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#彼が野生動物だった件 東雲2話

【公安課ルーム】

ゼリー飲料の差し入れの日から、数日が経過した。

津軽
サトコちゃーん、ちょっといい?

津軽さんに手招きされて、私はすぐに席に向かった。

津軽
俺、これからちょっと出かけるけど
今日はこのまま直帰する予定だから
君も、いつもどおり定時であがってね

サトコ
「わかりました」

津軽
それじゃ、モモ、行こうか

百瀬
「······」

津軽
じゃ、あとはよろしくねー

サトコ
「おつかれさまです」

(···よし!)
(ついに来たよ、この日が)
(今日こそは、絶対に『ミッション』を成功させるんだから!)
(そのためにも、まずは···)

石神
颯馬、もう終わりそうか?

颯馬
ええ、あとはPCの電源を落とすだけです

石神
そうか。だったらそこまで···
···うん?

サトコ
「······」

石神
めずらしいな。残業か?

サトコ
「はい。どうしても今日中に仕上げたい提出物があって」

石神
そうか。では、フロアの消灯を任せても構わないか?

サトコ
「もちろんです!」

颯馬
お待たせしました
···おや、めずらしいですね。貴女が居残りだなんて
津軽さんは、貴方のことを『清掃要員』としか見てないと思っていたのですが

(うっ、鋭い···)

サトコ
「そ、そんなことはないですよ?」
「こうして仕事も任せてもらっていますし」

颯馬
そうですか。それはよかった
では、お先に

石神
消灯を忘れないように

サトコ
「はい、お疲れさまです」

(···これで、フロアは私ひとりきり)
(ということは···)

サトコ
「チャンス到来」

私は、すぐさま津軽さんの席に移動した。

(まずは電源を入れて···)
(PWは···ここ数日で確認したとおり···)

サトコ
「『maine–maine–』···よし!」

リターンキーを叩くと、通常画面に切り替わった。

(ここまでは順調)
(次は、該当ファイルを探さないと)

手がかりは、決して多くない。
だからといって、操作ログを全て調べようとしたら時間がかかりすぎる。

(まずは期間を絞り込まないと)
(そこから···該当しそうなログをピックアップして···)

サトコ
「あ···!」

(ファイル名『Zoo』···作成日は···)
(動物園に行った日の翌日!)

すぐに中身を確認しようと、該当フォルダを選択する。
ところが···

(えっ、ホーム画面に戻った!?)
(なんで?私、そんな操作していないのに···)

サトコ
「!」

(もしかして、外部から邪魔されている?)
(だったら試しに···別の画像フォルダーを···)

サトコ
「開けた!」
「中のファイルも···念のため···」

コマンドを実行すると、画面いっぱいに写真が表示された。

(こ、これは···目を擦ってる百瀬さん!?)
(なんで、こんな写真を津軽さんが所持して···)

サトコ
「って、驚いてる場合じゃないってば!」

(他のフォルダは、問題なく開ける)
(じゃあ、例の「Zoo」フォルダは···?)

サトコ
「···っ」

(ダメだ、開けない)
(やっぱり「誰か」が外部から邪魔しているんだ)

しかも、その「誰か」で思い上がる人物はひとりしかいない。

(そう···津軽さんしか···)

サトコ
「···お、落ち着け」
「まずは落ち着こう、私」

(ネットへの接続を解除すれば、遠隔操作はできなくなるはず)

ひとまずオフラインにして、私は再び該当フォルダを開こうとした。
ところがだ。

サトコ
「えっ、また邪魔された!?」

(おかしいよ、こんなの)
(ネットに繋いでいないのに、遠隔操作されるなんて···)

サトコ
「!!そういえば···」

(最近、噂になっていたよね)
(オフラインでも遠隔操作できるシステムが開発された、って)
(まさか、アレを使って···?)

だとしたら、やはりやり合うしかない。

(とりあえず何度もアタックしてみる?)
(それで向こうの隙を誘うとか?)
(でも、延々とただの我慢比べになる可能性も···)

サトコ
「!!」

(誰か来た!?)
(マズイ!いったん自分の席に戻らないと···!)
(ああ、でも、PCの電源点けっぱなし···!)

焦る私を待つことなく、一番近くのドアが開いた。

(え···)
(うそ···っ)

サトコ
「歩さ···っ」
「じゃなくて、東雲教官···っ」

東雲
教官じゃない

サトコ
「す、すみません、しの···ええと···」
「東雲警部補」

東雲
いつもどおりでいい
誰もいないんだし

歩さんは、何の迷いもなく、津軽さんの席の前に立った。

東雲
成果は?

サトコ
「!」

東雲
···なに?
『例の件』のために残業してるんじゃないの?

