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あの夜をもう一度 東雲カレ目線



人は「睡眠中に記憶の整理をする」という説がある。
眠ることで、新しい情報を遮断し、今ある情報を整理整頓する。
そして記憶として定着させる。
その情報の整理整頓の過程で、ヒトは「夢を見る」のだという。

(だとしたら···)

(遅すぎ。整理整頓するの)
(だってこれ、たぶん「初めての夜」をを終えたときの···)

カーテンの隙間から、朝の日差しがこぼれ落ちている。
腕の中に囲い込んだ身体は、ほのかな熱を放っていたはずだ。

(そうだ、あの子はよく眠っていて···)
(しかも「爆睡」って感じで、目覚める気配がなくて···)

だから、鼻先を近付けたのだ。
汗ばんだ首筋に。
甘い匂いのする耳裏に。

(もう、オレだけのものだ)
(オレのものにしてしまった、オレだけのにおい···)

けれども、それだけでは物足りなくて···
今度は唇で味わってみる。
まぶたを、こめかみを、頬を···
そして、寝息のこぼれる唇を。

(甘···)

こんなことを何度も繰り返せば、さすがにこの子も目を覚ましてしまう。
理性はそう警告してくるのに、どうしても味わうことを止められない。

(悪いのは、この子だ)
(この子が甘すぎるから、オレは···)
(オレ······は···)



【リビング】

バタン、とドアが閉まる音で目が覚めた。

東雲
ん···

(···今、出て行ったの、あの子?)

確かめたかったけれど、身体が怠くて動かない。
たぶん、まだ睡眠を欲しているせいだ。

東雲
···ふわぁ

ソファに横たわったまま、軽くあくびをする。
まだ覚醒しない頭が、先ほどの夢を思い浮かべた。

(あれ···「翌朝」の一幕だった···)
(初めて、あの子と······したときの···)

しかも、あの夢のせいで思い出してしまった。
真っ昼間だというのに「あの夜」のことを。

あのときのことを、細かく覚えているか、といえばそうでもない。
むしろ、覚えていることのほうが少ない気がする。

(髪から、甘い香りがしていて···)
(「勝負シャンプー」がどうのって話を聞いて···)

そのくせ、下着は見慣れた「薄紫」で···
そのことに、心のどこかでホッとしている自分がいて···

(ああ、いつものだ)

いつもの下着。
いつもの彼女。

(なのに、今から「いつも」じゃないことをしようとしている···)

緊張していないといったら嘘になる。
けれど、それ以上に高揚感を覚えていた。
だから、案外正直に伝えられたのかもしれない。

東雲
緊張してる。それなりに
だからごめん
優しくできなかったら

彼女は、軽く目を見開いた。
それから、照れくさそうにこくんと頷いた。

(ああ···)

初めて見る顔だった。
2年も一緒にいて、こんな顔をすることもあるなんて全然知らなかった。
あらわになった肌に、確かめるように口づける。
そのたびに、ぴく、と動く身体が驚くほど艶めかしい。

サトコ
「···っ」

(ああ、ほら···)

サトコ
「あ···っ」

(また、そんな顔をして···)

自分の身体に、熱がこもっていくのが分かる。
身につけていたTシャツすら邪魔に感じて、オレは乱暴に脱ぎ捨てた。

(欲しい。この子が)
(この子の全部を、オレのものにしたい)

すれ切れそうな理性の代わりに、欲がどんどん顔を出そうとする。
その強さに、自分でも驚く。
自分にこんな一面があるとは思ってもみなかったから。

(やば···これ···)
(たぶん、そんなにもたない···)

それでも止められない。
止めたくない。
熱病に浮かされるかのように、暑い息が唇からこぼれた···
そんなときだった。

サトコ
「教官!」

(え?)

サトコ
「教官、あの···っ」

東雲
なに?

