カテゴリー

カレKiss 石神3話

酔ったマルタイをマンションまで送った私に、津軽さんからメッセージが届いた。

『想定より手間取ってる。あと10分引き留めて』

(あと10分···)

佐東
「すみません。レナさんに迷惑かけちゃって···もう1人で大丈夫です」

フラフラと歩き出す佐東を慌てて引き留めた。

サトコ
「あの、もう少しだけお話しません?そこのベンチででも」

佐東
「え?でも···」

サトコ
「···ダメ···ですか?」

今帰らせたら、捜査員と鉢合わせになってしまう。

(それだけは何としても避けなくちゃ···!)

佐東
「俺も···もっとレナさんと話したいです」

サトコ
「!じゃあ···」

佐東
「でも、今日はもう···恥ずかしい話なんですけど、気を抜くと寝ちゃいそうで···」
「また今度にしてもらってもいいですか?次はおすすめCDとか持っていくんで」

照れ交じりの笑顔が教えてくれる。
マルタイは間違いなく、私が演じる “カフェ店員・レナ” に好意を持っていた。

(今はあと10分···いや、8分か。佐東を足止めすることが何よりも大事···)
(えーっとえーっと、悲しいことを考えろ···!)

必死に今まで泣いた経験をかき集め、涙をためてマルタイを見上げた。

サトコ
「じゃあ···あと5分だけ」

佐東
「え」

サトコ
「一緒に···」

佐東
「···!」

そっと抱きついて、伸び上がってキスをする。
一瞬身体を強張らせたマルタイも、しばらくして抱擁を返してきた。

サトコ
「···っ」

強いアルコールの匂いでも打ち消しきれない、知らない男の人の匂い。
···知らない人の、腕の力。

(···余計なことを考えちゃダメ)
(これが···私の仕事なんだから)

佐東
「···レナ···さん···」

マルタイの声が上ずり、腕の力がぐっと強まる。
そのタイミングを見計らったようにスマホが鳴った。

佐東
「!」

サトコ
「···すみません、私です。···もしもし?」

津軽
今撤収した。マルタイを帰しても大丈夫だよ

サトコ
「···分かった。すぐ帰る···うん」
「母からでした。ごめんなさい、もう帰らないと」

佐東
「あ、いや···」

すっと離れながら、一度近付いた心を言葉で繋ぎ止める。

サトコ
「···今日は楽しかったです」
「さっきの約束、忘れないでくださいね」

佐東
「え?」

サトコ
「今度、おすすめのCDを教えてくれるって···楽しみにしてます」

佐東
「···分かった。気を付けて帰ってね」

マルタイに見送られ、私はマンションを後にした。



駅に向かって歩いていると、物陰から津軽さんが合図をよこした。

サトコ
「お疲れ様です」

津軽
眉間のシワ、気を付けないとクセになるよ
でも、頑張ったね

サトコ
「···恐れ入ります」

頭を下げながら、先に言われた言葉が脳裏を過る。
無意識に服の裾で唇を拭っていた。

(足止めに成功してよかったけど)
(あの程度のことも淡々とこなせないなんて。私、未熟だ···)

津軽
向こうに車停めてあるから、ホテルまで送るよ

走り出した車内で津軽さんが口火を切った。

津軽
マルタイはやっぱり喬橋と連絡を取り合ってた

サトコ
「!」

津軽
ただ喬橋が日本で活動を再開した証拠はナシ。ごく平和的なやり取りのみ

サトコ
「マルタイへの接触は続けますか?」

津軽
だね。佐東から決定的な情報を引き出す時まで
もしくは、これ以上何も出ないと判断できるまでは、ね

サトコ
「分かりました」

津軽
···ハニトラはさっきのが初めて?

サトコ
「いえ。訓練生時代に、何度か」

(さすがにマルタイとのキスは初めてだったけど···)

津軽
それで度胸が据わってるんだ

サトコ
「···いえ」

(佐東から引き出せる情報を見極めるまで張り付く)
(つまりこれからも店の外で会って、もっと親しくならないと···ってことかな)

津軽さんに送られて仮住まい先のホテルに戻り、真っ先にバスルームに飛び込んだ。
抱き締められた感触と重なった唇の記憶を、熱いお湯で洗い流す。

(あの時ああしなければ公安の仲間とマルタイが鉢合わせして、潜入そのものが失敗してた)
(だからあれでいいんだ。これが私の仕事なんだから)

何度自分に言い聞かせても気持ちが切り替わらない。
そうして思い出すのは、秀樹さんの少し荒れた唇と優しい腕だった。

(自分では覚悟が出来てるって思ってた)

一人前の刑事として、当たり前にこなして見せるとすら。

(でも···こんなに···こんなに苦しいことだったんだ···)

