【マンション】
潜入捜査で入ったマンションの隣室に挨拶に向かう。
インターフォンから男性の声が聞こえ、待っているとドアから姿を見せたのは···
後藤
「お待たせしました」
サトコ
「!」
(ご、後藤さん!?)
呆気にとられながらも、その名が口に出そうになる。
後藤
「なにか···?」
サトコ
「え···あ、その···っ」
私のことを知らない顔で首を傾げる後藤さんに私も言葉を飲み込んだ。
(今は潜入捜査中!後藤さんだって同じはず···)
よもや捜査中の後藤さんとこんなところで会うとは思わず答えに詰まる。
一旦自分を落ち着かせてから、私は努めて平静にお菓子の箱を手渡した。
サトコ
「今日、隣に越してきました合羽(あいば)です。よろしくお願いします」
後藤
「こちらこそ。私も越してきたばかりなんですが、よろしくお願いします」
愛想笑いで頭を下げ、貼り付いた笑みのまま私は後藤さんの部屋の前を後にした。
【部屋】
(携帯!携帯···!)
部屋に戻ってすぐ携帯を手にすると後藤さんの番号にかける。
サトコ
「もしもし!?」
後藤
『ああ、美味そうな饅頭をありがとな』
サトコ
「その黒糖饅頭、私のお気に入りなんです···って、そうじゃなくて!」
「どうして、後藤さんが隣の部屋にいるんですか!?」
後藤
『宗教団体「タディ・カオーラ」の捜査だ。俺は1週間前から、この部屋で張っている』
サトコ
「私も石神教官から命じられてこのマンションに来たんです」
「後藤さんはてっきり入信して潜入しているのかと思ってました」
後藤
『入信しての捜査はすでに1年近く前から潜入してる捜査員が続けている』
サトコ
「1年前···そんなに前から動いてたんですか?」
後藤
『この手の潜入捜査は下準備に時間がかかる。教祖や幹部は警察を警戒してるからな』
サトコ
「後藤さんがマンションで張ってるなら、私が来る必要ってあったんでしょうか?」
後藤
『「タディ・カオーラ」には女の信者も多い』
『俺の報告書から、女の捜査員も必要だという話になったんだ』
サトコ
「それじゃ、後藤さんは私が派遣されるって知ってたんですか?」
後藤
『いや、女の捜査員が来るとは聞いていたが、アンタだと分かったのはついさっきだ』
『おそらく、アンタが学校を出た頃だろう』
『石神さんから電話があって、サトコが行くと言われた』
サトコ
「そうだったんですね···石神教官も隣が後藤さんなら言ってくれればよかったのに···」
後藤
『捜査中に顔見知りに会ったときの訓練も兼ねていたんだろう』
『すぐに態度に出るアンタにしては頑張ったな。まあ60点ってところだ』
(60点···やっぱり微妙な点数···)
サトコ
「次はもっと頑張ります!」
後藤
『ああ。どうやら初めは夫婦という設定で2人での潜入捜査の話も上がってたらしいんだがな』
サトコ
「夫婦で···」
(もし、そうなってたら···このマンションで後藤さんと2人で暮らせたんだ)
(そっちの方がよかったかも···って、違う違う!)
