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最愛の敵編 石神4話

ふわっと意識がはじけるように覚醒した。
目を開けると、見慣れた通勤電車の中。

(え···立ったまま、寝てた···?)

私の右手はしっかりと吊り革を握っていて、隣からの視線を感じる。

石神
どうした

サトコ
「あ、あれ···?」

相変わらず怜悧な瞳を彼はこちらに向けてくる。
そこには観覧車で感じた重苦しさも絶望感もなかった。

サトコ
「私···昨日、振られたんじゃ···」

石神
昨日?何の話だ?これから、海辺まで星を見に行くんだろう

サトコ
「え、星···じゃあ、さっきのは夢···?」

私を見る秀樹さんの瞳はこれまでと同じで、距離は感じられない。
咄嗟にその腕を確認すれば、ペアの腕時計がちゃんとはめられていた。

(夢だったんだ···!よかった!)

サトコ
「私、凄く嫌な夢を見ちゃって···」

石神
どんな夢だった

サトコ
「いえ、もういいんです」

こんな嫌な夢、忘れてしまおうと首を振ると···

乗客1
「役立たず」

サトコ
「!?」

乗客2
「お前は相応しくない」

サトコ
「っ···!な、なに···!」

乗客たち
「役立たず、役立たず···!」

いつの間にか見知らぬ人たちに囲まれ、罵られる。

サトコ
「秀樹さん···!」

石神
······

サトコ
「え?何て···」

石神
······

サトコ
「ま、待っ···!い···」

サトコ
「行かないで···!」
「はっ···はあ···はっ···」

(ここは···私の部屋···昨日のことは···)

右足の踵を見れば、そこには赤い靴擦れになる一歩手前の痕。

(夢じゃない···昨日)

石神
もうお前に恋愛感情はない

サトコ
「振られたんだ···秀樹さんに···」

血の気が引いて、手足が鉛のように重くなる。

(動けない···動きたくない···)

深い水の中に沈んでいくような感覚。
目を閉じれば、ゴンドラの灯りを映した秀樹さんの横顔が浮かんできて、目の奥が熱くなる。

サトコ
「···っ」

別れの理由は聞けていない···聞けなかった。

(理由があるなら、それを改善すれば元に戻れる可能性があるかもしれない)
(でも理由がなかったら··)

ただ気持ちが離れただけ、彼にとって恋愛が不要なものだと判断されたのならーー

サトコ
「秀樹さん···」

この名前をもう呼ぶことができないのだと思うと···胸が押し潰されるように苦しい。

『お前と···星は見られない』--次の約束が交わされないことが、こんなに辛いことだなんて。
知らなかった···知りたくなかった。

どれほど身体が重く胸が苦しくとも、仕事を休むわけにはいかない。

(何とか午前中が終わった···ミスはしてないし、大丈夫)
(昨日のことで仕事が疎かになったりしたら、それこそ秀樹さんに軽蔑されてしまうかも···)

恋愛感情がないのだとしても、嫌われたくない。
その気持ちが私を突き動かしていた。

津軽
ウサちゃん、ウサちゃん

サトコ
「···何でしょうか」

廊下の突き当りで、津軽さんに指でコイコイと呼ばれる。

(もしかして、お説教?今日、仕事に身が入ってないことがバレた···?)

津軽さんのお説教はどんな感じなのだろうかと、緊張しながらそちらに歩いて行くと。

津軽
ここに入って

サトコ
「ここって···」

津軽さんが開けたのは、取調室のドアだった。

私たちが入ったのはマジックミラー越しに取調室を見られる部屋だった。
ミラーの向こうでは秀樹さんが取り調べをしている。

サトコ
「津軽さん、これは···」

津軽
あそこに座ってる男は、秀樹くんが追ってる事件の容疑者なんだけど
ミッチャンの顧客らしいから、こっそり覗いちゃお

サトコ
「こっそりって···いいんですか?他班の取り調べを覗き見なんて···」

津軽
秀樹くんの取り調べは勉強になるよ

津軽さんがミラーの向こうに視線を流し、私も取調室に向き合う。

男1
「俺は何もやってねぇ」

石神
そうか。お前に掛かっている容疑は殺人、強盗、放火···

男1
「だから、俺は誰も殺してねぇっつってんだろ!」

石神
仮にお前がやってないなら···誰か、他に犯人がいることになる
お前のグループは上下関係にうるさかったな
誰かを庇っているのか?

