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最愛の敵編 東雲6話

血の気が引く、とはまさにこのことだ。
それでも、素早く終了コマンドを入力して、私は笑顔を取り繕った。

サトコ
「お、おつかれさまです!」
「なんていうか、その···お久しぶり···」

東雲
久しぶりだよね、当然
潜入捜査中なわけだし

(うっ)

東雲
ああ、それとも捜査終了?
じゃないと、あり得ないよね?
潜入中に警察庁に出入りするとか

(うっ、ううっ···)

原則として、潜入中に警察庁や警視庁に出入りするのはご法度だ。
ここは「公安学校」とは違い、一般に公表されているーー
つまり、目撃されたら「警察関係者」だということがすぐにバレるからだ。

(それでも、私がここに来たのは···)

東雲
···なに、言えないの?

サトコ
「······」

東雲
言えば?
どうせ、ふたりきりなんだし

聞いたことがないような、歩さんの声音。
優しいような、皮肉げのような···
それでいて、どこか私を甘やかしてくれるような···

(そうだ···今はふたりきりだ)

誰も、聞き耳を立ててはいない。
それに、歩さんなら、打ち明けたことを秘密にしてくれる。

(歩さんなら···)
(歩さんなら、きっと···)

ーー『彼女の上司は、誰だ?』

サトコ
「!」

ーー『答えろ、東雲。彼女の、今の上司は誰だ?』

津軽さんの声が、頭に響いた。
歩さんだけじゃない、たぶん私にも向けられていただろう、あの言葉。

(···ダメだ、頼れない)

サトコ
「すみません、失礼します」

極力目を合わせないように、私は歩さんの横をすり抜けようとした。

東雲
······待ちなよ

東雲
聞いてないんだけど。キミの答え

サトコ
「!」

東雲
どうしてここにいる?
何があった?

サトコ
「······」

東雲
答えろ。氷川サトコ

憤りの滲む眼差しに射抜かれて、身じろぎひとつできない。
でも、それでも···

(答えない。頼れない)
(もう歩さんの補佐官じゃないんだから)

サトコ
「どいてください」

東雲

サトコ
「東雲さんに話せることは、なにもありません」
「東雲さんは、津軽班の人じゃありませんから」

東雲
······そう、じゃあ···
まだまだなんだ。本当に

いつになく暗い声で、歩さんが呟いた。

東雲
てっきり······かと思った

(え···?)

東雲
長女か例の思想団体が、入院中の次女を襲って
それを、あっさりキミたちが捕まえて
捜査終了。めでたしめでたし

(それは···)

サトコ
「難しいと思いますよ、今のところ」
「誠盟大学付属病院は、セキュリティが厳しいですし」

東雲
······

サトコ
「次女と接触なら、その···あり得るかもしれないですけど」
「次女を襲うとなるとなると、さすがに···」

東雲
だろうね。普通にやっていたら

(普通に···?)

サトコ
「どういう意味ですか?」

東雲
······

サトコ
「普通に、っていったい···」

ブルル、とポケットから振動音が聞こえた。

(電話···)
(えっ、津軽さんから!?)

サトコ
「すみません、失礼します」

歩さんに背中を向けると、すぐさま私は画面をタップした。

サトコ
「はい、氷川···」

津軽
おつかれー、ウサちゃん。今、時間ある?

サトコ
「えっ」

津軽
あるよね。問題ないよね?
じゃ、今から渋谷区のY公園に集合~

(集合って、もう23時を過ぎて···)

津軽
詳しい場所は、メールしておくから
じゃ、よろしく

サトコ
「待ってください!もうすぐ終電で···」

ブツッ···

(···切れた)

東雲
呼び出し?

サトコ
「はい、でも···」

東雲
そう。頑張って

(え···)
(ええっ!?)

(謎だ···いろいろ謎過ぎるんですけど···)

終電間際に、夜の公園に呼び出す上司。
気になる発言をして去っていく元教官。

(ていうか「恋人」···)

サトコ
「そうだよ···『恋人』なのに···」

(密室で?久しぶりにふたりきりで?壁ドンまでされて?)
(だったら、キューーンってしても良かったのに!!)

