【教場】
産婦人科を受診した、数日後。
サトコ
「えーと、初年度は加賀班と石神班の二手に分かれて、海と山へ強化合宿に行って···」
「具体的な内容とその成果は···」
講義が終わった教室に残りひとりでパソコンをカタカタと打つ。
表計算ソフトに打ち込んでいるのは、この2年間、学校で行われた演習や講義の内容だ。
(これは絶対に卒業アルバムじゃない···東雲教官が言ったように、本当に “極秘資料” だ···)
(はぁ···それにしてもまさか、産婦人科を受診したのを、東雲教官に知られるなんて)
パソコンに向かいながら、この間の病院でのことを思い返す···
東雲
「まさか、“できちゃった?” 」
満面の笑顔で尋ねてくる東雲教官に、慌てて首を振る。
サトコ
「違います!ちょっとダイエットのしすぎ···」
東雲
「······」
(し、しまった···!)
咄嗟に口をつぐんだけど、もう何もかも遅かった。
すでに東雲教官の笑みは、何か企んでいるような悪いものに変わっている。
東雲
「そう···ダイエットね」
サトコ
「いえ、あ、あの···」
東雲
「それ、兵吾さんに知られちゃまずいんじゃない?」
「自己管理ができてないどころか、ダイエットが原因で病院沙汰なんて」
確かに東雲教官の言うとおりだ。
だから産婦人科を受診したことは、加賀さんには内緒にしておこうと思っていた。
(もし聞かれても、生理不順···って言えば、さすがにそれ以上は聞いてこないだろうし)
(莉子さんはきっと誰にも言わない···と思って、安心してた···!)
サトコ
「し、東雲教官···このことは、どうかご内密に···!」
東雲
「もちろん」
サトコ
「えっ!?」
東雲
「何かを頼むときは、当然、それなりの対価が必要でしょ」
サトコ
「対価···?」
東雲
「そう···わかるよね?」
(それって、もしかして···)
そして、今に至る。
東雲教官に弱みを握られたら時点で、こうなる運命だったのかもしれない。
サトコ
「でも、バレたものは仕方ない···」
「卒業アルバムという名の極秘資料を作ることで、加賀さんに黙っててもらえるなら」
(今はとにかく、無事にこれを作り終えること)
(それに···卒業アルバムの資料用集合写真撮影まで、リバウンドしないようにしなきゃ!)
このときはまだ、平和にそんなことを考えていた···
【裏庭】
翌日。
加賀
「テメェ···いい度胸だな」
サトコ
「ひぃぃぃぃ···」
普段、誰も通らない校舎裏で、加賀さんが私を壁に追い詰める。
逃げようにも顔のすぐ横に加賀さんの腕があり、威圧感が尋常ではない。
(まさか卒業前に、命を落とすことになるなんて···)
(こんなことなら、ダイエットなんてしないで好きなものを思いっきり食べるんだった···)
加賀
「何を言いたいか、わかるな」
サトコ
「は、はい···」
あまりの恐怖に、声が擦れる。
(加賀さんが起こってる理由って言ったら、やっぱり···)
<選択してください>
サトコ
「し、東雲教官のお手伝いをしてるのが···」
加賀
「······」
(舌打ちすらしない···!これは相当怒ってる···!)
恐れおののく私に、さらに加賀さんが顔を近付けた。
サトコ
「こ、この間の病欠ですか···?」
加賀
「誰がそんなこと言った」
サトコ
「いえ···病院なんて行ってる暇があるなら訓練でもしろ、って言われるのかと」
加賀
「ただでさえ使えねぇ奴が、病院も行かずふらふらしてるなんざ論外だ」
サトコ
「じゃ、じゃあ一体···」
加賀
「···主人の言いつけも聞かず、他の男に尻尾振るとはな」
(それってもしかして、東雲教官のこと···?)
サトコ
「け、見当もつきません···」
加賀
「イチから躾し直しだな」
サトコ
「待ってください!もうちょっとヒントを!」
加賀
「···いつから、テメェの主人は歩になった?」
(あ···もしかして、東雲教官の手伝いをしてるから怒ってる···?)
加賀
「理由は」
サトコ
「はい···?」
加賀
「あの餓鬼を、テメェが手伝う理由はなんだって聞いてんだ」
サトコ
「それは···」
(理由を言えば、ダイエットで体調を崩したこともおのずとバレる···)
(うまく誤魔化さないと、どっちにしても未来はない···!)
