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東雲 Season2 カレ目線5話



【四ツ橋ケミカル】

野田・中西を捕まえたことで、潜入捜査及び卒業試験は終了した。
ちなみに、早い段階で容疑を認めた中西に対し、野田はいまだ無実を主張。
「IDカードは盗まれた」「研究データのコピーも中西が勝手にやった」「むしろ自分は被害者」···
あくまで、中西にすべての罪をなすりつけるつもりらしい。
けれども、それも長くは続かないだろう。
様々な証拠が、すでにあがっているからだ。
研究情報の流出先についても、中西の自供によってだいぶ判明しつつあった。
オレに課せられた任務も、ひとまず一段落のはずだった。



【学校 カフェテラス】

なのに、どうしても違和感が拭えない。

(なんだろう、この感じ···)
(何かが引っかかって···)

プルル···

(電話···莉子ちゃんからだ)

東雲
おつかれさまです

莉子
『おつかれさま。先日、受け取った画像の件だけど···』
『あれ、どうやら「神経ガス」の生成に関係しているもののようね』

(神経ガス···)

東雲
詳しく聞かせてもらえますか?

莉子
『ええ』
『ただ、電話だと説明しにくいから、近いうちに顔を出すわ』
『簡単にまとめた資料だけ、先に送っておくわね』

東雲
よろしくお願いします

(···そうだ、これだ)

通話を切るなり、スマホの画像フォルダを開いた。
クリックしたのは、うちの補佐官が記した「落書き」のメモだ。

(なぜ、これが四ツ橋ケミカルのロビーに書いてあった?)

最初は、中西か野田に対する脅しだと思っていた。
ところが、中西は連中にかなり協力的だったようだ。

(だったら、あれは脅しではない?)
(合図···暗号······あるいは···)

す···とテーブルの上に伸びた影が、オレの思考を遮った。

宮山
「おつかれさまです」

東雲
おつかれ。···なに?

宮山
「誤解を解きに来ました。あのことについて」

東雲
あのこと?

宮山
「キ···」

そこで、宮山は少しだけ言葉を詰まらせた。

宮山
「キス、したことです。氷川先輩と」

(·········ああ)

宮山
「教官は誤解されているようですが···」
「あれは、ただの事故というかハプニングというか···」
「特に氷川先輩にとっては不本意だったもので···」

(···なに言ってんの、こいつ)

東雲
それで?

宮山
「···っ、だから···っ」
「誤解されたままなのは、俺の本意じゃないので!」
「それじゃ、おじゃましました!」

再び勢いよく頭を下げて、宮山は去って行った。
ピンと伸びた背筋が、やけにまぶしかった。

東雲
···キモ

ヤツにとって、オレは恋敵であるはずだ。
それなら、むしろ誤解させたままにしておけばよかったのに。

(ほんと、似すぎ)
(どこかの誰かさんと)

その「誰かさん」とは、相変わらず距離ができたままだ。
卒業試験はとっくに終わったのに、なぜか何も言ってこない。

(もしかして試験の結果待ち?)

あるいは、他に何か理由があるのか。
だとしたら、それは何なのか。

(わからないことだらけじゃん)
(あっちもこっちも···)



【東雲マンション】

その日の夜···

東雲
ふわぁ···

(やば···眠···)

資料をめくる手を止めて、大きく背伸びをする。
いったん休憩しようと、テレビのリモコンに手を伸ばした。


『そんなの信じられない』


『教授、でも···っ』


『期間限定なの、この恋は』
『桜の咲くころ、あなたは恋の夢から覚めるのよ』

(···なにこれ)
(安っぽそうな話···)

いかにもなラブソングと、いかにもなナレーション。
いかにもすぎる恋愛映画の宣伝CM
それでも目が離せなかったのは、数ヶ月前の出来事が頭をよぎったせいだ。

宮山
「『教師と生徒の恋なんて幻想だ』って言うんですよ」
「生徒から見た『教師』は、自分にいろいろなことを教えてくれる」
「つまり『尊敬』や『憧れ』の対象になりやすい」
「でも、それは『学校』という特殊な空間だから成立する」
「その空間を出てしまったら『教師』もただの人間です」

東雲
だから受け入れないって?