ぜんぜん、そんな雰囲気じゃなかった。
むしろ、すごくギスギスしていた。

サトコ
「はぁぁ···」

(せめて、あれが歩さんの家だったらなぁ)
(歩さんの匂いをハスハスして···)
(ふにゃふにゃしながら、歩さんに抱きついて···)
(そうしたら、歩さんもきっと···)

東雲
···バカ。いくら久しぶりだからってそんなに甘えたいわけ?
だったら、もっとこっちに来なよ
遠慮しないで···ほら、もっとこっちに···

津軽
こっちに寄りなよ。ウサちゃん

サトコ
「······」

津軽
ほら~、そんな着ぐるみのウサギみたいな目をしないで
今の俺たちはさ
『夜中の公園でイチャつくカップル』って設定なんだから

サトコ
「は、はぁ···」

(なんで、そんな設定···)
(ていうか、歩さんとも、めったにここまでくっつけないのに···)

津軽
モモから聞いたよ。例の思想団体と次女の接触のこと

サトコ
「!」

津軽
よくできました。えらいえらい
今、一番知りたかったからね
接触後の『次女側の反応』ってヤツを

サトコ
「···そ、そうですか」

耳元での囁きがくすぐったくて、肩を竦める。
それとは別に、心臓がどきどきして止まらない。

(もしかして今、褒められてる?)
(だとしたら初めてだよね?津軽さんにちゃんと評価されたの···)

津軽
でさ、こっちはこっちで思想団体側を張っていたわけだけど
連中、次女に無視されてカンカンでさ
『あのガキ、殺してやる!』って盛り上がっているところ

(······え?)

津軽
とは言っても、彼らには無理だけどね
いくら、次女が入院中とはいえ···
誠盟大学付属病院ってセキュリティがしっかりしてるからさ

(そうなんだよね···さっき、歩さんにも言ったけど···)

次女が入院しているのは、VIP病棟だ。
見舞客は、受付で専用カードを貰わないとそのフロアにすら行けない。
エレベーターのボタンを押せない仕組みになっているのだ。

(会談もあるけど、扉で塞がれてる)
(その扉も、専用カードがないと開けられない)
(さらに、フロアのナースステーションでも許可をもらう必要があって···)

津軽
ってわけだからさぁ
協力してあげてよ、ウサちゃん

(協力?)

津軽
セキュリティをちょっといじってさ
彼らが、病院に潜入できるようにしてあげて

サトコ
「······はい?」

思わず、聞き返してしまった。
津軽さんの言葉を、すぐには理解できなかったからだ。

サトコ
「あの、『潜入できるように』って···」

津軽
うん、だから、そのままの意味
彼らを潜入させて、次女を襲わせてあげてさぁ
そこに俺たちが登場!連中を現行犯逮捕!
うーん、俺って天才的

(「天才的」って···)

ぞくっ、とした。
津軽さんが、あまりに無邪気に笑っていたから。

サトコ
「あの···冗談ですよね?さすがに···」

津軽
ん?どのあたりが?

サトコ
「ですから、それってわざと襲わせ···」

津軽
声を潜めて。ウサちゃん

肩に回された手に、力が込められる。
その余裕のある態度こそが、この提案が冗談ではないことを伝えていた。

サトコ
「···すみません、もう一度確認させてください」

津軽
どうぞ

サトコ
「津軽さんがおっしゃっているのは、つまり···」
「『わざと事件を起こさせろ』ってことですよね?」

津軽
うん、そうだね

サトコ
「納得できません」
「私たちは、事件を未然に防ぐこともできるのに···」

津軽
防ぐよ。『国の一大事』を

サトコ
「!」

津軽
そのためなら瑣末なことだよね、この程度の事件なんて

(この程度って···)

サトコ
「次女はまだ中学生です!」
「未成年をおとりにするなんて···」

津軽
大丈夫。ちゃーんと助けるから

(でも···!)

津軽
「そもそも現場は『病院』だよ?」
「優秀なお医者さんたちが、すぐに手当てしてくれるって」
「万が一グサッとやられてもね」

(な···っ)

サトコ
「待ってください!次女は確か···」

(輸血禁止のはず···)

言いかけて、慌てて口を噤んだ。

(ダメだ、指摘したら)

捜査資料を盗み見たこと、警察庁に出入りしたことがバレてしまう。

津軽
···ん?次女がどうかした?

