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最愛の敵編 東雲8話

津軽さんは、少し首を傾けて私を見た。
そして···

津軽
モモ~、コーヒー···

サトコ
「どうぞ」

ドンッ!

津軽
···ああ、ごめん
俺が飲みたいのは、缶コーヒー···

サトコ
「でしたら、こちらをどうぞ」

ドンッ!

津軽
···ありがとう、いただくよ
それじゃ、おつかれさま

サトコ
「·····」

津軽
···もう定時すぎてるよ。帰らないの?

サトコ
「先ほどのお返事をいただいていません」

津軽
······

サトコ
「もう一度チャンスをください」
「私を、捜査に······」

百瀬
「津軽さん、室長が呼んでいます」

(ちょっ···なんで割り込んで···っ)

津軽
ありがとう、モモ。今、行くね
それじゃ、ウサちゃん、また明日

(···逃げられた)
(でも、これくらい想定内だし)

サトコ
「まだまだ、ここからここから···」

そんなわけで···

津軽
♪フンフンフ~

サトコ
「失礼します」

津軽
うわっ

サトコ
「『神有道』について、新たな資料を手に入れました」
「どうぞ、捜査に使ってください」

津軽
ああ、ごめんね
忙しくて、資料見てる暇ないから

さらに···

津軽
兵吾くーん、誰かいい子、紹介して~

サトコ
「失礼します」

津軽
ゲホッ

サトコ
「人材をお求めでしたら、ここにいます!」
「氷川サトコ、氷川サトコを何卒···」

津軽
あー、用事思い出しちゃった。兵吾くん、またね

サトコ
「あ、待ってください!」

加賀
······クズが

そして···

津軽
ねぇ、秀樹くんさ。公安学校で何を教えてきたの?

石神
何を、とは?

津軽
なんていうかさー、うちの班のウサちゃん···

サトコ
「呼びましたか?」

石神
!?

津軽
···ね。ずっとこの調子でさ
カルガモのヒナ並みについてくるんだけど

サトコ
「捜査に戻してください」
「もう一度チャンスを···」

津軽
ありません。戻しません
そもそも、次女はおととい退院したから

(え···っ!?)

津軽
つまり病院への潜入は終了。ウサちゃんはもう必要ない
わかった?

(···そんなはずない)

たしかに、病院への潜入は終了したかもしれない。
けれども、事件そのものはまだ終わっていないはずだ。

(現に、百瀬さんたちは今日も外に出ている)

津軽さんにしても、頻繁に誰かと連絡を取り合っているようだ。

(つまり、捜査は続行中)
(だったら、私にもできることがあるはず)

サトコ
「こうなったら···」

(一か八かに賭けるしかない!)

先日も利用した資料室のPCに、IDとパスワードを入力する。
もちろん、使用したIDは津軽さんのものだ。

(捜査資料···追記されてる···)
(後継者指名の「祭事」のこと···それと···)

サトコ
「ボディガード募集?」

ガタン、とかすかに物音がした。
おそらく、誰かが資料室のドアを開けたのだろう。
それも、中にいる人間に気付かれないように。

(そんなことする人って、だいたい決まってるよね)
(「後ろめたいことをしようとしている人」か···)
(「後ろめたい人」を「捕まえようとしている人」くらい···)

津軽
···意外だね。俺が来るのを分かっていたみたいだ

サトコ
「それくらい覚悟していましたから」
「津軽さん、PCを使用中でしたし」

津軽
なるほど。じゃあ、覚悟の上で俺のIDを使ったわけだ?
でも、おかしいな。パスワードは変えたはずなんだけど
どこかの誰かさんに不正使用された後に

サトコ
「ですよね。でも覚えましたから」

津軽
···覚える?

サトコ
「パスワードを解除するときの、津軽さんの手の動きです」
「私、視覚からの暗記が得意らしくて」

津軽
へぇ、面白いな。いつ気付いたの?

サトコ
「訓練生時代です」
「東雲教官が見出してくれました」

津軽
······そう

津軽さんは、薄く笑った。
時折見せる、あの威圧感のある笑顔だった。

津軽
···で?俺をここまで引っ張り出した理由は?

