公安課のあるデスクが空席になってから、数週間後。
百瀬
「氷川、これ片付けとけ」
サトコ
「私は書類処理マシンではないんですが···」
(全然、話しを聞いてない···次々と書類が積まれていく非情···)
津軽
「ウサちゃん、頑張ってるね。はい、ご褒美の “チリビーンズタブレット” 」
サトコ
「いえ、新人の身で班長からお菓子を頂くなんて···んぐっ」
津軽
「遠慮しないの」
(激マズタブレット···どこで、こんなの売ってるの?)
後藤
「颯馬さん、報告書あがりました」
颯馬
「そこに置いておいて」
黒澤
「裏取りに行ってきまーす」
颯馬
「気を付けて」
黒澤
「はーい」
(秀樹さんが抜けてからは、颯馬さんが石神班を仕切ってる)
(石神班が変わりなく働いているのは、秀樹さんが順調な証拠だよね···)
今の私には、彼のことを想像することしかできない。
(颯馬さんたちに聞けば、近況が分かるかもしれないけど)
(銀室では各班敵対関係だし···)
恋人ではない今、聞く理由がそもそも私にはない。
(秀樹さんへの想いは、まだ何一つ変わってない)
(だけど、もうどうすることも···)
かつての恋人は遠い空の下。
想いの欠片を伝えることも叶わない。
【居酒屋】
千葉
「お疲れ!」
サトコ
「お疲れ」
その日の夜、私は久しぶりに千葉さんと呑みに来ていた。
千葉
「いきなり誘って、ごめん」
サトコ
「ううん。最近、仕事するか寝るかだったから、息抜きになって助かった」
千葉
「津軽班、大変?」
サトコ
「うーん···どうだろ。大変なのは、みんな同じじゃないかな?」
千葉
「確かに、学校にいた頃とは緊張感が違うよな」
サトコ
「訓練生だった頃は、あれでいっぱいいっぱいだったのにね」
千葉
「ほんとに。教官たちも本気出してなかったんだってわかる」
「石神さん、ニューヨークで凄い活躍を見せてるらしいな」
<選択してください>
サトコ
「全然知らない···」
千葉
「あ···そうなのか?」
サトコ
「銀室は他班の情報は基本的に入らないから」
千葉
「そっか···まあ、俺も噂で聞いた程度なんだけど···」
「噂と言えば···お見合いも順調に進んでるって、佐々木が」
サトコ
「その話、詳しく教えてくれる?」
千葉
「ああ、教えられたらいいんだけど···俺も噂で聞いた程度だから···」
「噂と言えば···お見合いも順調に進んでるって、佐々木が」
サトコ
「石神さんだからね」
千葉
「氷川も話、聞いてるのか?」
サトコ
「ううん、何も···ただ、石神さんなら、そうだろうなって」
「どんな活躍か教えてくれる?」
千葉
「ああ···ごめん。俺も噂で聞いた程度なんだ」
「噂と言えば···お見合いも順調に進んでるって、佐々木が」
サトコ
「そう···」
(お見合い···そうだった。莉子さんが秀樹さん、お見合いするって言ってたっけ···)
(ニューヨークでお見合いするのかな。もしかして、相手はアメリカ人···?)
(ブロンド美人が秀樹さんの隣に···う、悔しいけど、お似合い···)
千葉
「···悪い、意地悪だったよね、知りたくなかった?」
サトコ
「ううん···気にしないで。私には···」
千葉
「もう関係ない···?」
サトコ
「······」
千葉
「今日は、呑もう」
サトコ
「うん···」
(関係ないって思える日まで···ただ、時間が流れるのを待てばいい?)
(私は···どうしたら、いいんだろう)
消えない恋心と現実の狭間で、見えない答えを探し続けていた。
銀
「ニューヨークに飛べ」
ある日銀室長室へ呼び出され、突如それだけ告げられた。
サトコ
「ニューヨークと言うと···」
銀
「石神の補佐だ」
サトコ
「!」
(私が秀樹さんの補佐!?)