サトコ
「どうして別々の捜査になったんでしょう?」
後藤
『そこまでは俺も聞いてないが···石神さんなりの考えがあってのことだろう』
『夫婦だったら、一緒に退去しなきゃいけないからな』
サトコ
「なるほど···」
後藤
『長期の捜査になるかもしれないが、お互い頑張ろう』
サトコ
「はい!」
後藤
『だが、無理はし過ぎるなよ。何かあったら、俺を頼れ』
『俺はアンタの教官であり相棒であり···恋人なんだからな』
サトコ
「は、はい···あの···」
後藤
『なんだ?』
サトコ
「そんなプレイベートな会話しちゃって大丈夫ですか?」
「この電話、他の教官たちに聞かれてるってことは···」
後藤
『心配するな。公安で新しく使われている携帯は盗聴不可能だ』
『歩あたりが本気になればできるかもしれないが···あいつもそこまでヒマじゃないだろ』
(せっかく久しぶりに後藤さんと話せてるんだし、恋人らしいことを言いたいけど···)
<選択してください>
サトコ
「後藤さんに会えて嬉しかったです」
後藤
『ああ···俺もだ。アンタが来ると分かってても顔を見たら名前を呼びそうになった』
サトコ
「今なら、いくらでも呼べますよ!」
後藤
『そうだな···サトコ』
サトコ
「はい!」
後藤
『はは···元気がいいな』
『サトコの声が聞けて嬉しい』
サトコ
「大好きです···」
後藤
『アンタは···この間のメールといい、どうしてそう可愛いことばかり言うんだ?』
サトコ
「捜査中に不謹慎ですよね···」
後藤
『だが、アンタの声が一番の力になる』
サトコ
「後藤さん···!」
サトコ
「時々···電話してもいいですか?」
後藤
『お互い捜査中じゃないと分かっている時ならな』
サトコ
「はい。電話の前にメールで確認してから電話しますね」
後藤
『ああ。俺もそうする』
後藤
『隣の部屋にアンタがいると思うだけで···なぜかほっとするから不思議だ』
サトコ
「後藤さん···」
後藤さんからのこのひと言だけで胸がぎゅっと甘く締め付けられる。
サトコ
「私も同じです。後藤さんと一緒の捜査でよかった···」
後藤
『とりあえず、今夜はゆっくり休め。何かあれば俺が動く』
サトコ
「ありがとうございます」
後藤さんの優しさに感謝しながら電話を切る。
(隣の部屋にいるのが後藤さんなんて驚いたけど···心強いな)
(私も足手まといにならないように頑張らなくちゃ!)
【カフェテラス】
潜入捜査が始まって数日。
昼間は学校、夜はマンションで教団の動きを探るという忙しい日々が続いていた。
サトコ
「ふあ···」
鳴子
「サトコ、すごく眠そうだけど大丈夫?」
サトコ
「うーん···今はお昼ご飯より寝たいかも···」
昼のシフトは後藤さんが担当してくれていて、夜は交代。
朝方には少し眠れるとはいえ、寝不足が続く。
(学校が終わってから、捜査に入ってシフトが終わったら課題をやって···)
(この程度で根を上げたらダメだと思うのに、眠い···)
鳴子
「30分でいいから、眠ったら?今日天気いいし、あの裏庭で」
「後でお昼のパンでも買って起こしに行くよ」
サトコ
「ありがと、鳴子。それじゃ、お言葉に甘えてそうさせてもらおうかな」
【裏庭】
(後藤さんが裏庭で昼寝してた気持ちが今ならよくわかる···)
温かな日差しの中で横になると、吸い込まれるように眠りに誘われる。
ブサ猫
「みゃー」
サトコ
「ん···」
寄ってきたブサ猫を隣に、私は後藤さんを思いながら仮眠をとった。
【マンション】
お昼に少し眠ったせいか、学校が終わっても今日は比較的元気だった。
サトコ
「洗濯物取り込んだら、久しぶりにご飯作ろうかな」
(後藤さん、隣にいるのかな)
(いるんだったら、おかず作り過ぎちゃったので···とかって差し入れるのは古い···?)
メールで聞いてみようと思いながらベランダに出る。
【ベランダ】
サトコ
「よかった。晴れてたから乾いてる」
干していた洗濯物をカゴに取り込みながら、下着が1枚足りないことに気が付く。
(フロントホックのブラ···確かに干したはずなのに···)
(もしかして···)
サトコ
「泥棒!?」
後藤
「どうかしましたか?」
サトコ
「え!」
ベランダのパーテーション越しに顔を出してきたのは後藤さんだった。
後藤
「今、泥棒···と聞こえた気がしたので」
サトコ
「それが···その···干してた下着が1枚なくなってて···」
「もしかしたら下着ドロボーかなって···」
後藤
「下着ドロボー!?」
サトコ
「こ、声大きいです!」
後藤
「あ···いや···」
「狙われるような心当たりはあるんですか?」
サトコ
「特に、そういうのはないんですけど···」
後藤
「この地区に不審者情報が出ていないか調べた方がいいかもしれない」
口元に手を当て、剣吞な様子でベランダから周囲を見回した後藤さんが私の後ろで目を留めた。
後藤
「···後ろに飛んでるのは違うのか?」
サトコ
「え?」
後藤さんの視線を追って振り返ると、ベランダの手すりに引っかかってヒラヒラと舞う私の下着。
<選択してください>
サトコ
「見ないでください!」
後藤
「悪い···アンタが探しているようだったから···」
サトコ
「い、いえ、見つけてくれてありがとうございます!じゃ、私はこれで!」
サトコ
「こ、コレです!失礼しました!」
後藤
「飛んで行かなくてよかったな」
サトコ
「後藤さんに見られるくらいなら、いっそ飛んで行ってくれた方が···」
後藤
「ん?」
サトコ
「な、なんでもありません!ありがとうございました!」
サトコ
「私の下着はもっと可愛いです!」
後藤
「そうか···」
「じゃあ、それは上の階からでも落ちてきたのか?」
サトコ
「そ、そうかもしれません!取り込んで、あとで聞いてみますね!」
(うう···つまらないウソついちゃった···きっとバレてるよね···)
下着を掴んで部屋に戻る後ろで、後藤さんの苦笑が聞こえた気がした。
【部屋】
サトコ
「あーもう!私のバカ!」
(よりにもよってベージュの下着を見られた!もっと可愛い下着を干しとけばよかったのに!)