サトコ
「い、いえ、とにかく···」
「未成年をおとりにするのはどうかと···」

津軽
しつこいな。まだわからない?

津軽さんの指が、私の二の腕に食い込んだ。

津軽
よーく覚えておいて
俺たちが優先するべきなのは、常に『任務』だ
少なくとも、俺の班ではね

(そうだけど···それは間違っていないんだけど···)

(どうしてだろう)
(どうして、こんなにモヤモヤするんだろう)

綺麗事だけでは捜査はできない。
それくらい、頭ではわかっているはずなのに···

サトコ
「すみません、外に行ってきます」

清掃員1
「遅れずに戻っておいでよ」

サトコ
「はい···」

(···うん?)

ふと、足元に薬のシートが落ちていることに気が付いた。

サトコ
「あの、この錠剤···」

清掃員2
「やだ、それ私の薬じゃないの」

清掃員3
「もしかして、心臓の?」

清掃員4
「大丈夫なの?そんな身体で働いて」

清掃員2
「平気よぉ。働いてないとボケちゃいそうだし」
「それに、もし倒れても、ここ、病院じゃない」
「ハンサムな先生たちが助けてくれるわよぉ」

(「助けてくれる」···本当に?)

(そりゃ、ここにはお医者さんや看護師さんがたくさんいるけど···)
(ケガの具合によっては、そう簡単にはいかないんじゃ···)

しかも、それが輸血を伴う処置ならどうなるのだろう。

(あんな、大人のフリまでして頑張っているような子が···)
(私たちの都合で、夢を絶たれてしまうことになったら···)

サトコ
「···ダメだ」

(考えるな。これも仕事なんだから)
(優先するのは「任務」···いつだって「任務」···)

ブルル、とスマホが震えた。

サトコ
「!」

(歩さんからのLIDE···!)

<選択してください>

すぐに確認する

サトコ
「いいよね、ちょっと確認するくらい···」

(今は特に進展もないし)
(確認しないと、かえって気になりそうだし···)

メッセージをタップしようとすると、再びスマホが震えた。

あとで確認する

(あとで確認しよう。今は任務中だし)

私は、アプリを開かずにスマホをしまおうとした。
ところが···

うーん···

サトコ
「うーん···」

(どうしよう···ここは確認するべきか、しないべきか)
(今は仕事中だし···)
(でも、どんな内容か気になるし···)

サトコ
「うーん···うーん······」

と、再びスマホがブルブルと震えた。

(え、またメッセージ?)
(めずらしいな。歩さんが立て続けに···)

サトコ
「!」

(違った、津軽さんからだ···)

ーー「決行は3日後の真夜中。1時の予定」

(3日?それしかないの!?)

任務を遂行するには、かなりの準備が必要だ。
もはや迷っている暇はなかった。

(割り切れ···割り切るんだ···)
(私はもう訓練生じゃない。公安課の刑事なんだから)

任務当日ーー

津軽
ウサちゃん、スタンバイできてる?

イヤモニから聞こえてきた声に、私は「はい」と小声で返した。

津軽
じゃあいくよ。10秒前···

(いよいよだ)

津軽
5秒前······3,2,1···

あらかじめ打ち込んであったコマンドが、私の手で実行される。
これで、まずは監視カメラが作動しなくなったはずだ。

(あとは正面玄関のセキュリティ···)
(それとエレベーターのセキュリティをいじって···)

津軽
連中が正門を通過
2名···上下黒の衣装、野球帽着用···

津軽さんの報告とほぼ同時に、自動ドアが開く音がした。

サトコ
『氷川です。2名、エントランスを通過』
『エレベーターホールに向かいました』

私の任務は、これで8割方終わった。
あとは、彼らがエレベーターに乗ってVIP病棟で降りたか、確認するだけだ。

(セキュリティは切ったから、そこまでは問題ないはず)
(あとは、百瀬さんたちの仕事···)

正直、不安はある。
けれども、私は祈ることしかできない。

(大丈夫···百瀬さんたちがうまくやってくれる)
(次女にケガさせることなく、きっと···)

サトコ
「2名、エレベーターに乗りました」

津軽
降りたフロアを確認して

サトコ
「はい!」

(···えっ)

思わず、目を疑った。
上昇すると思われていたエレベーターが、なぜか下降していた。

サトコ
「氷川です!エレベーター、地下に向かっています!」

津軽
行き先を間違えたってこと?