男1
「違う!庇ってもねぇし!俺らのグループは殺しはやらねぇって決まってんだよ!」

石神
殺しは···か。なら、何をやっている?
罪を犯している自覚がないのなら、言えるだろう

男1
「俺たち胃は薬を売ってるだけだ!ディーラーから買って転売してるだけなんだ!」

サトコ
「!」

(あっさりと話を引き出した···)

津軽
相変わらず上手いね。いくつかのフックだけで簡単に吐かせる

サトコ
「フック···初めにやっていない容疑をかけて揺さぶってから、仮定の話を出す」
「そこから、話しを要約させて真実につなげる···」

津軽
へぇ、ウサちゃん。ちゃんとわかってるんだ

サトコ
「公安学校で勉強しましたから」

津軽
あと、もう一押しだね

視線を取調室に戻すと、秀樹さんは男にミッチャンの写真を見せている。

石神
お前が薬を買ったのは、この男か

男1
「ああ、こいつだ!こいつに全部ハメられたんだよ!」

デスクをバンッと叩く男に津軽さんがパチパチと拍手をする。

津軽
ミッチャンに繋がったね。あとで、秀樹くんから情報もらお

サトコ
「そんな横から情報だけを掠め取るような···」

津軽
その言い方、まるで俺たちが悪いみたいな。君、どこの班?

サトコ
「···津軽班です」

私の答えに津軽さんは満足そうに微笑んだ。



【ジム】

サトコ
「はっ、はっ···!」

終業後、向かった先はトレーニングジム。
思い切りダンベルを何度も持ち上げる。

(悔しい···!失恋した翌日の気持ちが、悔しさなんて···)
(でも、この気持ちは悔しいとしか言えない!)

何が悔しいといえば、一番は秀樹さんがいつもと変わらないこと。

(私は朝、起きられないかと思うほど心も身体も重かったのに)
(秀樹さんは、いつも通り寸分の隙も無く格好がいいなんて···)

秀樹さんに振られて私の世界は一変したのに、彼の世界はまるで変っていないように見える。

(秀樹さんにとっての私の存在は···その程度のものだったのか···)
(私には秀樹さんが···)

サトコ
「···っ」

彼が私の世界の中心だったなんて、それを認めるのも今となっては悔しくて。

(涙よ、汗に変われ!)

身体の水分を全て汗に変えようと、私はダンベルを上げ続けた。



【運動会】

津軽さん待望の警察運動会の日。

桂木大地
「桂木班、行くぞ!」

桂木班
「オーッ!!」

少し離れたところに見えるのは、桂木班の円陣。

サトコ
「SPチーム手強そうですね」

津軽
この数年は桂木班の一人勝ちだったからね
今年はうちがもらうよ。ね、モモ

百瀬
「はい」

津軽
ウサちゃんにも期待してるから。最近、今日のためにずっと鍛えてたもんね

サトコ
「は、はは···まあ···」

(失恋の涙を汗に帰るためのトレーニングだったんだけど···)

この数日で筋力体力がついたのは確かな気がする。

(競技に出れば、秀樹さんの目に入るかもしれない···)
(せめて活躍する姿を見せたい!)

サトコ
「優勝目指して頑張りましょう!」

津軽
ってことで、さっそく···ウサちゃん、次の “借り物競走” 行ってきて

サトコ
「はい!」

借り物競走に出るのは、桂木班から秋月さん、石神班から黒澤さん。
加賀班からは代走で千葉さん···他にも他班から数名が出ていた。

(走る速さだけで勝負したら、負ける。借り物が分かった時の瞬発力で勝負するしかない!)

