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星降る夜、君と知らないキスの味 1話



【ベトナム】

プルルルルン!

サトコ
「うーん···」

低いうなり声が、空回りするエンジンの音にかき消された。
私は今、ベトナムのコーヒー畑の真ん中で、動かなくなったジープのお尻を必死に押している。

難波
ダメだな···

車の運転席から、室長が汗を拭きつつ顔をのぞかせた。

サトコ
「もう一回、試してみますか?」

難波
いや、もういいよ。完全にエンストだ。こうなっちまったら何度やっても···

サトコ
「でもここじゃ、いくら待っても誰も来そうにありませんよ」

(ましてや、こんな時間じゃ···)

難波
確かに···

室長はもう何度目かになる電話をレンタカー店にかけて、深いため息をついた。

難波
やっぱり出ねぇか···さすがはベトナム···

私たちは、途方に暮れて辺りを見回した。
周囲に広がるのは、ひたすら闇。
右も左も、見渡す限りのコーヒー畑なのだから当然だ。

難波
ちょっとそこのコンビニで時間潰すかって訳にもいかんしな···

(こんなベトナムの片田舎じゃね···)

サトコ
「どうしましょう···?」

難波
そうだなぁ···まあ、何とかなるだろ

室長はあっけらかんと言うと、シュボッとオイルライターの火を点けた。
闇の中に室長ののんびりとした顔が浮かび上がり、少し心が落ち着く。

難波
なんだ、そんな不安そうな顔して
大丈夫だ。俺がついてるよ

サトコ
「···はい」

室長は私を安心させるように頼もしく微笑むと、路肩に石で囲いを作り、
その中に枯草を積み上げて火を点けた。

難波
とりあえず朝まで待ってもう一度電話しよう
もしかしたら、その前に誰か通りかかるかもしれねぇし

言いながら、室長は焚火の傍らにゴロンと横たわる。

難波
おおっ

サトコ
「ど、どうしました!?」

難波
いいから、サトコもここに寝てみろ

言われるままに室長の隣に横たわった。
目の前に広がったのは、夜空に煌めく満天の星。

サトコ
「わぁ···きれい···!」

難波
だろ?
なんか、久しぶりだよな。こうしてゆっくり夜空を見上げるの

サトコ
「そう言われてみれば、そうですね···」

(このところ、何かと忙しくてロクに空も見上げてなかったな···)

難波
どうだ?さすがにこれは、お前の故郷の長野よりもきれいだろ?

サトコ
「はい、さすがベトナムです」
「とか言いつつ、実はベトナムって、もっと埃っぽいのかと思ってましたけど」

難波
ハノイとかホーチミンはそうかもな。でもここは、リゾートというか、郊外というか

サトコ
「不思議ですね。こんなにも違うなんて。流れてるのはどこも同じ空気なのに」

難波
だな···

昼間は暑いくらいだっただけに、こうして寝転がっていると夜風の涼しさが心地よかった。

(どうなることかと思ったけど、こうしていても虫以外はあんまり気にならないな)
(やっぱり、隣に頼りになる室長がいてくれるから···?)

何となく気持ちが高まって、室長の腕に抱きつこうとした。
その瞬間、その腕が素早く動く。

ブーン······

パチン!

サトコ
「!?」

難波
クソッ、逃がしたか···

(虫?かな···)

サトコ
「虫、結構多いですよね?」

難波
こんなことなら、蚊取り線香を持ってくるんだったな

サトコ
「蚊取り線香って···そんな昭和なもの、まだ売ってるんですか?」

難波
売ってるよ。今時はな、いろんな香りがあったりして、蚊取り線香も確実に進化してるんだ

サトコ
「へえ···」

(そうなんだ。でもあの時はまさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったもんね···)


【商店街】

それは数週間前。
東京の吉祥寺で買い物をしたときの出来事だった。

からからから~ん!

商店街のおじさん
「おめでとうございます!特賞の海外旅行券、当選です!」

サトコ
「ええっ、海外旅行ですか!?」

(信じられない!ハワイ?グアム?それとも、北欧オーロラツアーとか···!?)
(······いや。でもその前に、海外旅行なんて、そんな暇ある?)

考え込んでる内に、大きな目録が差し出された。

サトコ
「ん?『カフェイン好きにはたまらない!ベトナム、コーヒー三昧4泊5日ペアの旅』···?」
「ベトナム···」

南の海や美しいオーロラの妄想が、一瞬で埃っぽい霞んだ街に差し替わる。

(まあ、どこでもいいか···どうせ無理だろうし···)