サトコ
「捜査に戻してください」

津軽
お断り。何度言わせたら···

サトコ
「茶谷家では『ボディガード』を募集しているそうですね」
「先日、次女を助けた時、言われたんです」
「『うちのボディガードにならないか?』って」

津軽
······

サトコ
「私なら怪しまれません。難なく茶谷家に潜り込めます」

津軽
······

サトコ
「もう勝手な行動はしません。だから···っ」
「ここは、私を使うべきだと思います!」

敢えて、強く言い切った。
心臓が、壊れそうなほどバクバク音を立てていたけれど。

(ここは弱気になったらダメだ)
(私を信じてくれた歩さんのためにも!)

津軽
···ずいぶん強気だね。一度やらかしてるくせに

サトコ
「······」

津軽
まぁ、でも···
うちの班からも誰かを潜り込ませたかったんだよね
後継者指名の祭事までに、向こうは必ず手を打ってくるだろうし

(じゃあ···)

津軽
君に捕まえられる?どんな状況だったとしても···

サトコ
「もちろんです!必ず捕まえます!」

津軽
それともうひとつ
祭事の前日、長女が茶谷家に泊まるはずなんだけど
アクセサリーか何かを手に入れられる?

(······え?)

津軽
ま、その前に何らかの動きがあるとは思うけど···
もし、何も起こらなかった場合、捜索令状を取れないからね
保険を掛けておきたいんだ

(「保険」って、まさか···)

津軽
わかるよね、俺が何を言いたいのか
そこまでできるなら、君を捜査に戻してあげるよ?

サトコ
「······」

気が付けば、半日以上が過ぎていた。
それにも関わらず、私は未だ迷いの中にいた。

(ひとつめの条件は受け入れられる)
(私が、頑張ればいいだけだから)

問題は、ふたつめだ。

(長女の持ち物を手に入れる···それ自体が犯罪だよね)

しかも、手に入れたものは、おそらく「証拠品」として利用される。

(たとえば、再び次女の誘拐未遂事件が起きた時···)
(「現場に落ちていました」ってことにするつもりだよね?)

あるいは、事件そのものをでっちあげるつもりなのかもしれない。
とにかく、津軽さんは「長女」と「例の思想団体」を引っ張りたいのだ。

(気持ちは分からなくはないよ)
(私だって、刑事部の案件を見逃したことはあるもん)

決して「きれいなこと」ばかりをやってきたわけじゃない。
「転び公妨」とどう違うのか、と問われたらうまく答えられる自信がない。

転び公妨とは
警察官が被疑者の前でわざと転んで「突き飛ばされた」など言いがかりをつけて公務執行妨害や傷害罪などで現行犯逮捕する行為のこと。いわゆる「別件逮捕」のこと

(でも、それでも···なんか······)

東雲
いい?隣

(えっ)

サトコ
「あ、あの···っ?」

大勢の人がいる場で、歩さんから近づいてくるのは珍しい。
職場恋愛を疑われると面倒なので、ずっと控えていたはずだ。

サトコ
「い、いいんですか?その···」

東雲
いいもなにも
ここだけだから。空いてるの

(あ、そういうこと···)

サトコ
「じゃあ、その···どうぞ」

挙動不審気味な私とは違い、歩さんはごく自然に椅子を引いた。

東雲
そういえば久しぶりだね、キミに会うの

サトコ
「えっ、でも公園···」

(って、マズい!)

あのときは「氷川サトコ」ではなく「ウサギさん」として会っていたのだ。

東雲
···何?公園って

サトコ
「い、いえ、なんでも···」

(どうしよう、話題を変えないと···)
(ええと、ええと···)

サトコ
「お、美味しそうですね、そのエビフライ定食」

東雲
···え、あげないよ

(な···っ)

サトコ
「いりませんよ!」

東雲
ああ、ダイエット中···

サトコ
「違います!」

<選択してください>

人目が気になるので

サトコ
「人目が気になるので。その、いちおう···」

東雲
そう?誰も見てないっぽいけど
キミのことなんて

(うっ···それは、まあ···)
(ていうか、なんだか釈然としないんですけど)

胸がいっぱいで

サトコ
「なんだか胸がいっぱいで···」

東雲
ああ、お腹がいっぱい···

サトコ
「胸です、胸!」
「お腹はそこそこです!」

(ていうか、何だか釈然としないんですけど)

ブラックタイガー派なので

サトコ
「私、ブラックタイガー派なので」

東雲
ゲホッ···
···なにそれ
まさか『匂わせ』?