サトコ
「私は津軽班ですが···?」
銀
「······」
私がニューヨークに行く理由を問おうとしても、それが許される空気ではなかった。
(今、口にしていいのは疑問じゃない···肯定だけ···)
サトコ
「了解です」
銀
「以上だ」
視線を外した銀室長に一礼する。
(いきなりのニューヨーク行きには驚いたけど、秀樹さんに会える···)
任務ならおそらく断られることはない。
そう思った瞬間、深みにはまっていた思考がクリアになっていく。
(···会えるんだ···!)
失恋の涙が乾いたあとに残ったのは、濾過された純粋な彼への慕情。
気まずいという気持ちよりも、会える嬉しさの方が勝った。
(仕事を手伝える···また秀樹さんのところで勉強できる!)
悩んだ末に残ったものは···彼に会いたいという率直な想いだった。
心機一転といった顔で銀室長室を出るサトコと入れ替わりで、津軽が中へと入る。
津軽
「彼女、喜んでたみたいですね」
銀
「気楽なものだな」
津軽
「···今さら逆らうつもりはありませんけど、俺の許可なくどういうつもりですか?」
銀
「······」
津軽の言葉には答えず、銀は深い笑みを浮かべる。
津軽
「······」
銀の沈黙に津軽もまた口をつぐみ、室長室をあとにした。
【ニューヨーク】
サトコ
「摩天楼、夢のニューヨークのはずが···」
雨上がりのニューヨークの公園のベンチに、私は捨て犬同然の体で座り込んでいた。
(こっちに来た途端、災難続きなんて···私って、ニューヨークと相性悪いの?)
不運の始まりは空港を一歩出た時の始まった。
運動会を思い出させるような強い風が吹き、私の手から合流予定のホテルの地図をさらう。
サトコ
『ああっ!』
追いかけようと走り出すと、ドンッと通行人とぶつかった。
グッと強く肩を引っ張られるような感覚に襲われーー
サトコ
『あ!私のバッグ!』
男が私のボストンバッグをひったくって行く。
(地図とバッグ···バッグにはスマホも財布も入ってるから、バッグ優先!)
男を追おうと再び駆けだそうとすると、何かに引っかかったのかパンプスが脱げた。
サトコ
『···っ』
(靴を履いている暇はない!)
サトコ
『待ちなさい!』
裸足で跳び、男の背中に乗る。
男1
『クソっ!』
サトコ
『荷物を返しなさい!』
膝を使い男を地面に伏させる時、ビリッと嫌な音がした。
(スカート、破けた···)
サトコ
「はあぁぁぁ···」
(あの男に仲間がいたせいで、取り返せたのは携帯電話だけ···)
(でも、壊れて電源も入らないし)
(お金もないし、スカートは破れて立ち上がるとパンツが見えるし)
サトコ
「ニューヨークの夜で動ける装備じゃない···」
(今夜はここで、段ボール巻いて寝るしかないか···)
(って、段ボールが見つかればいいけど)
寝るのに使えそうなものを探そうと、ベンチから腰を浮かせた時。
???
「氷川!」
(この声···秀樹さん?幻聴が聞こえるなんて、よっぽど応えてるんだな···)
サトコ
「この声を聞いたまま、いっそのこと寝たい···」
石神
「何を言っている」
サトコ
「え···」
続けて聞こえてきた声に顔を上げると···
石神
「全く、お前は···」
サトコ
「秀樹さん!本物!?」
石神
「偽物に見えるか」
サトコ
「い、いえ···でも、どうしてここに···」
石神
「夜まで待っても合流予定のホテルに現れない。トラブルに遭ったと考えるのが妥当だ」
「現地警察に聞き込んだら、空港でひったくりがあったという情報を得た」
「犯人の男の背中に飛びかかった女がいた···と」
サトコ
「それだけで、どうして私だと?」
石神
「飛びかかった時に女のスカートが派手に破れたという話も聞いた」
サトコ
「!」
(そんな情報が!?)