口を割らない私に、ついに加賀さんは業を煮やしたらしい。
ポケットに手を突っ込んだまま、ダン!と壁に脚をついた。
サトコ
「ぎゃーっ!」
加賀
「今ここで、無理やり口割らせてやろうか」
サトコ
「こ、ここで···無理やり!?」
加賀
「テメェがそれを望むならな」
サトコ
「何をするつもりですか···?」
加賀
「それはテメェ次第だ」
「生きるか死ぬか、選ばせてやる」
(やっぱり、命の危機が···!)
(この状況で、私にできることは···)
加賀さんの脚が緩んだ瞬間、脱兎のごとくその場から逃げ出した。
加賀
「おい···」
サトコ
「す、すみません···!一度引き受けてしまったので、断れないんです···!」
「本当です···!他の理由なんてありませんから!」
言い逃げのような形で、その場から走り去る。
加賀さんは私を追いかけてくることなく黙って見つめていた。
【廊下】
その日から卒業アルバムが完成するまで、加賀さんから逃げる日々が始まった。
(うう···なんでこんなことに)
とぼとぼと歩く私に、千葉さんが心配そうに声をかけてきた。
千葉
「氷川···一昨日くらいからなんか様子が変だけど、何かあった?」
サトコ
「う、うん···ちょっといろいろあって」
千葉
「そういえばこの間、学校休んだだろ?具合悪いのか?」
サトコ
「うーん、悪いわけじゃなんだけど···ちょっと病院に」
千葉
「病院?大丈夫か?」
加賀
「······」
サトコ
「···あ!それじゃ私、卒業アルバムの続きやらなきゃいけないから···!」
千葉さんの背後に加賀さんの気配を感じ、急いで立ち去る。
校舎裏で追い詰められたあの日以来、こうして加賀さんとの接触を避けていた。
(加賀さんに頼まれてた仕事は、なんとかこなしてるけど···)
(でも、加賀さんと話せないのがつらい···触れ合えないのはもっとつらい)
しょんぼりと教場に向かって歩きながら、深くため息をついた。
【教場】
数日後、訓練生たちの資料用集合写真の撮影が終了した。
それと同時に、東雲教官に頼まれていた卒業アルバムという名の極秘資料も完成を迎えた。
(これでやっと、全部終わった···)
(昨日、無事に生理も来たし。そのせいか体調はあまり芳しくないけど···)
(でも、あれからリバウンドもしてないし、写真も倍になってることはない···はず!)
東雲
「お疲れ。よかったね、ギリギリ人間の形を保ったまま撮影できて」
サトコ
「それは、ダイエットする前の私は人間ですらなかったってことですか···」
目の前でピーチネクターを飲む東雲教官が、なんだか恨めしい。
結局、東雲教官はまったく手伝ってくれなかった。
(本当に全部ひとりでやらされるとは···)
(でもこれで今日から、ゆっくり眠れる···)
東雲
「そういえば、兵吾さんがずいぶんとお怒りだったよ」
のんびりと缶を傾けながら、東雲教官が意地悪に笑った。
サトコ
「お、お怒りとは···?」
東雲
「さあ。まるで補佐官を横取りされたみたいな態度だったけど」
「あ、そっか。キミ、あの人の補佐官だったっけ」
サトコ
「······」
(はあ···もう、東雲教官···はあ···)
東雲教官のことだから、きっと加賀さんが怒るのも分かっていたはずだ。
(それでもかまわず、私ひとりにやらせるとか···)
(うちの学校の教官には、鬼か悪魔しかいない···)
(···いや、愚痴ってても仕方ない。今日は早く寝て疲れを取らなきゃ···)
疲労がたまったのか、やや熱っぽいのもあってぐったりと机に突っ伏す。
すると、東雲教官からなんでもないような一言が降ってきた。
東雲
「だから、言っておいたから」
サトコ
「何がですか?」
東雲
「産婦人科のこと」
サトコ
「······」
「···え!?だ、誰に!?」
東雲
「兵吾さんに決まってるでしょ」
思わず、椅子を蹴って立ち上がる。
ピーチネクターを飲み干すと、東雲教官が空いた缶を机に置いた。
東雲
