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最愛の敵編 加賀2話



【議員事務所】

サトコ
「萌木芽衣(もえぎめい)です。よろしくお願いします」

潜入のための偽名を名乗ると、温かい拍手が事務所を包み込んだ、
その中には、議員秘書に扮している津軽さんの笑顔もある。

(この政党が受け取っているはずの、闇金の証拠をつかむために)
(江戸川謙造の議員秘書として、潜入か···)

さすがに議員秘書は初めてなので、そういう意味でも緊張してしまう。

(でも、今までいろんなところに潜入してきたんだから···うまくやるしかない)
(というか、偽名だから「もえぎめい」って安直な···!)

先輩秘書
「さて、それじゃ当面の間は後援者の顔と名前を覚えてもらおうかな」
「最低限、この人たちは全員覚えて。かなりお世話になってる大事な人たちだから」

サトコ
「大丈夫です。もう記憶してます」

先輩秘書
「え?」

サトコ
「少しでも、江戸川先生のお役に立とうと思って···勉強しておいたんです」
「後援者の人たちと、先生と懇意にしている方たちの顔と名前は覚えました」

先輩秘書
「へぇ~すごいやる気だね!これは期待の新人かな」

先輩たちが目をみはる中、津軽さんだけが誰にも気づかれないように私に頷いてみせた。
そのとき事務所の扉が開き、先生の施設秘書が顔を出した瞬間、事務所内の空気が変わった。

(え···?)

先輩秘書
「江戸川先生が来られたんだよ」

こっそり、隣の先輩秘書が教えてくれた。
私設秘書に続いて、隠しきれないオーラを放ちながら、ひとりの男性が現れる。

江戸川謙造
「······」

津軽
先生、おはようございます

江戸川謙造
「ああ」

先輩秘書
「おはようございます」

みんなが口々に挨拶をする中、私も立ち上がって頭を下げた。

サトコ
「今日からお世話になります、萌木芽衣です。先生のお役に立てるよう頑張ります」

江戸川謙造
「ああ」

こちらをチラリとも見ようともせず、江戸川謙造は私設秘書と共に奥の部屋へと消えた。

先輩秘書
「気にしなくていいよ。先生はいつもあんな感じだから」
「ずっと昔からいる秘書以外の名前は、ほとんど覚えてないし」
「というより、覚える気はない···っていうほうが正しいかな」

サトコ
「そ、そういうものなんですか?」

津軽
先生くらい大物議員になれば、仕方ないことだよ
秘書より、後援者を覚える方が先だから

(そうなんだ···でも部下の名前を憶えてないと、仕事もやりにくそうだけど···)
(でもまあ、こっちとしては顔も名前も覚えてもらわない方が好都合だよね)

今回の潜入捜査は、事務所の内部から闇金の情報を引き出すことが目的だ。
つまり “その他大勢” になって、目立たなくなる必要がある。

女性秘書
「石川さん、今日は仕事が終わったあと、飲みに行きません?」
「私、週末お休みなんです。石川さんのご予定は?」

津軽
嬉しいお誘いだけど、週末も仕事なんですよね

(津軽さんの偽名は、石川治(いしかわおさむ)···だっけ)
(目立っちゃいけないはずなのに、別の意味で目立ってる気がする···)

女性の相手をする津軽さんから、先生が消えた奥の部屋へと視線を移す。
厳しい雰囲気、人を人とも思っていないような態度は、銀室長を思わせた。

(でも···それだけじゃないような)
(もっと他に似てるように思えたのは···気のせい、かな···?)

それからは、怒濤の日々が続いた。

先輩秘書
「萌木さん、香典持った?」

サトコ
「は、はい!あの、先ほどから回っている故人の方たちは先生とどのような関係で···」

先輩秘書
「ないない関係なんて!」

サトコ
「えっ?」

先輩秘書
「あそこの政党も来るって話だからうちからも出ないと。行くよ、急いで!」

(関係なくてもお葬式でこんなに駆け回るの···!?)