サトコ
「······」

東雲
なに

サトコ
「あ···その···ちゃんと···」

東雲
······

サトコ
「ちゃんとムラムラしてますか······なんて···」

状況に水を差すような。おどけた口調。
けれども、その目にはわずかな不安が揺れていた。

(···ああ、そうか)

これまで、何度も彼女を不安にさせてきた。
余計なことは言うくせに、大事なことは言葉を惜しんできた。

(でも、それも卒業しないと)

彼女の右手に、指を絡めた。
そして、想いを伝えるようにギュッと握りしめた。

東雲
してる
欲情してる。すごく
キミが欲しい
全部オレのものにしたい
キミのことを

彼女の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「喜び」というより、「安堵」したような表情だった。

(ああ、こんなに···)
(不安にさせていた···)

だから、丁寧に抱いた。
逸る気持ちより、大切な思いを優先した。

サトコ
「教官···っ」

最後の最後で、泣きそうな声で呼ばれたこと。
しがみつくように腕を回されたこと。

(そういうの全部···)
(記憶の中に残って···)


【リビング】

東雲
······

(···けっこう覚えているな、オレ)
(そんなに覚えていないつもりでいたけど)

気恥ずかしくなって、ソファから身体を起こす。
ふと、テーブルのスマホが点滅していることに気が付いた。

(メール···颯馬さんから?)
(ああ、資料のこと···)

どうやらオレが作成した資料を。千葉がピックアップしに来るらしい。

(1本目の資料は寝室だっけ)
(たしか、寝る前に読むつもりでベッドの脇に···)

【寝室】

東雲
······

(···なに、この散らかり具合)
(はさみ···のり···マスキングテープ···サインペン···それと···)

東雲
···アルバム?

怪訝に思いながら、表紙をめくってみた。

東雲
···ふーん

サインペンで書かれたメッセージ。
それによると、どうやらこのアルバムは「オレへのプレゼント」らしい。

(···ベタすぎ)
(どうせ、これまでのデートの写真とかを貼って···)

東雲
···なにこれ、入学式?

(けど、1ショット写真じゃん)
(オレ、どこにもいないんだけど)

そんな、意図の分からない謎のページがしばらく続いて···

東雲
···出た、初デート

2人で恐竜展に行ったときの写真。
もっとも、これも付き合う前の出来事だったはずだ。

(そうだ···たしか、さちへの諸々があの子にバレて···)
(そうしたら、あの子が急に真剣な顔つきになって···)

サトコ
「立候補します」

東雲
え?

サトコ
「私が教官の特定の相手になります!」

(···間違いない)
(それで「じゃあ、デートを」ってことになったはず)

今、思えば無茶苦茶な流れだ。
誘ったオレも、応じたあの子もどうかしている。

(それが、本当に付き合うことになるとか···)
(ほんと、謎すぎ)

とはいえ、このあたりから「恋人っぽい写真」が増え始める。
盛りだくさんだったバレンタインデーの贈り物。
やけどしながら作った、ホワイトデーのお返し。

(これは···体育祭?)

東雲
···ぷっ

(そうだ、借り物競争で前転してゴールインしたときの···)

そして···

東雲
出た、ブラックタイガー

なぜか、エビフライだけは失敗するうちの彼女。
焦げた黒い衣を、何度剥がしたことか。

(あのとき···)
(「コチ電業」絡みで、警視庁に何度も呼び出されたときだって···)

透に託した伝言を受けて、彼女はエビフライを作りに来てくれた。
結果、見事な「ブラックタイガー」ができあがったわけだけど。

(あれは、あれでもういいっていうか···)
(正直、ふつうのエビフライだと物足りなくなっているし)

そのことに気付いたのは、数時間前···
初めて成功したエビフライを食べたときだ。

(ほんと、毒されてる)
(あんなマズいものが恋しいとか)

けれども、それ以上にいたたまれないのは、このアルバムの中の自分だ。

(···なにこれ、別人?)

付き合いたてのころの、まだ少しぎこちない表情。
それが、アルバムが進むにつれて、どんどん緩んでいって···

(···ムリ。恥ずかしすぎ)
(直視できないから。こんな自分)

なのに、うちの彼女は、これを渡そうとしているのだ。
オレへの「プレゼント」として。

(バカ。あり得ない)
(なに、この羞恥プレイ)

一周まわって腹が立ってきた。
こうなったら、もう逆サプライズを仕掛けるしかなさそうだ。

(たしか、あの「最高傑作」は。アルバムにはなかったはず···)
(ってことで、写真は決定)
(あとは、付箋にメッセージでも···)

東雲
『この写真、必須でしょ』···
···よし

写真と付箋を奥付に貼り付けて、アルバムを元の位置に戻した。
これに気付いたとき、あの子がどう反応するか···
今からとても楽しみだ。

(そもそも100年早いから)
(オレに、まともなサプライズを仕掛けるとか)

ピンポーン!