サトコ
「??『匂わせ』ってなんですか?」

東雲
···っ、もういい!

(もういい、って···)
(ていうか、なんだか釈然としないんですけど)

訓練生時代、人のエビフライを奪っていたのは歩さんだ。

(それなのに、私が「狙ってる」みたいな言い方するなんて)
(まあ、今日は「唐揚げ定食」だから安心だけど···)

スッと目の前を箸が横切った。

(え···っ)

サトコ
「あ···私の唐揚げ!」

東雲
······
···ま、悪くないね
もう少し生姜が効いてる方がいいけど

(ひどい!)

サトコ
「それ、最後の1個ですよ!?」
「食べるの、楽しみにしていたのに···」

東雲
知らない
なにも手を打たない方が悪い

サトコ
「そんなの、屁理屈···」

東雲
屁理屈じゃない。『先に手を打て』って話
オレが隣に座った時点で、さっさと食べるとか
箸の届かない場所に移動させるとか
そうすれば『望まない状況』にならなかったのに

(え···)

東雲
ま、教訓にすれば?今後の
先に手を打てば避けられること、結構あると思うけどね

(先に手を打つ···そうすれば避けられる···)
(そうだ、歩さんの言う通り···)
(だったら···!)

数日後ーー

久間佐次郎
「長野さん、お待ちしておりました!」
「その節は、ありがとうございました」

サトコ
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
「ボディガードとして採用してくださって」

久間佐次郎
「とんでもございません」
「短い間ですが、よろしくお願いいたします」

(そうだ···私がここに出入りできるのは、後継者指名の祭事が終わるまで)
(あと1週間もないんだ)

しかも、ふたつめの任務決行日は、祭事の前日だ。

(それを避けるには「先手」を···)
(長女や思想団体を逮捕するための「本物の証拠」を見つけ出さないと)

久間佐次郎
「そうだ、もうひとりのボディガードを紹介しますね」
「服部さーん」

(服部···って、確か応援の人だよね。他班から頼んだっていう···)

久間佐次郎
「···ああ、来た来た」
「こちら、服部さんです」

(うそ···!このTシャツって···)

久間佐次郎
「服部さんは、そりゃもう優秀な方でして」
「茶谷家を初めて訪れたときも···」

久間佐次郎
「こちらが正面玄関です。どうぞ···」

服部(仮)
「···待て」

久間佐次郎
「えっ、服部さん?」

???
「痛っ···痛たたっ」

服部(仮)
「···見ろ、不審者だ」

不審な男
「違うっ、違うんです!」
「僕はただ神有姫様にお会いしたかっただけで···っ」

久間佐次郎
「いやぁ、あれには驚きましたよ!」
「私なんて、ぜんぜん気付きませんでしたからね」

サトコ
「そ、そうですか」

(信者が自宅まで押しかけちゃうんだ···)
(大変なんだな、宗教団体って)

服部(仮)
「では中を案内する。行くぞ」

サトコ
「は、はい!」

さっさと歩き出した服部さん(仮)を、私は慌てて追いかけた。

服部(仮)
「2階には5部屋ある」
「まず、手前の2部屋が客室···」
「その隣が久間の部屋、さらに隣がみさとの部屋だ」

(つまり3部屋目が久間さん、4部屋目が次女···)

サトコ
「一番奥はどなたのお部屋ですか?」

服部(仮)
「長女だ。普段はこの家にいない」
「たまに帰省した時に、使っているとのことだ」

(そっか、あの部屋が···)
(一度、中を探ってみたいな)

服部(仮)
「何か質問は?」

サトコ
「この家に出入りしている人たちを知りたいです」

服部(仮)
「執事の久間以外では···」
「住み込みの家政婦がひとり、通いの家政婦がひとり」
「他に、警備員が3名、交代で常駐している」

サトコ
「···そうですか」

(結構多いな)
(いろいろ探るとき、見つからないようにしないと)

