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最愛の敵編 東雲9話

記録係の席で、そっと息を吐く。
間もなく、久間佐次郎がこの取調室に連れて来られるはずだ。

津軽
取り調べは初めて?

サトコ
「···はい。見学はしたことはありますけど」

津軽
じゃあ、これが『取調デビュー』だね

津軽さんの声が朗らかに響いたところで、ドアがノックされた。

(···来た。いよいよだ)

津軽
どうぞ。かけてください

久間佐次郎
「······」

津軽
では、まずお名前から···

取調は、淡々と進んだ。
津軽さんの質問に対して、久間佐次郎はポツポツと答えていく。
反抗的な態度を見せることもなければ、特別黙り込むようなこともない。

津軽
···そうそう、あなたが犯行に及んだ際の動画を確認しました
それと、逮捕当時、アナタが所持していた『薬』も

久間佐次郎
「······」

津軽
うちの捜査員に塗ったのは、麻酔効果のあるクリームでしたね
『あれを塗っておけば痛みが軽減される』つまり···
『刃物で傷つけても目を覚まさない』と考えたわけですか

久間佐次郎
「···っ、それは···」

津軽
『それは』?

久間佐次郎
「目は覚ますだろう、と思っていました」
「そこまでの効き目はないと聞いていましたし」

津軽
誰から?

久間佐次郎
「い、いえ、その···インターネットなどの評判で···」

(動揺してる···)
(ってことは嘘をついてる?)

久間佐次郎
「と、とにかく!」
「私としては、ちょっとした脅しのつもりだったんです」

津軽
······

久間佐次郎
「ほんの少し、ケガをさせて···」
「それで、後継者を辞退していただければと···」

津軽
違いますよね?
狙っていたのは、出血多量による『輸血』でしょう?

久間佐次郎
「!」

今度こそ、久間は動揺を隠さなかった。

久間佐次郎
「そ、そんなこと···何を根拠に···」

津軽
氷川さん、説明してあげて

サトコ
「はい」

緊張しつつも、私は椅子から立ち上がった。

サトコ
「あなたが、みさとさんに飲ませていた薬を確認しましたが···」
「その中に『血栓を防ぐ薬』がありますよね?」

そう、莉子さんの話によると···

木下莉子
『あの薬は、心臓や脳の病気を防ぐために処方されるの』
『ただ、副作用があって、人によっては出血しやすくなるのね』
『青アザができやすくなったり、血尿が出たり···』
『もっと重篤な病気を引き起こすこともあるわ』
『だから、病院側は、副作用の有無を確認しつつ処方するわけだけど』

サトコ
「じゃあ、もし、その···」
「副作用が出ているときに、出血するようなケガをしたら···」

木下莉子
『そうね···ケガの具合や、傷覆った場所にもよるけど』
『出血が止まらなくなって大変なことになる可能性はあるわね』

サトコ
「入院していた病院にも確認しましたが」
「あの薬は、みさとさんには処方していないそうです」

久間佐次郎
「······」

サトコ
「あなたの狙いは『脅すだけ』なんてものじゃない」
「確実に、みさとさんを後継者から外すつもりだった」
「···違いますか?」

久間は、何も答えなかった。
ただ、ジッと机の上を見つめていた。

津軽
···まぁ、そのあたりのことはコチラで調べますよ
長女の希世子さんにも任意同行をお願いしましたし

久間佐次郎
「···っ、希世子様は関係ありません!」

津軽
でも、彼女のためにやったことでしょう?
あなたが『とある団体』···
みさとさん誘拐に関わる団体と繋がっていたことは確認済みですし
その団体と、希世子さんが懇意にしていることも、すでに調べがついています

久間佐次郎
「······」

津軽
ですから、近日中にさらなる真実が明らかに···

久間佐次郎
「だって、気の毒でしょう」

絞り出すような声で、久間は吐き出した。

久間佐次郎
「幼い頃に、無理やり親元を引き離されて養女にされて···」
「それでも『神有姫』になるためだからって我慢して···」
「なのに、みさと様が生まれた途端、腫れもの扱いですよ」
「あまりにも希世子様が気の毒じゃないですか」

彼の訴えに、私は長女の部屋で手に入れたものを思い出した。
本棚の隅に伏せられていた、ほこりをかぶった写真立てーー
久間と、まだ幼い茶谷希世子が、笑顔で映っていた写真。

