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最愛の敵編 石神8話

石神
ああ。お前という奴は···

空港からの帰りに食事をとり、向かった先はホテルの秀樹さんの部屋。

石神
話を途中で切るな

サトコ
「加賀さんの話、秀樹さん嫌いなので···」

石神
最近、面を見ていないんだ。話くらいは我慢できる

サトコ
「我慢して聞いてもらうほどのことでもないですよ」

石神
まあいい。先にシャワーを使え

サトコ
「いいんですか?」

石神
俺は仕事を片付ける

デスクに向かう秀樹さんに、私はシャワーを借りることにした。

秀樹さんが仕事を終え、シャワーまで浴びると沈黙が訪れる。
後は寝るだけ···この部屋にベッドがひとつ。

(恋人だった時なら、何も考える必要ないんだろうけど)

サトコ
「あの、ベッド···」

石神
お前が使え

サトコ
「一緒に寝ませんか?は···初めてもないんですし」

石神
わざと擦れた言い方をするな。お前には似合わない

窓辺に立っている秀樹さんが、眼鏡のない顔で振り向く。

(コンタクト、まだしてるのかな···)

サトコ
「何を気にしてるんですか?」

石神
···自分を振った男と一緒に寝たくもないだろう

サトコ
「なんだ、そんなこと···」

思いもしていなかったことを言われ、力が抜ける。
秀樹さんは目を伏せると、サイドテーブルにあったミネラルウォーターに口をつけた。

サトコ
「いいですよ。私は好きなので···」

石神

ぐっと息を詰めた秀樹さんがむせかけているのがわかる。

サトコ
「だ、大丈夫ですか?」

石神
ああ。全くお前という奴は···

サトコ
「仕方ないです。本当のことですから」
「でも、押し付ける気はありません。秀樹さんが嫌なら、私がソファで寝ます」

石神
······

サトコ
「だけど恋愛感情がないなら、同僚とゴロ寝するくらいの気持ちで寝てください」

ベッドの端に寄ると、溜息を吐いた秀樹さんがこちらにやってくる。
ギッと軋む音が響いて、私たちは背中合わせで横になった。

石神
······

サトコ
「······」

(疲れてるから、すぐに眠れるかと思ったんだけど···)

なかなか寝付けず、背後の体温ばかり気になる。
大粒の雨が窓に打ち付け、嵐はさらに強まっているようだった。

(明日は飛行機飛ぶかな···)

サトコ
「秀樹さん···もう寝ちゃいましたか?」

石神
···ああ

サトコ
「なんだか寝付けなくて···何かお話してください」

石神
寝たと言っただろう

<選択してください>

寝言でもいいです

サトコ
「寝言でもいいです」

石神
···俺はそんなに寝言を言ってたか?

サトコ
「いえ、全然。なので、むしろ聞きたいなって」

石神
寝言は寝て言え

(さすが秀樹さん、冴えた返し···)

寝てる人は返事しません

サトコ
「寝てる人は返事したりしませんよ」

石神
黙って目を瞑っていれば、そのうち眠れる

サトコ
「それでも寝付けないから、お願いしてるんです」

(ワガママだって思われるかな···でも、最後のワガママになるかもしれないし)

これくらいは許されるかなと思ってしまう。

じゃあ起きてください

サトコ
「じゃあ、起きてください」

石神
起きてる

サトコ
「やっぱり起きてるじゃないですか」

石神
···まるで子供だな

サトコ
「秀樹さんだって」

(こういう会話···ずっとしたかったかも···)

サトコ
「お話がないなら、抱き枕が必要かも···」

石神
···わかった。何か話してやる

背中越しだけれど、彼が苦笑するのが気配で伝わってきた。

(結局、お願いを聞いてくれるんだから優しいよね)
(だから、諦めきれなくなる···)

石神
······
以前に星座の話をしたことがあったな

サトコ
「はい」

(最後のデート···プラネタリウムに行ったときに···)

石神
あの話を聞かせてくれたのは、俺の姉だ

サトコ
「お姉さん···」

石神
いや、小学生の頃に養子としてある家族が引き取ってくれた
···少し年の離れた義姉がいて、温かい家庭だった

サトコ
「歳の離れたお姉さんですよね」

石神
姉は···タムラから “ハート” を買っていた

サトコ
「タムラ···ミッチャンから···?」

石神
ああ。姉は···18で亡くなった

サトコ
「!」

(お姉さんが亡くなってたなんて···)

石神
···優しい人だった

サトコ
「そうだったんですね···」

石神
彼女の死をきっかけに、家族は壊れた
当然だ。養子の俺だけが残り、実子の彼女が亡くなったのだから
俺では···家族を幸せにできなかった

サトコ
「······」

石神
だから、俺は···

秀樹さんの声が固くなり、そこで話が途絶えた。
気配で感じる静かの呼吸に見える、わずかな乱れ。

(ああ、そっか···そういうこと···)
(秀樹さんが私を振った理由が分かった気がする···)