サトコ
「このたびはおめでとうございます。江戸川先生も、喜んでいらっしゃいました」

主催者
「ありがとうございます。ぜひ今後とも、先生とはいいお付き合いを···」

新人政治家
「今日は、江戸川先生は来られないのかな?」

サトコ
「すみません。どうしても抜けられない仕事がありまして」

津軽
かわりに、僕たちが先生方にご挨拶するようにと


【議員事務所】

(···疲れた···)

議員秘書に扮して潜入捜査を始めて、数週間。
あまりの忙しさに、束の間の休憩中に力尽きてしまうこともよくあった。

津軽
大丈夫?昼ご飯食べた?

サトコ
「あ···」

<選択してください>

いつもこんなに忙しいの?

サトコ
「議員秘書って、いつもこんなに忙しいんですか···?」

周りに人がいないことを確かめて、小声で尋ねた。

津軽
そう?忙しい?

サトコ
「忙しくないですか?」

津軽
この仕事は基本、パシリだからね
でも俺たち本来の仕事に比べるとかわいいもんだよ。命の危険もないし

サトコ
「それは確かに···」

挫けそうです

サトコ
「忙しすぎて、挫けそうです···」

津軽
こんなところで挫けてたら、 “俺たちの仕事” は続けていけないよ

“俺たちの仕事” とは、公安刑事のことだろう。

(確かにそうだ···それに、学校ではこれくらい日常茶飯事だったんだから)
(卒業したあと少しのんびりしちゃったから、身体がなまったのかも)

忙しいのには慣れてます

サトコ
「忙しいのには慣れてますから、平気です」

津軽
頼もしいけど、あまり無理しないように
肝心なときに動けなくなったら、ここにいる意味がないから

サトコ
「そうですね···肝に銘じておきます」

サトコ
「そういえば、江戸川先生って···」

口にしかけたところで、他の秘書の人たちが事務所に戻ってきた。

先輩秘書
「あー疲れた。休む間もないよ。ほんと」

女性秘書
「仕方ないでしょ。選挙が近いんだから。後援会にはマメに顔出しておかないと」

サトコ
「選挙···」

津軽
近々、解散総選挙があるんだよ。おそらく、だけど
そのためにも、今から根回ししておかなきゃいけない

サトコ
「なるほど···」

(だからここ数日、事務所の中がピリピリしてるんだ)
(それにしても···)

津軽
後援会長に連絡して、アポとっておきました。あとで行ってきます
そのついでに、この前先輩が言ってたところにも挨拶してきますね

先輩秘書
「さすが石川くん、やることが早いなー。助かるよ」

先輩秘書
「石川さんが来てから、仕事の段取りがつけやすくなりましたよね」

津軽
これも全部、先生の活動に繋がることですから

ソツのない笑みを浮かべて、津軽さんが他の秘書たちと和やかに話している。

(さっきまでのピリピリした雰囲気が、少し消えた気がする···)
(津軽さん、ものすごく手際がいいんだよね。私も見習わなきゃ)

このあとも、政談演説会の手配や街宣車の進行表、先生のスケジュールの把握など、
やることが山積みで、休んでる暇はない。

(まずは先輩たちに信用してもらって、多少勝手に動いても怪しまれないようにしなきゃ)
(それにスケジュールを把握すれば、それだけ江戸川先生の動きも読めてくる)

気合いを入れ直し、仕事に戻った。

【帰り道】

サトコ
「はぁぁ~···」

その日も、重い足を引きずるようにして家への道を歩いていた。
履きやすいものを選んだつもりだったけど、黒いヒールの下はここ数日でマメだらけだ。

(そういえば、今日も忙しくてスマホをチェックしてない···)
(うわぁ、LIDEが溜まってる···お母さんからと、鳴子から···千葉さんから···)

サトコ
「加賀さんからの返信は···」

···無い。

(はあ···ダメだ、ここ最近加賀さん不足···)

サトコ
「最後に加賀さんと甘味を食べに行ったの、いつだっけ···」
「デートしたいなんて、贅沢なこと言わないけど」

わかっていたことだけど、この忙しさで加賀さんとはまったく会えていなかった。
お互いに別の事件を追っているので、当然と言えば当然だ。

(完全にすれ違ってる···たまに公安課ルームで会えるなら、我慢もできるけど)
(たまに会えても、完全無視だし···せめて声だけでも聞きたい···)