サトコ
「してます!してますけど···」
「どうしてバレて···」

東雲
残業してるから
あり得ないじゃん。今のキミが残業とか
津軽班に入ってから、ほぼ定時上がりなのに

(うっ、歩さんにもバレてた···)

東雲
で、現状は?

サトコ
「あやしいフォルダを見つけました」
「でも、開こうとすると邪魔が入って···」
「こんなふうに」

何度か、歩さんの前で試してみる。
けれども、やっぱりフォルダを開くことはできなかった。

東雲
なるほどね。だったら···
嫌がらせをすれば?

サトコ
「嫌がらせ?」

東雲
『邪魔者』が困る作業を、あえてやる
たとえば、他の『見られたくないファイル』を開くとか

(そっか!そうすれば向こうはその処理にも手を取られるんだ)

そこから新たな攻防戦が始まった。

サトコ
「あっ、歩さん、いけそう···」
「あああっ」

東雲
切り替えが遅い
もっと早く!

サトコ
「はいっ」

(あと少し···あと少しなんだ!)
(私の操作が···あとちょっとだけ早ければ···)

そうしたやり取りが、かなり時間続いた後···

サトコ
「痛っ···」

東雲
なに?

サトコ
「だ、大丈夫、ちょっと腕がつっただけです」
「これくらい平気···」
「ぃぃぃいいいっ」

東雲
···痛がってるじゃん

サトコ
「それは、歩さんがいきなり腕を押すから···っ」

涙目の私をサクッと無視して、歩さんはポケットからUSBメモリを取り出した。

東雲
退いて

サトコ
「えっ」

東雲
最後の手段
これで、向こうの動きを完全に止める

サトコ
「できるんですか?そんなこと···」

東雲
できる
罠に引っかかれば

歩さんは、メモリの中からファイルをひとつコピーした。

(なんのファイルだろう···)
(って、あ···っ)

東雲
見なよ···早速ファイルにアクセスしてきた
へぇ···さすがに職場のPCでは開かないんだ···
ま、想定内だけど

歩さんが仕込んだファイルを、「誰か」が外部に転送している。
おそらく、自分のPCで開くためなのだろう。

東雲
来るよ···そろそろ···
···ほら

上部ウィンドウに出ていたアイコンが、ひとつ消えた。

東雲
引っかかった
交代

サトコ
「えっ」

東雲
早く!
向こうが、こっちにアクセスできないうちに

サトコ
「は、はい!」

急いで席を交代して、あやしいファイルを選択した。

サトコ
「···っ、開けました!」

東雲
中身を確認して
それと···

サトコ
「わかってます!」

(確認後、ファイル削除···)
(それも復元できないようにして···)

東雲
それで終わり?

サトコ
「いえ!」

(あとはログ確認だ)
(写真データが、外部に持ち出されていないか確かめないと)

汗でベタベタする手で、私は残りの作業を進める。
作業のやり方はひととおり教わっていたが、こんな形で行うのは初めてだ。

(よし···データが外部に持ち出された形跡はない!)

サトコ
「問題ありません、教官!」

東雲
だったら、クローズ···

サトコ
「えっ···」

教官が、私の背中にもたれかかってきた。

サトコ
「教官!?どうしたんですか、教官!」

東雲
······

サトコ
「教官!」

東雲
だから、教官じゃ···
ない···

ぐったりしている歩さんを、私は慌てて抱え直した。

(なに、これ···)
(めちゃくちゃ熱あるんですけど!!)

【東雲マンション】

お粥の用意をしながら、私は今日何度目になるかわからないため息をついた。

(全然気付かなかったよ)
(まさか具合が悪かっただなんて)

けれども、振り返ってみれば思い上がる節がないわけではない。

(数日前、エントランスまで来たとき···)

サトコ
『今日、会うことは···』

東雲
······

サトコ
『私、今エントランスにいて···』
『チラッと···5分だけでも会ってお喋りすることは···』

東雲
無理

(もしかして、あのときすでに具合が悪かったのかな)
(だったら頼ってくれれば···)

サトコ
「ってわけにはいかないか」

「しばらく距離を置きたい」と伝えたのは私だ。
歩さんの性格を思えば、私に頼ることはできないだろう。

(なのに、助けには来てくれるんだもん)
(ズルいなぁ、歩さんって)

ドアを開けると、布団からはみ出ていた肩が少しだけ揺れた。
どうやら眠っていなかったようだ。

サトコ
「お粥、できましたけど」

東雲
······

サトコ
「食べますよね?」
「薬も飲まなきゃいけないですし」

ベッドに近づくと、歩さんはのろのろと身体を起こした。

東雲
なんのお粥?