服部(仮)
「他には?」

サトコ
「あ、ええと···」
「同業の方ですよね?」
「たぶん、一度『学校』でお会いしているんですけど」

服部(仮)
「······」

サトコ
「氷川です。津軽班所属の」

清墨英司
「清墨だ。清墨英司」
「所属は···」

そこで、清墨さんはふと口を閉ざした。
階段を上ってくる足音が聞こえたからだ。

茶谷みさと
「···あ」

サトコ
「こんにちは」

茶谷みさと
「クマから聞いているわ」
「ありがとう、ボディガードを引き受けてくれて」

サトコ
「いえ···」

茶谷みさと
「うちの···『神有道』のことはもう聞いた?」

サトコ
「はい。久間さんから説明を受けました」

茶谷みさと
「だったら『祭事』のことも聞いているよね」
「へんなヤツらが、私のことを狙っているみたいだけど···」
「そのときは、またやっつけてね!頼りにしてるから」

サトコ
「はい、頑張ります」

(···やっつけて、か)
(ある意味、そうなってくれるのが一番有り難いんだよね)

彼らを捕まえることが出来れば「証拠探し」をする必要がなくなる。
ただ、この家を襲撃するのはかなり大変だ。

(そう考えると、あきらめることもあり得るわけで···)
(だから、津軽さんも、保険を掛けようとしているんだろうけど···)

清墨英司
「アザが増えていたな」

サトコ
「アザ?」

清墨英司
「青アザだ」
「昨日は左脛にひとつだけだったが、今日は右足にもあった」
「意外とそそっかしいのかもしれない」

サトコ
「まだ中学生ですしね」

(それなのに、宗教団体の後継者候補になったり、誘拐されかけたり···)
(いろいろ大変だなぁ)

茶谷家に潜入して3日目。
次女が学校に行ってる間、私は護衛計画表を確認ーー

という名目で、茶谷家をウロウロしていた。

(セキュリティはかなり厳しめ)

警備員も家政婦も、久間さんが身元を調べて採用したと聞く。
つまり、内部に「不審な人物」はいない。

(ある意味、私と清墨さんが一番の「不審者」なんだよね)
(いろいろ偽って入り込んでいるんだから)

ふと顔を上げると、一番奥の扉が目に入った。
今は家を出ている「長女の部屋」だ。

(探るなら、夜中が一番安全かな)
(この時間帯は、意外と家政婦や警備員が2階に上がって来るし)

サトコ
「···あ」

案の定、誰かが階段を上がってきた。
私は、急いで護衛計画表を取り出した。

サトコ
「2階···チェックOK!」
「次···」

???
「···あれ?また会ったね」

(え···)
(えええっ!?)

キラキライケメン
「覚えてる?ボクのこと」

サトコ
「は、はい。あの···ポーピくんが大好きな···」

キラキライケメン
「うん!カッコいいよね、ポーピくん」

(うっ、まぶしい···)
(···じゃなくて)

サトコ
「失礼ですが、どちらさまですか」

キラキライケメン
「えっ」

サトコ
「今日はお客様がいらっしゃるという話は伺っていませんが」

キラキライケメン
「ああ、ボクの素性ってこと?」
「ボクは家政婦代理」
「通いの家政婦さんが体調不良でお休みってことで」
「急きょ、ピンチヒッターで呼ばれたんだ」

(この人が?本当に?)

キラキライケメン
「嘘だと思うなら、久間さんに確認してみてよ」
「ボク、今日は20時まで勤務だから」

サトコ
「···わかりました」

(今すぐ、久間さんに確認···)

キラキライケメン
「ていうか···」
「知ってた?おねーさん」
「人と人との出会いって、二度までは偶然だけど···」
「三度目は『運命』なんだって」

(ちょっ、近い···っ)

キラキライケメン
「ね、素敵な話だよね」
「ってことで『運命』のおねーさん、ボクと付き合わない?」

まぶしい笑顔で迫る彼に、私は···

<選択してください>

喜んで!