サトコ
「···ん?」
「あ···!?しまった!」

無意識のうちに、加賀さんの番号を呼び出して通話ボタンを押してしまっていた。
慌てて切ったけど、すぐに折り返し電話がかかってくる。

サトコ
「も、もしもし···」

加賀
テメェ···何時だと思ってやがる

サトコ
「加賀さん···」

(ああ、このドスのきいた低い声、加賀さんだ···)
(出会ったころは聞くたびに心臓が痛くなるほど怖かったのに、今はこんなに嬉しい···)

加賀
おい、聞いてんのか

サトコ
「すっ、すみません!加賀さんに会いたい病で、手が勝手に···」

加賀
······

(加賀さん、寝てたのかな···こんな深夜に、本当に申し訳ない···)
(でも、少しでも声が聞けたし···これを糧に、明日からまた頑張れるかも)

加賀
メシは

サトコ
「え?」

加賀
外にいるんだろ。メシは食ったのか

サトコ
「いえ、まだ···」

(···そういえば、晩ごはんどころか、ここ最近忙しくてろくにお昼も食べてない)

加賀
どこにいる

サトコ
「えっと···家に帰ってる途中です。駅を降りてすぐの道の」

加賀
なら、今すぐ駅まで戻れ

サトコ
「···はい!」

その言葉の意味に気付き、電話を切るとすぐ、足の痛みも忘れて駅へと取って返した。


【ラーメン屋台】

駅に加賀さんの姿はなく、LIDEに来たメッセージに従って近くの屋台を覗き込む。
そこに、加賀さんの姿があった。

加賀
遅ぇ

サトコ
「すみません···いい匂い!」

加賀
いつから食ってねぇ

サトコ
「朝ご飯を簡単に食べたあと、そういえば何も···忙しくて、それどころじゃなくて」

でも、食事は基本中の基本だ。

(それすらままならないほどテンパってるなんて、自分が情けない···)
(でも、ラーメンの匂いに包まれたら幸せな気持ちになってきた···)

注文すると、すぐにラーメンが出てきた。
両手を合わせて、早速いただく。

サトコ
「美味しい···!」

加賀
テメェが食うのを忘れるのは、珍しいな

サトコ
「とにかく忙しくて忙しくて、食べる時間がないんですよね···」

加賀
だろうな。議員秘書が初日からテメェに務まるとは思えねぇ

サトコ
「······」

ラーメンをすするのをやめて、眉間にシワを寄せる加賀さんの方へ振り向いた。

サトコ
「私、今の会話で秘書だって言っちゃいました···?」

加賀
聞いてもいねぇのにあの野郎が教えに来た

サトコ
「あのやろう?」

尋ねるも、加賀さんはそれ以上説明する気もないらしい。

(うーん···津軽さんかな、東雲教官、黒澤さん···裏をかいて石神教官?)

サトコ
「そういえば、加賀さんも仕事終わりですか?」

加賀
でなきゃ、わざわざここまで来ねぇ

サトコ
「最近、ずっとすれ違ってますよね。私が公安課ルームに行くと加賀さんはいないし」

加賀
······

ラーメンをすする音だけが静かに響く。

サトコ
「加賀さん···」

<選択してください>

会えなくてつらい

サトコ
「···つらいです」

加賀
なら、さっさと刑事辞めろ

サトコ
「そんな···」

加賀
この程度の忙しさなんざ、日常茶飯事だ
それで音を上げるくらいなら、いますぐ辞めちまえ

(仕事が忙しいんじゃなくて、加賀さんに会えないのがつらいんだけどな···)

私のことは気にして

サトコ
「津軽さんはともかく······」

(わ、私のことは気にしてくださいね···って言っても大丈夫なのかな···?)

加賀
······前にも言ったが、仕事中は接触禁止だ
公安課ルームでテメェが話しかけても、シカトする

(うっ···)

どんな事件を追ってるの?