アナウンス
「位置について···」
「よーい、ドンッ!」

秋月海司
「っしゃ!」

(秋月さんのスタートダッシュ速い!)

借り物が書いてあるメモに辿り着いたのは、私が最後。

(でもみんな、メモ見て固まってる?何が書いてあるんだろう?)

メモを拾い表に返すと、そこに書いてあったのはーー

サトコ
「『好きな人』!?」

(こ、このタイミングで!?)

アナウンサー
「今回のお題は『好きな人』です!」

(どうしよう···好きな人って言ったら、そりゃ今でも秀樹さんだけど···)

石神
······

無意識に探してしまったのか、不意打ちで秀樹さんと目が合って慌てて逸らせる。

(いや、振られてても降られてなくても、秀樹さんを連れては行けない!)
(このお題だからみんな、固まってたんだ···)

千葉
「······」

(千葉さんにチラチラ見られてる気がするのは、気のせい···?)

黒澤
後藤さん、一緒に来てくださいよー

後藤
断る!

(黒澤さんの好きな人は後藤さん···これはこれで納得···)

秋月海司
「くっそ~、どうすりゃいいんだよ!」

(秋月さんも困ってる···ここで私がバシッと決められれば勝てる可能性もある!)
(どうする!?私!)

<選択してください>

石神のもとに行く

( “好きな人” って言われたら、やっぱり秀樹さん以外考えられない!)

そう思い、秀樹さんの方を向こうと思ったものの···身体は動かない。

(···他の人にしよう。今、秀樹さんと顔を合わせるのは無理だ···)

加賀のもとに行く

(思い切って、加賀さんとか···)

思いついて、即座に否定する。

(秀樹さんに振られたばっかりで、 “好きな人” に加賀さんを選ぶって···)
(当てつけみたいに思われたら困るし、絶対にダメだ)

昴のもとに行く

(こんな時に助けてくれそうなのは···一柳さんとか?)

臨時教官として助けてくれた一柳さんのこと思い出し···同時に。
秀樹さんと一柳さんの仲を思い出す。

(加賀さんほどではないけど、決して仲がいいとは言えないよね)
(ここで一柳さんを選ぶのは、やめておいた方が良さそう···)

どうしようかと頭をフル回転させていると···誰かに手を取られた。

(まさか、秀樹さ···)

津軽
ほら、借りてって

サトコ
「津軽さん!?いや、それはちょっと···!」

津軽
なに?俺のこと嫌いなんだ?

サトコ
「そ、そういう意味では···」

津軽
いいから。今だけ、俺に恋しとけばいいよ

津軽さんは私の手を取って走り出す。

(津軽さん、速い!)

半ば引きずられるように走り始めたものの、加速していくと覚悟も決まる。

(わざわざ津軽さんが出てくるなんて、よっぽど勝ちたいのかな)
(それとも、私が秀樹さんに振られたことを知ってて···)

付き合っていることすら知られていないと思うのに、漠然とした不安が広がる。

津軽
ウサちゃん、もっと跳ねて

サトコ
「は、はい!」

(今は余計なことは考えない!)

“好きな人” に定義された津軽さんと固く手を握って走る姿を、
秀樹さんにどう見られているのか···
全く気にしていないかも···と思うと、彼がいるだろう方を振り返ることはできなかった。

警察大運動会は津軽班と桂木班の接戦になったものの···最終的に警備部警備課の優勝となった。

(桂木班、強かった···最後のリレーの時、津軽さんより桂木さんの方が圧倒的だったもんね···)

宴のあとは早々にみんな退けていて、新人の私たちが片付けをしている。

(ゼッケンはまとめて、テント横の段ボールに···)

番号順に集めたゼッケンを運んでいくと···

石神
······

サトコ
「い、石神さん···!」

備品段ボールの前にいたのは秀樹さんだった。

石神
氷川···ゼッケンか?