宮山
「そうです。生徒の想いなんて、しょせん期間限定」
「卒業して『教師』じゃなくなったとたん、間違いなく冷めるから」

(期間限定···ね)

ぼんやり眺めていたテレビ画面に、映画のタイトルが表示された。

(「PとDD」···)
(ああ、あの子が観たがってた···)

「大ヒット上映中」ということは、今週末でも観られるのだろう。
スマホに手を伸ばし、LIDEをタップした。
運よく、彼女とのトーク画面が真っ先に表示された。

東雲
『今週末の予定』···

ふと、彼女からの最新メッセージが目に入った。
そのとたん、指が止まってしまった。

――『おつかれさまです。本日16時よろしくお願いします』

これだけじゃない。
その上の、さらにその上も、表示されているのはただの業務連絡だ。

東雲
『恋の夢から覚める』···ね

(案外、すでに覚め始めていたりして···)

宮山の親友の主張は間違っていない。
確かに、「学校」は特殊な空間だ。



【学校 階段】

「教官」と「補佐官」という上下関係。
実際の自分より大きく見られがちな、オレの立場。

(じゃあ、それがなくなったら?)
(そのとき、オレたちの関係は···)

ふと、足を止めた。
数メートル先に、うちの彼女と宮山がいた。

東雲
······

どちらも真剣な顔つきだった。
たぶん、なにか話し合っているのだろう。

東雲
······っ

気が付くと、避けるように角を曲がっていた。
そんな自分に、少しゾッとした。

(なにこれ···)
(なんで避けてんの、こっちが)

【教官室】

乱暴にドアを開けると、後藤さんが驚いたように振り返った。

後藤
なんだ、歩。なにか···

東雲
すみません、今から仮眠をとりますんで

後藤
······そうか

奥の2人掛けソファに横たわり、目を閉じた。
けれども、眠気なんて訪れるわけがない。
それどころか、まぶたの裏にさっきの光景が浮かんできた。

(···なにあれ)
(距離、近すぎ)

いつからああなのか。
少なくとも、潜入捜査に入る前はもう少し距離があったはずだ。

(なのに、いつの間に···)

ドアが開き、人が入ってくる気配がした。

莉子
「おつかれさま。歩は?」

後藤
ソファで仮眠中ですよ

莉子
「あら···じゃあ、起きるまで待たせてもらおうかしら」

(タイミング悪···)

莉子ちゃんが来ると知っていたら、仮眠なんか取らなかった。
けれど、今更起きて対応するのも恥ずかしい。

(どのタイミングで起きよう···)
(10分···)
(いや、5分後くらいに起きたことにすれば···)

サトコ
「失礼します!」

宮山
「失礼します!」

重なって届いたふたつの声に、ドキリとした。
ますます起きるタイミングを失って、仕方なくオレは耳をそばだてた。
ところが······

(···なにそれ)
(書類倉庫で人が倒れているって)

話を聞いているうちに、頭がフル回転しはじめた。
ずっと抱いていた違和感が、ようやく線で結ばれようとしていた。

莉子
「原因は?」

後藤
おそらく何らかのガスではないかと
黒澤自身、気分が悪くなりかけて近づけなかったそうですし
それと廊下の壁にこんな化学式が···

(化学式?まさか···)

案の定、うちの補佐官が反応した。
四ツ橋ケミカルのロビーに描かれたものと同じだと証言した。

後藤
···間違いないか?

サトコ
「間違いありません」
「これを丸暗記して東雲教官に報告したのは私です」

彼女が言い切ったところで、身体を起こした。
ここから先は、自分の目で確認するべきだ。

東雲
見せて、氷川さん

サトコ
「えっ」

東雲
その画像、早く見せて

サトコ
「は、はい!」

画像を確認して、舌打ちをしたくなった。
この画像が、バラまかれたガスの正体だとしたら命に関わる問題だ。

(どうする?訓練生はすぐに避難させるとして···)
(避難扉だけで防げるものなのか?)

だとしても、倒れた訓練生の救助を終えるまではシャットアウトできない。
それに、ガスがダクトに流れていたら、避難扉だけでは防げないのだ。
やることが決まった。

(オレの仕事は、ガスを校舎全域に広げないこと)
(つまり、空調システムのプログラム変更···)

問題は、そのためのデータが足りないこと。
ついでに、人手も足りないことだ。

(やむを得ない)

東雲
氷川さん、キミは一仕事してきて
書類倉庫の奥に、千葉が最近ずっと使ってたPCがあるから
遠隔操作できるように設定を変えてきて

オレの指示に、宮山は反発した。
けれども、彼女は了承して、防毒マスクを受け取った。

(残りのマスクは2つ···)

空気残量を確認していると、強い視線を感じた。
宮山がジッとこっちを見ていた。

東雲
どうする?キミはシェルターに避難する?
それとも···

宮山
「先輩について行きます」

迷いのない答えに、胸がひりついた。
意地でも彼女を護ろうとする、宮山の気迫に当てられたせいだ。

(オレにはできない)

オレが今、優先するべきなのは「彼女」じゃない。
校舎内にる「全員」だ。

強い視線を振り払うように、残ったマスクのうちの1つを乱暴に掴んだ。

東雲
じゃあ、これを

宮山は、わずかに眉をひそめた。

宮山
「···いいんですか?」

東雲
なにが?

