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エピソード0 東雲1話

初恋の相手から「今度、彼とお泊り旅行するの」と浮かれたメールが届いた日ーー
オレは生まれて初めて、いわゆる「朝帰り」をした。

東雲
ふわ···

(怠···)
(しかも眠いし)

始発だというのに、車内にはけっこう乗客がいた。
意外だ。もっとガラガラだと思っていたのに。
入り口付近に立って、ドアに寄り掛かる。
窓の向こうに目を向けると、ドアの隙間がうっすらと明るい。
スマホのディスプレイを見ると、ちょうど5時になったばかりだ。

(父さんたちは···寝てるだろうな、まだ)

だから、息を潜めるように玄関のドアを開けた。
べつに、朝帰りが気まずかったわけじゃない。
寝ているところを起こすのは申し訳ないと思っただけだ。
なのにーー

ばあや
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

東雲

ばあや
「ずいぶん遅いご帰宅ですな」

まさに仁王立ち状態のばあやを前に、オレは視線を彷徨わせた。

東雲
起きてたんだ

ばあや
「当然でございましょう」
「旦那様、奥様も一睡もしていらっしゃらないのです」
「このばあやだけが眠るわけにもいきますまい」

ずん、と心が重くなった。
そのくせ、口から出たのはずいぶんと尖った言葉だった。

東雲
どうってことないじゃん。朝帰りくらい
オレも、もう子供じゃないんだし

ばあや
「ならば、帰りが遅くなる時は、連絡を寄こすのがスジというもの」
「『大人』とはそうしたものですじゃ」

容赦ないその返答を、オレはため息交じりに受け止めた。

東雲
父さんと母さんは?

ばあや
「リビングにおられます」

東雲
わかった···行ってくる

扉を開けると、すぐさまふたり分の視線がぶつかってきた。
そこから伝わってきたのは「怒り」ではなく「気遣い」ーー
それと、かすかな「戸惑い」だ。

東雲父
「歩···」

東雲
ごめん、心配かけて
ゼミ仲間と、レポートのことで盛り上がりすぎて
気付いたら、とっくに日付が変わっていたから

東雲父
「······」

東雲
次からはちゃんと連絡します

スラスラと口をついて出たウソに、父さんは何か言いたげな顔をした。
けれども、結局耳に届いたのは「わかった」という予想通りの言葉だ。

東雲父
「これからは連絡は必ず入れなさい」
「どんなに遅い時間でも構わないから」

東雲
はい

ああ、バカなことをした。
両親やばあやに心配をかけるなんて。

(こんなの、オレらしくない)
(次からは、気を付けないと)

グダグダ考えながら、ベッドに潜り込む。
窓の向こうは白々としているのに、瞼ばかりがひどく重たい。
ふと、数時間前の光景が頭を過った。
誘われるまま訪れた、窓のない薄暗い部屋ーー

(正直···)
(大したことなかったな)

数時間後ーー
何事もなかったように、オレは大学に来ていた。
いつも通り講義を受け、似たような顔ぶれで昼食をとる。
ついでに、ここで交わされる会話も、毎日わりと似たようなものだ。

男子学生1
「昨日の飲み会、どうだった?」

男子学生2
「まあまあじゃね?」

男子学生3
「きれいどころが何人かいたよなぁ」

男子学生2
「あと、すげぇ谷間の見える服を着てた子」

頭の悪そうな会話だけど、偏差値はみんなかなり高い。
ひっくり返せば、どんなに頭が良くても大学生の会話なんてこんなものだ。

(怠···)

だからって、それを顔に出すほど、オレもバカじゃない。

男子学生3
「そういえば東雲、昨日途中でいなくなってたよな」

男子学生1
「マジで?お持ち帰り?」

東雲
さあ、どうだろう?

