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カレ目線 黒澤2話

桜並木が、葉桜で青々としはじめたある日のこと。

サトコ
「···来ました。ターゲットの女性です」

黒澤
では、あとをつけましょう

黒澤
行き先の見当はついていますか?

サトコ
「ええと···」
「地下鉄の駅に向かってると思います」
「ここからS区に行くには、地下鉄に乗らないといけないので」

黒澤
なるほど、半分正解です

サトコ
「半分?」

オレの解説を聞きながらも、彼女は尾行相手から視線を外そうとしない。
というか、がっつり見すぎなんだけど、それについてはあとで注意するとしよう。
今は、訓練中なのだから。

(でも、なかなかエグいよなぁ)
(「訓練」と称して、捜査を手伝わせるなんて)



そう、昨日の夜ーー

黒澤
特別訓練?

石神
ああ。お前には、もちろん氷川と組んでもらう
訓練内容は、こちらが指定したターゲットの追跡
ターゲットの資料はコレだ

黒澤
はーい···
·········
えっ、これって···

石神
······

黒澤
この女、例のセミナーの受講生ですよね?
いいんですか?訓練生に尾行させて

石神
構わん、教官も同行しての訓練だ。それより···
お前と氷川を組ませる理由は、わかるな?

黒澤
···はーい

(あららー、これは···)

(石神さんは、ほぼ結論を出しているんだろうな)

おそらく、彼女への「退学勧告」はほぼ決まっている。
それでも、この訓練で最後のチャンスを与えたのだろう。

(このターゲット···かなり「黒」に近いもんなー)

ちなみに、彼女の容疑は違法薬物の売買。
売上金は、セミナーの大元である宗教団体の資金になっている。

(そのことに、自力でたどり着けば、かなり評価されるだろうけど···)

おそらく、そこまでは期待されていない。
となると「重要な報告」をいくつ挙げられるかが、ポイントとなるはずだ。

(まぁ、最低クリアラインは「尾行を最後まで遂行する」だけど···)
(さすがに、それくらいはできるだろうしなぁ)

ところが、その「さすがに」が揺るがされた。
尾行途中で、まさかの事故が起きたのだ。

(あー、やったなぁ、これ···)

倒れてきた鉄柱を食らった瞬間、鈍い音がした。
おそらく、どこかの骨が折れたのだろう。

(マズいなー)
(あーでも、これで「あの病院」に潜入できるかも···)

ノロノロと顔を上げると、スマホを操作しようとしている彼女が目に入った。
もしかして、救急車を呼ぼうとしているのだろうか。

(いや、それより···)

黒澤
待って···

サトコ
「···っ、黒澤さん!」
「大丈夫ですか!?痛いところは···」

黒澤
ハハ···平気ですよ···
それよりサトコさん···ターゲットの追跡を···

今、ターゲットを追いかければ、おそらく「大きな報告」ができる。
オレのケガは、命に関わるものじゃない。
だったら、ここは追跡を続けるべきだ。
なのに···

サトコ
「今、救急車を呼びますから」
「それまで、寄り掛かってラクにしていてください」

黒澤
···っ

(だから、それだと訓練の成果が···っ)

指摘しようとしてーーできなかった。
彼女の目は「絶対に譲らない」と語っていたから。

(···まいったな)

喉の奥が、苦しくなる。
その不快さの正体がわからないまま、オレは緩く首を振った。

黒澤
救急車はやめてください
代わりに、石神さんに連絡を

サトコ
「······わかりました」

結局、オレは彼女の真っ直ぐなまなざしに負けたーーー
のかもしれないし、単に足が痛くて考えるのを放棄したのかもしれない。
細い方に寄り掛かりながら、息をつく。
右手を強く握られたのは、果たしてオレの気のせいだろうか。

「ケガの功名」とでもいうべきか。
運よく、オレは前から目をつけていた病院に入院することができた。

看護師
「黒澤さーん、夕食ですよ」

黒澤
うわぁ、おいしそうですね。ありがとうございます

(建物は綺麗、病院食もなかなかうまい)

入院患者にとっては、悪くない環境だ。
ここで「連続不審死」が起きていなければ、の話だけれど。

(いちばん怪しかった平名織江は、すでに退職済み)
(でも、もうひとりの「監視対象者」···首藤ナミカはまだ在職中)

さらに、ここには「協力者」である森沼ちえこもいる。
直近の潜入先候補ナンバー1であったから、まさに今回のことは「渡りに船」だ。

(あとは、どうやって病院の内情を調べるかだよなぁ)
(自分で動くのは難しいから、スタッフと仲良くなるか)
(不審死の詳細も探りたいし)

コンコン、とノック音が響いた。

黒澤
どうぞ

颯馬
おや、思っていたより元気そうですね

周介さんの手には、お見舞い品らしいケーキの箱とカメラがあった。

颯馬
これがないと、貴方は落ち着かないでしょう?