宮山
「···いえ」

何か言いたげな眼差し···
その意味に気付いていながら、オレはしれっと無視した。

かくして、オレのもとには、残量の少ないマスクが残された。
そして数十分後···

オレはその判断を後悔するはめになるのだ。



【モニタールーム】

「今度こそ」と願い、Enterキーを押す。
けれども、画面に表示されたのは、またもや「Error」の文字だ。

東雲
くそっ

少し前から、マスクの残量チェッカーが点滅している。
でも、作業はまだまだ終わりそうにない。

(失敗した)

空気残量の一番多いマスクをオレが受け取るべきだった。
今、ここでオレが倒れたら、大勢の人間が共倒れになるのだ。

(結局、冷静になりきれない)
(彼女が絡むとなおさら)

しかも、それは今回に限ったことじゃない。
寮付近だったにもかかわらず、憤りに任せて車中でキスをした。
苛立ちをぶつけるように、キスを目撃したことをバラした。
そうして傷つけておいて、なんのフォローもしなかった。
挙句の果てに、このザマだ。
つまらない意地と卑屈さが招いた判断ミス。

(···わかってる)

本当のオレは、教官になんか向いていない。
後藤さんのように誠実ではないし、石神さんや颯馬さんほど大人でもない。
兵吾さんのように、ブレない姿勢で物事に取り組めるほど強くもない。

(つまんなくて、ちっぽけで···)
(人に指導できるような器じゃない)

いずれ、彼女もそのことに気付くだろう。
卒業して、「教官」という肩書きを失ってしまえば。

(って、もう気付き始めているのかもしれないけど)

それならば、いっそ···

(別れたほうがいいのかもしれない、あの子とはもう)

案外あの子だって、あっさり了承するかもしれない。
なにせ、試験が終わっても、オレとは距離を置いたままだ。

(その間に、宮山とだいぶ親しくなったみたいだし)
(オレより宮山と相性がいいって気付いてるだろうし)
(宮山となら、一緒に成長していけるだろうし)

宮山となら······

宮山となら·········

宮山となら·········

東雲
···っ

マイナスな感情を振り払うように、頭を振った。
そのとたん、くらりとめまいがした。

(ヤバ···)

くだらないことを考えている場合じゃなかった。
今、ここでオレが倒れるわけにはいかないのだ。

(まずは、酸素補給をどうにかしないと···)

息苦しくなってきて、マスクをわずかにズラす。
そのとたん、ひどい頭痛がして机の上に突っ伏してしまった。

(そうだ···この部屋、ガス濃度が······)

最初のプログラム変更で、廊下にガスが溜まりにくくなるように操作した。
避難や救助活動をしやすくするための配慮だった。
その結果、他の場所にガスが溜まりやすくなっていた。
このモニタールームは、特に濃度が高いはずだ。
再びマスクを着け、スマホに手を伸ばす。
けれども、めまいがひどくて、画面をタップできない。

(替えのマスク······誰か······)
(透···後藤さん······)

東雲
サトコ···

ダメだ、あの子は呼べない。
彼女は、すでに自分の任務をやり切った。
今頃、地下シェルターに避難しているはずだ。

(それに、こんなところ···)
(あの子だけには······)

そのときだった。
背後で、勢いよくドアが開いたのは。

サトコ
「教官!」

幻聴かと思った。
さっきのガスで、頭をやられてしまったのかと。

サトコ
「教官、大丈夫ですか!?」

東雲
ど···して···

サトコ
「どうもこうも教官のことが心配で···」

ハッと、彼女が息をのんだ。
慌てた様子で、手にしていたものを差し出してくる。

サトコ
「教官、こっちのマスクに変えてください」

東雲
そ···れ···

サトコ
「宮山くんのです!」
「シェルターに避難す···から、いら······って」

彼女が、何か言っている。
けれども、頭がもうろうとしてよく聞こえない。

(ああ···)

やっぱり嫌だ。
この子を手放したくない。

(この子の夢が覚めても···)
(いつか、オレがつまらない人間だってバレても···)

それまでは、どうか···
どうか······

替えの防毒マスクのお蔭で、なんとか持ち直したオレは、
彼女と協力して無事に任務を終わらせることができた。
結果、地下シェルターに避難した訓練生たちは全員無事。
オレや彼女、ガスを吸った訓練生たちも、一時は入院したものの、命に別状はないとのことだった。


【病院】

さらに、オレの「忘れていいよ」発言を、彼女が誤解していたこともわかった。

サトコ
「よかった···」
「よかった···教官と『お別れ』じゃなくて···」

泣きそうな顔で笑う彼女に、胸を突かれた。
気恥ずかしくなるほどの素直さに、この時ほど救われたことはなかった。

(大丈夫だ、もう)

不安に思うことは、何もない。

そう信じていたのだ。
彼女の公安学校卒業が、正式に決定するまでは。

【ホテル】

その報せを受けた日の夜。
宿泊部屋に着くなり、オレはバスルームへと逃げ込んだ。

【バスルーム】

蛇口を捻って、頭からお湯をかぶる。
それでも、気分はさっぱり晴れそうにない。

(決まった···ついに卒業が···)

ずっと願っていたことだ。
「早く卒業してほしい」と、これまでに何度思ったことか。

(なのに、ここで怖気づくとか···)

そうだ。
怖いのだ、オレは。
確かに「忘れていいよ」発言の誤解は解けた。
けれども、肝心な部分は全く解消されていない。

(オレが、一番不安に思っていたこと)

「教官」じゃなくなったオレを、彼女はどう思うのか。
オレたちの関係はどう変わってゆくのか――

グダグダ考えながらシャワーを浴びていたせいだろう。
気付けば、結構な時間が経っていた。

(やば···待たせすぎ···)

急いで着替えを済ませて、部屋に戻った。

ところが、オレを待っていたのは···

サトコ
「あー教官ー」
「おかえりなさーい」

(···なにこれ)
(なんでアルコール類がこんなにあるわけ?)

その後も、彼女のテンションは妙に高かった。
シャワーを終えた後も「一緒にワインを飲みたい」と言いだして···

サトコ
「ふふーん···」

東雲
······

サトコ
「教かーん、元気ですかー?」

東雲
···うるさい、酔っ払い
顔、赤すぎ

サトコ
「酔ってませーん」
「これはぁ···シャワーのせいー···」

東雲
違うから
1時間18分前だから。キミがシャワーを浴びたの

サトコ
「1時間···?」

彼女は、不思議そうに首を傾げると···

サトコ
「くしゅんっ」

東雲
···寒いの?

サトコ
「はい···なんか···」
「このパジャマ···足がスースーして···」
「ほら···」

東雲
めくるな!
見えるから!生足が

サトコ
「なまあ···?」
「······」
「くしゅんっ」

彼女は、ベッドの上で全身を震わせた。
どうやら、本当に身体が冷えているようだ。

(まぁ、夜はまだ冷え込む時期だし···)

東雲
·········こっち、来る?

彼女が、きょとんと首を傾げた。
とたんに、妙な気恥ずかしさが襲ってきた。

(違っ···バカ···)
(こっちのベッドに誘うとか···)

東雲
今の取消···

サトコ
「行きます」

(は!?)

サトコ
「えいっ」

(ちょ···っ)

まさに飛び込むような勢いで、彼女はオレに抱きついてきた。

東雲
バカ···苦し···

サトコ
「んー」

東雲
離れろ!くっつきすぎ···

スンスン···

(···えっ?)

スンスン···スンスンスン···

東雲
キミ···!

(またニオイ嗅いで···)

サトコ
「よかった···」
「いつもの···香り······」

東雲

サトコ
「すき······」

(ああ、そうか···)

野田の香水付きのジャケットのことを、彼女はずっと気にしていたのだろう。

(他にも、ラブホとか···)
(野田とキスしたことだって···)

東雲
ねぇ、キミ···

彼女の身体を揺すろうとして、気が付いた。
かすかな寝息が聞こえていることに。

(···バカ)
(安心しすぎ)

仕方がない。
全ては、彼女が目を覚ましてからだ。
まずは、俺に聞きたいことがないか、促してみよう。
それから、オレが思っていることも伝えてみよう。

(宮山とのキスを、目撃した時のこととか···)

それくらいなら言える気がした。
自分の中で片が付きつつあったから。
もうひとつの不安は、まだ口にできそうにないけれど。

to be continued



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