飲み込まれた言葉の先は、きっとーー『俺はお前を幸せにできない』

(お姉さんが亡くなって、壊れた家庭を秀樹さんはどうすることもできなかった)
(家庭が壊れることを防げなかった自分をずっと責めていて···自分のせいだと思ってる)
(だから、私のお父さんに会った後、態度が変わったんだ)

お父さんが秀樹さんに言った言葉ーーー

『私はサトコを不安にさせたり、無理や我慢をさせるような男には任せたくない』

(完璧主義な秀樹さんは···私を幸せにできると、自分を信じ切れなかった)
(小さな不安でも、彼はきっとそれを許せないんだ)

秀樹さんは自分では家庭を幸せにできないという傷を抱えているから。

(今、この話をしてくれたのは···精一杯の秀樹さんの誠意···)

秀樹さんの本当の気持ちをやっと受け取って···目の奥が熱くなる。

(私の幸せを···願ってくれたんですね···)

寝返りを打って、その背中に額を押し付ける。

(だから心を閉ざして、私に背を向けるしかなかった···)

それが悲しくて、愛おしくて。
自分でも言葉にできない想いに胸を塞がれる。

サトコ
「恋愛とか抜きにしても、人として私は秀樹さんが好きです」
「傍にいられることが嬉しいんです」

石神
全く、お前は···

(振られてから、秀樹さんのこんな声ばかり聞いてる気がする)
(呆れたような···それでいて胸が痛むような)

繰り返される『全く、お前は···』には、その時々、様々な意味があった。

サトコ
「···寒くないですか?」

石神
······

布越しに体温が重なると、部屋の空気の冷たさに気が付く。
そっと腕に触れれば、ベッドの軋む音がする。

石神
···冷たいな

サトコ
「はい···」

彼の匂いに包まれる。
懐かしくて、愛おしくて、このまま時間を止めてしまいたい。

サトコ
「秀樹さん···」

石神
···雨音だけを聞いていろ

目を閉じると、聞こえるのは心音と吐息と窓を打つ雨の音だけ。
嵐が全てを隠す夜ーー慕情が闇に溶けていった。

【公安課ルーム】

サトコ
「氷川サトコ、ただいま戻りました!」

黒澤
サトコさーん。おかえりなさい!

津軽
おかえり、ウサちゃん

嵐の翌朝は快晴で、私は日本へと戻ってきた。

サトコ
「無事に戻って来られて嬉しいです」

黒澤
心配しましたよ~。本当なら、石神班のオレたちが行くべきところを···

百瀬
「一生帰ってくんなよ···」

サトコ
「百瀬さん!?」

津軽
こら、モモ。仲良くしなきゃダメでしょ

黒澤
百瀬さんはサトコさんが来てから、津軽さんを独占できなくなったから···

サトコ
「え、私、妬かれてます!?」

百瀬
「チッ···」

津軽
舌打ちすると、加賀班にあげちゃうよ

百瀬
「······」

津軽
じゃあ、さっそくだけど···サトコはミッチャンの取り調べお願いね

サトコ
「今からですか!?」

津軽
何か問題ある?

サトコ
「いえ···」

(ミッチャンは秀樹さんのお姉さんにも “ハート” を売った売人···)
(秀樹さんの口ぶりから考えるに、お姉さんの死ともきっと無関係じゃない)

黒澤
あの男は、かなりクセがありますよ。何だったら、オレが···石神班の管轄でもありますし

津軽
無理なら、それでもいいけど···どうする?

サトコ
「···やります」

(秀樹さんの過去は変えられない。だけどミッチャンの罪を証明できたら···)

わずかでも慰めになるだろうかーー

津軽
ウサちゃん···

津軽さんがグッとこちらに顔を近づけてくる。

(ち、近っ···!)

サトコ
「な、何ですか?」

津軽
いや、アメリカ行く前より綺麗になった気が···

サトコ
「え!」

津軽
···気がしただけか

サトコ
「···取り調べ、行ってきます」

(相変わらずの津軽さんだけど、帰って来たって気がする)

小さく深呼吸をすると、資料を持って取調室へと向かった。

【取調室】

取調室に入ると、室内を圧迫するようにミッチャンが座っていた。

ミッチャン
「アンタ···」

サトコ
「私が取り調べを担当します」

ミッチャン
「ハッ!アンタみたいな小娘が!?フン、アタシも舐められたもんネ」
「アンタにアタシのことが調べられるカシラ?」

サトコ
「徹底的にやるから、覚悟しなさい」

ミッチャン
「あ~ら、コワーイ」

(完全に舐められてる。でも、それを逆手に取ればいい)