サトコ
「は、はい」

石神
ゼッケンなら、この箱だ

サトコ
「ありがとうございます···」

みんな、離れたところで片づけをしているために、近くに人はいない。

(観覧車で別れ話をした後は、ショックすぎてほとんど話せなかった)
(きちんと話すなら、今···)

<選択してください>

好きな人に話をする

(そうだ、その話の前に、さっきの “好きな人” の話をしないと!)

サトコ
「あの、さっきの借り物競走のことなんですが···っ」

雑談から入る

(まずは、今日の運動会の話でリラックスしてから···)
(それから、大事な話をしよう!)

サトコ
「あの···」

別れた日の話をする

(大丈夫。きちんと話せば、秀樹さんは応えてくれる)

私は大きく息を吸う。

サトコ
「あの···っ」

意を決して口を開いた時だった。
びゅうっと強い風が吹き抜ける。

石神
危ない!

サトコ
「!」

強風でテントが大きく揺れ、私を庇うように秀樹さんが私を抱き寄せた。
感じる、秀樹さんの力強い手。
息を止めて見上げれば、秀樹さんの眼鏡が飛んでいた。

サトコ
「眼鏡が···っ」

石神
···そのまま

サトコ
「え···?」

(そのままって···このままの態勢でいろってこと···?)

意識してずっとその顔を見てこなかったのに。
反射的に見上げて、彼と目が合ってしまった。

サトコ
「······」

(秀樹さんの目···よく知ってるはずなのに···)

見つめる瞳は、薄く張った氷のように冷たいーー

石神
あの日言ったことに、それ以上の理由はない
お前に落ち度もない。それだけの話だ

サトコ
「え···」

(それだけの話って···)

言われた言葉の意味が分からず、その視線に射抜かれるように半歩、後ろに足を引いた時だった。

パキッーー

サトコ
「パキ···?」

石神
······

足元を見ると、私の靴の下にあるのは秀偉さんの眼鏡。

(秀樹さんの眼鏡を踏んで、割っちゃった!?)

【警察庁廊下】

翌日。

サトコ
「はあぁぁ···」

(秀樹さんの眼鏡を踏んで割っちゃうなんて···振られたばっかりなのに)
(とにかく弁償しなくちゃ···)

昨日、秀樹さんは『気にするな』と言って、割れた眼鏡をかけて去って行ってしまった。

(いたるところにスペア眼鏡を持ってるっていう秀樹さんだけど)
(壊したままってわけにはいかない)
(昨日の話の続きもしたいし···)
(だけど、きっと一緒には作りに行けないよね。それなら代金を聞いて···)

ひとりでグルグル考えていると、カツッというヒールの高い音が響く。

木下莉子
「見ーつけた!」

サトコ
「莉子さん!?」

突然後ろから抱きついてきたのは、莉子さんだった。

木下莉子
「こっち来て」

サトコ
「え、どこに···」

事態を掴めない私を連れ、莉子さんが屋上に続く階段に足を向けた。

【屋上】

サトコ
「莉子さん、これはいった何事···」

木下莉子
「今夜はコンパよ!」

サトコ
「は!?」

木下莉子
「知ってるわよ。秀っち、お見合いするんでしょ」

サトコ
「え···」

木下莉子
「ヤダ、知らなかった?」

サトコ
「···はい」

(秀樹さんがお見合い?だから、振られたの···?)

木下莉子
「サトコちゃんというものがありながら···目には目を、歯に歯を!」
「今夜は大規模な合コンに行くわよ!」

サトコ
「······」

様々なことが頭を駆け巡り···莉子さんからの誘いを断る余裕など、欠片も出てこない。
莉子さんに引きずられるように連れて行かれながら···
ただでさえ届かない秀樹さんが、ますます遠くなっていくようなーーそんな錯覚を覚えていた。

to be continued

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