サトコ
「喜んで!」

キラキライケメン
「え···」

サトコ
「付き合ってもいいですよ」
「『料理の手伝い』とか『買い物』とかなら」

キラキライケメン
「······ベタなボケだね」

サトコ
「テッパンと言ってください」

冗談ですよね

サトコ
「冗談ですよね?」

キラキライケメン
「さあ、どうかな?」
「冗談に見える?」

サトコ
「見えます。というか冗談にしか見えません」

お断りします

サトコ
「お断りします」

キラキライケメン
「えーどうして?」

サトコ
「好きな人がいますので」
「その人以外に、興味はありません」

答えながら、キラキライケメンの身体を押しやろうとする。

キラキライケメン
「えーそんなに邪険にしないでよ」
「せっかくの運命の再会を果たしたのに」

サトコ
「そういうの、興味ありませんので」

キラキライケメン
「んーじゃあ、これから興味を持って···」

???
「何をしている」

キラキライケメンの背後から、聞き覚えのある声がした。

清墨英司
「その組み方···もしや格闘技の訓練か?」
「それなら、ぜひオレも加えてもらいたいものだが」

(清墨さん···!)

キラキライケメン
「残念。見つかっちゃった」

キラキライケメンは、ようやく私から離れてくれた。

キラキライケメン
「それじゃ、ボクは仕事に戻るね」
「あ···ボクのことは、ひとまず『ナル』って呼んで」
「それじゃ、今日一日よろしく」

ウインクひとつ残して、キラキライケメンはするりと去って行った。
その身のこなしは、まるで街中を自由に行き来するネコのようだ。

清墨英司
「知り合いか?」

サトコ
「いえ、以前会ったことがあるだけです」
「たぶん、今日で3度目···」

(···うん?3度目?)

何かが引っかかったような気がした。
カチリとうまくハマらない、違和感のような何かが···

清墨英司
「で、何が『今日一日よろしく』なんだ?」

サトコ
「あ、そうでした!」
「彼、通いの家政婦の『代理』って言ってるんですが···」

清墨英司
「そんな話、聞いていないな」

サトコ
「ですよね。すぐに久間さんに確認を取ります」

久間さんは外出中だったものの、すぐに連絡が取れた。
結果ーー

久間佐次郎
「申し訳ございませんでした!」
「今日は代理の者が来る旨、すっかり伝え忘れておりまして···」

清墨英司
「連絡は徹底してもらわないと困る」

久間佐次郎
「もちろんです。次からは必ずそうしますので」

(それにしても、あのキラキラ···)
(じゃなくて、ナルさんが家政婦さんだったなんて)
(「芸能人」のほうが、よっぽどしっくりくるけどなぁ)

茶谷みさと
「どうしたの?まさかトラブル?」

サトコ
「いえ、お仕事の話をしていただけです」

久間佐次郎
「今から動画撮影ですか?」

茶谷みさと
「もちろん。来週分まで撮り溜めしておかないとね」
「祭事が終わるまで忙しくなるし」

サトコ
「その間、お休みはできないんですか?」

茶谷みさと
「ダメだよ。数日更新しないだけで視聴者は離れるんだから」
「この間の入院で落ちたPVも、まだ取り戻せていないし」

サトコ
「そうですか。大変ですね」

茶谷みさと
「別に。どうってことないよ」
「これも『神有道』広めるためだもの」

次女···みさとちゃんは事もなげに言った。

茶谷みさと
「うちの教義は素晴らしいの。たくさんの人を元気にできるの」
「最近、配信内容に少しずつ『神有道』の教えを入れてるけど···」
「共感してくれる人、結構いるんだから」

誇らしげに胸を張ると、みさとちゃんはリビングの白い壁の前に立った。

茶谷みさと
「それじゃ、みんな静かにして。これから動画を撮るから」
「クマ、お願い」

久間佐次郎
「かしこまりました」

動画撮影が始まった。
ビデオカメラ前のみさとちゃんは、とても中学生には見えなかった。

(すごいな、ほんと)
(これじゃWeeeTuber「みちゃと」の正体がバレないのも当然···)

サトコ
「···うん?」

(そういえば···)
(どうして思想団体の連中は「みちゃと」を誘拐しようとしたんだろう)

病院で誘拐されかけた時、みさとちゃんは素顔ではなかった。
動画を撮るため、きっちりメイクをしていたのだ。

(それなのに、彼女を連れ去ろうとしたってことは···)
(思想団体側も、ふたりが同一人物なのを把握しているってこと?)