サトコ
「···っ」

初めて知る苦い想いに胸が潰れる。
切ない涙がお湯に溶け、渦を巻いて流れて行った。



マルタイとはそれからも飲みに出かけ、休みの日にデートする日々が続いた。

佐東
「次はデザートかあ···」

サトコ
「···佐東さん、どうかしました?」

佐東
「いやー···俺、実は甘いものがすっごい好きで···」

サトコ
「そうなんですか?今までそんなこと···」

佐東
「男が甘いものなんて···って言われがちでしょ。だから普段は隠してるんですよ」

サトコ
「ふふ、何かを好きになるのに男も女もないですよ」

(秘密を打ち明けてくるあたり、割と心を開いてる?)
(でも、ずっと演技を続けてるとさすがに疲れるな···そのうち慣れてくるのかな)

甘いものといえば。
ふと秀樹さんの顔が思い浮かぶ。

(秀樹さんがプリンを食べるところも、全然見てないな···)

仕事が終わった後に電話やメールで話すことはあっても、あのバーでの夜以来一度も会えていない。

佐東
「レナさんならそう言ってくれると思ってた」
「この店はね、デザートのとろとろプリンが有名なんですよ」
「この間テレビで紹介されてるのを見て気になっちゃって」

サトコ
「······」

佐東
「レナさん?」

サトコ
「あ、いえ。じゃあ、私もプリンにしよっかな」

佐東
「すみません、とろとろプリンを2つお願いします」

ウェイター
「かしこまりました」

やってきたプリンはとてもおいしくて、無邪気に喜ぶマルタイに笑い返す。
その甘さとは裏腹に、カラメルのほろ苦さが長く舌に残った。



レストランを出て駅へ向かう。

(お互い決定的なことは何も言ってないし、キスもあの夜だけだったけど)
(佐東との距離はぐっと縮まった感じがする)

サトコ
「今日はありがとうございました。楽しかったです」

佐東
「俺も楽しかったです。ありがとう」
「それにああいう店って、男ひとりだと入りにくいから···」
「レナさんが一緒に来てくれて助かりました」

こうして恋人同士のように振る舞いながら、
裏ではマルタイの端末から盗んだ情報を津軽さんと共有する。

サトコ
「またいつでも呼んでくださいね!」

気持ちの伴わない笑顔、好意のほのめかし。
その度に、心が少しずつ削られるような疲労が溜まっていくのだった。

ポイントサイトのポイントインカム

ホテルに戻ると津軽さんから電話があった。

津軽
どう?マルタイとは

サトコ
「問題なしです。後ほど報告書を送ります」

津軽
そう、よろしく。朗報、捜査に進展があったよ

サトコ
「!」

津軽
昨日、喬橋からマルタイに出したメールで新出の名前があった
以前からマークしてたテロ組織のリーダーのね

サトコ
「前から繋がりがあるって掴んでたんですか?」

津軽
いや。で、早速そっちの線を洗ってるところ
それでこれ以上佐東から手に入る情報はなさそうだけど
いきなり消えるとマルタイに怪しまれるから、いい感じに辞めて

サトコ
「いい感じに?」

津軽
そ、いい感じに

サトコ
「···了解です」

(この生活もあと少しで終わる···)

津軽さんとの電話を終え、思わずホッとした時、再びスマホが鳴った。

(···秀樹さんからだ!)

サトコ
「はい!」

石神
俺だ。今、時間は大丈夫か

さりげない会話をいくつか交わす。
回線の向こうで響く声が荒んだ心を優しく撫でてくれるようだった。

サトコ
「なんだか···もう何年も秀樹さんに会えてないような気分です」

石神
大げさだな

サトコ
「う···」

石神
···だが、気持ちは分からなくもない

(秀樹さん···)

短い沈黙が降りて、そっと囁かれる。

石神
···どうした

サトコ
「え?」

石神
元気がないようだが、何かあったのか

サトコ
「······」

優しい気遣いの籠った声にふっと心が軽くなる。

サトコ
「いえ、何も」

石神
···ならいいが

サトコ
「···あ、そうだ!秀樹さん、麻布にある “シェ・アラン” ていうお店知ってますか?」

石神
いや、初耳だ

(捜査の関係で知ったとは、言わない方がいいよね)

サトコ
「この間、テレビで取り上げてたんです」
「デザートのとろとろプリンが評判らしいですよ」

あの時の苦い気持ちを隠して話してみると、少しだけ苦さを克服できた気がした。

石神
そうか···それはぜひ一度食べてみたいものだな

サトコ
「はい。お互いに落ち着いたら行きましょう」

石神
もう少しの辛抱だ。だが潜入が終わるまで気を抜くな

サトコ
「はい、ありがとうございます」

石神
···津軽も、かなり励んでいると褒めていた

サトコ
「!」
「私は······まだまだです。でも、頑張ります」

(そうだ、頑張らなきゃ)
(まだ密入国者の身元を確かめた訳でも、逮捕に結びついた訳でもないんだから···)

石神
···ああ、励め

サトコ
「秀樹さんも身体に気を付けてくださいね」

石神
おやすみ、サトコ

サトコ
「おやすみなさい」

それだけの短い会話で、目の前の霧がすっかり晴れ···
その夜の私は幸せな気持ちで眠りについたのだった。

to be continued

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする