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最愛の敵編 石神 購入特典

【公安課ルーム】

水を打ったように静かで緊張に満ちていた、昨年までの公安課。
それが今年は様相を変えていた。

津軽
新しいエスプレッソマシン、導入しようかな

サトコ
「ここに···ですか?」

津軽
そう。モモはどう思う?

百瀬
「津軽さんがいいなら、いいんじゃないですか」

津軽
ウサちゃんは?

サトコ
「本格的なカフェラテやカプチーノが楽しめるやつですよね?」

津軽
カタログ、見においで

いくつか席が離れた場所に位置する津軽班。
津軽が緩いのはいつものことだが、サトコが来てからはまた、あいつも変化がみられる。

(『暖簾に腕押し』、『糠に釘』···そんな男だと思っていたが)
(サトコにだけは···)

サトコ
「この抹茶ラテやティーラテも作れるのは、どうですか?」

津軽
ウサちゃんが欲しいなら、それにしようか

(ウサちゃん···ふざけた呼び方は規律を乱すと忠告することは簡単だが···)
(津軽相手には、あまり有効な手段とは言えない)

いい加減に見えて頭の切れる男だ。
下手に突けば面倒になる。

(ただひとつ、間違いないのは···津軽はサトコを気に入っている)
(あいつが百瀬以外を傍に置くようになるとは···)

仕事に集中しながらも、意識の片隅では津軽班の様子を観察する。
新年度から、そんな時間を過ごしていた。

黒澤
運動会の写真ができましたよ~

颯馬
楽しみですね。私たちは、ほとんど写ってないと思いますけど

黒澤
見本写真のアルバムを回しますので
欲しい写真の番号を今から配るカードに書いてください
はい、石神さん、後藤さん、颯馬さん···サトコさん!

サトコ
「ありがとうございます」

黒澤
レディファーストで見本写真も、サトコさんからどうぞ

サトコ
「いいんですか?新人の私が先で···」

加賀
そんなもんに興味あるのは、テメェくらいだ

東雲
ほんと。写真をデスクに飾るタイプって、キミだけだし

後藤
ならなぜ、皆、氷川のデスクに集まるんですか?

石神
さあな

(何かと理由をつけては、サトコの周りに集まってくる···)
(いちいち苛立ちを覚えていたら、きりがない)

そう思うのに、席を立つ自分を抑えられない。

サトコ
「皆さん、ほんと写ってませんね···桂木班のショットがほとんど···」
「···って、私の注文カードはどこに!?」

後藤
加賀さんの手にある

サトコ
「なぜ!?」

颯馬
次、こっちに

加賀
ほら

東雲
次、回してください

颯馬
ええ

サトコ
「あの、なぜ私の注文カードに?」

石神
···自分が映っている写真を各々記入しているようだな

サトコ
「どうして!?」

津軽
俺の写真も洩らさず書いておいてあげるね

サトコ
「そんなに欲しくな···」

加賀
あ゛?

津軽
何か言った?

サトコ
「何でもありません···」

涙を呑むような顔をするサトコに内心溜息をつく。

(そこで何も返せなくなるから、付け込まれるんだ)

助け舟を出すかどうか考えていると、津軽さサトコの耳に顔を寄せた。

津軽
今、あのカードがもっかい出たら、誰を連れてく?

サトコ
「あのカードって···」

(借り物競走のことか)

何の話か察したサトコの顔に狼狽の色が浮かぶ。
それから一瞬こちらを見て、慌てて視線を逸らせた。

(ポーカーフェイスの訓練が、まだまだ必要だな)

津軽
俺って言いなさい!

サトコ
「もごっ、もごごごっ」

東雲
それ、何ですか?

津軽
モツ鍋味キャラメル

東雲
うわ、美味しそー

サトコ
「うぐぐ···」

(さすがに行きすぎだ)

本当の涙目になりかけているサトコにペットボトルの水を差し出す。

サトコ
「あ゛りがとうございまず···」

石神
津軽、やり過ぎだ

津軽
なにさ、秀樹くん。元補佐官にちょ~っと懐かれてるからって、マウント取ったつもり?

石神
くだらないことを言うな

(サトコが一瞬、俺の方を見たのを見逃さなかったか)
(相変わらず目ざとい男だ)

津軽
くだらない···ね。そのくだらないことのために、わざわざ席を立ったのは誰かな?

石神
お前たち、仕事に戻れ

モツ鍋キャラメルを水で流し込んだサトコの手には、
大量の番号が書き込まれた注文カードがあった。

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【動物園】

ニューヨークから戻って、何度目かの休日。
俺たちは久しぶりに動物園に来ていた。

サトコ
「梅雨に入る前に来られて良かったですね」

石神
ああ。雨や暑い季節の動物園は、匂いがひどい

サトコ
「私は結構好きです」

石神
あの家畜の匂いが···か?