いや、それ以前にーー

(どうして、彼らはまっすぐ地下に向かったんだろう?)

あのとき、みさとちゃんは病室にいると思われていた。
だから、百瀬さんたちはVIP病棟にスタンバイしていた。

(なのに、彼らは「地下」へ向かった)
(まるで、そこにみさとちゃんがいることを知っていたみたいに···)

茶谷みさと
「ダメ!カット!」

ふいに、みさとちゃんが大声を上げた。

茶谷みさと
「クマ、そこのポーチからファンデ取って」

久間佐次郎
「ふぁんで、とは?」

茶谷みさと
「ファンデーション!メイクするときの!」
「やっぱり気になるよ。この手の青アザ」

(···手?)
(ほんとだ、また青アザが···)

清墨英司
「そのアザはいつできた?」

茶谷みさと
「わかんない。いつの間にかできてた」

サトコ
「塗るの、手伝おうか?」
「この青アザ、隠せばいいんだよね?」

茶谷みさと
「うん、おねがい」

手の甲にファンデを塗りながら、さりげなく身体の他の部分もチェックする。

(左腕に1ヶ所、右腕にも1ヶ所···)
(足の青アザもまだ消えていない···)

久間佐次郎
「そういえば、みさと様、お薬はもう飲まれましたか?」

茶谷みさと
「あ、忘れてたかも」

久間佐次郎
「いけませんよ。しっかり飲まないと」
「まだ退院して間もないのですから」

久間さんが、薬の入ったケースを開ける。
そのなかのひとつが、私の記憶を刺激した。

(あれって、たしか清掃員として潜入していた時···)

サトコ
『あの、この錠剤···』

清掃員3
『やだ、それ私の薬じゃないの』

清掃員4
『もしかして、心臓の?』

(···どういうこと?)
(みさとちゃんって、心臓の病気で入院していたわけじゃないよね?)

けれども、記憶違いでなければ、病院で見た錠剤と同じだ。

(なんか···気になるんですけど···)

その日の真夜中ーー

私は、予定通り長女の部屋に忍び込んだ。
そして「とある写真」を手に入れた。

さらに翌日ーー

私は、みさとちゃんにお願いして「あるもの」を預かった。

考えがまとまったのは、翌日の夕方。
莉子さんからの電話によってだ。

木下莉子
『知り合いに確認してもらったわ』
『サトコちゃんから預かった「アレ」だけど···』

(···やっぱり、思ってたとおりだ)
(だったら···)

その日の夜。
私は、みさとちゃんの代わりに、彼女のベッドに潜り込んだ。

(祭事まであと2日)

「彼」は、それまでに片をつけに来る。

(つまり、今晩か明日の夜には事を起こそうとするはず···)

ギッ···と低い音がした。
たぶん、ドアが開いたのだろう。

(···来た)

布団に深く潜り込んでいるから、侵入者の顔は確認できない。
代わりに、窓辺に設置したWebカメラが、この部屋を映しているはずだ。

(あとは、別室の清墨さんの合図を待つだけだ)
(焦るな···大丈夫···大丈夫だから···)

掛け布団の中に手が滑り込んできた。

(なにこれ···クリーム?)

右手首に、しつこいくらいクリームを塗られる。
それが意味するのは、いったいなんなのか···

(怖い···)

でも、今はまだ動けない。

(もっと決定的な行動を···それまで待たないと···)

侵入者が、低い声で言葉を発した。
その数秒後、隠し持っていたスマホが着信音を響かせた。

(···来た!)

掛け布団を跳ね上げて、そばにいた「目出し帽の男」の腕を捻り上げる。
男はくぐもった声を上げると、手にしていた凶器を取り落した。

(やっぱり···ナイフだ)

サトコ
「いつからみさとちゃんを狙っていたんですか」

目出し帽の男
「······」

サトコ
「答えてください!」
「···久間さん」

名前を呼びかけると、目出し帽の男は抵抗をやめた。
うなだれた背中が、悲し気に震えたような気がした。

to be continued

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