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東雲 ふたりの卒業編 Good End



【モニタールーム】

サトコ
「教官!」

重たいドアを開けて、モニタールームに飛び込む。
教官は、やけにゆっくりとした動作で私のほうを振り返った。

サトコ
「教官、大丈夫ですか!?」

東雲
ど···して···

サトコ
「どうもこうも教官のことが心配で···」
「!!」

(空気の残量表示、赤になってる!)

サトコ
「教官、こっちのマスクに変えてください!」

東雲
そ···れ···

サトコ
「宮山くんのです!シェルターに避難するからいらないって」

東雲
······

サトコ
「教官、聞こえてますか!?」

東雲
······

(ダメだ、このままじゃ)
(私が何とかしないと)

サトコ
「すみません、失礼します」

私は、教官のマスクを無理やり外すと、宮山くんのものと付け替えた。

サトコ
「教官、息吸ってください」

東雲
······

サトコ
「教官···っ」

東雲
うる···さい···
声···大きすぎ···

教官は大きく息をすると、鬱陶しそうに頭を振った。

東雲
···なに
なんでキミ、ここにいるの

サトコ
「教官の手助けをしに来ました」

東雲
いらない。さっさとシェルターに行け

サトコ
「行きません。ここで手伝います」

東雲
だから手伝いは···

サトコ
「お願いです!」
「どうか教官の補佐官として、最後の仕事をさせてください!」

精一杯の想いを込めて、深く深く頭を下げる。
長い沈黙のあと、マスク越しでもわかるくらいはっきりとしたため息が聞こえてきた。

東雲
···図々しいね、キミ

サトコ
「え···」

東雲
なに、『最後の仕事』って
まだ卒業も確定していないくせに

サトコ
「そ、それはそうですけど···」

東雲
座って。隣
状況を説明するから

サトコ
「!! じゃあ···」

東雲
早く。時間がない

サトコ
「はいっ!」

急いで椅子に座ると、教官がディスプレイをこちらに向けてくれた。

東雲
空調プログラムの変更だけど、何度トライしてもエラーが出る

サトコ
「エラーって···マニュアルどおりに操作してもですか?」

東雲
そのマニュアルが使えない
地下シェルターを組み込んだプログラムにしていないから

(そっか、それで手間取って···)

東雲
今のところ、変更案は2つ
そのうちのB案のエラー原因をキミが探って
オレはA案を進めるから

サトコ
「わかりました」

腕時計を見て、ため息を飲み込む。
避難が始まってから、すでに20分が経過していた。

(シェルターは1時間が限界···)
(あと35分···ううん、実際の残り時間はもっと短いはず)

そもそも防毒マスクの空気量がどれくらいもつのかも怪しい。
黄色から赤への変化はかなり早いはずなのだ。

(とにかく少しでも早くエラー原因を探さないと)

静かな室内に、キーボードをたたく音ばかりが響きわたる。

(これは違う。こっちも違う···)
(じゃあ、これなら···)

教官の手も、先ほどからちっとも止まっていない。
私と同じで、改善策が見つからないのだろう。

(だからって焦るな)
(こんなときだからこそ、落ち着いて取り組まないと···)

サトコ
「···っ」

(目に汗が···)

冷房を一時的に止めたこともあって、室温がどんどん上がってきている。
モニタールームの機材が熱を発し続けているせいだ。

(ダメだ、頭がクラクラしてきた)
(でも、ここで休むわけには···)

ガタンッ!

サトコ
「!?」
「教官!?どうしたんですか!?」

東雲
······なんでもない
資料···落としただけ

教官は屈み込むと、床に落ちたファイルを拾い上げた。
けれども、その動きはどう見ても緩慢だ。
汗が流れ落ちても、拭おうとする素振りすら見せない。

(空気残量は···やっぱり「赤」だ···)

私の表示も赤だけど、まだそれほど息苦しくはない。
このままでは教官のほうが先に空気を使い切ってしまいそうだ。

(そんなのダメだ。教官が先に倒れるなんて)
(もし、そんなことになったら、その時は私が···)

東雲
人工呼吸
っていうか···キミっぽく言うなら『人工キッス』?

サトコ
「!!」

東雲
···図星か
ほんとバカ···ありえない···

サトコ
「な、なんでバレたんですか」

東雲
見てたから
この2年間···ずっとキミのこと···

思いがけない返答に、言葉が詰まる。
だって、こんなの予想外だ。

サトコ
「忘れたんじゃ···ないんですか」

東雲
······

サトコ
「忘れるって言いましたよね、私のこと···」

東雲
···言ったね

サトコ
「じゃあ、なんで···」
「なんで今更『2年間見てた』なんて···」

いろいろな感情が押し寄せてくる。
せっかく補佐官として振る舞おうとしているのに、これじゃ全部台無しだ。

サトコ
「ズルいです、こんなの···」

東雲
······

サトコ
「バカ···意地悪···」
「き···」

東雲
······

サトコ
「キ···ッス······楽しみにしてたのに···」

東雲
······

サトコ
「他にも···卒業したらいろいろ···」
「デートも···堂々とできるのかな···とか···」

東雲
······

サトコ
「なのに、あんな···いきなり『忘れろ』とか···」
「ムリ···絶対にムリ···」

ピッ!

サトコ
「!!」

(まさか···)

ディスプレイに表示された内容を見て、私は思わず立ち上がった。

サトコ
「教官、見つかりました!」
「プログラムが干渉し合っている部分···」

東雲
退いて
······
···なるほど···そういうこと···

教官の指が、すぐさまキーボードを叩き始める。

東雲
これが······ということは······
こっちが······になるはずで······

最後のキーを押した数秒後。
頭上から、ゴォォ···と空調が作動する音が聞こえてきた。

サトコ
「教官、作動しました!」

東雲
······

サトコ
「···教官?」

ガタッ···

サトコ
「教官!?」

東雲
······

サトコ
「しっかりしてください、教官!目を覚まして···」

東雲
卒ぎょ···

サトコ
「えっ?」

東雲
できるね···これで···

教官の指先が、私の頬に触れようとして···
かくん、と力を失った。
抱きかかえた身体が、いきなり重さを増した。
まぶたは伏せられ、まるで開く気配がない。

サトコ
「教官···?」

東雲
······

サトコ
「教官、目を覚まして···」

東雲
······

サトコ
「教官······っ!!」

(イヤだ、こんなの絶対に認めない!)
(助けなきゃ···とにかく空気さえあれば···)

サトコ
「···っ」

(そうだ、これ···!)

迷いはなかった。
私は自分の防毒マスクを外すと、教官のものと付け替えた。

(あとは装着···)
(ちゃんと···セット···して···)

濃い異臭が鼻を突く。
頭の奥がクラクラしてきた。

(大丈夫···間に合う···)
(絶対···間に合う······)
(教官は···私が···助け···て······)

カチン、と小さな音がした。
留め具がようやくはまったようだった。

サトコ
「やっ···た···」

(よかった···)
(これ···で···教官···は······)


そこから先のことは覚えていない。
ただ、助けに来てくれた黒澤さんの話によると、私は教官に覆いかぶさるように倒れていたらしい。

黒澤
いやぁ、なかなか感動的な光景でしたよ
さすが補佐官といいますか、『東雲教官は私が守る!』って感じで
オレ、思わず写真を撮ってしまいましたからねー

その写真が、今、私の手元にある。
黒澤さんは「感動的」って言ってくれたけど···

(肝心の教官がなぁ)

東雲
なにこれ、「陸に打ち上げられたマグロ」?
どうりで息苦しかったはずだよね

サトコ
「マグロ···か」

(教官らしいって言えばらしいけど、もう少し言い方が···)
(せっかく、例の「忘れていいよ」発言の誤解も解けたのに)

そう、教官のあの発言には様々な誤解と勘違いがあったのだ。
それが解けたことによって、私たちのお付き合いは継続。
さらにデートのお誘いまで受けたわけなんだけど···

(そもそも、なんでいきなり「忘れていいよ」なんて言ったんだろう)
(私を最終課題に集中させるため?)
(それにしては「オレも忘れる」って言ってた気が···)

???
「先輩」

(あ、この声は···)