東雲
···うん?

(もしかして、あの子?)
(鍵を持たないで、出ていったとか?)

面倒くさ、と思いながらオレはインターフォンのモニターを覗き込んだ。
ところが、そこに映っていたのは「うちの彼女」ではなく···

東雲
は?宮山?

(なんで、あいつがここに?)

無視することも考えたが、千葉のように誰かのお遣いで来た可能性もある。
なにせ、ヤツはうちの彼女とは違い、正真正銘の「首席」だ。
他の教官たちからの信頼もかなり厚い。

(···まぁ、さすがに、それなりの理由がなければうちには来ないか)
(なんだかんだ言ってわきまえたヤツだろうし)

仕方なく、オレはインターフォンの「通話ボタン」を押した。

東雲
···はい

宮山
『おつかれさまです』
『来週提出のレポートで、聞きたいことがあるんですけど』

東雲
······

宮山
『あー、べつに東雲教官じゃなくてもいいんですけどね』
『たとえば、元指導係の先輩がいらっしゃるなら、そっちのほうが大歓迎なんですけど』

(ふ・ざ・け・る・な!)

誰だ、あいつを「わきまえている」なんて言ったのは!

そんなわけで···
当初は、マンションのエントランスでヤツを追い返すつもりだった。
ところが、タイミング悪く、うちの彼女と千葉が合流してしまった。

(こうなったら、いっそ···)
(もう卒業したんだし、すでに宮山にはバレているわけだし)

東雲
せっかくだからお茶くらい出そうか


【リビング】

けれども、彼女はオレと同意見ではなかったらしい。
遅れて部屋に戻ると、リビングから彼女の私物がきれいさっぱり消えていた。

(···へぇ、そうくるわけ)

ちょっと意地の悪い気持ちになった。
だから、あえて彼女を焦らせてやろうと思った。

東雲
そういえば、少し前の話だけど
氷川さん、学校で居眠りしているとき、寝言を言ってたよね
『ダメーっ、千葉さん』って

サトコ
「!!」

とか。

東雲
千葉に預かってほしい資料、2通あるんだけど
1通目はそこにある封筒だから

千葉
「ああ、これですね」

サトコ
「!!!」

とか。

千葉
「へぇ···資料、けっこうありますね」

呑気な千葉とは対照的に、うちの彼女は焦りまくっている。
当然だ。
洗面所にあった彼女のペンダントを、わざと封筒の下に仕込んだのだから。

(とはいえ焦りすぎ)

あのペンダントが、彼女のものだという証拠はどこにもない。
つまり、この状況ならいくらでも誤魔化しがきく。

(ペンダントが見つかっても「誰のですか?」ってとぼければいいだけだし)
(千葉が、キミのだって知らない限りは、どうとでも···)

東雲
······

(······え、まさか知ってるパターン?)
(いつ?どこで?)
(たしか、普段は見えないようにつけていたはずだけど···)

さらに悶々としたのは、そのペンダントを宮山が隠したことだ。

(なに、こいつ)
(知ってるわけ?それが誰のものなのか···)

内心イラッとしたところで、ヤツと目が合った。

宮山
「······」

(みーやーやーまー!!!)

結局、オレを悶々とさせたまま、来客2人は帰っていき···

サトコ
「はぁぁ···」

東雲
···なに、その態度
陸にあげられたかっぱ?

サトコ
「もうなんとでも言ってください」
「残りのライフ値、ほぼ『0』ですから」

そんな彼女の胸元には、いつまにか例のペンダントが輝いていた。

(なにそれ、いつ返してもらったの?)
(どうやって?)

聞きたい。
けど、聞いたら、さらにイラッとしそうな気がする。

(ほんと、面倒くさ···)
(自分で仕掛けて、自爆するとか···)

サトコ
「あっ!」

東雲
···なに?