サトコ
「梅粥です」
「あ、せっかくだから『あーん』とかしちゃいます?」

(なーんて···)

東雲
······

(えっ、いいの?)

東雲
·········なに

サトコ
「い、いえ、その···」

(だったら気が変わらないうちに···)

私は、お粥をすくったレンゲを、歩さんの口元に運んだ。

サトコ
「じゃあ、『あーん』···」

東雲
······

(···食べた!)
(本当に食べちゃった!)

東雲
······

(なんだか、気まぐれなネコを手懐けてしまった気分···)

東雲
···貸して
あとは自分で食べる

サトコ
「は、はい、どうぞ!」

熱っぽい手にレンゲを握らせる。
歩さんは、いつもよりゆっくりしたペースでお粥を食べ始めた。

(おいしい、って思ってくれてるかな)
(···さすがにそんな余裕はないか)
(熱で、ぼんやりしてるっぽいし···)

東雲
ねぇ、知ってる?

(···うん?)

東雲
イイらしいよ、すごく···
風邪をひいたときにヤルの···

(·········えっ?)

信じられない言葉を聞いた気がして、私は歩さんを凝視してしまった。

(い···『イイ』って何が?)
(今、なんの話をして···)

東雲
···っ
ごめん、忘れて
頭働いてない、今···

サトコ
「は、はぁ···」

(確かに、そんな感じはするけど···)

東雲
サイアク···
ほんと、サイアク···

(なにも、そこまで言わなくても···)

サトコ
「···あの···」

東雲
シないから
そんな体力ないし

サトコ
「わ、わかってますよ、それくらい!」

(そうじゃなくて···)

サトコ
「ありがとうございます」
「こんなに体調が悪いのに、フォローしに来てくれて」

東雲
······

サトコ
「それと、この間の『ゼリー飲料』も」
「あのとき···本当はすでに具合が悪かったですよね?」

東雲
······

サトコ
「それなのに、わざわざ家まで届けに来てくれて···」
「ありがとうございます。あれ、すごく元気が出ました」

東雲
···べつに
空気を吸いたくなっただけ

(空気?)

東雲
キミの、いる場所の···

サトコ
「!!」

(今、なんて···)

東雲
言ってたじゃん、キミ···
たまにオレの家の周辺の空気を吸いたくなる···って
オレが···出張とかでいないときに···

サトコ
「言いました!言いましたけど···」

(まさか、歩さんがそんなことをするなんて···)

東雲
···ごめん、今のも忘れて

サトコ
「······」

東雲
ほんと無理···今日、頭回ってない···

歩さんの目が、心なしか潤んで見える。
それが熱のせいなのか、他にも理由があるのか、私にはいまいちわからない。
ただ、そんな彼を見ていたら、なんだかたまらなくなって···

サトコ
「ハグ、してもいいですか?」

東雲
ダメ、うつる···

サトコ
「うつりません!」
「だから、ハグさせてください」

東雲
······

サトコ
「10秒···」
「いえ、5秒だけでいいですから」

歩さんは、気怠そうに視線を上げた。
そして、手にしていた食器を脇に置いた。

東雲
···3秒

サトコ
「ありがとうございます!」
「失礼します!」

両手を広げて、力いっぱい歩さんを抱きしめた。
それこそ、私の元気を譲り渡すような強さで。

東雲
バカ。苦しい

サトコ
「我慢してください!」

東雲
無理···
熱···あがる······よけいに······

サトコ
「···っ、それは困ります!」

私は、慌てて歩さんの身体を引き離した。

サトコ
「熱、早く下げてください」
「それで、元気になったら···」

<選択してください>

いっぱいハグしよう

サトコ
「いっぱいハグしましょう」
「10秒とか20秒とか···いっそ30秒とか!」

東雲
······それだけ?

サトコ
「えっ?」

(『それだけ』って···)

東雲
······

(それって、つまり···)

東雲
·········

(あ···!)

いっぱいキスしよう

サトコ
「いっぱいキッスしましょう!」

東雲
······

(えっ、なんでその顔?)

サトコ
「ダメですか?キッス···」
「本当は今すぐしたいくらいなんですけど···」

東雲
······バカ

お泊りして···

サトコ
「お泊りして···その···」

(キャーー!)

東雲
···なに
泊まらないの、今日は

サトコ
「いえ、泊まりますけど!」
「さすがに、その··体力が必要な行為は無理かなって···」

東雲
だったら煽るな

(えっ?)

歩さんは、ふいっと背中を向けると、布団に潜り込んでしまった。

サトコ
「あ、あの···?」

東雲
わかってなさすぎ
オレが、どれだけ我慢してるのか

(···歩さん?)