黒澤
ありがとうございます!さっすが周介さん!

いつも持ち歩いているデジタルカメラ。
GPS他、いろいろな機能が付いた便利なものだ。

颯馬
···それで?何かほかに欲しいものはありますか?

黒澤
そうですね···ICレコーダーがあるとありがたいです
スマホで録音していると、バッテリーが持たないんで

颯馬
わかりました。後藤に伝えておきましょう
他には?

黒澤
『欲しいもの』じゃないんですけど、調べてほしいことがあって···

オレは、自分がケガした時の状況を詳しく説明した。

颯馬
···つまり、ターゲットを見失った周辺を探ってほしいと?

黒澤
はい。あの一帯って、どう見ても倉庫街でしたし
それなのに『保険営業』って、おかしいと思うんですよね

オレの意見に、周介さんは「そうですね」とうなずいた。

颯馬
わかりました。その件についてはこちらで調べましょう

黒澤
お願いします。なんならサトコさんも同行で···

颯馬
いえ、彼女は必要ありません

周介さんの答えは、容赦なかった。

颯馬
情報は、今聞いた話だけで十分ですし
『経験を積ませる』ということなら別の訓練生を同行させます
それこそ、確実に公安刑事になれる者に

黒澤
······

それでも、サトコさんは頑張っていた。
自分がどういう状況にあるのか知らないせいもあるだろうけど。

サトコ
「黒澤さん、聞いてください!」
「この間、教えてもらった撮影方法、訓練でうまくできたんです!」

黒澤
本当ですか?

サトコ
「はい!それで、昨日初めて教官に褒めてもらえて···」

見舞いに来るたびに、彼女はキラキラとした笑顔を見せる。
初めて、この病室を訪れた時とは大違いだ。

(あのときは、ただただ泣き出しそうな顔をしていたのに···)

喉のあたりが、ぐうっと重たくなる。
この不快さは、少し前ーーケガをした時にも抱いたものだ。

(あ、ちょっとマズいかも···この感じ···)

ちらちらと見え隠れする、薄暗い感情。
あまりきれいとは言えない、この気持ち。

(たぶん、こういうタイプ···オレは···)

サトコ
「黒澤さんのおかげです」

黒澤
えっ

サトコ
「最近ちょっとずつですけど褒められる機会も増えて」
「それって、黒澤さんがいろいろ教えてくれるからだなぁって」

また、喉の奥がグッと苦しくなる。
けれども、それを表に出すわけにはいかない。

黒澤
そんなー
オレ、何もしてませんよ?

サトコ
「そんなことありません!」
「私にいろいろ教えてくれてるじゃないですか!」

(それは、石神さんに頼まれたからですよ)
(あなたのことを報告するように、って)

そのことを知ったら、彼女はどう思うだろう。
オレのことを恨むだろうか。

(···ああ、いいな)
(そのほうが、よっぽど気が楽だ)

ようやく、この重たい気持ちの正体が分かった。

(そういえばオレ、苦手だったわー)
(こういう、素直でキラキラしたタイプ)



だからこそ、驚いた。

サトコ
「私、辞めるんです···」
「退学するんです。公安学校···」
「今までありがとうございました」

小さく頭を下げて去ろうとした彼女を、つい呼び止めてしまった自分に。

黒澤
いいんですか、それで

サトコ
「!」

黒澤
本当に辞めたいんですか、サトコさんは

ああ、何を言っているんだろう、オレ。
この子のこと、苦手だったはずだよね?
なのに···

黒澤
オレ、知ってますよ
アナタが頑張っていたこと
たくさん迷って、たくさんぶつかりながら···
それでも自分なりに前に進もうとしていたこと
だから···
辞めるの、やめませんか?

頭ではわかっている。
これは直属の上司に逆らう行為だし、そもそもオレのキャラじゃない。
それでも、歯を食いしばっていた彼女が、堪え切れずに泣きだしたときーー
心のどこかでホッとしている自分がいた。
理由は、自分でもよくわからなかったけれど。

結局、彼女は「条件付き」で退校を逃れた。

サトコ
「これも、黒澤さんが力を貸してくれたおかげです」
「ありがとうございました」

(いえいえ、どういたしまして)
(アドバイスした甲斐がありましたよ)

黒澤
お役に立てたようで何よりです

これは、本当に心からの言葉。
だって、この時は思ってもみなかったから。
まさか、彼女が捜査に割り込んでくるなんて。



それは、とある土曜日のこと。

黒澤
···サトコさんが『職員専用出入口』に?

森沼ちえこ
「はい。朝からずっとウロウロしていて···」
「最初は、いつものように黒澤さんのお見舞いかと思ったんですけど」

黒澤
いえ、こっちには来てないです

(ということは···?)

