を追ってみる」

宮山
「えっ、それなら俺が···」

サトコ
「ダメだよ、中西って経理課なんだよね?」
「だったら尾行は私のほうがいいよ。顔を覚えられていないんだから」

宮山
「でも···」

サトコ
「ここの会計をお願い」
「それと、すぐに尾行のことを東雲教官に伝えて」
「もし『尾行NG』なら電話でワン切りしてって」

早口でそう伝えて、私は荷物を手に取った。

(中西は絶対に何かある···)
(そのかけらだけでも捕まえなくちゃ)

to be contineud



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