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あの夜をもう一度 難波カレ目線



【車内】

難波
ようやく、治療終了か···

歯科医院からの帰りの車の中で、俺は思わずホッとなった。
こんなに歯科医院に通ったのなんて、中学生の時以来だ。

(まさかこんなことになるなんて、あの時は考えもしまったが···)

難波
なんだ、これ?心なしか、いい匂いが···

サトコ
「開けてみてください」

難波
お、クッキー···もしかして、これも手作りか?

サトコ
「はい。この一年間の感謝を込めて作ってみました」

難波
すげぇな~こんなもんも作れんのか

感動の声をあげると、サトコはこの上なく嬉しそうに笑った。
俺はその笑顔に導かれるように、クッキーをひとつ、口の中に放り込む。

難波
しかも、うめぇ

サトコ
「本当ですか?」

難波
ああ、プロの味だよ。これなら店で売れるんじゃねぇか?

すこし恥ずかしそうにするサトコ。
でもその顔には、今まで見たこともないようなちょっと誇らしげな喜びも浮かんでいる。

(こんなサトコ、初めてかもな···)

サトコの喜ぶ顔をもっと見たくて、もちろんクッキーのうまさにも魅かれて、
俺は、サトコが作ってきたクッキーを全部もらうことにした。



【室長室】

ポリポリポリポリポリ······

難波
やべぇな、止まらん···

翌日から、俺は職場にもクッキーを持ち込み、暇さえあれば口に放り込んでいた。

コンコン!

石神
失礼します
申し訳ありません、食事中でしたか

難波
いや、さすがにクッキーを食事代わりにするほど乙女じゃねぇぞ、俺は

石神
分かっていますよ
ただ···そのクッキーを食べている時の室長の幸せそうな表情をお見受けすると
あながち間違いではない気もしますが

石神はそう呟いて意味ありげな笑みを浮かべると、決済の箱に書類を置いて出ていった。

難波
俺、そんな顔に出てるのか···?

ちょっと心配になって、両手で顔の表情筋を引き締める。
その瞬間、口の中に刺すような痛みが走った。

難波
いてっ···!

【トイレ】

大口を開け、トイレの鏡で奥歯の状態をチェックする。
あまりよく見えないが、なんとなく左の奥歯2本が黒ずんでいるように見えた。

難波
やべぇな、虫歯か···?

原因は、どう考えてもクッキーの食べ過ぎだ。

(こんないい歳して何やってんだ、俺は···)

あまりに情けない自分に、思わずため息が出た。

(行くしかねぇか、大嫌いな歯医者に···)
(とはいえ、しばらくはなかなか時間が···)

脳内で直近のスケジュールを確認するが、ここ数日は仕事がビッシリだ。

(時間ができるまで、耐えるしかねぇな)
(その間に、うっかりサトコにばれないようにしねぇと···)
(あいつのことだ、自分のクッキーが原因で俺が虫歯になったなんて知ったら)
(必要以上に責任を感じちまうに違いない)


【車内】

あの時の自分のビビり様を思い出し、俺は思わずクスリと笑った。
忙しいからと理由をつけて治療を先延ばしにしていたのは、実は歯医者が怖かったからだ。

(やべっ···思い出すだけで、あるはずのない痛みが···)

俺は思わず、左頬を押さえた。
あれは中学生の時。初めて虫歯になった俺は、ろくに麻酔もせぬままに思いきり歯を削られた。

(今思えば···あれはヤブ医者か?)
(あの頃は今ほど麻酔を使わなかったとはいえ、あれはなかったよな···)
(あの時、院内で流れてたクラシック···)
(あれ以来、あの曲を聴くたびに歯を削られてる気がしたもんだ)

今さら誰にも言えないトラウマ。
もちろん、こんなことはカッコ悪すぎてサトコにも言えるわけがない。

(まあ、クッキーを食いすぎて虫歯ってだけでも十分カッコ悪いがな···)

難波
中坊か、俺は···

笑いながら言ってから、俺は慌てて頭を振った。

難波
いやいや、違うぞ
もちろんクッキーは美味しかった。でも俺は、ただクッキーを食ってたわけじゃない
アイツの気持ちを食ってたんだよ

【バー】

その夜。
久しぶりのデートの場所は、ちょっとおしゃれなバーにした。

サトコ
「今夜は虫歯完治祝いですね!」

難波
今日まで待たせて悪かったな

サトコとは、虫歯が治るまでデートはお預けということにしていた。
それだけに、今日のデートプランは綿密に練ったつもりだ。

(そもそもこいつは、酒の量を楽しむタイプじゃないからな···)

試験明けの懇親会の日、俺はそのことを改めて確認して、ちょっと愕然となったのだ。

難波
加賀、今日はとことん行くぞ

加賀
望むところです

難波
よし、それじゃ、俺について来い

あの日、加賀と絶好調に利き酒を楽しんでいた俺の耳に、
サトコたちの楽しげな会話が飛び込んできた。

サトコ
「え、インスタントグラムなんてやってるんですか!?」

東雲
主要なSNSはおさえないと。もちろん捜査用のアカウントね

サトコ
「それにしはどの写真も女子力が高い···」

鳴子
「さすがは東雲教官···」

サトコと佐々木は、歩のスマホを覗き込み、しきりと感心している。

(インスタントグラム?新しい即席めんの名前かなんかか?)
(いや、最近どっかで聞いた気も···)

千葉
「ああ、これなら知ってます。ここのアフタヌーンティー、評判良いですよね」

後藤
アフタヌーンティーなんて、千葉も行くのか?