商店街のおじさん
「これね、私のイチオシ企画なんですよ!おいしいですよ、ベトナムコーヒー」
「どうぞ楽しんできてくださいね」

サトコ
「あ、ありがとうございます···」

苦笑いを浮かべながら、私は複雑な想いでその場を後にした。


【カフェテラス】

鳴子
「ベトナム!?コーヒー!?」

お昼時、カフェテリアに鳴子の声が響き渡り、私は慌てて口元に人差し指を当てた。

サトコ
「しーっ!悲しくなるからあんまり大きな声で言わないでよ」

鳴子
「なんで悲しくなるのよ?」
「ただで海外旅行に行けるっていうのに、悲しむのはちょっとベトナムに失礼だと思うな」

サトコ
「ベトナムだからとかじゃなくて···よくよく考えたらさ、4泊5日なんて無理でしょ」

鳴子
「ああ、そういうこと···確かにね。この際、病欠とかで誤魔化して行っちゃえば?」

サトコ
「無理無理···だいたい、誰と行くのよ?」

鳴子
「サトコは彼がいるじゃない」

サトコ
「彼って···」

その瞬間、タイミングよく室長が通りかかった。
バッチリ目が合ってしまい、慌てふためいた私を室長が不思議そうに見る。

難波

軽く目顔で会釈すると、私は急いで顔をそむけた。

サトコ
「それは、絶対無理だから」

鳴子
「そうなの?」

(だって、相手は室長だよ?)
(私以上に仕事熱心な室長が、旅行のために仕事を休むわけが···)

鳴子
「それじゃ、諦めてご両親にでもあげるんだね」

サトコ
「そうしようかな···あ、でも、弟がいるから···」

鳴子
「最後の手段はネットオークションよ」
「きっと世のコーヒージャンキーたちが嬉々として入札してくるって」

サトコ
「そういうものかな···」

(でもまあ、それが一番現実的なのかなぁ···)



【教官室】

放課後。
教官室を訪ねると、石神教官が一人でデスクに向かっていた。

サトコ
「失礼します」

石神
···なんだ?あいにく今は、俺しかいないが

サトコ
「後藤教官に頼まれたレポートを持ってきただけなので···」

私は後藤教官のデスクにレポートの束を置き、そのまま退出しようとした。

サトコ
「それじゃ、失礼···」

石神
おい、何か落ちたぞ

石神教官が拾い上げてくれたのは、ベトナム行きの航空券だった。

サトコ
「す、すみません!」

慌てて受け取り、ファイルの間にしっかりと差し込む。
そんな私を、石神教官は何か言いたそうにじっと見つめていた。

サトコ
「あの、こ、これは別にですね···講義をサボって行こうとか、そういうのではなくて···」

石神
タンソンニャット空港というのは、ベトナムだな?

サトコ
「はい、よくご存じで」

(あの一瞬の間にそこまで見ていたなんて、さすがは石神教官···!)

石神教官は、何事かを考えるような表情になった。

石神
どうしてお前がそれを持っている?

サトコ
「ええと、それはですね···商店街の福引で当たってしまいまして···」
「でも5日も学校を休めないし、両親にあげると弟の手前、角が立ちそうだし」
「もったいないからネットオークションにでも出してみようかなと···」

石神
なるほど···商店街の福引ということは、当然ペアだな

サトコ
「そうなんです!」

(でも今、ペアがどうかって何か関係ある?)

石神教官の不思議な質問に首を捻っていると、石神教官は心を決めたように言った。

石神
事情はわかった。そういうことなら、俺と行こう

サトコ
「よかったです。お分かり頂けて···って、え?石神教官と?ベトナムに、ですか?」

石神
そうだ。そうと決まれば、早い方がいい

私の手から航空券の入ったファイルを取り上げると、
今にも空港に向かいそうな勢いで石神教官は立ち上がった。

サトコ
「えっと、あの···」

(どうして石神教官が一緒に?しかも、2人で一緒に5日も学校を休むってこと?)

状況に混乱していると、静かにドアが開いた。
人影が現れたかと思うと、
あっという間に石神教官の手から航空券の入ったファイルを取り上げる。

サトコ
「え?」

石神

???
「テメェには荷が重いだろ。俺と行くよな、クズ」

(クズ···ってことは···)

サトコ
「加賀教官?」

恐る恐る振り向くと、加賀教官がニヤリと笑った。

加賀
なぁ?

サトコ
「そ、そう言われましても···」

東雲
ちょっと待って。ここはオレが適任じゃないですか?

後藤
適任というなら俺でしょう。氷川とのコンビネーションは室長も折り紙つきです

サトコ
「み、みなさん···?」

(一体どうなってるの?)

何故だかわからないが、
次々と現れた教官たちが私とのベトナムペア旅行の権利を奪い合っている。

(そこまでベトナム好きだという感じでもないし、何でここまでして···?)

ガチャッ

皆さんの振る舞いに困惑していると、ドアが勢いよく開いた。

難波
おつか···

サトコ
「室長···!」

しかし、言い合いっている皆さんは室長に気付かない。

石神
最初に氷川を誘ったのは俺だ

東雲
男女の間に順番なんて関係ないと思うな。ね、サトコちゃん?

サトコ
「男女の間っていうのはちょっと語弊が···」

加賀
クズに男も女も関係ねぇ

後藤
それを言うなら、俺は性別を超えたサトコのベストパートナーです

難波
おい、お前ら

石神
室長···

加賀・東雲・後藤
「!」

難波
さっきから聞いてれば、何を言い合ってる?

サトコ
「し、室長、これはですね···」

(ちゃんと誤解を解かないと···!ますます騒ぎが大きく···)
(って、結局何でこの人たちは私を取り合ってるんだっけ?)

混乱し、うろたえる私の目の前で、室長は教官たちをゆっくりと見回した。

to be continued

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