サトコ
「その可能性も···」

(···違う)

サトコ
「エレベーター、地下1階から動きません!」

津軽
移動!確認して

サトコ
「はい!」

(どういうこと?)
(彼らは、次女を誘拐しに来たんじゃなかったの!?)
(なんでVIP病棟に行かないで···)

???
「きゃあっ」

(今の悲鳴は···!)

茶谷みさと
「誰よ、アンタたち!なんでこんな···」
「ふぐっ···ふぐぐ···っ」

(なんで彼女が地下に!?)

サトコ
「津軽さん、次女です!」
「次女が地下1階にいます!」

津軽
百瀬、移動!地下1階!

サトコ
「津軽さん、私は···」

津軽
待機!動くな!

サトコ
「ですが···っ」

次女は、必死に抵抗している。
このままでは、連中はもっと荒っぽい手段を取るかもしれない。

(それで大ケガすることになったら···)
(「輸血」が必要なケガを負うことになったら···)

それでも動くわけにはいかない。
今の私への指示は「待機」なのだ。

(待つしかない···百瀬さんたちを···)
(お願い、どうか···どうか早く来て···)

男1
「痛ぇぇっ!」

ふいに、男が大声を上げた。

男1
「てめ···っ、噛みやがって···っ」

茶谷みさと
「うるさい、バー···」

男2
「黙れ、クソガキ」

(な···っ)

鈍い音がした。
もうひとりの男が、次女の脇腹を蹴り倒していた。

茶谷みさと
「ぐっ···」
「うっ···ゲホゲホッ···」

男2
「もう黙らせちまおうぜ、このガキ」
「そのほうが、こっちもラクだろ」

男が、懐から取り出したのはーー

(うそっ、拳銃!?)

茶谷みさと
「ひ···っ」

(ダメだ!これ以上は···っ)

もはや、迷いはなかった。
私は、物陰から飛び出すと、拳銃を持った男にタックルした!

男2
「ぐっ」

(体勢を崩した!今だ···っ)

右腕を掴み、無理やり捻り上げる。
男は悲鳴を上げると、手にしていた拳銃を落とした。

(えっ、これ···)

男1
「退けっ」

サトコ
「ぐっ」

一瞬の隙を突かれた。
もうひとりの男の蹴りがみぞおちに入り、私はその場にうずくまった。

男1
「引き上げるぞ!」
「いいから早くしろ!」

(マズい、逃げられて···)

急いで後を追おうとした私に、次女が背中からしがみついてきた!

茶谷みさと
「行かないで!」

(ちょ···っ)

茶谷みさと
「イヤ!アタシをひとりにしないで!!」

久間佐次郎
「ありがとうございます!」
「ほんっっとうに、ありがとうございます!!」
「みさと様がこうしてご無事なのは、長野様のおかげです!」

サトコ
「······いえ」

(犯人、どうなったんだろう)

インカムは、見つかるとまずいのですでに外していた。
なので、逃げた犯人がどうなったのか、全く把握していない。

(百瀬さんたちが、何とか捕まえてくれていればいいんだけど···)

茶谷みさと
「それにしても強いのね、アナタ」
「お仕事は『清掃員』ってほんと?」

サトコ
「は、はい、まぁ···」

茶谷みさと
「信じられない···いっそ、ウチに来れば?」
「私のボディガードになりなさいよ」

サトコ
「すみません、それはちょっと···」

(これでも、警察官なので···)

津軽
おかえり、ウサちゃん
ずいぶんなご活躍だったようだね

サトコ
「いえ、そんなことは···」

すでに、背中を冷や汗が流れ落ちている。
緊張しすぎて、口からいろいろなものが出てきそうだ。

津軽
そんな···いいんだよ、謙遜しなくても
駆けつけたモモたちも、加勢しようがなかったそうだし···
って、それはアレか!
すでに犯人がいなくなっていたからかぁ!アハハッ

朗らかな笑い声をあげると、津軽さんは組んでいた足を組み替えた。

津軽
···それじゃ、聞かせてもらおうか
君が、俺の命令を無視した理由を

to be continued

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