津軽
そうですね。たしかにお気の毒です
ですが···

津軽さんは、片頬を歪めた。
たぶん、相手にどんな印象を与えるのか、わかったうえで。

津軽
犯罪は犯罪ですから。おつかれさまでした

鳴子
「で、津軽班としては、念願叶って···」
「長女の取り調べと、思想団体の家宅捜索ができたってわけか」

サトコ
「うん···」

鳴子
「宗教団体の方は?」

サトコ
「『祭事』は中止だって」
「でも、後継者はみさとちゃんで決まりじゃないかな」

とはいえ、彼女の心のダメージはかなり大きかったはずだ。

(あのとき···久間を連行するときだって···)

茶谷みさと
『嘘だよね、クマ!』
『こんなの、何かの間違いだよね!?』

久間佐次郎
『······』

茶谷みさと
『何か言ってよ!』
『ずっと···ずーっとアタシの味方だったじゃない!』

久間佐次郎
『······』

茶谷みさと
『いつだって一緒にいてくれて···』
『アタシが「みちゃと」だって、マスコミにバレかけたときも』
『うまく隠してくれて』

久間佐次郎
『······』

茶谷みさと
『ねぇ、どうして?なんとか言ってよ、クマ!』

(みさとちゃん、これからどうするんだろう)
(動画配信も、あれからずっと休んでいるみたいだし)

鳴子
「今回のこと、私も興味があって調べてみたんだけどさ」
「『神有道』自体は、別にカルト宗教ではないんだよね」
「問題があったのは、長女の周辺くらいで」

サトコ
「···うん」

鳴子
「ただ、今後何年かは『監視対象』になるだろうね」

サトコ
「そうだね」

それでも、大きな騒ぎにならなかっただけマシなのかもしれない。
マスコミに食いつかれていたら「カルト宗教」などと報じられただろうから。

(「うちの教義はたくさんの人を元気にするの」だっけ)
(その気持ちのまま、活動を続けていけば、いつかきっと···)

捜査員1
「おい、見たか?トイッターのトレンド」

捜査員2
「ああ。これって、たしか『津軽班』の···」

(津軽班?)

背後から聞こえてきた会話が気になって、私はスマホを手に取った。

(トイッターのトレンド···)

サトコ
「えっ」

(2位「みちゃと」···8位「宗教」···)
(まさか···!)

トレンド入りのきっかけは、ゴシップ週刊誌の公式アカウントだった。

ーー『人気WeeeTuber『みちゃと』とカルト教団の黒い関係?』

しかも、書き込みはそれだけではない。

ーー『公式有料動画サイトでは、明日23時より関連情報を配信』
ーー『みちゃとの「裏の素顔」を大公開?』

(「素顔」って、まさか中学生としての彼女が晒されるってこと?)

何より問題なのは書き込みと同時にアップされた写真だ。

(あれ、捜査資料として私が津軽さんに提出したものだ)

(どうして、そんな重要なものがマスコミに?)

サトコ
「あのっ、津軽さんは···」

百瀬
「石神さんに連れて行かれた。たぶん、給湯室···」

サトコ
「ありがとうございます!」

給湯室が見えてきたところで、意識して足音を潜める。
できるだけ気配を消して近づくと、かろうじて話し声が聞こえてきた。

石神
···やったんだな?

津軽
んー

石神
だとしたら、やりすぎだ。週刊誌にリークするとは

(リーク···)
(じゃあ、やっぱり津軽さんが···)

津軽
いいじゃん、マスコミは使いようだよ?

石神
必要のない行為だ

津軽
あるさ。このままだと、長女と思想団体を抑えてオシマイ
で、『神有道』そのものは野放しになる

(···え)

津軽
けど『みちゃと』絡みの『宗教』となると注目を集める
結果、先日の事件のことをバラすヤツが現れて···
『神有道』は、めでたく世間に『カルト宗教』として認知される

(な···っ)

石神
それは、関係者を追い詰めるやり方だ
今回、クロに近いヤツはすでに全員引っ張った
それ以上の締め付けは、無関係の信者を暴徒化させかねない

津軽
いいじゃない、暴徒化!
そうなったら、今度こそ徹底的に『神有道』を潰せばいい!
···ね、君もそう思うでしょう、ウサちゃん?

突然、あだ名を呼ばれてびくりとした。

津軽
出ておいで、ウサちゃん
君が盗み聞きしているのは、俺も秀樹くんも気付いているから

優し気に聞こえる声が、かえって怖い。
それでも、私は恐る恐る顔を出した。

津軽
ね、ウサちゃん。君も俺と同じ意見だよね?
『神有道』なんて、徹底的に潰すべきだよね?