宮山
「おつかれさまです。退院おめでとうございます」
「体調はもういいんですか?」

サトコ
「うん、吐き気も治まったしね」

宮山
「そうですか。よかったです」
「こうして顔を見るまで、なんだか心配で···」

(宮山くん···)

サトコ
「あの···遅くなったけど、あのときはありがとう」
「空調プログラムの変更がうまくいったの、宮山くんのお蔭だよ」
「あのとき、宮山くんがマスクを貸してくれたから···」

宮山
「お礼なんて言わないでください」

サトコ
「えっ」

宮山
「先輩が入院したって聞いてから、俺ずっと後悔してました」
「『あのとき、やっぱり行かせなきゃ良かった』って」

サトコ
「······」

宮山
「先輩が今回助かったのは運が良かったからです」
「校内にバラまかれたガスの濃度が、致死量以下だったからです」
「もし、本来の濃度で撒かれていたらどうなっていたか···」
「そのことを先輩は心に留めておくべきです」

サトコ
「···うん、そうだね」

実はあの後教官にもひどく怒られた。
「自分を犠牲にするな」とはっきり言われた。

(その点、反省しないといけないよね)
(あのときは勝手に身体が動いちゃったけど···)
(ああいう場面でも、もっと冷静に行動できるようにならないと)

宮山
「それにしても、今回の一件···」
「おエライさんたちはどう考えているんでしょうね」

サトコ
「どうって?」

宮山
「だって、さすがにマズいでしょう」
「公安刑事を育てる学校が、テロ組織にやられたんですから」

サトコ
「···そうだね」

しかも、実行犯は捕まっていない。
これでは公安部の面目丸つぶれだ。

宮山
「このままではまた同じような事件が起きかねませんよね」
「しかも、次はもっと本気の『テロ組織』だったりして···」

サトコ
「やめなよ、そういう物騒なこと言うの」

宮山
「でも、十分有り得るでしょう」
「今回のことはテロ組織側の『警告』って見方が大半みたいですけど」
「実は『宣戦布告』じゃないか、って考え方もあるみたいですし」

宮山くんの指摘にドキリとした。
確かに訓練生の間では、そういう意見も出ているのだ。

(もし、そうだとしたら『2度目』の事件も有り得る)
(そのとき被害者になるのは···)

宮山
「まぁ、でも先輩はもうすぐココを卒業ですからね」
「こんな心配、することもないんでしょうけど」

サトコ
「···っ!あのね」

さすがにカチンときて、私は宮山くんを睨みつけた。

サトコ
「たしかに私は、もうすぐ卒業予定ですけど」
「だからって『関係ない』なんて思ったりしません!」

宮山
「ああ、そうでしたね」
「卒業しても、東雲教官はここに残りますもんね」

サトコ
「教官だけじゃないよ。宮山くんもでしょ」

宮山
「!」

サトコ
「心配するにきまってるよ。これでも教育係なんだから」

宮山
「······」
「···なんですか、それ」
「そういうの、やめてもらえませんか」
「先輩のこと···諦めきれなくなります」

サトコ
「ごめん、そこはサクッと諦めて」

宮山
「な···っ」

サトコ
「私の気持ちは変わらないもん。これからも絶対に」

宮山
「······」
「···先輩って、ほんと容赦ないですね」
「ちょっとくらい嘘をついてくれてもいいのに」

サトコ
「ごめん。でも···」

宮山
「『ムリ』なんですよね。わかってます」
「それが先輩なりの『誠意』なんですもんね」

宮山くんはふっと笑うと、すぐそばの壁に寄りかかった。

宮山
「じゃあ、俺も思い切って本当のことを言いますけど」
「ファジーネーブルの差し入れ···あれ、俺じゃないです」

(えっ···)

宮山
「俺は、ドアノブにかかっていた袋にメモを入れただけです」

サトコ
「!」

宮山
「もっと早くバレるかなぁって思ってたんですけど···」
「先輩、案外あっさり引っかかりましたね」

(な···な···っ)

サトコ
「ひどい!あり得ない!」

宮山
「そうですか?割とよくある手口でしょう」
「特にハニートラップ系ではありがちじゃないですか」

サトコ
「そうだけど···確かに去年訓練で習ったけど···!」

(じゃあ、あの差し入れは···)
(あれを持ってきてくれたのは···)

折しも、出入口のドアが開く音が聞こえた。
そこから不機嫌そうに顔を出したのは···

東雲
ちょ···風、強すぎ
髪が乱れるんだけど

(教官···!)