サトコ
「小学校の頃に学校で飼っていたヤギのことを思い出して」

石神
ヤギの話は初耳だ

サトコ
「愉快な動物たちの話なら、まだまだいっぱいありますよ」

石神
追々聞かせてくれ。ここは···ニホンザルのエリアか

サトコ
「いい季節だから、サルたちも気持ちよさそうですね」

石神
あの山の頂上にいる目つきの悪いサル···加賀にソックリだ

サトコ
「······」

石神
そう思わないか?

サトコ
「そんな怖いこと言えません···」

石神
山の大将で満足してるところも同じだな

サトコ
「隣のエリアを見に行きましょう!」

サトコが手を引いて向かった先はナマケモノの展示だった。

サトコ
「すごいやる気ないですね~。あ、何かに似てると思ったら、難波さんだ」

石神
お前···

(難波さんをナマケモノ扱い···怖いもの知らずは、こいつの方だな)

とはいえ、訓練生の時にはあの人の本当の姿を見ていない。

(ある意味、知らない方が幸せとも言えるが)

サトコ
「秀樹さん、今何時ですか?」

石神
もうすぐ13時だ

サトコ
「ちょうどよかった!13時からキリン舎でエサやり体験ができるみたいですよ」

石神
やりたいのか?

サトコ
「はい!秀樹さんは?」

石神
キリンは、あの舌の長さがいただけない

サトコ
「分かります。私も最初に見たときは、びっくりしました」

石神
だが、エサはやりたいのか

サトコ
「エサをやることで通じる心もあると思うんですよね」

屈託なく笑うサトコに、こちらの心も洗われるようだった。

(この仕事に就いてからは、人間らしい心など捨てたつもりだったが)
(お前といると、少しだが人になれた気がする)

サトコは頬を緩ませながらペアで着けている時計に視線を落とすと、キリン舎に向かった。

サトコ
「このながーい舌も食べる時は可愛いですよね」

(このある意味グロテスクにも見えるものが、可愛い···か)
(人の感性はそれぞれだ)

敢えて口を挟まずに楽しそうな彼女の横顔を見守る。

サトコ
「一生懸命食べてる···なんだか懐かれてるみたい」

石神
それはない。ゾウやイヌと違い、キリンは馴致不可能生物だ

サトコ
「じゅんち···?」

石神
馴れという意味だ。キリンはどんなに訓練しても人の手でエサをやるのが限界だろう

サトコ
「そうなんですか···」

石神
草食動物は神経質で生育環境に敏感だ
キリンのような背の高い動物は、特に足場の変化を嫌い···

真剣な顔で頷くサトコの横にカップルがやってくる。

女性
「ねー、キリン、かわい~」

男性
「お前の方が可愛いって」

女性
「もう、たっくんたら~」

石神
······

(キリンを前にした時の回答は、それが正解か···)

サトコ
「つまり、こうして手からエサを食べてくれるだけで」
「感謝しなきゃってことなんですね!」

石神
あ、ああ···」

サトコ
「ありがとう、キリン···」

先程よりもキリンを尊い目で見ている彼女に、その真っ直ぐさをただ痛感した。

【石神マンション】

動物園を出て、以前に一緒に行く予定だったレストランで夕食をとり、俺の家に帰ってきた。
シャワーまで終えたサトコがソファで写真の束を見ている。

石神
結局、全部買ったのか

サトコ
「誰かのだけ買わないなんて、恐ろしいことはできません···」
「でも、買ってよかったかも」

石神
なぜだ

サトコ
「皆さんの写真なんて滅多に手に入らないので」
「ほら、この加賀班の写真なんか···」

石神
今、お前が見るべき相手は誰だ?

(他の男が写る写真に見入ってるから、妬いているのか···)

そんな小さなことで···と思うが、今ここでそれを止める必要性があるとも思えない。

(今は···俺だけのものだ)

サトコ
「秀樹さん···」

石神
正解だ

わざと講義で言う時と同じ口調で答えると、彼女は照れた顔を見せる。
露になっている耳に触れると瞬いた睫毛が震えた。

石神
髪を耳にかけた姿···誰にも見せていないか?