一瞬、みさとちゃんの顔が脳裏を過った。
けれども、目の前の津軽さんの笑顔に、あっけなくかき消されてしまった。

サトコ
「私は···」

<選択してください>

津軽と同じ意見だ

サトコ
「津軽さんと、同じ意見です」

(そう答えるしかない)

たとえ、歩さんや教官たちが教えてくれたことと違っていても···

(今の上司は、津軽さんで···)
(私は、その指示に従うしかなくて···)

それでも···

石神と同じ意見だ

サトコ
「石神さんと、同じ···」

津軽
ん?どういうこと
前に約束しなかったっけ?『俺の言うことを聞く』って

石神
よせ、津軽

津軽
秀樹くんは黙ってて
これは『俺の部下』の問題なんだから

(そうだ、確かに約束したよ)
(でも、それでも···)

答えられない

(ダメだ、答えられない···)

津軽
ウーサちゃん

サトコ
「······」

津軽
どうしたの?
せっかくだから聞かせてよ、君の意見を

サトコ
「······っ」

サトコ
「すみません、ひとつだけ···!」

私は、精一杯の勇気を絞った。

サトコ
「次女は···茶谷みさとは、まだ中学生です」
「今はまだいろいろなことが公にされていないので、普通の日常生活を送れていますが」
「こんなふうにバレたら、今後支障が···」

津軽
仕方ないんじゃないの、それは
『神有道』がやらかしちゃったんだから

サトコ
「でも、彼女はどちらかというと被害者で···」

津軽
そうかな。未来の『加害者』かもしれないよ?

(え···)

津軽
今回、彼女は危険な思想団体を突っぱねたけど···
次は手を組むかもしれない
だったら、今のうちにさ
徹底的に晒して、世間に知らしめたほうがよくない?

(······そう、なの?)

頭がグラグラする。
まるで、今までの自分の価値観を揺るがされているみたいだ。

石神
俺は反対だ
お前のやり方は『シロ』だったものを『クロ』にしかねない

津軽
甘いよ、秀樹くんは
『クロ』になるヤツは、放っておいても『クロ』になる
だったら最初に潰した方が手っ取り早いじゃない

津軽さんの唇に、薄い笑みが浮かぶ。
石神さんの声音が、一段と低くなった。

石神
それは、お前の考えか?
それとも銀室長の···

津軽
さあね。なんて答えれば満足なの、秀樹くんは

石神
······

津軽
とにかく、俺は『潰す』って決めたから
もし、どうしても望まないなら···
信者が暴徒化しないよう、神頼みでもしていれば?

帰りの電車の中ーー
私は、ぼんやりと中吊り広告を眺めていた。

(津軽さんがリークした週刊誌···発売は明日だったよね)

きっと、明日の広告で「みちゃと」の名前は大きく掲載されるだろう。

(謎が多かった人気WeeeTuberと宗教団体···)
(マスコミにとっては格好のネタだよね)

しかも、明日配信される動画も、私が提出した資料だとしたら···
久間を捕まえるために撮った、あの動画以外、考えられない。

(資料として提出した動画は、Webカメラで撮ったあの1本だけ···)

あれが公開されれば、事件は注目され、みさとちゃんの素顔も晒される。
久間を連れて行く際、彼女の素顔がはっきり映っていたからだ。

(いいのかな、これで···)

本音を言えば、私は石神さんの意見に賛成だ。
追い詰め過ぎた「監視団体」は、暴徒化しかねないと教わったからだ。

(でも、それは「公安学校」の教えで···)
(実際の現場は、また違うわけで···)

ーー「忘れちゃってよ。公安学校時代のことは」
ーー「いろいろ邪魔だからさ」

(そうだ···忘れないといけないんだ)
(忘れないと···あの2年間を···)

サトコ
「···っ」

(ダメだ、やっぱり···!)

タイミングよく、電車が駅に到着した。
下車駅ではなかったにも関わらず、私は電車を飛び出した。

(どうしよう、どうすればいい?)

こんなの納得できない。
でも、受け入れないと、津軽班ではやっていけない。

サトコ
「教官···」

(会いたい···相談に乗って欲しい···)
(どうすればいいのか教えて欲しい)

気が付くと、私はスマホを握り締めていた。

(助けて、教官···)
(教官···東雲教官······っ)

ブツ···ッ、と呼び出し音が途切れた。

サトコ
「教官!あの···っ」

アナウンス
『こちらは留守番伝言サービスです···』

(あ···)

夢から覚めたような気分だった。
今、自分の置かれている立場を突き付けられたような気がした。

(違う、私···)
(もう訓練生じゃないのに···)

受話口からは、お決まりのアナウンスが流れてくる。
やがて、録音開始の発信音が聞こえてきた。

サトコ
「あ、あの···おつかれさまです」

(ダメだ、何を話せば···)

サトコ
「あの、歩さん···私·········」

???
「···サトコ?」

それは、とても懐かしい声だった。

狭霧一
「ああ、ごめん。電話中か」

サトコ
「う、ううん!大丈夫!」

慌てて通話を切ると、私は何とか笑顔を取り繕った。

サトコ
「え、ええと···久しぶり」

狭霧一
「久しぶり。まさか、こんなところで会うなんてな」
「前に会ったのって、1年前だっけ?」

サトコ
「う、うーん···もっと···2年くらい前じゃない?」

狭霧一
「えっ、もうそんなになるのか」

元カレは、昔と変わらない笑顔で、私の隣に腰を下ろした。

狭霧一
「どう?最近」

サトコ
「え、ええと···ボチボチかな。ハジメは?」

狭霧一
「かなり大変。医師としては、まだまだ新人だしさ」
「お前はだいぶ慣れただろ?ひったくり犯を追いかけるの」

(ひったくり犯?)

狭霧一
「あれ、前に言ってなかったっけ?」
「『ひったくり犯を追いかけてる』って」

(そういえば『盗犯担当』って誤魔化していたような···)

サトコ
「そ、そうだね、毎日大変だよ!」
「ひったくり犯、結構多いから!」

狭霧一
「そっか、あまり無茶しすぎるなよ」
「お前は、昔から正義感が強かったから」

(あ···)

正義感ーー

その言葉が、以前ハジメに会った時のことを思い出させた。

(あの時、酔っ払って、歩さんに迎えに来てもらって···)
(そうしたら帰り際に···)

狭霧一
『こいつのこと···どうぞよろしくお願いします』
『バカでおっちょこちょいなヤツだけど···』
『「人の役に立ちたい」って気持ちは人一倍強いんです』
『それに、正義感だって···』

東雲
···知っています
彼女は、刑事に必要なものを誰よりも持っています
だから、きっといい刑事になります

(そうだ···歩さん、そんなふうに言ってくれて···)
(その言葉が、私にはすごく嬉しくて···)

でも、今の私はどうなのか。
同じ言葉を、歩さんに言ってもらえるのか。

(津軽さんの考えは間違ってない)
(未来の犯罪の可能性を、摘もうとしているだけだから)

それでも、今回のやり方を受け入れたら、私はきっと失ってしまう。
歩さんが言ってくれた「刑事に必要なもの」を。

(だって、歩さんが教えてくれたんだ)
(「事件を未然に防ぐ」「事件そのものを起こさせない」···)
(それが「公安の誇りだ」って)

サトコ
「ありがとう、ハジメ。なんかスッキリした」

狭霧一
「えっ、スッキリ?」

サトコ
「うん!とにかくありがとう!」

(週刊誌の発売は、私にはどうすることもできない)
(でも、動画配信なら···)

その夜。
私は、何時間もかけて必要な情報を入手した。

そして、配信日当日ーー

サトコ
「お先に失礼します」

津軽
···うん?今日はずいぶん荷物が多いね

サトコ
「これから泊りがけで女子会なんです」

津軽
そう。楽しんできてね

サトコ
「はい!では失礼します」

警察庁を出るなり、息をついた。
どうにかバレることなく、業務用PCを持ち出せたようだ。

(あとは時間との勝負だ)
(早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ)
(タイミングを見計らって作業しないと···)

???
「ずいぶん荷物が多いね」

サトコ
「!」

東雲
泊まりーー
にしては『少ない』か
もっと大荷物だよね、うちに来るときは

(マズい···ここで歩さんに会うなんて)

けれども、事情を打ち明けるわけにはいかない。
これから行うことは、歩さんにも秘密なのだ。

サトコ
「すみません。急いでますんで」
「それじゃ」

東雲
答えろ、氷川サトコ

(ぎゃっ!)

東雲
荷物の中身は?
服や下着じゃないよね?

(これって、答えるまで逃げられないパターン?)
(どうしよう。なんて答えて切り抜ければ···)

<選択してください>

歩さんには関係ない

(よし、ここははっきりと···)

サトコ
「歩さんには関係ありません」

東雲
······

サトコ
「関係ないことなので···」
「いちいち説明する必要はないはずです」

東雲
······あっそう

紫の下着がいっぱい

サトコ
「下着です!」
「紫の下着がいっぱい入ってます!」

東雲
······

サトコ
「だから、歩さんに見せるのはちょっと···」

東雲
なるほど
そんなに『知られたくない』わけ。その中身のこと

聞かないで

サトコ
「聞かないでください」

東雲
······

サトコ
「答えられることなら、素直に答えてます」
「それができないってこと···察してください」

東雲
······なるほどね

歩さんはため息をつくと、くるりと私に背中を向けた。

東雲
知ってる?今、課内に出回ってる噂
キミの上司が、捜査資料をマスコミに流したんだって

サトコ
「······」

東雲
···手伝えなくはないけど。業務外のことなら
所属とか、関係ないし

(ああ、やっぱり···)

歩さんは、誤魔化せない。
当然だ。
訓練生だった私を、一番見てくれていた人なんだから。

サトコ
「ありがとうございます」
「でも必要ないです。ひとりでできます」

東雲
へぇ、結構な自信じゃん

サトコ
「はい」

(だって、私は···)

サトコ
「東雲教官の、元補佐官ですから」

20時ーー
正面玄関が閉まる前に、私は出版社の入っているビルに足を踏み入れた。

(監視カメラは3台···)
(でも、顔はどこにも映っていないはず)

エレベーターに乗り込み、5階のボタンを押す。
ここまでは、関係者以外でも簡単に出入りできるはずだ。

(セキュリティが厳しいのは、この先···)
(5階で降りて、週刊誌の編集部に入ろうとする場合)

そうなると、さすがにゲストカードが必要だ。

(でも「受付」までなら訪問客のふりをして簡単に入れる)
(ましてや、同じフロアの···)

(「トイレ」や「清掃用具置き場」なんて、楽勝なんですけど)

扉を閉めるなり、PCを起動した。
ネットワークに入る方法は、すでに昨日の時点で見つけていた。

(あとは動画データのあるPCとサーバーだ)

サーバーは、なんとなく目処がついている。
時間がかかるとしたら、元データを受け取ったPCの特定だ。

(大丈夫。絶対できる)
(必要な知識も技術も、この2年間で叩き込まれてきたんだから)
(大丈夫···絶対大丈夫······)

作業を始めて30分。
ようやく配信予定の動画に辿り着いた。

(これだ···今日の23時配信)
(消す前に、中身の確認を···)

サトコ
「···えっ」

思わず、声が出た。

(これ、私が提出した動画じゃない)
(ぜんぜん別の···)

素顔のみさとちゃんが「みちゃと」になるためにメイクをするーー
その変わっていく過程が、すべて映し出されていた。

(マズいよ、これ)
(誰がこんな動画を···)

サトコ
「···っ」

(考えるのは後回しだ)
(今は、動画を削除することだけを考えないと)

その後も、地道な作業が続きーー
全てを終えたのは、動画配信まで20分を切ったところだった。

(よかった···ほんとギリギリ···)

サトコ
「おつかれー、私」

カラカラだった喉を、ピーチネクターで潤す。
「幻」と比べると甘さは控えめだけど、今の私には十分有り難い。

(それにしても、あの動画···誰が撮ったんだろう)

動画は、みさとちゃんの写真と一緒にメールで送られてきていた。
ちなみに、「写真」のほうは間違いなく私が資料として提出したものだ。

(出版社に送ったのは、津軽さんだとして···)
(撮ったのは、清墨さん?)
(でも、清墨さんの提出資料に動画はなかったはずだけど···)

???
「こんばんは~」

ふっ、とピーチネクターを照らしていた街灯が遮られた。

ナル
「すごいねぇ、また会っちゃったね~、ボクたち」

(え···ナルさん?)

ナル
「こんな遅い時間までお仕事?」

サトコ
「あ、はい···」

ナル
「そっかぁ。大変だね、サトコさんも」

サトコ
「いえ···」

つられて返事をしかけて、ドキリとした。

(この人、今「サトコさん」って言った?)

ナル
「ああ、ごめん。『長野さん』だっけ」
「それとも、かっぱさん?スッポンさん?」
「あとは『ウサちゃん』···」

持っていたピーチネクターを投げつけた。
その隙に、彼を押さえつけるつもりだった。
なのにーー

サトコ
「ひ···っ!」

背中にものすごい痛みが走り、私はその場にうずくまった。

(やられた···スタンガン···っ)

身体が、思うように動かない。
ものすごい吐き気が込み上げてきて、堪えるのに精一杯だ。

ナル
「···う~ん、いい眺め」
「それじゃ、ちょっと付き合ってよ~」
「『つっくん』が助けに来てくれるまで···ね」

to be continued

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