東雲
キミのせいだから
今日、眠れなかったら

自慢のサラサラヘアーが、少しだけ跳ねている。
まるで、今の歩さんの気持ちを表しているみたいだ。

サトコ
「だったら、おまじないをします」

東雲
···は?

サトコ
「歩さんが、よく眠れるように···」
「とっておきのものを···」

私は、自分の唇に当てた人差し指を、そっと歩さんの唇に押し付けた。

サトコ
「···どうですか?」
「『おやすみキッス』のおまじないです」

東雲
······

サトコ
「これで朝までぐっすりですよ」

東雲
·········だから
煽るなって···言ってるのに···

そのわりに、歩さんの声はずいぶんと弱々しい。
まるで、眠りにつく前の子どもみたいだ。

東雲
もう寝る
出て行って

サトコ
「了解です」

東雲
お粥、ごちそうさま
それと·········おまじないも

サトコ
「···はい!」

再び布団にもぐった歩さんを確認して、私は寝室を後にした。

(ちゃんと眠れそうだよね、この感じだと)
(早く、元気になってくれるといいなぁ)

翌朝ーー

サトコ
「う···ん···」

(あれ···なんか···)
(美味しそうなにおいが···)

???
「起きろ、氷川サトコ」

(えっ···)

サトコ
「うわっ」

力任せに毛布をはぎ取られて、私はソファから転がり落ちた。

サトコ
「痛たた···」

(なんで朝からこんな目に···)

東雲
どっち?
バターとジャム

サトコ
「えっ···」

東雲
トースト
バターとジャム、どっち?

サトコ
「あ···じゃあ、バターで」

東雲
あっそう

(え···なに、今の···)
(バターとジャム···バターとジャム···バターと···)
(じゃなくて!)

サトコ
「歩さん、元気になったんですか!?」

東雲
うるさい
朝から声大きすぎ

サトコ
「す、すみません!」

(···とりあえず、いつもどおりの歩さんっぽいよね)
(よかった、本当に元気になったんだ)

ホッと息をついていると、スマホが振動音を伝えてきた。

(メールだ···)
(うっ、津軽さんから···)

ーー『昨日はおつかれサマ』
ーー『上司のPCをいじるなんてイケナイ子だね』
ーー『でも、楽しかったから許してあげるよ』

(『楽しかった』って)
(私は、全然楽しくなかったんですけど···)

ーー『そうそう、ワクチンを忘れずにもらってきてね』

サトコ
「ワクチン?」

東雲
はい、これ

(えっ)

東雲
そのなかにあるファイルを、インストールすればいいから

(ま、まさか···)

サトコ
「昨日、歩さんが仕掛けた『罠』って···」

東雲
ウイルスソフト
まだ試作品だけど

(な···っ)

サトコ
「そ、それは、さすがにやりすぎじゃ···」

東雲
問題ない
開発を頼んできたの、津軽さんの方だし
まぁ、ただの『遊び』に本気出しすぎたとは思うけど

(···「遊び」?)

サトコ
「それって、昨日のやりとりですがですか?」

東雲
当然
···まさか気付いてなかったの?

(うっ)

東雲
どう考えたって、あの人ヒント出しすぎじゃん
本気でデータを渡さないつもりなら、キミに情報なんて与えないし
そもそも職場のPCにデータ保存しないと思うけど

(い、言われてみれば、確かに···)
(ということは···)

サトコ
「私、津軽さんに···」

東雲
遊ばれていた
ただ、それだけ

(ひどい!こっちは必死だったのに!)
(腕がつるまで頑張ったのに!)

東雲
···そんな顔しなくても
いいんじゃない。キミのアピールにもなったわけだし

(···どういうこと?)

東雲
『上司を楽しませられる程度には、スキルがある』···
それは、あっちにも伝わったんじゃない?

(あ···)

確かに、昨日歩さんが手を貸してくれたのは、最後の最後だけだ。

(ウイルスソフトをインストールするまで、ずっと私に任せてくれた)
(さっさと自分が出てきて、片づけることもできたのに)

サトコ
「教官···っ!」

東雲
だから、もう『教官』じゃ···

サトコ
「いえ!今だけは『教官』って呼ばせてください!」

いつも私の成長を見守ってくれる人。
まだまだ未熟な私を、導いてくれる人。

サトコ
「好きです、教官!」
「大好きです!」

東雲
うざ···

サトコ
「ウザくて結構です!!」

私は、ためらうことなく飛び込んだ。
すっかり体力が回復した「大好きな人」の腕の中に。

ーー『追記:津軽サンからのワンポイント情報・その2』
ーー『知ってた?サトコちゃん。豹って発情期がないらしいよ』
ーー『だから他の動物と違って、いつでもオッケーなんだって』
ーー『朝から食べられないように気を付けてね☆』

Happy End

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