サトコ
「教官、ちょっとそこにいてください!」

彼女は、ソファから飛び起きると、寝室へと駆けて行った。

(あーハイハイ···)
(いよいよ、例の···)

案の定、彼女が持ってきたのは、あの「手作りアルバム」だ。
しかも、どうやら1枚1枚について解説をしたいらしく···

サトコ
「まずはこれ!入学式の写真です」

東雲
···キミしか写ってないんだけど

サトコ
「大丈夫です。ほら、ここ!」
「この隅っこに、小さく教官が写っています!」
「なんと、これが初の2ショット写真です」

(·········バカ)
(なに、そのムリヤリ感)

それでも、最初のうちはまだよかった。
問題は、アルバムの10ページ目を過ぎたころ···
彼女と付き合い始めてからの写真たちだ。

サトコ
「これ、覚えてますか?」
「研修旅行の帰りに、ウォータースライダーに乗ったときの!」

東雲
······

サトコ
「これは『コチ電業』に潜入したときですよね」
「教官が、私のこと、会長に紹介してくれて···」
「すごく嬉しかったなぁ」

(···もう無理)
(直視できないし)

浮かれる彼女とは対照的に、こっちは羞恥心のあまり倒れる寸前だ。

(顔!緩み過ぎだし!)
(今度から、写真を撮られるときは気をつけないと···)

サトコ
「あっ、これ!この写真が一番のお気に入りなんです」
「まさに天使な『泥酔教官』!」

東雲
!!!

(透!いつの間に横流しして···)

サトコ
「よかったなぁ。写真、いっぱい撮っておいて」
「教官との思い出を、一緒に振り返ることができますもんね」

東雲
······

(···まぁ、確かに)

それについて、否定するつもりはない。
実際、このアルバムが嬉しくないわけではないのだ。
特に、最後の「ガーベラ畑」のページを開いたとき、

サトコ
「この写真が最後で『つづく』だと···」
「次のアルバムも『希望』に満ちたものになるのかなぁ、なんて」

照れくさそうに笑う彼女を見て、思わず素直に返してしまったくらいには。

東雲
いいんじゃない
キミらしくて

サトコ
「ほんとですか!?『恥ずかしい』とか思いませんか!?」

東雲
べつに
嫌いじゃないし。こういうの

(···うわ、恥ずかしすぎ)
(なに言ってんの、オレ)

ついに、いたたまれなさが限界値を超えて、オレはキッチンへと逃げ出した。
その際「奥付」のことを伝えたのは、ちょっとした悪趣味返しのつもりだ。

サトコ
「もう···もう······」

【キッチン】

サトコ
「もう――っ」

(···ざまーみろ)
(オレにサプライズなんて、1000年早い···)

サトコ
「教官ーっ」

東雲
ぐっ···

(ちょ···)
(抱きつくにしても、勢い付きすぎ···)

サトコ
「ズルいです!」
「こんなサプライズ、聞いてないです!」
「最後の最後で『共同作業』だなんて」

(······は?)

サトコ
「でも、そういう教官が好きです!大好きです!」
「次のアルバムは一緒に作りましょうね!!」

(···なるほど、そうきたか)
(ほんと、うちの彼女は···)

仕方がないから、体勢を変えて彼女と向き合う。
彼女は嬉しそうに笑うと、今度は真正面から抱きついてきた。

東雲
重···

サトコ
「知ってます」
「でも、教官限定です!」

東雲
······あ、そう

脳裏をよぎったのは、さっきのアルバムの最初のページ―――
サインペンで綴られた、手書きのメッセージだ。

――『東雲教官、2年間お世話になりました。
このアルバムは、ちょっと重いです。
私からの愛と感謝をいっぱい詰め込んだせいです。
こんな重たい私を、いつも受け止めてくれてありがとうございます。
これからも、どうかいっぱい受け止めてください。
氷川サトコ』

(ほんと、重たすぎ)

でも、その重たさが嫌いじゃないオレも大概で···
これこそが、「愛の奇跡」なのかもしれなかった。

Happy End



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