鳴子
「千葉くんも女子力やや高めですから!」

サトコ
「このホテルも素敵ですね。バリ風で」

東雲
最近流行ってるらしいよ。フォトジェニックとか言って
それにしても女の子は、こういうの好きだよね

鳴子
「だって、こういうところで非日常体験、最高じゃないですか~。ね、サトコ」

サトコ
「憧れるよね~」

(アフタヌーンティーに、ホテル?)

どうやらインスタントグラムは、何かの情報を得られるツールのようだ。

(俺も最近はスマホ扱いに慣れてきたつもりだったが···若者には到底ついて行けねぇな)

でも、サトコがどこかのアフタヌーンティーとホテルに憧れていることはよくわかった。

(一緒に行っても俺には良さが分からないかもしれないが、今度連れて行ってやるか···)
(あとでさり気なく歩から情報を引き出すとしよう···)

ひとりで納得したその時だった。

サトコ
「すみません、ウーロン茶おかわりで!」

(ウーロン茶?しかも、おかわり?)
(俺と飲むときと、ずいぶんペースが違わねぇか···?)

【バー】

難波
じゃあ、乾杯

サトコ
「乾杯」

カチンとグラスを合わせると、サトコは綺麗な色のカクテルをおいしそうに飲んだ。

サトコ
「素敵なところですね。あまり来慣れてないから緊張しますけど」

難波
でもたまにはいいだろ?こういうのも

サトコ
「ですね···」

気恥ずかしそうに少し肩をすくめて笑うサトコの姿に、
俺は、今日の店のセレクトが正解だったことを確信した。

(この後はこのままホテルに泊まって、明日は朝寝坊してアフタヌーンティー···うん、悪くない)

難波
すみませーん、これ、もう一杯

いつもの調子でおかわりを頼むが、サトコはもう、慌ててグラスを空けるようなことはしない。

店員
「お客様はいかがされますか?」

サトコ
「私は、まだ···もう少ししたら頼みます」

サトコの頬は、もうほんのりと赤くなっている。

難波
酔ってるなら、無理するなよ?

サトコ
「大丈夫ですよ。でもね···」

一度言葉を切ると、サトコは少し上目遣いでチラリと俺を見た。

サトコ
「楽しいからついつい飲んじゃうんですよね···室長といると」

難波
なんだよ、俺のせいか?

からかうように返しながら、内心では少しどぎまぎしていた。

(おいおい、かわいいヤツだな···)

でも表情筋をたるませまいと、俺はわざと眉間にしわを寄せてみた。
それから1時間ほどして、
サトコが化粧室に立ったのを機に、店員を呼んでチェックを済ませる。
その店員の『小澤』という名札を見て、俺はふと小澤さんの家でのことを思い出した。

(あんな風に穏やかに小澤さんのことを離せる日が来るとは···)

それもすべて、いつかサトコが言ってくれた言葉におかげだとしみじみ思う。

サトコ
「···室長のせいじゃ···ないと思います」

難波
···え?

サトコ
「自分を責めてしまう室長の気持ちはよくわかります」
「でも室長は正しいことをしたんだし···」
「小澤さんもきっと、正しいと思えることをしたんじゃないでしょうか」
「だとしたら、その正義は誰にも止められない···」

難波
······

【エレベーター】

(ありがとうな、サトコ···)

難波
さて、この後だが···

バーを出て乗り込んだエレベーターの中で、俺はさり気なく切り出した。

(とりあえずこのまま部屋に誘って···)

サトコ
「ちょっとまったりするのもいいかもですね」

難波
それじゃ、この上の···

サトコ
「室長の部屋とかで」

難波
···え?

サトコ
「おしゃれなバーはもちろん素敵だったし、最高だったんですけど」
「少し背伸びしてしまうというか···」
「このあとは、落ち着ける場所がいいかな、なんて···」

お酒のせいか、サトコの微笑みが妙に小悪魔っぽい。

(こんな風に言われたら···迷わず予定変更だな)

難波
じゃあ、Nam bar にご招待するとしますか

サトコ
「ナンバー?なんですか、それ」

難波
オヤジギャグ的うちの呼び名だよ

サトコ
「ふふっ、いいですね、Nam bar」

難波
だろ?