東雲
ああ、氷川さん、ここにいたんだ
土曜日の件だけど、ホテルに1泊するから
そのつもりで準備してきて

(ちょ···)

宮山
「···1泊?ホテルに?」

サトコ
「違うから、捜査だから!」
「実は今度ホテルで潜入捜査があって···」

東雲
なに言ってんの。完全プライベートだけど

サトコ
「!!」

東雲
キミ、この間言ったよね。「土曜日は空いてる」って

(言ったけど···確かに言いましたけど!)

宮山
「···へぇ、そうきますか」
「教官のことだから、卒業式までは知らん顔を通すと思ってましたけど」

(えっ···)

東雲
いちおうそのつもりだったよ
でもキミ、頭がいいから無意味かなと思って

宮山
「そうですか。なんだか光栄だなぁ」
「まさか東雲教官に『頭がいい』って認めてもらえるなんて」

(なるほど、確かに···)
(···じゃなくて!)
(なに、今のやり取り)
(私と教官が付き合ってるの、とっくにバレてたみたいな流れなんですけど)

宮山
「先輩、俺やっぱりやめます」

サトコ
「へっ?」

宮山
「先輩を諦めるの、やめることにします」
「ずーっと勝手に好きでいるんで」
「この人と別れたら、ぜひ俺のとこに来てください」

(なっ···)

サトコ
「別れないから!絶対に別れません!」

宮山
「先輩がそう思っても捨てられるかもしれないでしょう」

(ぐっ···)

宮山
「俺、これからも先輩に食らいつきますんで」
「それじゃ、また」

意味ありげにニヤリと笑って、宮山くんは去って行った。

(なに、今の···)

サトコ
「す、すすす···」
「スッポンか!」

東雲
そうかもね
ほんと似てるよ、キミたち

(似てる!?私と宮山くんが?)
(ってことは、まさか···)

サトコ
「教官、宮山くんのことが好···」

東雲
バカなの、キミ

サトコ
「ふがっ」

(ま、また唇つねって···っ)

東雲
誰が好きだって?
あんな生意気なヤツなことを

サトコ
「ふがががっ」

(ギブギブギブ···っ!)
(痛いです!唇、痛すぎます、教官···っ)

「離して」と訴えるために、教官の手の甲をバシバシと叩く。
とたんに、教官はしかめっ面になって私の右手を捕まえた。

東雲
なに、この手
まだ荒れてるの?

サトコ
「はい、まぁ···」

東雲
ハンドクリームは?あれ、結構いいやつなんだけど

サトコ
「それが、最近忙しかったから塗るのを忘れてて···」

(ん?「ハンドクリーム」···)
(まさか!)

サトコ
「教官、あれ···あのスーッとするハンドクリームって···」

東雲
スーッと?
ああ···あれ、アイスジェルタイプだっけ

サトコ
「それと幻···幻の···」

東雲
ファジーネーブル?
あれはイマイチだよね
飲むならやっぱりピーチネクターが一番···

(きたーーっ!)

サトコ
「教官、好きです!大好きです!愛してます!」

東雲
え、キモ···

サトコ
「キモくて結構です!」
「氷川サトコ、生涯、教官の···」
「教官だけの補佐官であることをここに誓います!」

今の、精一杯の想いを込めた私なりの宣誓。
それなのに···

東雲
なに今の、留年宣言?

サトコ
「違います。卒業はちゃんとします!」
「ただ今後は教官の『心の補佐官』としてオンリーワンな存在に」
「って、待ってください!まだ宣誓の途中です」

東雲
······

サトコ
「教官ーっ!一生、教官の補佐官でいさせてくださいーっ」

東雲
·········バカ

ようやく教官が立ち止まってくれたので、私は全速力で走りだした。
あの背中にずっとついてゆくために。
そして、いつの日か並んで歩いてゆくために。

Good End




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