(って、あんまり持ってないかも···)
(後藤さん、好きな下着とかあるのかな···って、違う!)
(白いシャツに一番響かないのはベージュなんだから···っ)
真っ赤になった顔をクッションに埋めながら、私は届かぬ言い訳を心の中でしていた。
【エントランス】
洗濯物を取り込んだ後、マンション周辺を散策しがてらスーパーで夕食の材料を買ってきた。
(駅からも遠くないし、近くに商店街やスーパーもあって便利な場所だな)
エントランスに入ると、初めて見る男と顔を合わせる。
サトコ
「こんにちは」
男性
「···コンニチハ」
男性は私をチラッと見ただけで、すぐに視線を逸らし小さな声で返してきた。
(あんまり愛想のいい人じゃないみたい···)
郵便受けを見ながら様子を窺っていると、男性は903号室の郵便受けを見ている。
(903といえば、『タディ・カオーラ』が入ってる部屋···この人は集団の関係者···)
気付かれないように、さりげなく男の容姿を観察する。
(丸メガネが特徴的···歳は30代後半ってとこかな)
男性
「···エレベーター、乗らないんですか?」
サトコ
「あ、乗ります!」
男性より先に降りると、私は部屋に戻ってカレの特徴を手帳にメモした。
【ベランダ】
(今日はマンションの出入りが多いな···集団関係者かな)
先程の男性が気になってベランダからマンションの様子を見ていると、
いつもと様子が違う気がする。
サトコ
「念のため、後藤さんに連絡してみよう」
メールで今電話しても大丈夫か確認すると、すぐに後藤さんから電話がかかってきた。
サトコ
「後藤さん、今どこですか?」
後藤
『マンションの外から様子を見ているところだ。アンタも気になったか?』
サトコ
「はい。いつもより人の出入りが多いですよね?教団関係でしょうか?」
後藤
『ああ、確認したが9階に行く人間ばかりだ。今日は何か動きがあるようだな』
サトコ
「さっき、マンションのエントランスでも気になる人と会ったんです」
私は先程の丸メガネの男について後藤さんに報告する。
サトコ
「その人が来てから、やけにマンションを訪れる人が増えてる気がして···」
後藤
『わかった。監視カメラから、男について調べてみる』
サトコ
「私はこのままベランダで見張りを続けていればいいでしょうか?」
後藤
『そうだな···俺が調べに行っている間、頼む。なにか分かり次第連絡する』
サトコ
「了解です!」
後藤
『風邪ひかないようにな』
サトコ
「はい。後藤さんも気を付けて」
(今日、大きな動きがあるのかな···)
(夕飯を作るのは明日以降になりそう)
買ってきたパンをかじりながらベランダから様子を窺う。
しばらくして、再び後藤さんからの連絡が入った。
サトコ
「はい」
後藤
『俺だ。サトコがエントランスで会ったという男だが···監視カメラから姿は確認できた』
『だが、公安のデータバンクから男の素性を割り出そうとしても、引っかからないんだ』
サトコ
「え···それって、どういうことなんですか?」
後藤
『今の段階では国籍も不明な男ということになる。ここまできたら俺の手には負えない』
『歩に任せておいた。あいつならすぐに割り出すだろう』
サトコ
「わかりました」
後藤
『あとは俺が引き受ける。アンタは休め』
サトコ
「はい」
夜のシフトを後藤さんにお願いすることを申し訳なく思いながらも
明日も学校の私は早めにベッドに入ることにした。
【寮 自室】
その週末は久しぶりのお休みだった。
潜入捜査も代わりの捜査員が入ってくれて、今日は学校の寮でのんびりしている。
(国籍不明の男が確認されてから、動きがあるかと思ったけど特になかったな···)
(事件が起こらないのはいいことなんだけど、捜査は長引くかも)
サトコ
「課題もないし、今日くらいゴロゴロして···って、ダメダメ!」
「勉強頑張らないと···」
と思いつつ···
10時近くなってもベッドの中にいると、後藤さんからメールがあった。
後藤
『今日、休みだったよな?俺も今日はオフなんだが···ちょっと出かけないか?』
(後藤さんとお出かけ!もちろん出かけます!)