サトコ
「今、どんな事件を追ってるんですか?」

加賀
テメェに言う必要はねぇ
別の班の人間に仕事内容を聞くなんざ、御法度だ。覚えとけ

サトコ
「加賀さんは私の仕事を知ったのに、なんて不公平な···」

すると、加賀さんが私の鼻をぎゅっとつまんできた。

加賀
まだその鬱陶しい態度続けるか?

サトコ
「ふいまへん···」

素直に謝ると、意外とすんなりと手を離してくれた。

(そうだよね、せっかくこうやって誘ってくれたんだし)
(もっと二人の時間を大事にしよう)

サトコ
「そういえば、加賀さんが好きなあの老舗和菓子屋に支店ができたそうですよ」
「支店限定の最中もあるらしいです!」

加賀
支店限定···だと···?

サトコ
「はい。本店よりもさらに柔らかい求肥が入ってるとかで」
「もちろん、本店で売ってる大福も扱ってますよ!」

加賀
テメェ···回しもんか

サトコ
「ふふ···今度の休み、一緒に行きませんか?」

加賀
···仕方ねぇな

(乗った···!さすが加賀さん、柔らかいものには目がない···)
(そういえば今の事務所でも、たまに誰かがお菓子を持って来てくれるよね)

新人としては、たまに差し入れしたほうがいいかもしれない。
明日のことを考えながらラーメンをすすると、落ちてきた髪が頬にかかった。

加賀
······

それに気付いた加賀さんが、髪を耳にかけてくれる。

サトコ
「あ···ありがとうございます」

加賀
······

突然ぐしゃっと、髪を掴まれた。

サトコ
「ぎゃっ!?」
「あ、危うくラーメンに顔面から突っ込むところでしたよ···!?」

加賀
···チッ

サトコ
「その舌打ちは、私がラーメンまみれにならなかったことに対する···?」

加賀
バカか
···くだらねぇな

サトコ
「はぁ···」

(よくわからないけど、ご機嫌ナナメになった···?)
(そういえば津軽班に配属になった初日にも、似たようなことがあったっけ)

結局加賀さんのご機嫌ナナメの理由は今日も分からず、温かいラーメンをすすり続けた。


【議員事務所】

江戸川謙造
「この大福を用意したのは誰だ」

翌日、低くドスのきいた声が事務所に響き渡った。
江戸川先生が手に持っているのは、私が今朝用意した大福だ。

(あれは···加賀さんがお気に入りの、あのお店の本店から買った高級大福···)
(な、なんで···?江戸川謙造ともなれば、あの程度の大福では満足しないと···?)

先輩秘書
「萌木さん···理由は分からないけど、早く自首したほうがいいよ」

サトコ
「自首!?」

女性秘書
「あの大福、美味しかったけど···先生、お気に召さなかったのかしら」

(そりゃ美味しいはずですよ···だってあの大福マスター加賀さんのお墨付きなんですから!)
(でもダメだ···私、江戸川謙造に社会的に抹殺される···)

震える手をそっと動かして挙手すると、先生がその鋭い目で私を射抜いた。

江戸川謙造
「お前が···?」

サトコ
「は、はい!あの、何かご不満が···!?」

(お願い、どうかクビだけは···いや、命だけは···!)

江戸川謙造
「少しは、マシな味覚を持った奴がいるようだな」

サトコ
「···え?」

江戸川謙造
「今後、私に差し入れる甘味はお前が選べ」

それだけ言うと、先生は私設秘書とともに事務所を出ていった。
残された私に、全員が驚きの視線を向ける。

先輩秘書
「萌木さん、すごいよ!あの先生が、あそこまで仰るなんて」

女性秘書
「先生、甘味には目がないの。専属のおやつ係なんて、前代未聞だわ」

サトコ
「お、おやつ係···?それは、喜んでいいんですかね···?」

戸惑う私と目が合うと、津軽さんが親指を立てて笑顔を見せた。

サトコ
「ええ···?」

沸き立つ事務所の中で、私ひとり事態について行けないのだった···

to be continued



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