「誤解されたままだと、寝覚めが悪いから。オレの」
サトコ
「それ、東雲教官の問題じゃないですか···!」
東雲
「だってほら、キミが産婦人科を受診したなんて」
「オレだけ知ってるのも、なんかキモチワルイし」
サトコ
「だからって···!い、いつですか!?いつ加賀教官に」
東雲
「今」
サトコ
「今!?」
東雲教官が、私の後ろを指さす。
恐る恐る振り返ると、そこには···
加賀
「······」
サトコ
「か、加賀教官···!」
(ダメだ···終わった···)
(考えてみれば、東雲教官が約束を守ってくれる保証なんて、どこにもなかった···)
つかつかと、加賀さんがこちらに歩いてくる。
思わず肩をすくめてきつく目を閉じた瞬間、優しく腕を引っ張られた。
サトコ
「え···」
加賀
「歩、クズは返してもらうぞ」
東雲
「どうぞ。オレはもう必要ないんで」
加賀
「来い」
サトコ
「か、加賀教官···!これには、深いわけが」
加賀
「黙れ」
ぴしゃりと言われて、黙るしかない。
恨めしい気持ちで東雲教官を振り返ると、楽しそうにひらひらと手を振っていた。
【加賀マンション】
連行されてやってきたのは、なぜか加賀教官の部屋だった。
サトコ
「あの···加賀さん」
加賀
「······」
つかんでいた手を離し、加賀さんが私をベッドに放り出す。
サトコ
「ぎゃっ」
加賀
「寝てろ」
サトコ
「え···」
<選択してください>
サトコ
「お、怒ってないんですか···?」
加賀
「あ゛あ゛?」
サトコ
「···わけないですよね···」
(加賀さんに理由も言わず、東雲教官の手伝いをしたうえ)
(ずっと加賀さんから逃げ回っていたんだから、お怒りじゃないわけがない···)
サトコ
「この状況で急に寝ろと言われても···」
加賀
「うるせぇ」
「いいから、テメェは黙って横になってろ」
サトコ
「はぁ···」
サトコ
「あの···さっきのこと、せめて説明させてください」
加賀
「必要ねぇ」
サトコ
「でも···」
加賀
「いいから、黙って寝てろって言ってんだ」
加賀
「体調、万全じゃねぇんだろ」
サトコ
「え?」
加賀
「ふらふらしやがって···」
「俺が戻ってくるまで、そこ動くんじゃねぇ」
それだけ言い残すと、加賀さんは寝室を出て行った。
よくわからないまま、ベッドに横になる。
(まぁ普段よりは万全じゃないのは確かだけど、そこまで具合悪いわけでは···)
無断で東雲教官の手伝いをしたことは怒っているようだけど、それだけではない気がする。
ぼんやりと天井を眺めていると、加賀さんが戻ってきた。
加賀
「食えるか」
サトコ
「わぁ···」
加賀さんが持ってきたトレイには、お粥やお味噌汁、焼き魚など、身体に優しい食事が乗っていた。
そういえば最近忙しくて、ちゃんとしたご飯を食べていなかった。
サトコ
「嬉しいです···!いただきます」
加賀
「ああ」
早速、お粥をいただく。
弱った身体に、温かい味が染み渡った。
サトコ
「はあ···美味しい···」
加賀
「食えるだけ食え」
サトコ
「はい···!これなら、いくらでも食べれます」
(まさか、加賀さんが料理を···ましてや和食を作ってくれるなんて···)
(···ん?和食?)
(そういえば···なんか全体的に薄味で、身体に優しい感じが···)
東雲
『だから、言っておいたから』
『産婦人科のこと』
ようやく、さっきの東雲教官の言葉を思い出す。
(加賀さん、もしかして私が妊娠してるって勘違いしてるんじゃ···)
(ハッ···だから、身体に優しい和食···!?)
加賀
「他に欲しいもん、ねぇのか」
サトコ
「あ、あの···」
加賀
「···身体、冷やすんじゃねぇぞ」
サトコ
「違うんです!加賀さん、誤解してます···!」
加賀
「何がだ」
サトコ
「わ、私···妊娠なんかしてません!」
加賀
「······」
その瞬間、私たちの間に奇妙な沈黙が落ちた···
to be continued