サトコ
「はい。秀樹さんだけです···」

石神
「なら、いい」

話しながら唇を重ね始めたのは、どちらが先だったか。
見つめ合ったまま、触れるだけのキスを戯れるように繰り返す。

サトコ
「ふふ」

石神
どうした

口づけがくすぐったいのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

サトコ
「秀樹さんは私だけの馴致可能動物ですよね」

石神

一瞬、言われている意味が分からなかった。
一拍遅れて思ったのはーー

(可愛いことを···)

石神
全く、お前は···

サトコ
「あ、それ久しぶりですね」

石神
···馬鹿だな

『馬鹿』は俺か、サトコかーーおそらく前者なのだろう。

【寝室】

衣擦れの音、軋むベッド、熱の籠る寝室。

サトコ
「秀樹さ···」

石神
······

焦れるように指先を伸ばす彼女の手を取る。

指を絡めて握り、唇を押し当てるのは、その太腿の外側。

サトコ
「そ、そんなところ、ダメです···っ」

石神
なぜだ

サトコ
「なぜって···」

その爪先が宙を切る。
普段は刺激を与えない場所に触れた理由はーー

(サトコのすべてに触れたいと、こう思うのは···)

彼女が公安課に配属されてから、ジリジリと感じている嫉妬のせいか。

サトコ
「理由なんて···っ」

石神
俺を止めるには、それなりの理由がいる
分かっているだろう

柔肌に痕を散らしながら続けると、戸惑う呼吸に混じる嬌声。

サトコ
「意地悪です···」

視線を上げれば潤んだ瞳と出会い、それはひどく扇情的だった。

(事件の時は公安刑事の目をするようになったが、非番の時は無垢な顔を見せる)
(俺の腕の中では···)

彼女を女としてとらえる瞬間。
熱を帯びた吐息で濡れる口元、煽る熱さに侵された瞳。

石神
サトコ···

身体を起こし、乱れた彼女に髪を耳へと掛けて流す。

(津軽に言われて気付くとは···俺もまだまだだ)

彼女の魅力に最初に気付くのは自分でありたい。
その願いは独占欲から生まれるもので、己の心に溢れる彼女への想いを知る。

石神
もっと、お前のことが知りたい

サトコ
「え···」

石神
見せたことのない顔を···見せろ

サトコ
「···っ」

真剣な顔で告げると、彼女の瞳に浮かぶのは戸惑いと羞恥、そしてその奥に潜む期待。

(この顔は初めて見る···他には、どんな顔を隠してる?)

彼女を曝きたいという欲望。
けれど、それをそのまま行動に移すには、愛し過ぎていて。

石神
···愛してる

愛の言葉で、凶暴になりそうな想いを包んだ。

サトコ
「秀樹さん」

石神
ん···

鼻腔をくすぐるコーヒーの香り。
彼女の声で目を覚ませば、窓の外にはすでに日が昇っていた。

(寝たのは···3、4時間くらいか?)

密やかな寝室の空気は朝日に散っている。
けれど、その名残を感じさせるように···サトコが俺のシャツを着ていた。

サトコ
「あ、お借りしてます···」

石神
···どうぞ

サトコ
「はは···」

俺の視線に気づいたサトコが照れくさそうな顔を見せる。

(そういう顔をするな)

気恥ずかしさが、こちらにも移る。
普段よりも乱れたシーツは、昨晩のことを脳裏に蘇らせた。

(前回歯止めをかけた分、昨日は···)

石神
大丈夫か?

サトコ
「え?」

ベッドから降りて、コーヒーを受け取る。
入れ替わるようにサトコは自分のコーヒーをサイドテーブルに置くと、
ベッドの端に腰を掛けた。

石神
服装に気を付けてくれ。シャツの前は必ず閉めろ

首筋に残した痕を指摘すると、サトコの頬に血が上る。

サトコ
「こ、これ···どこに痕が残ってるのか···見えないことろは···」

石神
責任を持って、あとで俺が確認する

サトコ
「そ、そんなことされたら恥ずか死します!」

石神
何だ、それは···

枕に顔を埋めて悶えるサトコを残し、コーヒーと共にリビングに向かう。

(朝食は何にするか···)

冷蔵庫にあるものを確認しようと考えていると、テーブルに昨日の写真が残されていた。
その中に見つけた、俺の写真。

(写っているのがあったのか)
(俺はサトコの注文カードには、何も書いていないが···)

つまり、これはサトコが自分で買ったのだろう。

石神
全く、お前は···

(どれだけ、俺が好きなんだ···)

最近口癖になっている言葉を言いながら、口が緩みそうになるのを止められない。

(お前は···俺の光、そのものだ)

夜空に輝く一等星のように。
彼女のその向こう見ずで純粋な愛に救われているなんてーー寝室で悶えている当の本人は、
どうか気付かないでほしい。

Happy End

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