石神
「重ねて東洋人の女···お前しかいない」
サトコ
「ご明察です···」
石神
「とにかく、ホテルに向かうぞ」
サトコ
「は、はい···」
(スカートは手で押さえれば、何とか···)
手を後ろに回しながら立ち上がると、石神さんがジャケットを脱いだ。
それが私の腰に巻かれる。
サトコ
「汚れちゃいます!」
石神
「構わない」
サトコ
「私が構い···え!?」
次の瞬間、秀樹さんに抱き上げられていた。
サトコ
「ど、どうして···っ」
石神
「歩きづらいだろう」
サトコ
「でも、あの、それくらいだったら···」
石神
「この方が早いというだけだ。動くな」
もぞもぞとしているとぴしゃりと言われ、私は身体を小さくする。
(ニューヨークに着て、お姫様抱っこされるとは思わなかった···)
間近に見える秀樹さんの顔には眼鏡が掛かっていない。
その首筋からはかすかに汗の匂いがして、髪も少し乱れていた。
(そんなに探してくれたの···?)
会ったら、明るい笑顔で挨拶しようと思っていたのに、現実は上手くいかない。
それでもーー
(今はこうしていたい···)
目を閉じると、焦がれていた体温に身を委ねた。
合流予定のホテルに着くと、そこからは歩いて部屋へと向かった。
石神
「部屋に着いたら、津軽に連絡を入れろ」
サトコ
「あ···携帯壊れちゃって、到着の連絡も出来てないんです」
石神
「そういうことか···津軽が、あそこまでしつこい男だとは思わなかった」
サトコ
「え、そんなに···?」
(あの津軽さんが心配してくれたのかな···)
石神
「ここだ」
秀樹さんは立ち止まると、客室のドアを開けた。
部屋に入ると秀樹さんが代替機を貸してくれ、津軽さんに連絡を入れる。
津軽
『連絡、いきなり取れないから驚いたよ』
サトコ
「すみません。空港についてすぐに、ひったくりに遭ってしまって···」
詳しい説明をしようとすると、携帯を秀樹さんに取られた。
石神
「報告は以上だ」
サトコ
「え、これだけ···」
石神
「ここでの氷川の上司は俺だ」
津軽さんにも聞こえるように言うと、秀樹さんは電話を切ってしまう。
(これでいいのかな···)
電話が終わると、シン···という静けさが部屋を支配する。
沈黙が落ち着かず、つい口を開いてしまう。
サトコ
「あの、もしかして部屋一緒なんですか?」
石神
「···いや、隣だ」
サトコ
「え、じゃあ、どうして、この部屋に···?」
石神
「······」
サトコ
「秀樹さん···?」
一瞬、その視線がぎこちなく逸らされたように見えたのは、気のせいなのかーー
石神
「···報告の電話をさせるためだ」
サトコ
「あ、なるほど···」
石神
「手短に今の状況を説明する」
「俺は今、CIAと協力して『グリード』という集団を追っている」
サトコ
「はい」
石神
「『グリード』は各国を跨いで活動している犯罪組織で、かなり過激で危険だ」
「毎晩報告定例会が開かれる。周りの捜査官も曲者ばかりだ。覚悟しろ」
サトコ
「了解です」
石神
「何か質問はあるか?」
(質問···)
秀樹さんの顔を見上げていると、意識が彼だけに集中していくようだった。
全身を包む疲れもあって、ここがニューヨークであることも忘れそうだった。
(今、私が聞きたいのは···)
<選択してください>
サトコ
「眼鏡はどうしたんですか?」
石神
「···本当にそれが知りたいことか」
秀樹さんは小さく溜息を吐きながらも、そこで会話を切らなかった。
石神
「こちらでは現場に出て動くことが多い」
「任務の邪魔にならないようにコンタクトに変えた」
サトコ
「そうだったんですね···」
サトコ
「···この部屋で寝てもいいですか?」
石神
「お前の部屋は隣だ」
(やっぱりダメだよね)
サトコ
「言ってみただけです」
石神
「何かあったら、この部屋に来い」
サトコ
「はい」
サトコ
「···秀樹さんって呼んでもいいですか?」
石神
「···好きにしろ。こっちではファーストネームで呼びことが多い」
サトコ
「じゃあ、秀樹さんって呼びますね!」
石神
「お前は···お前のままだな」
呆れたような声なのに、その表情は恋人の頃に見せてくれた苦笑に似ていて。
胸の奥で小さく膝を抱えている恋心が辛く疼いた。
to be continued