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星降る夜、君と知らないキスの味 3話



【ホテル】

難波
出かけるぞ

サトコ
「は、はい!いつもの所ですね」

難波
いや、今日は違う

サトコ
「え···」

ついに事態が動き出した気配に、体中を緊張が駆け抜けた。
でもそんな私の緊張とは裏腹に、室長はんびりと手を差し出す。

サトコ
「?」

難波
ほら、手

サトコ
「あ、はい···」

(こんなふうに部屋を出る時から恋人演出するなんて···)
(もしや、誰かに見張られてるとか?)


【海】

難波
やっぱりきれいだな~

手を繋いでホテルのプライベートビーチまで歩いてきた室長は、
気持ちよさそうに海を眺めて伸びをした。

サトコ
「あの···?」

難波
ん、どうした?

サトコ
「これは任務の一環では···」

難波
ないよ

サトコ
「なんだ、そうなんですか···」

急に緊張がほぐれて、ようやく海の青さが素直に目に飛び込んできた。

サトコ
「うん、しみじみ見ると、本当にきれい!」

難波
おいおい、こんなデカいんだから、しみじみ見なくてもきれいって分かってくれよ···

呆れたように言われて、ちょっと恨めし気に室長を見た。

サトコ
「だって、今日こそは誰かと接触か?とか、思ってたものですから···」
「ついさっきまで緊張してて」

難波
それでさっきから強張った顔してたのか
手もやたら力入れて握ってるし

サトコ
「あっ···」

言われて初めて気が付いて、知らぬ間に力の入っていた手を解いた。
室長は笑いながら、ゴロンと真っ白な砂浜に横になる。

難波
ああ、気持ちいいな~

サトコ
「本当に。でも、いいんですか?室長がこんなことしてて」

隣に横たわりながらちょっと意地悪く言うと、室長は私を見てにやりと笑った。

難波
一応、お前の福引旅行がメインってことになってるから
最後の一日くらいは、な

サトコ
「あ、ありがとうございます···」

(ちゃんとそんなこと、考えてくれたんだ)
(今回はてっきり全工程が任務扱いになるのかと思ってたけど···)

難波
水着とか持ってきてないのか?

サトコ
「み、水着!?そんなもの持ってきてませんよ!」

難波
なんだよ···

室長は面白くなさそうに空に目線を戻す。

サトコ
「ふふっ」

(本気でガッカリしてるみたい···今回は本当に、今まで知らなかった顔をいろいろ見せてくれるな···)

難波
なんだ?

サトコ
「いいえ、なんでも」

笑いながら誤魔化すと、室長はポケットからゴソゴソと煙草を取り出した。

サトコ
「ちょっと待ってください。プライベートビーチは禁煙ですよ」

難波
そうなのか?

サトコ
「ほら、あそこ。ベトナム語は読めないけど、禁煙マークらしきものが」

難波
え~···

室長は心底ガッカリした様子で、名残惜しそうに火のついていない煙草をくわえた。

難波
こういう気持ちのいい場所でこそ、吸いたいもんだがな
スモーカーの気持ちはベトナム人にもわかってもらえないか···

(室長、本当に悲しそうだな···)

ちょっとかわいそうだけれど、そんな室長の様子が何となくおかしくなってしまい、
私は必死に笑みを堪えた。


【コーヒー畑】

海で半日ゆっくりした後は、本場のコーヒーを飲もうと車で乗り出した。
悲劇が起きたのは、その帰り道。

バフンッ!

いつか聞いた覚えのある不審な音が突然鳴り響く。

サトコ
「この音は···」

難波
ん?

徐々にスピードが落ち始め、室長はしきりとアクセルを踏み込んだ。

難波
おいおいおい、どうした、どうした?

やがて車は徐々に動きを失い···

ボンッ!

今度こそ明らかな爆音を立てて、そのまま完全に動かなくなった。

こうして今、私は室長とふたり、ベトナムの空の下で、野宿をしている。

ブーン······パチン!

難波
ダメだな、こりゃ。そうだ···

室長はふと何かを思いついた様子で起き上がった。
そして私の手を引き、立ち上がる。

難波
ちょっと探検しよう

サトコ
「え、探検って···」

(この見渡す限りのコーヒー畑の中を?)

私はちょっと尻込みするが、室長は構わずズンズン畑の中を進んでいく。

サトコ
「あの、これ勝手に入っていいんですか?」
「それにここ、いくら進んでもコーヒー畑のような気がするんですが···」

難波
そうかもしれねぇが、行ってみないとわからないこともあるだろ
コロンブスもきっとこうやって、新大陸を見つけたんだ

(なんだか室長、楽しそう···)

子どもみたいに冒険心いっぱいで向こう見ず。
いつも警戒に警戒を重ね、計算づくで動いている室長とは別人みたいだ。

難波
おい、聞こえないか?

サトコ
「え?」

言われて耳を澄ますと、確かにさっきまでは聞こえなかった音が聞こえている。

サトコ
「本当だ。これ···水が流れる音ですかね?」

難波
行くぞ

私の手を握り直し、室長が歩速を速めた。
すると、突然目の前に白い物が舞い落ちてきて······

サトコ
「わぁ!」

(まさか、雪?)