お昼過ぎに学校の最寄駅で落ち合う約束をし、私はいそいそと出かける支度を始めた。
【墓地】
サトコ
「ここって···」
後藤
「···夏月の墓だ。今日は月命日なんだ」
後藤さんはお寺で借りた道具で掃除をし、途中で買ったお花を墓前に供える。
(出かけたいって···夏月さんのお墓参りだったんだ···)
デートだと浮かれていた自分が恥ずかしくなる。
後藤
「悪い。せっかくの休みに付き合わせて」
サトコ
「いえ!私も手を合わせたかったので···」
後藤
「今日は改めてアンタをアイツに紹介しておきたかったんだ」
「俺の···恋人として」
サトコ
「後藤さん···」
私を振り返らず、後藤さんは夏月さんのお墓を見つけたまま続けた。
後藤
「またサトコと一緒の捜査が始まったからな。その前に···誓いたかった」
「俺はもう···」
後藤さんは私ではなく夏月さんに語りかけているようだった。
私はその少し後ろで手を合わせる。
(後藤さんのこと守ってください···)
(私も捜査員として、後藤さんの恋人として精一杯頑張りますから···)
後藤
「······」
サトコ
「······」
後藤
「随分熱心な挨拶だな。願い事でもしてるのか?」
サトコ
「え?」
後藤
「アイツは神様じゃないから、願いは叶えてくれないぞ」
サトコ
「あ、そっか!」
後藤
「ハハッ」
「ただ···」
サトコ
「ただ···?」
立ち上がった後藤さんが夏月さんのお墓を見つめ、そして私を見つめる。
後藤
「見守ってはくれるかもしれない」
サトコ
「···はい」
後藤さんの目を見れば、夏月さんがどれだけ大切な存在だったのかがわかる。
だからこそ、後藤さんがここに連れてきてくれたことは大きな意味がある。
サトコ
「後藤さん、私にも···後藤さんを守らせてください!」
後藤
「サトコ···」
勢いづいて大きな声を出してしまったせいか、後藤さんが目を丸くした。
(でも、夏月さんの前でちゃんと伝えておきたい)
サトコ
「まだ頼りない補佐官ですけど···私も刑事です!」
「後藤さんに頼ってもらえる立派な公安刑事になりますから···」
何かあったら分かち合ってほしい···そう伝えたいのだけれど、その先は上手く言葉にならない。
後藤
「ありがとう」
初めて聞くような穏やかな声だった。
後藤さんの指先が優しく頬を滑る。
そのまま髪を梳くようにそっと頭を撫でられた。
後藤
「今日、アンタとここに来られてよかった」
「この寺の周りは散歩にちょうどいいんだ。少し歩いて行かないか?」
サトコ
「はい」
肌に触れる風が心地よくて、2人で空を見上げる。
サトコ
「わあ···綺麗な青空···!」
後藤
「雲1つない···こんな空もあるんだな」
眩しそうに目を細めて後藤さんが私の手を取って歩き出した、その時。
後藤さんの携帯が鳴った。
後藤
「周さんからだ···はい」
(颯馬教官から···何か捜査に進展があったのかな)
後藤
「明朝ですね···わかりました。打ち合わせは今夜、教官室で···はい、はい···」
電話を終えると、後藤さんは小さく息をつく。
後藤
「明日、マンションの教団の部屋に家宅捜索に入ることが決定した」
サトコ
「!」
休日気分だった空気が一気に緊迫するのを感じた。
to be continued