心当たりがないわけではなかった。
彼女が、とあるセミナーに潜入したばかりの頃···

サトコ
『参加者の中に、ひとり気になる人がいるんですよね』
『うまく言えないんですけど、『首藤ナミカ』って人···』
『どこかで会ってる気がするんです』
『しかも、わりと最近のような気が···』

さらに、少し前にも···

サトコ
『「首藤ナミカ」です!この病院にいたんです!』
『ずっと「どこかで会った気がする」って思ってたんですけど···』
『さっき、ばったり会ったんです!』
『彼女、この病院の看護師だったんです!』

オレとしてはその都度、誤魔化してきたつもりだった。
訓練生の好奇心で、自分の仕事をかき回されたくなかったからだ。

(それなのに···)
(なんで余計なことするかな)

忌々しさに舌打ちしたくなる。
彼女がやる気をみなぎらせていることが容易に想像できるからこそ、余計に。

森沼ちえこ
「どうしましょう。放っておいても大丈夫でしょうか」

黒澤
そうですね···

あとから思えば、ここでもっと冷静な判断をするべきだった。
いくら「協力者」とはいえ、森沼ちえこは、ただの素人。
一方、サトコさんは「公安刑事」としての訓練を受けた警察官だ。
それなのに···

黒澤
彼女が誰を待ち伏せしているのか、探ってもらえませんか?
できる範囲で構いませんので

森沼ちえこ
「わかりました。任せてください」

これぞ、まさにオレ最大のミス。
石神さんに知られたら、きっと拳骨だけじゃ済まされない。

結果、事態はますますおかしなことになって···

サトコ
「受付の彼女···森沼さんからすべて聞きました」
「黒澤さんの指示で、私を尾行していたって」

黒澤
······

サトコ
「彼女、黒澤さんの『協力者』だったんですね」

黒澤
···残念。そこまで喋っちゃいましたか
オレの協力者育成も、まだまだ甘いですねー

とぼけるつもりで、笑顔で対応した。
けれども、心の中では舌打ちしっぱなしだ。

サトコ
「お願いします」
「黒澤さんの力になりたいんです」

(いやいや、そういうのいらないから)

サトコ
「黒澤さんには、これまでいっぱい助けてもらいました」
「たくさん、励まされてきました」

(なりゆきですよ、そんなの)
(あなたを探るために、そばにいただけですし)

サトコ
「だから恩返しがしたいんです」
「どんな形でも、少しだけでもいいから···」

(そうだ···こういう人だ、彼女は)

前にも、同じようなことがあった。
あれは、オレが入院したばかりの頃。
落ち込んでいる彼女を、ほんの少し励ましたら···

ーー『私、黒澤さんのことが好きです』
ーー『人として、刑事として、尊敬しています!』

(···なんで言えちゃうかなぁ、あんなこと)

理解できない。
人なんて、簡単に信じるものじゃない。

(それとも、裏切られたことがないとか?)

ああ、あり得そうだ。
だから、こんなまっすぐな目をしているんだ。

(こういう人が裏切られたら···)
(どんな顔をするんだろうなー)

で、そのあとーー
オレは、彼女を組み敷いた。
ついでに、セクハラまがいのこともした。
からかい半分。
あとは「嫌がらせ」的な気持ちと、それから···
それから、なんだったんだろう、アレはーー



東雲
···で、その結果、妙な罪悪感が芽生えて
『手伝わせろ』っていうサトコちゃんの申し出を受けたってわけ

黒澤
まぁ、そんなところですかね

東雲
······

黒澤
あっ、押し倒したことは、ここだけのヒミツにしてくださいね?
歩さんにしか言ってませんから

東雲
うるさい。わかってる

歩さんは気怠そうにすぐそばの柵によりかかった。

東雲
ま、でも結果としては良かったじゃん
例の宗教団体の幹部と売人の接触現場を撮ってきたわけだから

黒澤
ですよね。オレも驚きましたよ
単に、首藤ナミカを尾行させただけなのに

裏で、受講生に薬物売買を手伝わせている「自己啓発セミナー」
都内の病院で起きている「連続不審死事件」
これらを探っていけば、ある宗教団体にたどり着く。

(宗教法人「終末の泉」···)
(父さんが最後に追っていた、公安監視対象組織···)

そこの幹部と薬物の売人が話し込んでいるところを、彼女は写真に収めたのだ。
偶然とはいえ、大金星といえるだろう。

東雲
よかったじゃん

黒澤
ですね。あの宗教団体と薬物売買がつながったわけですし

東雲
そうじゃなくて
サトコちゃん。これで退校にならないかもね

(······え)

東雲
なに、違うの?噂になってたけど
彼女が退校を免れたのは、透が手を貸したからだって

黒澤
······まぁ······

曖昧に笑った。
それしかできなかった。
今の気持ちをどう表せばいいのか、自分でもよくわからなかったら。

ーー彼女が面会時間ギリギリにやってきたのは、その翌々日のことだった。

to be continued

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