男子学生1
「あ、こいつ、絶対持ち帰った!」

男子学生2
「どうだった?お前の隣にいたの、たしか1コ上の···」

(···面倒くさ)

根掘り葉掘り聞かれても、応えられることはほとんどない。

(ていうか覚えてないし)
(相手の顔も名前も、ぜんぜん···)

???
「東雲!」

抜群のタイミングで、違う声が割り込んできた。
同じクラスの蘇芳だ。

蘇芳つばき
「これ!資料ありがと!」
「で、ちょっと聞きたいことがあるんだけど···」

隣の椅子を引いた蘇芳に「おいおい」とからかいの声があがった。

男子学生1
「お前、またすっぴんかよ」

男子学生2
「たまには口紅くらい塗ってこいよ」

蘇芳つばき
「余計なお世話。あんたたちに関係ないじゃん」
「それより東雲、この資料だけど···」

彼女のおかげで、どうやらくだらない会話から逃げ出せそうだ。
オレは、説明を聞くふりをして、連中にそれとなく背中を向けた。

(ほんと、くだらなすぎ)

なんで、こいつらは毎日同じような会話しかしないのだろう。

(飲み会、女···そればっかり···)

さっきの、蘇芳のメイクについてもそうだ。

(放っておけばいいじゃん。興味のない女のメイクなんて)

なのに、わざわざ冷やかそうとするあたり、小学生と大して変わらない。

(ガキくさ。どいつもこいつも)
(ほんと、うんざり···)

蘇芳つばき
「東雲、聞いてる?」

話をほとんど聞き流していたことがバレたのだろう。
蘇芳が、注意を引くようにペンで手の甲を突いてきた。

東雲
···痛い

蘇芳つばき
「聞いてないそっちが悪いでしょ」
「それより、こっちの資料も確認して欲しいんだけど」

クリアファイルを取り出した蘇芳の鞄から、プリント用紙が1枚飛び出した。

東雲
『ワークショップのお知らせ』···?

蘇芳つばき
「ああ、公務員試験対策のだよ」
「どんなことをやるのか、内容だけでも確認しておこうと思って」

東雲
···なに、官僚目指してんの?

蘇芳つばき
「一応ね。東雲も興味ある?」
「って、それはないか」
「東雲、実家を継ぐんだもんね」

東雲
······

「実家を継ぐ」--
それは、オレにとってほぼ確定済みの未来だ。
そのために、オレは「東雲家」に引き取られたわけだし···

独学で、自らいろんな技術を身につけた。
それはもう本当に「いろんな技術」を。

東雲
うわ···

(セキュリティ、穴だらけじゃん)
(大手銀行のサイトでこのレベルとか)

ハッキング行為は、森を進む時とよく似ている。
頭の後ろで入り口を確認しつつ、どんどん先に進んでいく感じが。

(もう少し行けるか)
(もう少し···もっと先へ···)

東雲
···あった

(最初の「顧客ファイル」···)
(ここまでの到達者は、オレで8人目···か)

エンジニアたちが集う、通称「裏広場」。
そこで定期的に開催される、技術を競うための「ゲーム」

(本気出そうかな、久しぶりに)
(このレベルなら、簡単に上位には行けそうにないし)

ちなみにアクセスしたファイルを不正に操作したり、手を加えてはいけない。
それらの行為は、主催者から禁止されているのだ。

(目指すのはその先)
(あと6分25秒以内に、次の「顧客ファイル」にアクセスすること···)

と、スマホの着信音が響いた。
いつもなら無視するそれに気を取られたのは、特別なメロディだったからだ。

(さちからだ)

電話に出るわけにはいかなかった。
今、ここで離脱したら「負け」が確定だ。

(せっかく久しぶりに本気を出せそうなのに)

けれども、着信メロディはやまない。
ゲームは、残り時間5分を切っている。

東雲
······
···っ

あきらめて、オレはスマホに手を伸ばした。

東雲
······はい

九重さち
『あーっ、よかった!』
『歩くん、あのね。相談に乗って欲しいんだけどね』
『今度の、先生との温泉旅行のことなんだけど···』

出るんじゃなかった。
そう思ったところで、もはやどうしようもなかった。
苦痛な電話をようやく終えて、オレは「裏広場」にアクセスした。
当然、今日のゲームは既に終わっていて、オレのランキングは···

(···めちゃくちゃ下がってる)
(ほんと、サイアク)

やっぱり電話に出るんじゃなかった。
相談に見せかけた「のろけ」なんて聞くんじゃなかった。
舌打ちしながら、「裏広場」からログアウトしようとして···
「ダイレクトメッセージ」が1通届いていることに気が付いた。

(···なにこれ)

ーー「今日は残念だったね、つっくん」

東雲
つっくん?

意味不明。
このサイトでのオレのHNは「N_Peach」だ。

(かすってないし。一文字も)

おそらく送信先を間違えたのだろう。
そう結論付けて、オレはメッセージを削除した。
これが、すべてのはじまりだと気づきもしないで。

to be continued

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