サトコ
「あなたには様々な容疑がかけられています。麻薬の密売、暴行、詐欺···」

ミッチャン
「世界でイチバンセクシーっていう容疑は~?」

サトコ
「それはないけど、殺人···」

ミッチャン
「ちょっと!アタシ、殺しはしないわよ!直接はね!」

ミッチャンがその目を剥いて身を乗り出してくる。

(やっぱり、この男は自分の仕事に、それなりのポリシーを持ってる)
(秀樹さんがやっていたように、実際の容疑よりも大きなものをかけていけば···)

サトコ
「直接は···?それだけの罪を犯しておいて、何を言ってるの?」

ミッチャン
「アタシの仕事は乙女の “ハート” を解きほぐすだけ···」
「そのあと、どうなろうが知ったことじゃナイ」

サトコ
「知ったことじゃない···ね」

私は津軽さんがあらかじめ用意していた調書に視線を落とす。

( “ハート” を常用していた子のほとんどが自殺してる)
(薬物との因果関係はまだ証明されてないけど、関係あるのは間違いない)

“ハート” の常用者で亡くなったリストの中に、『石神優花』という名前がある。

( “ハート” が秀樹さんの家庭を壊した···秀樹さんの心も)
(こいつが “ハート” を売ったりしなければ···)

込み上げる怒りを腹式呼吸で整える···訓練生の時に秀樹さんから教えてもらった呼吸法で。

サトコ
「薬と被害者の死の因果関係が証明されれば、そんなこと言ってられなくなる」
「ただ···」

ミッチャン
「···なによ」

もったいぶるように言葉を切ると、ミッチャンが初めて、こちらの話に乗ってきた。

(計算通り···)

サトコ
「刑務所ではエステもネイルサロンもない···可哀想に」
「あなたは小汚いイカついオッサンに逆戻りね」

ミッチャン
「なっ···イヤ!それはイヤよっ!ノー!ノォッ!」

余裕ぶっていたミッチャンが取り乱したように顔を何度も横に振った。

サトコ
「少しでも身綺麗でいたいなら···わかるでしょ?」

ミッチャン
「···わかった!わかったわヨ!クソ!」

(こういうタイプは一度崩れれば、あとは簡単に···)

ミッチャン
「ひとつ聞いておくけど、アタシの身の安全は保障されるんでしょうね!?」

サトコ
「グリードからの報復を恐れているならなおさら、警察にいたほうが安全でしょうね」

(自己愛が強い人間は保身に走りやすいはず···)

ミッチャン
「今の言葉、忘れるんじゃないわヨ!」

ドンッとデスクを叩いた後、ミッチャンは一気に話を始めた。

取調室を出ると、廊下には津軽さんが立っていた。

サトコ
「取り調べ、終わりました」

津軽
お見事。よく対等に渡り合ったね

サトコ
「以前に見学した石神さんの取り調べが役に立ちました」

津軽
うんうん、秀樹くんみたいだったもんね

(津軽さんの目にも、そう見えたんだ?それなら嬉しい)

真似事でも、尊敬する人に少しは近づけたのかと、胸を熱くしていると。

津軽
でも、他班の班長から勉強したって、はっきり言っちゃうんだ?

サトコ
「!」
「それは、その···」

<選択してください>

すみません

(銀室では各班敵対関係だっけ···マズかったかな)

サトコ
「すみません···」

津軽
いいけど。俺は心が広いから

本当のことですから···

(でも、あの経験が役立ったのは本当だし···)

サトコ
「本当のことですから···」

津軽
うん、そう答えるのがウサちゃんだよね···

(津軽さんが見学させてくれたのに···)

何かマズかったですか?

サトコ
「何かマズかったですか?」

津軽
いや、ウサちゃんらしいよ

サトコ
「 “ハート” と “ハート常用者” の死の因果関係は証明されるでしょうか?」

津軽
どうだろうね。ただ、今回の件で大量の “ハート” を手に入れられた
多量摂取の検知ができる。何らかの進展はあるだろうね

サトコ
「早くわかるといいですね。被害者は10代の女の子ばかり···」

津軽
石神の姉の名前も入ってたね

サトコ
「···はい」

津軽さんが私の手から調書と資料を眺める。

津軽
石神優花···自殺、ねぇ

ぽつりと津軽さんが呟く。
津軽さんの軽くはないその声が、やけに気にかかった。

サトコ
「あの、今の···」

津軽
そうそう、秀樹くんと言えば、帰国が決まったよ

サトコ
「え!?」

(秀樹さんが帰ってくる···!)

予想外の早い帰国の知らせに、彼と向こうで過ごした日々が一気に蘇ってきた。

to be continued

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