【難波マンション】

難波
お待たせしました。当店オリジナル、仁トニックです
あ、ジンはジンでも、難波仁の仁ね

サトコ
「またダジャレですか?」

サトコは笑いながらも、くつろいだ様子でお酒を楽しんでくれている。
俺もどっかりとソファに身を沈めながら、この居心地のいい空気を満喫していた。

難波
やっぱり、戻ってきて正解だったかもな···

サトコ
「ですよね?」

言うなり、サトコは俺の肩に頭をもたせ掛けてきた。

難波
···どうした?

サトコ
「ううん、別に···」

(おやおや、酔ってるのか?まあ、かわいいからいいんだが···)

少し前まではこんな風にサトコから積極的に身を寄せてくることなどなかった気がする。

(一応俺たちの距離も、少しずつ縮まって来てるってことだな)

難波
ホテルのバーがおしゃれすぎて疲れたか?

笑いながら言うと、サトコはさすがに恥ずかしそうに顔を伏せた。

サトコ
「そうじゃないんですけど···ちょっと、甘えてみました···」

難波
かわいい声出しちゃって···
お眠なら、このまま寝ちゃってもいいんだぞ?

サトコ
「もう、からかわないで下さいよ~」

俺の胸を軽く叩いたサトコの手を、思わずつかむ。

難波
からかってないよ

サトコ
「じゃあ···」

難波
お前が···かわいすぎるから···

視線が絡み合い、俺たちはそのままじっと見つめ合った。
二人の間を流れる空気が、徐々に熱を帯び始める。
俺たちは互いのタイミングを計り合うように、少しぎこちなくキスをした。

(なんだかこの感じ、初めての時みたいだな···)

俺はもう一度キスを落としながら、初めての夜のことを思い出していた······

難波
···なんだよ?
もしかして、もう少し子ども扱いしてた方がよかったか?

サトコ
「そ、それは···」

初めて唇を交わしたあの時、
サトコの身体は硬く、心臓の鼓動がこっちまで伝わってきそうに高鳴っていた。

(···かわいいな、どこまで初心なんだ)
(まさか初めて······いや、それはないか)

でも、そんなことを考えていられたのも束の間だった。
不安と期待が入り混じったサトコの瞳が、か弱げに揺れる。
女にこんなふうに見つめられたのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。

(ちょっと待て、なんだか、こっちまで···)

俺は調子が狂いそうになる自分を鼓舞するように、もう一度キスをした。
さっきよりは、少し強引に。

サトコ
「んんっ」

腕の中で、サトコが甘い吐息を吐き出す。
俺は愛しさのままにサトコを抱き上げ、ベッドへと運んだ。
そして、ジャケットを脱ぎ捨て、サトコの上に静かに覆いかぶさる。

【寝室】

難波
まだ緊張してんのか?

言いながら、俺はそっと小さく上下するサトコの胸に手を置いた。

サトコ
「ちょっと待っ···」

難波
お前は何も考えなくていいから
ただ、いい子で俺の言うことを聞いてろ

サトコ
「···はい」

胸に置いた手を、そのままブラウスの隙間から滑り込ませる。
サトコは一瞬目を瞑った後、まっすぐに俺を見つめ返した。
「あなたのすべてを受け入れます」とでも言わんばかりに。

(なんて綺麗な目をしてるんだ···)

まるで心の奥底まで見通してしまうのではないかと思うほどに、まっすぐで澄んだその瞳。

(こんな無垢なヤツを抱くからには···必ず幸せにしてやらねぇとな)

俺は柄にもなく緊張気味に、一つ一つボタンを外していった。
滑らかな肌が露わになり、素肌と素肌が交じりあう。
いつの間にか、サトコの胸の鼓動が落ち着いていることに気付き、俺は······
今度こそ、情熱のままに、その細い身体を抱きしめた。


【リビング】

難波
サトコ······

あの夜の記憶を辿るように、俺はゆっくりとサトコをソファに押し倒し、指を絡めた。

サトコ
「寝ませんよ、まだ」

難波
俺だって、寝かせるつもりはないぞ。まだ

ニヤリと笑って言いながら、もう一度キスを落とした。
もう何度も同じことをしているはずなのに、
なぜかそのたび、新鮮に感じてしまうサトコとのキス。

(どうしてだろうな···お前のことは、知れば知るほど、もっと知りたくなる···)
(どんどん、好きになる···)

溢れる愛しさに、思わず握った手に力を込めた。

サトコ
「······?」

サトコがあどけない表情で、俺の顔を覗き込む。
その瞳は、あの日にも増して、真っ直ぐで澄み切っていた。

(この小さな手も、この瞳も···大切にしよう。いつまでも、ずっと···)

誓いのキスをその頬に落として。
そっと部屋の明かりを消すと、俺たちは闇の中に身体を沈めていった。

Happy End




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