目の前の葉にゆっくりと降りてきたのは小さな虫。

サトコ
「これ···」

難波
もう出てきやがったか

サトコ
「蛍だ···」

小さな光が、再び空に舞い上がった。

サトコ
「あ···」

その光を追いかけるように目を上げると、そこには無数の光が私たちを出迎えてくれていた。

サトコ
「すごい···!」

難波
行こう



【泉】

畑が途切れた先に広がっていたのは、清らかな音を立てるせせらぎと深い水を湛えた泉。
その光景を闇の中に映し出すように、蛍たちがゆっくりと飛び交っている。

サトコ
「夢みたい···室長、ここにこんな場所があることを知ってて···?」

問いかけながら振り向くと、室長は優しい瞳で私をじっと見つめていた。

難波
······

サトコ
「ありがとうございます。すごく、嬉しいです···」

難波
そりゃよかった。せっかくのベトナムで『トイ・イェウ・エム』への往復だけじゃな

サトコ
「でもおかげで、ベトナム語のアイラブユーを完璧に覚えられました」

難波
確かに···ベトナム語のアイラブユーか···

室長がしっとりとした瞳で私を見る。
何となくいい雰囲気になって、徐々に胸の鼓動が高まり始めた。

難波
サトコ···

サトコ
「わ、わ···」

突然、私の鼻の頭で蛍が光り始めて驚いた。
思わずい歩後ずさった瞬間、足元がズルッと滑ってバランスを崩す。

難波
お、おい!

室長の手が私を抱きしめて···
ドボン!
結局2人で水の中に落ちてしまった。

難波
ぷはっ、サトコ、大丈夫か?

サトコ
「はい、私は大丈夫れす···」

難波
なんだよ、このハプニング···なんかの映画みたいじゃねぇか

サトコ
「すみませ···」

謝ろうとした私の口を、室長の手がそっと塞ぐ。

難波
嬉しいよ。いつもお前の新しい一面が見れて

サトコ
「室長···」

(もしかして私たち、同じことを思ってた···?)

難波
と言いつつ、半分は我が子を見つめてる気分だが···

サトコ
「え、そうなんですか?」

難波
いや、それは少しだよ。ほんの少し
でもそういうのも含めて、俺以外には見せるなよな

サトコ
「え···」

急に真剣な声になった気がして、私は驚いて室長を見た。
その目は熱く私を見下ろしている。

難波
もっと知りたい。俺だけしか知らない、お前の色んな一面を···

サトコ
「室長···」

びしょ濡れの身体を抱き寄せて、室長は優しくキスを落とした。
少し冷えた身体に、室長の体温が沁み込んでくる。
でも室長の唇は熱く私を包み込んだ。

(なんでだろう···キスなんて何度もしてるはずなのに、妙にドキドキする···)

それはこの普段にないシチュエーションのせいか、
はたまた互いの新しい一面を知った後だからか。

(こんなキスもあるんだな···)

見知らぬ土地でびしょ濡れのまま、無数の蛍に祝福されて交わすキス。
まるで地上に降ってきた星に包まれているようで、それはまさに夢のような時間だった。



【学校 廊下】

こうして、あっという間に日常が戻ってきた。

(ベトナム、楽しかったな···今まで知らなかった室長の一面もたくさん見られたし···)
(でも室長のこと、もっと知りたいと思ってしまうのは欲張り···?)

そんなことを思いながら廊下を歩いていると、正面から室長が歩いてきた。
なんだか難しそうな顔でしきりと腰の辺りを掻いている。

サトコ
「お疲れさまです」

難波
おお、お疲れ~

サトコ
「あの、腰、どうかしたんですか?」

難波
それがな···
どうやら、かぶれたらしくて···

サトコ
「かぶれた?って、もしかしてベトナム製の湿布のせいですか?」

難波
たぶん···

サトコ
「す、すみません!そうですよね、室長は肌が荒れやすいのに、海外のものを使うなんて···」

難波
いや、いいんだって。お前の気遣いは嬉しかったし

サトコ
「でも···」

ガックリ落ち込んでいると、教官たちが歩いてきた。

加賀
昨日までベトナムで羽伸ばしてたくせに、なに辛気臭い顔してんだ?

東雲
休暇中のレポート、溜まってるからしっかりね

サトコ
「え、でも今回のベトナム行きは任務では···」

石神
任務で課題が免除されるのは、教官同伴の時のみだ

後藤
室長は残念ながら教官じゃないからな。諦めろ、氷川

サトコ
「そ、そんな···」

東雲
だから、オレにしとけばよかったのにさ

教官たちは口々に言いながら、心なしか溜飲を下げた様子で歩いて行く。

サトコ
「室長···」

難波
ま、そういうことだ
残念ながら、頑張れよ

室長は微笑みながら私の頭にポンと手を置くと、教官たちに続いて行ってしまった。

サトコ
「うーん、現実とはなんとも無常···」

(でも、頑張らないとね。これからも室長の知らない一面を知るために9
(いつの日か、室長のパートナーとして、しっかりと隣に立つことができるように···)

サトコ
「よしっ!」

私は、気合いを入れて駈け出した。
コーヒー畑の往復もエンストも、ビーチも蛍も、
ベトナムで彼と過ごした濃密な時間が、私の活力となってくれるはずだと信じて。

Happy End



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